私は多分自分の人生のターニングポイントや伏線となる重要なきっかけには気づかない。
自分の人生で
あれがターニングポイントになったんだ
と思ったことは本当に些細なことで
あれがターニングポイントだった!
と声高に日記やらブログやらに綴ったことあるのですが、今になって思えば恥ずかしいくらいな出来事だったと今日は思った。
その時は確かに人生が変わるほどの体験だったような気がしたけれど、どんなに自分の中で感動的な何かだった出わたさ来事であっても、今になってみれば簡単に色あせてしまうような出来事だったような気がする。
それでもいくつか印象的な出来事があっても、記憶に残るようなことは、人生で二度と味わいたくないような経験だったり、つらいことだったり、いつか乗り越えるべき課題だったり、そんなことばかりだ。
しかし、自分の中でいくつか予知めいたものが働いたことがあった経験があって、それは自分のことではなく、他人のことばかりだったりする。
その時は「これはこの人にとっていつか何かの形で伏線回収することになる」なんとなく思ったことが、見事に伏線として回収されていく。
ある人Aさんとある人Bさんの出会いの中で、AさんはBさんの人生の大きなあかりとなってくれるのではないか、BさんがAさんのところで一緒に働いている時間が長いほうがいいんぢゃないだろうか、そんなことを思いながら、いつしかAさんとBさんは別々のところで存在するようになる。
ところがAさんとBさんが一緒にいた時に、BさんからAさんの琴線に触れる出来事があり、ある時Bさんが諦めずにトライしたことでAさんの後押しがあり、Bさんに光が当たる出来事が起こった。
AさんがBさんに一方的に光を当てる、もしくはBさんの中の光を誰かに知らせたわけではなく、AさんとBさんが出会ったときにBさんからAさんのほうへあかりの素になるものが渡されていたのだ。
Aさんは特段Bさんを売り込んだりしてはいないのだけれども、Bさんの新しいチャレンジに関わる重要人物との信頼が厚く、その重要人物に
書面でBさんを知ることはできない
Bさんと会う機会を一度でいいから持ってください
と言ってくれたそうだ。
Bさんの万人受けしそうもないほど些細な資質であるけれども、目をそらすことのできない資質をAさんが貴いと考えて、その先へつないでくれたという話を聞いて、私が思った予感と今合致をしたことで私は人生の不思議にぞわぞわした。
Bさんについては私はあまり仲良くもないし、昔から関わることで直接的にも間接的にも精神的にも苦労や苦痛を味わい、私の劣等感も刺激するという、敬して遠ざけたい相手でもあった。
私には人生でBさんほど
これが大事、大好き、誰に迷惑かけるとか誰に苦労をかけるとか全然関係なく、何をおいてもやりたいと思えること
みたいなことはなかった。
周囲への気遣いとかそういうものすらすっとばすほど打ち込める何かもなかったのだから、それに劣等感を持つことすらおかしいのではと今では思うし、今、そういうものがないのは自分の責任だ。
以前はそういう自分に悲しみ、苦しみ、つらい思いがずっと尾を引いてきたけれども、今は本の痛みを伴うだけで、今の状況にいかに誠実に向きあい、何事もなく無事一日を終える平穏を喜ぶことが何よりだと思っている。
この平穏は何事にも代えがたい。
世の中所詮、好きなことを突き詰めて、つらく苦しい思いをしてもやりたいことをやり続けた人が自分の人生を全うした人と言えるのかもなあと改めて思った。
自分が進もうと思った道ならば苦しくてもつらくても、その貫きたいことをやめてしまう苦痛に比べたら耐えられるのだろうと思う。
その余波をこうむって嫌な思いした人間もいるんだ!(それは私だ!)という私もいるけれど、だったら、自分も誰かに嫌な思いをさせたくない、とか、やりたくないことなんて捨て去ってやればいいんだ、誰も止めてない、そこに起きる嫌なことを引き受ければいいだけだと思う。
それを引き受けてまで自分を投入する何かがないことが本当の問題だ。
それを引き受けられない私が迷惑をこうむった!と文句を言う筋合いはないんだなあと思った。
Bさんは引き受けて、引き受け続けてきた。
私は引き受けなかった。
それだけだ。
Bさんは引き受けて、引き受けた上でいくつもの幸福を得た。
私は引き受けないなりの幸福を得た。
それでいいんだろう。
そして、この予感とか予知などがとても残念なことに自分に対しては全く働かず、自分ではわからない。
私という人生を俯瞰したときに、私がBさんに対しては見えるような人生の不思議なつながりや縁を見て取ることができるのだろうか。
Bさんでなくても、私の人生の中で起こった不思議を、あれが伏線だからそのうち幸せな形で回収できるよ、
と誰か教えてくれないだろうか。
誰かのチャネリングとか誰かのそういうアドバイスはもう受けないつもりで生き始めてから、その途中でも、誰かに私の人生の意味、魂が求めるものを知りたいと何度も思ってきたけれど。
人生の不思議にぞわぞわして、気持ちがざわざわした1日だった。