被災地域の復興のあゆみ~福島モニターツアー  3.11から13年経ついま、語り部さんのお話から | 爆走☆えころじ庵店主のもりもり日記

被災地域の復興のあゆみ~福島モニターツアー  3.11から13年経ついま、語り部さんのお話から

ラジオで高波がくると叫んでいる

最初は3m・・・それが、6mになり、やがて10mを超えてくる。

 

「迫ってくる海の中は何があると思いますか?」

・・・

 「黒い海の底が見えるんです」

 

堤防から逃げ帰って来た語り部氏は、奥さんと鳥居をくぐり抜けて階段を上る。

 

ご近所の女性(77歳と92歳)に会ったので 「逃げろ~!」と叫ぶ。

ばっぱ(ばあちゃん) 「どこさ逃げればええのか?」

 

左手に家内、右手に77歳、家内は92歳の女性の手をつないで階段を上る。

10段目で後ろを振り返ったら、想像もできない光景があった。

 

海が迫ってきて、鳥居がなくなっていた。

つなみで家が破壊される瞬間を見た。

 

そのとき、自分の命だけを守る行動を判断しなければならない。

「ばっぱの手を放せ~!」

 

13年間泣いていた。

ひとりで抱え込んでいた。

 

92歳のばっぱは冷たくなって、3日後に自分が発見した。

 

77歳のばっぱは、後に、水の中から助け出すことが出来た。

それだけが、唯一救われたこと。

ばっぱは、「おら、こんなところで死んでられない!」 と、

水の中でもがいてもがいてまっ黒い水の中から助けられたそうだ。

 

92歳のばっぱの 「おらを置いてくのか」 と恨みこもった目を忘れることが出来ない.....

 

13年抱え込んでいたことを話したらやっと、すっと楽になった。

 

こんなせまい町で一瞬で116人もの犠牲者が出てしまったことは

たかをくくってすぐに逃げていない心の隙に災害が入り込んだことを伝えて、

とにかく上に逃げなければいけなかった後悔を、共感していかねばならない。

咄嗟の判断の重要さを・・・生き残ったから。

 

三陸は津波が多いので、「てんでんこ」の教えがあるが、

(周りを気にせず、てんでばらばらに、それぞれで高台へ逃げなさい。

 家族を迎えに行って被害にあったり、大勢で逃げ切れなかった教訓から

 薄情なようではあっても、てんでんばらばらに早く逃れるための教え)

「とにかく自分の命を守る」 ことを伝えていくことが大事

 

「いわき震災伝承みらい館」での展示やスライドを視察後、バス車中にて

教訓を踏まえて新しく作られた津波避難機能を持たせた豊間公園

(備蓄や断水でも使えるマンホールトイレ20個や個室テント、発電設備など)や

当時の子どもたちの様子とその小学校や、新しく建築された住宅を巡り

貴重な語り部さんのお話を聴きます。

 

体験された語り部さんの迫力と説得力があり、つらいご体験を乗り越えて

いまを生きていらっしるお話に、ツアースタートから深く重く感じ入りました。

 

「いわきがたり」 本日、出来立てだそうです。

 

震災の記憶と教訓を未来につなぐ、展示が補完する災害伝承

 

よみがえった 「奇跡のピアノ」

 

「外国人から見た東日本大震災展」や、英語のスライドも流れていました。

 

 「WONDER FARM ワンダーファーム」 はトマトの聖地 & テーマパーク

 

トマトと福島県産の食材をたっぷり使った

 

トマト満載の創作イタリアン 「クロスワンダーダイニング」 にて

グリーントマトフライとグリーントマトのジャムがめちゃ美味しかったあ♪

 

毎朝シェフが収穫した野菜に、久ノ浜漁港からの水揚げされた魚ランチ

ビュッフェ食べ放題

 

一年中、「トマト狩り体験」が楽しめます

 

ワンダーファームの取り組む農業や6次産業化(生産・加工・販売)に関する

視察プランあり。

 

「自分たちで作って、付加価値を高めて、売る」

6次産業化、地域農業のハブを目指して、農業の高齢化問題に、

若者が働ける、長続きできる環境を作ることを目指します。

 

「せっかくだから、トマト食べて行って!」

赤や黄色や大きいのや小さいのをいろいろ試食させていただきました♪

 

BBQ、芝生のキャンプ場、ドッグランも楽しめますよ。

 

「森のマルシェ」では、福島の美味しいに出会えます。

トマトソフトクリームにとまとの塩をかけたものが美味しかった♪

 

