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うずちゃん押し問悶答(道)場~♪その日暮らし♪~

うずちゃんの例の部屋の別館です。こっちはダークネスで。

自分の中で淀むことが沢山ある。

 

淀みの中は自分の外側への批判の目でいっぱい。

 

そこはほっておけばいいのぢゃない?

 

批判を感じているのはいいけれども、羨ましいだけぢゃないの?

 

その批判は羨ましいなあというところからきてるんぢゃないの?

 

そう思うと、そんな批判的な目を捨てて、ほおっておきたい。

 

こうしたほうがいいよ!って主張があるとして、

 

そうだね、そうしたほうがいいよね!と思う反面

 

ぢゃあ、どうしてそうしたほうがいいよね!が広まらないのさ?とも思う。

 

人間楽したい生き物だからさ、考えるのをやめて与えられているものに迎合しているからさ。

 

そっちがいいなら、なんでみんなはそれを採用しないの?

 

採用しないと誰かから害されるから?

 

いいものといいものではないもの。

 

私か私でないもの

前向きにとらえる

 

ということもあるかもしれないけれども、ことしは母を亡くしてから切り替え感どころではない。

 

父のほうも認知機能が駄々下がりのところをお薬の力も借りて、なんとか少し取り戻しながらも判断力が落ちているところのフォローをする毎日。

 

母が亡くなり

 

弟の病気が見つかり二度の手術(頑張ったのは弟だけどね)

 

その間をすり抜けるように手術した弟の結婚式をやり

 

1階のトイレが壊れ

 

食祭の手入れに生まれて初めてお金を払ってやってもらい

 

もう今年はいいだろうと思っていた。

 

正直、休みたいよと思っていたら、今度は2階のトイレを父が詰まらせて水が2階から1階キッチンに漏れて

 

壁紙がいささかよれてきてしまっている。

 

そのための修理の相談を木曜日にするけれど、そのために1階の掃除をするんで頑張ったらなんだか急にうつ状態に陥って結局3日午後になると寝込む日々。

 

落ち込むのほうが近いのかな。

 

それでも毎日は過ぎていくから、前を向き続けないといけない。

 

とても疲れてしまったけれど、もうちょっと頑張らないとなあと。

 

なんか、掃除したら元気になれるかなと少し期待をしながら頑張っているのに、気持ちは晴れずどんどん落ちている気がする。

 

なんだ、この状態は!と思っている。

 

体調以外に、気候とか、ホルモンとかそういう何もかもに翻弄されているような自覚もあるんだけれども、ただ、

 

そうなんだな

 

と思うには私はひ弱なんだと思う。

 

はー、なんとか立ち直っていきたいと思うけれども、今はともかく自分を休めたい。

2022年があまりにも切り替え感が強い1年で自分の体も心も追いつかない毎日が続く。

 

1月の母の葬式以来、弟の腎がんの2回の手術とその弟の結婚式、家のトイレやらお風呂のシャワーやら壊れることが続いて、今日は浄水器まで壊れた。

 

壊れたら直せばいいので粛々とやればよいけれども、ここにきてともかく

 

やれば終わるから

 

という気持ちでずっと過ごしてきて、なんとなく心が折れ気味な自分に気が付いた。

 

心が折れていたとしても多少休めばいいわけで、10日間ほど家事や父のことなど最低限やってゆるりと暮らしてきた。

 

そこでふといろいろな自分の心に驚く。

 

自分を含めて他人や自分の外側に対して、未だ期待や自分を大切にして『もらいたい』という気持ちがあるということ。

 

そういう気持ちがあってもいいとは思うけれども、その気持ちがあるととても疲れるのだ。

 

この人に対して、この物事に対して、まだ私は期待している、わかってほしいと思っているんだな、と。

 

期待や配慮を求めないように気を付けていないと、それに気が付いたときの失望感が強いのもわかっているから余計にそうなりたくないのだ。

 

そして、それに気づくたびに

 

ああ、まだ私はそんな風に思っているんだなあ

 

と悲しい気持ちになる。

 

ただ、それだけなのだけれども。

 

そして、もう一つ気づいたのは

 

母の死の悲しみを感じることを避けている

 

ということだ。

 

わざわざ、悲しむ必要はないけれども、悲しむとなんだか自分が壊れそうなんだなということがわかる。

 

たまたま、新聞とかブログとかインスタグラムなど普段私が見ているところで同じような文章に出会い、それに気づいた。

 

特に、母の死への悲しみは乗り越えるものではなくて、そこにあってもいいもので、悲しみと愛おしみは同じような存在として私の中にあるのでそれを頭では理解しているけれども、しみじみ感じることはできないでいる。

 

時間をとってどっぷり寄り添う、そんなことなのだ。

 

母が亡くなってすぐの時ほど、

 

ああ、これはお母さんが好きだったものだな

 

ああ、こんなときにお母さんと馬鹿話がしたいな

 

などの『ああ。こんなとき』に紐づく母への想起みたいなものはずいぶん減ったけれども、何かと思い出すのは確か。

 

そして、私には少し立ち止まって悲しむ時間をとることは今は難しいということ。

 

一人でまとめて悲しむなんて贅沢はできないのだ。

 

かすかな悲しみを少しずつ積み重ねて感じていくように。

 

それが私の悲しみ方なのだと思う。

普段読んでいる石井ゆかりさんの星読みの星占いが今の私によく当てはまる。

 

当てはまるように書いているのかもしれず、また、当てはまるように私が脳内のヒットする部分と検索しているからそう思うのか、まあ、どちらでもよい。

 

最近、いくつかの私が知っている限りの範囲で、お盆の頃はなにやら大荒れ期間だったりしたらしく中秋の名月のあたりでそれが終わり、秋分の日から潜在意識の解放が起こりやすくなってきているという話を目にします。

 

自由になる

 

というのもキーワードらしいですね。

 

それが当てはまるとしたら、私のわさわさした気分もそれだったのかな?それで満月の夜の月が恐ろしいほどの輝きであまりにきれいに、なにやらホッとしたのかな?

