友川かずきさんのネタで引っ張っています。
私が本格的に氏の歌を聴き始めたのは26歳くらいだったと思います。
秋田県の出身でお国訛りが抜けず、そこがまた魅力でもありました。
たまたま当時の部下がレコードを持っており、懐かしさから借りて聴いて衝撃を受けたんで
すね。
当時はCDなんてない時代ですから、カセットに録音して繰り返し聴いていたのを思い出し
ます。
忘れていた人がそこで蘇ったんですね・・・
私が友川かずきさんの歌と出会ったのは、たしか大学の二回生の時です。
親しくしていた秋田出身の友達H君が紹介してくれました。
友人H君の高校の先輩だったんですね。
友川さん、H君のアパートには時々訪ねて来ていました。
そこで聞いたのが・・
本名が及位典司、のぞきてんじ。
のぞきじゃあ不味いだろうっていうことで、友川かずきという芸名になったそうです。
個性のある奇才ですから、「のぞきてんじ」のままでよかったのではと思いますが。
それから、楽曲が個性的かつ強烈すぎるので、一般受けする曲を創るようレコード会社から
言われたそうです。
そうして作られたのが、「上京の状況」というなんの変哲もない歌でした。
そのデビュー盤を聴かされた私は、「これは売れないわ・・・」と冷たく言い放ったもので
す。
友達のH君から、今度友川さんが遊びに来るから、きりたんぽでも囲んで一緒に呑もうやと
何度か誘ってくれましたが、デビュー曲を聴いて全く興味を覚えなかった私はいつもお断り
していましたね。
なんで断っていたかというと、多少の興味はあったのですが、秋田県人の酒の強さ!!!
それも一因、これには参ってしまいます。
相手が秋田県人ばかりとなると、ゲロゲロげ~ろは間違いないです。
デビュー曲はどこを探してもありませんので、氏の代表作「生きているって言ってみろ」を
今日は聴いてみてください。
評価は分かれるところですが、私は聴いた瞬間に鳥肌が経ってしまいました。
これです。
ひととしとってからの映像ですが、詩人としてのい友川氏を味わっていただくためもスーパ
ー入りにしました。
ウィキペディアからの略歴転載です。
中学生時代に中原中也に出会い詩を書き始める。1年間、浪人生活をおくったのち、秋田県立能代工業高等学校建築科に進学。バスケットボールの練習に明け暮れた。高校時代や一時故郷にいた頃のエピソードは、能代工業時代の恩師である加藤廣志著の『高さへの挑戦』に詳しく描かれている。中学校時代の小野秀二を鍛えたのは友川だった。
二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の歌を聴いてフォークシンガーを志す。1971年、全日本フォークジャンボリーに飛び入り参加。1974年3月、宇崎竜童に見出され、シングル「上京の状況」でデビュー。
大島渚から『戦場のメリークリスマス』のヨノイ大尉役をオファーされていたが、秋田訛りを直すことを求められたために固辞。坂本龍一が演じることになった。2004年、三池崇史監督のカルト映画『IZO』に出演。
1980年代以降は、画家としても評価されている。また、小説家の中上健次は友人であり、友川の絵を高く評価していた。
現在は学芸大学アピア40をホームに、ライブ活動を行っている。ただし、平日のライブでは冒頭に「どうも今日はやる気がおこらない」などとこぼすことがある。
こんな方です。
まだ続きます・・・ひっぱりますねえ。
だからといって、オチは全くありませんので、いつものオチを期待している方にはごめん!
そろそろ疲れてきたので、次回は簡潔に完結したいと思います。
それではまた