「とまと味噌」 「焼いたエビにかけるだけだアロハオエ」 が気になってお土産に♪

 

「東日本大震災・原子力災害伝承館」 震災・原発災から今に至るまでの

福島の道のりを伝え、災害の経験や教訓を伝えていくための施設

 

地震~津波~原発と、世界初の甚大な複合災害の記録や記憶を教訓として、

防災・減災に役立てる、着実に復興する過程を収集・保存・研修し、風化させずに

後世に継承・発信し、世界と共有する使命

 

まず、シアタールームの迫力ある大画面で伝えるプロローグ

 

地震から津波、原発事故発生当時の時系列年表らせん廊下を上がって

 

平穏な暮らしを一変させた地震と津波、原子力発電所事故、複合災害の始まり

 

屋上から見る、中間貯蔵施設と放射線モニタリングポスト

 

長期化する原子力災害の影響

 

富岡町、大熊町、双葉町、浪江町が帰宅困難地域となり、家に戻れない長い月日

 

なかでも、双葉町は昨年2023年まで、人口ゼロのままだった。

やっと現在、本当にやっと、100名ちょっとになったが

コンビニがやっとひとつできたのみで、住みやすい町づくりにはまだまだ先行き長い

 

「原子力明るい未来のエネルギー」

原発事故のせいで苦しめられたことも事実ながら、

原子力発電所のおかげで雇用や潤いもあったことも事実。

皮肉な標語パネルは、後世に伝えるために保全

 

福島県双葉町 左は2011年3月11日17時、右は2121年10月11日

 

一時帰宅時の防護服

 

生まれ育った故郷を離れる辛さのみならず、

風評被害や差別、いじめについての展示も

 

福島イノベーション・コースト構想・・・復興への挑戦!

 

浜通り地域等の産業を回復するために、新たな産業基盤の構築を目指す

国家プロジェクト

 

①原子力災害と復興の記録や教訓の「みらいへの継承・世界との共有」

福島にしかない原子力災害の経験や教訓を生かす「防災・減災」

福島に心を寄せる人々や団体と連携し、地域コミュニティや文化・伝統の再生、

  復興を担う人材の育成等による「復興の加速化への寄与」

 

<知る、学ぶ>地震、津波、原発事故、訪れるひとを増やすきっかけを作っている

<体感する、考える>福島第一原発フィールドワークは双葉町や浪江町を

                            バスで巡り、復興の現状を体感

<生の声を聴く>1日4回の語り部聴講

 

津波により変形した消防車(双葉町)

 

東日本大震災・原子力災害伝承館は、当たり前のように過ごしていた日常

それが災害によって一変し奪い去られていくことを語りかけます。

 

浪江町 震災遺構の諸戸小学校

あの日、すべてを失った町。悲劇には違いなかった・・でも、悲劇では終わらせない

ゼロからの再出発・・・ゼロからの挑戦

 

道の駅 なみえ

 

なみえ焼そばで有名になりました

 

 

浪江町のイメージアップキャラクター「うけどん」

 

浪江町 いこいの村なみえ

 

2日目朝は雨模様

 

「FUTABA Art District」(車窓) アートで双葉町の復興を後押し!

 

東京電力福島第一原発の事故で全町避難を強いられた福島県双葉町

 

壁画アートで盛り上げようと双葉町出身の料理人高崎丈さん

壁画アートカンパニー「OVER ALLs」が手掛けたプロジェクト

 

地震で倒壊してしまったり、解体されたりしたものもありますが

 

現在も多くの壁画アートが双葉町を彩り、多くの人の注目を集めています。

 

「福島ロボットテストフィールド」

陸・海・空のフィールドロボットの性能評価や操縦訓練を行うことのできる

一大開発拠点

 

福島イノベーション・コースト構想における新たな産業基盤の構築、

主要プロジェクトの具体化に加え、産業集積の実現、教育・人材育成、

生活環境の整備、交流人口の拡大等に向けた取り組みの推進

 

無人航空機・災害対応ロボット・水中探査ロボットなど、2020年3月全面開所

 


施設概要説明と研究棟内の見学

 

研究棟入居者ラインナップ

 

インフラや災害現場など実際の使用環境を再現することで、性能評価や操縦訓練等ができる世界に類を見ない施設として、多くの研究者や開発企業が利用

 

「空飛ぶクルマ」の試験飛行の拠点

 

最初にレクチャーを受けて

 

研究棟の見学

 

被災地で作業ロボット

 

