我が国は、2020年3月2日(月曜日)からの、全国一斉休校を皮切りに、明治維新後、第6の国難を迎えた、と考えています。
(「第6の国難」を含めた説明は、後回しとします。)
<楊田補足>
楊田が認識している、明治維新後の、わが国の国難は、以下の通りです。
(いずれも出典は、困ったときの・急いでいるときのウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/メインページ)です。)
第1の国難「日露戦争」:1904(明治37)年2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけてロシア帝国との間で行われた戦争のこと。
第2の国難「関東大震災」:1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒ごろ(日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害のこと。
第3の国難「大東亜戦争」:大日本帝国と、中華民国、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。東條内閣が、昭和12年7月7日勃発の支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。よって、大東亜戦争の開始は1937年(昭和12)年7月7日である。
「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語が代わって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする考えも存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。
(楊田注:「太平洋戦争」という呼称がGHQにより押し付けられ、「大東亜戦争」が戦時用語として使用禁止された過去、そして、帝国陸軍の戦域がビルマまで戦線を拡張していた事実を勘案すると、「東亜戦争」では東アジアのみとなってしまいますから、「大」という文字を追加し、アジア大陸の広い範囲でも戦争状態にある時代が存在したことを認識するためにも、現代ニッポン人は、勇気をもって「大東亜戦争」と呼称するべきだ、と思っています。ですが、押し付けでは、ありません。楊田芳樹という、一個人がそう、思っているだけです。)
第4の国難「東日本大震災」:2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害のこと。
(楊田注:これに伴う福島第一原子力発電所事故による災害は、飽くまで、別物として考えています。)
第5の国難「福島第一原子力発電所事故」: 2011東京電力の福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融(メルトダウン)など一連の放射性物質の放出を伴った原子力事故である。国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される。2015年(平成27)年3月現在、炉内燃料のほぼ全量が溶解している。東日本大震災の一環として扱われる。2019(平成31)年3月時点でこの事故に起因する帰還困難地域は名古屋市とほぼ同じ面積、337k㎡となっている。
第6の国難「COVID-19」:2020(令和2)年2月27日、全国の学校に休校要請。総理大臣官邸で開かれた新型コロナウイルス対策本部で時の首相は3月2日から全国すべての小学校・中学校、高校(公立・私立含む)と特別支援学校について、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考えを示した。首相はあくまでも要請であり、強制ではないことを強調したが、文部科学省は全国の関係機関に要請を行った。これを受け、ほぼ全国の小中学校、高校等が3月2日から急遽休校し、卒業式なども中止・縮小となった。
(楊田注:自然災害と人災が交互に発生しているような気持になりますが、上記6項目は、飽くまでも、楊田の私見ですので、
・スペイン風邪
・水俣病
・阪神淡路大震災
など、大小さまざまな厄災は、数えれば、キリがありません。これらの事象により、数えきれいほどの尊い命が奪われたのですから、厄災の質・量に大小の比較をすること自体がナンセンスであるかもしれない、という旨についても、認識しているつもりです。)