岩国といえば錦帯橋でしょう11_世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書錦帯橋読み込み3 | エコノミライ研究所のブログ

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を探求して行きます。

先回より
 
【錦帯橋】岩国市公式ホームページhttp://kintaikyo.iwakuni-city.net/news/
で紹介していた2018年12月19日新着記事
 
「世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書 錦帯橋」を文部科学省へ提出しました

のリンクにある
 
 
文部科学省宛てに提出したこの資料について、紹介させて戴くことで
 
錦帯橋についての幅広い知識を得ようとしています。
 

関係者の皆様が何故、

 

錦帯橋

 

という世界でも稀な構造を持つ橋を

 

世界遺産登録

 

しようとしているのか

 

同じニッポン人として、共に学ばせて貰いたいと思っています。

 
それでは、前回の続きを紹介させて戴きます!
 
・・・・・・・・・・・・出典「 世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書 錦帯橋・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書

錦 帯 橋

平成3012月 山口県・岩国市

 

第2章 説明
2.a 資産の説明
2.a.1 概要
 錦帯橋は、17世紀初頭の日本において頂点を迎えた木造・土木技術によって成立した類い希なアーチ構造と、構造が生み出す機能美及び周囲の自然景観に溶け込む景観美を継承する、世界で最も素晴らしい木造アーチ橋である。

  錦帯橋は、山口県岩国市を流れる延長110.3km、流域面積889.8㎢の二級河川である錦川に架かる。日本の川 は、世界的に見て河床勾配が急なことで知られるが、錦川も、錦帯橋が架かっている地点で200mという川幅の広さに加えて、一旦洪水が発生すると7mを超えるほど出水するような暴れ川であったため、大雨時の土砂や流木、洗掘により、当時の日本において一般的であった桁橋は何度も流失していた。


 また、石造アーチ橋も、橋脚の数が多すぎ、水が堰き止められることによって氾濫が起こることが予測できる ことや、強固でない錦川の基礎地盤が石造アーチ橋を支持できない可能性があることから、断念せざるを得なかったと考えられる。このような状況のなか、橋の両岸に形成された城下町を統治し、安定した政務の執行と防御を行うためには、当時の日本で主流であった桁橋や国外から既に日本に紹介されていた石造アーチ橋では実現できなかった、暴れ川においても「流されない橋」の建設が喫緊の課題であった。

  第3代領主であった吉川広嘉は、明の帰化僧独立が持参した「西湖遊覧志」に描かれた石造アーチ橋に着想を 得、錦川に小島のような頑強な橋脚を造り、そこに橋を架ける多径間アーチ橋という解決策を思いついたとされる。 この着想に基づき、延宝元年(1673)、中央の3連木造アーチ橋、両端2つの桁橋、橋脚、橋台、護床工から成る多径間アーチ橋である「錦帯橋」が創建された。この橋は、翌年の洪水で流失するが、同年、すぐに再建された。 錦帯橋の木造アーチ橋が有する独自の構造は、猿橋などの、日本国内にあった橋柱を持たない刎橋にヒントを得たと考えられるが、小径木材を使った部材を、位置と角度をずらしながら重ね、ダボや鎹(かすがい)、巻金によって一体化することで大きな断面のアーチリブを形成する木造アーチ構造は、「錦帯橋式アーチ構造」と呼ぶべき世界で唯一の構造となった。
 
 また、錦帯橋を成立させた石積橋脚やアーチ橋の架構技術は、日本の戦国時代を通じて発展してきた築城技術 の応用である。身近に入手できる小径木材を用いて、短期間で大構造物を建設する必要に迫られて発展した築城 技術が、錦帯橋にも生かされたのである。ローマ人が馬車道を高速道路にしたなど、世界の類型にもみられるように、戦国時代が終焉を迎えた17世紀の日本においても、この人類共通の対応として、川を渡る技術に解答を出したといえる。