人機一体、      大阪万博でもアピールする企業が多いことなのでしょう

 

南相馬市の中学校の探求学習

 

無人航空機エリア、水中・水上ロボットエリア、

インフラ点検・災害対応エリア、開発基盤エリア

 

災害現場など実際の使用環境を再現しており、ロボットの性能評価や

操縦訓練等が出来る、世界に類を見ない施設です

 

太陽電気のメガソーラーが敷き詰められ、風力機のある風景

 

ランチは相馬市のみなとやさん

 

シラスの炊き込みご飯もお刺身も、自家製の海苔の佃煮もカレイの煮つけも

みんな美味しかった。相馬のお醤油だそうです。

 

目の前が海、女将さんが地震の後、逃げるときのお話をしてくださって

「100歳のおばあちゃんが震災の少し前に亡くなってくれていたので助かった」

もしもその時にまだ生きていたら歩けないし、私たちは流されていたと思う。

 

1階は全滅して、レジや自販機は、震災泥棒にもやられたけれど、

2階・3階がなんとかなって、いまは、こうして商売が出来ている。

遺体から指を切って、指輪を盗む輩もいたとの本当にひどい話もあったとのこと

 

いろいろな実体験があって、みんなが語り部になりますね。

 

浜の駅 松川浦

 

港に近い屋台のコーヒー屋のお兄さんから、津波の時は、船が壊れないように

漁師さんは船を沖に出すのだけれど、3.11のときは、沖に出すのが遅れた、

及び、ここまでの津波が来るとは思っていないので、

この漁港でも船を出そうとして津波にやられた方がいたという

ちょっとした判断の違いが明暗を分けたお話を伺いました。

 

ここにも語り部さんがいらっしゃいました。

 

ランチ後、相馬市観光協会のガイドさんがバスに同乗して震災復興視察ツアー

漁港はすべて流されて、新しく出来た漁業組合の漁具倉庫

 

「慰霊碑と相馬市伝承鎮魂祈念館」

 

津波の映像記録のDVD

ご希望があれば、震災語り部さんおお話をお伺いすることが出来ます

 

展示写真や、地図上で、被害と教訓を学びます

 

未来へつなぐ~写真で見る相馬 変わり果てた地形

 

震災直後の状況

 

被害状況あまりにも著しく、画像も数字も、

刻々と更新された紙面 (左:第7版→右:第8版)

 

458体の地蔵

大好きな家族、人生、未来があった

 

顕彰碑 殉職した消防団は30~40代。小さい子供を残した無念

 

相馬兵糧蔵(相馬市防災備蓄倉庫)

 

研修室は災害時20人の宿泊可能となります。

左右はパーテーションで仕切りを作り、個室にもなる。布団も完備

 

2013年8月落成

 

電動式移動ラックや低温管理米貯蔵庫を設置

 

煮炊き窯 右奥の箱に収納可能

 

震災時、実はリヤカーが活躍、軽いアルミ製

 

寄付や支援市町村、姉妹都市として災害時に協力をしあう市町村を掲示

 

備蓄食料は定期的にお祭りやイベントで賞味期限消化

災害時に食べ慣れていないものは食べられないので、子どもたちにも

災害備蓄を体験してもらうようにしておくことも大事

 

何度かの災害に使ったこともある発動機

 

高齢者は農業を続けられないので、田んぼを売って

バス車中の左右は、メガソーラーが一面の風景

 

伝承館で展示されていた光景とは全く違う、いまの海岸と砂浜

 

3.11 から13年経って、やっと話が出来るようになった。

3.11 から13年も経ってもなお、100名しか住んでいない双葉町

地震と津波と原発事故と、いまだ被害に苦しみ続けている方がいる。

 

3.11 から13年も経ったのに、まだ変わらない壊れたままの家をたくさん見た。

 

家は壊れていないのに、住人が戻って来られない家がある。

 

もう帰ってくることが出来ないからと

墓じまいをしたあとの墓石が横になっている光景もつらい思いでした。

 

変わらないままのところもあるが、震災のおかげで

未来のためにと出来上がった、世界に誇れる施設もある。

 

震災の教訓を伝えて行こうと努力を続ける、前向きでたくましく、

悲劇だけでは終わらせない・・という思いの方々が、

たくさんいらっしゃることも日本人の誇りと思いました。

 

多くの方に福島を訪れていただきたいと思います!

個人旅行のみならず、社員旅行や教育・研修旅行にもオススメしたいところです。

 

 

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トラベルジャーナルオンライン_2024.3.14