螺旋上昇運動とはなにか?図示してみましたが、あまりうまく描けません…でした。
 螺旋をえがいて上昇する、目指すは天でありましょう。神の領域とつながる、ということでしょうね。そういう造形の想いが、縄文土器にはあると、宗左近氏は語ったのでした。同じ想いが、御柱にもあるのではないか、地上から天空へつながる柱、神と人とをつなぐ柱、それが、御柱なのではないか‥………。
 ところで、御柱の四本が、5尺落ちという形に整えられたのは、最初からではなく、戦国時代末期になってからであると、どこかに書いてありました。一体、何者が、そんなグランドデザインを画したのであろうか、と、ここに、戦国時代末期から、徳川時代初期に、活躍した一人の人物の名前が現れるのでした。
 大久保長安、はじめ武田信玄に仕えて、武田家滅亡の後は、徳川家康に仕えて、金山開発や街道整備に辣腕を振るった、武将というより、蔵前衆という、いわば官僚ですね。この人の経歴が、もともとは、猿楽師、の家系の出身で、秦氏の系列だというので、トンデモ系の歴史研究家には、よくとりあげられる人物。
 ここからは、私の勝手に考えた妄想でありますが、猿楽師は、宿神という神様を信仰しているそうです。宗教民俗学者の中沢新一氏の「精霊の王」によれば、この宿神というのは、もともと、ミシャグジ神のことであろうと。ミシャグジ神は、御社宮司社等に祀られていて、この系列の社は、諏訪地方には、いくらでもある、そもそも、諏訪信仰の根幹はこのミシャグジ神にあるのではないかと、多くの論者が語っている存在です。縄文時代から続く、自然の精霊だということらしい。
 御柱祭のパンフレットには、1200年続いた祭り、と謳っていますが、戦国時代の混乱期には、廃れていた時期もあったであろう、と思います。それを復興したのが、武田信玄。この人は、風林火山の旗があまりに有名ですが、もう一つの旗には、諏方南宮法性上下大明神という文字がしたためられていました。これは諏訪大社の神様のことです。それほど、諏訪神社への信仰が篤かった。それで、御柱を復興させた時に、中心的に関わった人物が、大久保長安ではないか、と。私のこれはあくまで妄想ですが、付記しますが、この頃は、大久保長安という名前ではなかったかもしれません。

  続く