 また錦帯橋は、木造橋の宿命として木材の腐朽状況に応じた補修と架替が必要であったため、結果として数多くの大工が錦帯橋の架替を経験し、その技術を継承することができた。錦帯橋は、架替えられることで今日まで継承されてきたのである。

 錦帯橋は、延宝元年(1673)の創建以降、両岸の町を結び、この地の繁栄を支えてきた。城下町の政治中枢機能をつないで武士を渡すことに始まり、後に一大景勝地として諸国からの旅人をもてなした。近代以降も、閑静な住宅地の横山と商いで賑わう錦見とを結ぶ橋として長く機能し、観光渡橋だけでなく生活道及び通学路として利用され続けてきた。

 大正11年(1922)3月8日、錦帯橋は、史蹟名勝天然記念物保存法によって名勝に指定され、のち昭和18年(1943)8月24日に区域の追加指定がなされている。昭和25年(1950)、文化財保護法施行に伴い改めて名勝に指定された。
 
【指定説明】  穹窿形ノ奇構ヲ以テ卋ニ著ハル五個ノ弯曲セル木橋ヨリ成リ延長約百二十五間上下流ノ河底ニハ各約 六十間ノ石甃ヲ敷キ四個ノ石造橋脚ヲ設ケ両端ノ二橋ニハ柱橋アルモ中ノ三橋ニハ之ヲ用ヒ弯曲ノ度少 シク強シ延寶年中ノ創設ニ係リ尓来数々損傷ヲ修メテ舊形ヲ今ニ存ス
 
 昭和25年(1950)に全国各地に被害をもたらしたキジア台風により橋脚が崩れ、橋は流失したが、地域住民の思いに支えられ、錦帯橋式アーチ構造を用いた構造と橋全体の形態をそのままに再建された。

 周囲の自然と調和した美しい錦帯橋の姿は、海外にも影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などの「浮世絵」に描かれた他、絵画、歌劇など多岐にわたる分野で錦帯橋がモチーフとなっている。

 そしてこれらの時代を見守り続けてきた周辺の山々や錦川などの自然景観、城下町に由来する両岸の町割と町並みの景観は今日まで良好に保全されている。


 
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http://kintaikyo-bridge.jp/wp-content/uploads/2018/12/2018teiansho.pdf

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今回は、この辺りでキリが良いので続きは次回以降に廻します。
 
 
錦帯橋(きんたいきょう)のある町、山口県岩国市には、岩国市役所産業振興部に平成27年4月1日から
 
錦帯橋の維持・管理を担当するために運営開始した
 
錦帯橋「課」
 
があります。
 
錦帯橋課には、
 
次に記す重要な二つの業務があります。
 
1、錦帯橋の維持・管理
2、錦帯橋の世界遺産登録
 
このうち、「世界遺産登録」を申請する経緯について紹介しています。
 
錦帯橋ネタ
 
次回もお楽しみに!
 
エコノミライ研究所
所長 楊田芳樹
 
<引用・参考・出典>
・岩国市錦帯橋課https://www.city.iwakuni.lg.jp/soshiki/40/
・【錦帯橋】公式ホームページhttp://kintaikyo.iwakuni-city.net/
・錦帯橋http://kintaikyo-bridge.jp/
・世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書「錦帯橋」(平成30年12月、山口県・岩国市)(PDF資料)https://www.city.iwakuni.lg.jp/uploaded/life/32831_118500_misc.pdf
(「ウィキペディア」より)
・https://ja.wikipedia.org/wiki/岩国城
・https://ja.wikipedia.org/wiki/岩国藩
・https://ja.wikipedia.org/wiki/毛利元就
・https://ja.wikipedia.org/wiki/吉川元春
・https://ja.wikipedia.org/wiki/吉川広家
・https://ja.wikipedia.org/wiki/吉川広正
・https://ja.wikipedia.org/wiki/吉川広嘉
・https://ja.wikipedia.org/wiki/錦帯橋

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