今もそうなのかもしれないけれど、
世界の二極化
が取り上げられているのを見ると、以前は、なんとなく嫌な気持ちになった。
世界の二極化を取り上げている人間からなんとなく嫌な臭いを感じていた。
だけどよく考えてみるとその嫌な臭いはその人から出ているのではなくて、自分から出ていたんだと今ならわかる。
人より優位な世界に行く人間とそうではない人間
みたいな。
そして、その世界に行かずに高みに移動するためにそれを助ける人間がいて、取り残された人を一つ上の世界へ連れていくみたいな話を読んで、置いてけぼりを食う自分みたいな嫌な臭い、つまり、その人が放っているように思えた実は自分の中から湧いていた臭さに気づいたときのがっかり感。
二極化が『光、闇』『上、下』『上昇、下降』なんていう二元的な話dえはなくて、そうでなくても似た者同士が集まって生活したほうが楽ちんであることは確かで、同じようなにおいの人々が同じような世界を生きるというのは二極化が声高に叫ばれなくても、すでに起こっていることだと改めて気づいただけのことだった。
やだやだ、そういうことにまで振り回されている自分が。
そう考えると、例えばお花畑みたいな世界で生きたいと本気で選択すればそういう世界に生きているのだろうし、怖い陰謀論が叫ばれる世界で生きたいと思えばそういう世界で生きるわけだし、陰謀論と戦う世界でヒーローとして生きるのならそれもいいだあろうと思うし、今、とても多様な世界が簡単に目に入ってくるけれども、どんな世界で生きたいのか本気で選べばその世界で生きられるのだろうと思う。
ただ、私はそれらの世界を選択しないというだけの話なんだけれども。
コロナの時期、私はマスクする人、マスクしない人のいろいろな意見を見ては、マスクすることに対してなんだか損している印象があった。
マスクすることによっていろんな弊害が起きること、例えば、普通に呼吸しているだけで雑菌とかウィルスに対しての免疫が強まっているからマスクはしなくてもいいんぢゃないかとか。
なんとなくあっているような気もするけれども、世の中にはマスクをしないことで恐怖を感じている人だっている。
病気だったり、マスク自体が気持ちの安息をもたらしてくれるそういう精神状態の人もいる。
そういう人は自由にマスクをしていてもいいのだ、同じ場所にその人と一緒にいるときにはこちらも紳士淑女的な態度でマスクをするくらいの心の余裕のある人はいないのか?と思っていた。
実際、自分はもともとマスクは必要ないと思っているけれど、同じ空間を共有するときに相手がマスクをしない相手に敏感に反応するようであればマスクをします、という意見を見て、なんだかほっとしたのを覚えている。
その人は男性であったが、とても紳士的だった。
まあ、話がとっちらかったけれども、そうやって同じ世界を共有するためにできる努力をすれば世界が多極化したってその違う曲同士の人間が交流することは可能だろうし、二極化してくぜ!って恰好つけている世界よりずっと豊かな印象を持った。
二極化とか多極化していく世界に住みたい人はそこを選べばいいんだ、私は違うけど、ってスタンスでいればいいんだと思ったときに気持ちがいっきに楽になった。
もしかして、そんな世界を選んだら孤独のひとりきりになるかもしれないけれど、今のところはそうなっていない。
みんなが同じようにそれぞれの形であっても『幸せに生きられる』ような世界を私は選びたいなあと最近は思う。
そして、その世界はお互いを紳士淑女的な態度で相手を思いやれる世界で有れば尚いい。
ワクチン接種の時も色々悪いことを考えたりしたけれども、あまりにも毒々しい考えて自分で嫌になったから、それは内緒。