 

と思うことで安心したい気持ちもありますが、ちょっと疑わしい。

 

ともかく、何かの切り替わりが私以外のところで起きたのは確かだし、私がもやもやしているのは切り替えがきているのに、このもやもやをどこへ持っていけばいいのかわからないせいもあるのかもしれない。

 

新しい時間軸がそこに存在するのに、私は古い時間軸の中に留まり、安定を得て、ただ安心したいだけなのかも。

 

ただ、もやもやした中から解放されたい気持ちがあるので、わさわさしているのか・・・

 

自由になれるほうへ進める人はそうなればいいと思う。

 

私はもうちょっと『私』という枠と付き合っていかなきゃかなと思っている最中だったりする。

 

終わらせるべきものを終わらせて、新しいフェーズを始めるということ。

 

母との時間は終わり、父との時間が始まっているけれど、なんかもう一つの時間軸と空間を持たないといけないのだと思う。

 

それをどこに求めればいいのかわからないので、もやもやしているのだろうと思う。

 

石井ゆかりさんの星占いでちょうど今年のテーマというか、『隠れた敵との闘い』とか『伝えることが大事』とかがあるのだけれども、今までにも

 

伝えること

 

に関しては、ずっと諦めてきていて、それは

 

私の人格や人柄やたたずまい、言動のせいもあるのだろう

 

と思っている。

 

今のところそれは変わっていなくて、そこをどうこうすることは何度も試したけれども無理だったから、手を付けられないでいる。

 

しかし、課題はそこにいつもたどり着く。

 

どうでもいいこと、伝えても伝えなくても現状はたいして変わらないと私はこのところずっと諦めている気がする。

 

そもそも、伝えても伝わってないという結果ばかりが目の前にあふれているから、それが人の生き死に関わらないことであれば、自分の身を削ってまで伝えることもないのではないかと思ったり、感じたりもしている。

 

けれども、課題はいつもそこへやってくる。

 

かなり前に伝えたことが伝わらず、無力感などにさいなまれて、

 

伝わらなくても仕方ない、相手に受け取る準備も私に伝える能力もないのなら仕方ない

 

と諦めたことについて、伝えた相手からそれに関しての後悔を再びもたらされて、

 

私はそれを嫌な思いをしながら相手に伝え続けてきたのに、相手は受け取らず、いざ、今、経験を通しての後悔を伝えられても、私は再び

 

伝わらなかった

 

という無力感を感じるだけ。

 

まあ、その後悔をしないように次は気を付ければいいんぢゃない?(私はそのことをさんざん伝えてきたけども)

 

と言うしかない。

 

続きはのちほど!

 

 

 

 

 

 

今年2022年1月8日に母が亡くなりました。

 

一週間後になんとか葬式を出した後、弟の腎臓の両側にガンが見つかり、6月と8月に手術を終えたり、そのガンの見つかった弟の結婚式を7月にやったりとてんやわんやでした。

 

母の亡くなる前からちょっと父の老化が激しいなあと思っていたら、認知機能の低下が著しく、母の亡くなったあと三か月ほどは父との生活をどうやって今後やっていくかの試行錯誤で毎日が飛ぶように過ぎていきました。

 

その間、疲れを感じている暇もないほどで、ここにきて、なんだか体調が悪いというより気力が失せる、という状態が続いています。

 

まあ、考えてみれば、大きなイベントがあった後、いつも倒れる私が倒れないように逆に自分を注意を向けてここまで保ってきたのは確かですが、本当は倒れることでいろいろなことがデトックスできることもあるのだと自分の人生を振り返ると思うのですが、今はそれもできない状況なんだとつくづく感じています。

 

自分の体と心をだましだまし、今は毎日の生活の中でなんとかやらなきゃならないことを最低限行って、涼しくなったら考えていこうと思います。

 

本当、やらなければならないことが沢山あって、もしやってないとしてもそれがどうにかなるとわかっていても、やっておいたほうが自分が楽なんだとわかっていることもあるので、今は複雑な心境です。

 

何をしようがしまいが時間は前に進んでいくわけで、自分だけがそこにとどまり続けているような気分だとしても、自分も間違いなく時間は前に進んでいるわけなのですが、すべてから取り残されていくような気持ちを今のような疲れた時は一段と大きく感じるようです。

 

三年前に、家にいながらで自分も参加できそうな企画があり、参加してみて、お祭りの間はとても楽しく、そのお祭りが終わればそれぞれに自分の時間に誰もが戻っていくのに、その楽しかった時間に自分だけが固執しているみたいな気持ちが今日してしまい、なんだかちょっぴり恥ずかしい気分になりました。

 

心の中に、

 

成長しなくてはいけない

 

変化しなくてはいけない

 

前に進まなくてはいけない

 

向上しなくてはいけない

 

のような、「~すべき」がいつも私を縛るのだなあと改めて思いました。

 

私が言う成長しているとは何か?

 

何を変化させなくちゃいけないのか?

 

何をもって前に進んでいると認識できるのか?

 

私にとっての向上とは何を言っているのか?

 

その枠から外れたものは私の中では該当しないから、今、私はそうではないと思っているのだとはわかる。

 

久々に自分の心の中を吐き出す時間があってよかった。

 

そこに共感してくれる誰かがいればいいとは思うけれども、その誰かは私のほうがいい場合もある。