「AlWAYS 三丁目の夕日」は「ゴジラ-1.0」と同じ、山崎貴監督作品ですが、この続編のオープニングに、ゴジラが出てくる、その評判が特に良かったために、最新作ゴジラ映画の監督として、白羽の矢が立ったのであろうと思われます。あるインタビューで山崎貴監督は、ALWAYS 続 三丁目の夕日では、作りかけの東京タワーをどうしても、出したかった、よく知っている建物の立てかかっている姿というのは、見てとても楽しい、という意味のことを語っていらっしゃる。
 ここで私は、この山崎貴という人、モノ作りが、心底好きな人なのだな、と、思ってしまう訳です。自分の見たい映像を、ともかく、ミニチュアでも、それをCG加工したVFXという手法ででも、作り上げるという点に情熱を注ぎまくっている人だと、私は感じるのです。その資質がピッタリと合って、今回の「ゴジラ-1.0」の大成功に結びついたのであろう、と。
 評論家気取りではありません、私の中の、好きモノの部分と、何だか共通点を感じて、そう言ってみるのです。
 建物が作られていく過程を見ることが楽しいという感覚が、「ゴジラ-1.0」では、敗戦からの復興、焼跡闇市の世界から、ビルが立ち並ぶ東京の昭和20年代の東京ヘと移り変わる風景として、きっちりと描かれていて、そこにゴジラが現れる。悲惨です。見ているこっちも、せっかく作り上げた街、壊すなよ、頼むから、壊さないでくれよ、ゴジラァァー!
 そういう気になってしまう。見事な脚本と映像作りでした。言ってみれば「ゴジラ-1.0」は、一人の人間の身体感覚として、喜び、恐れ、最後に勝利の快感を得ることができる映画、であろうと思います。「シン·ゴジラ」は真逆ですね。そこに、山崎貴と、庵野秀明の差異があろうと。
 さらに、怪獣映画のくくりで、どこをより愛しているか、というと、山崎貴さんは、破壊される町並みに、庵野秀明さんは、破壊する怪獣とウルトラマンに、そのベクトルは向かっているのではないか、というようなことを、私はウッスラと語りたかったわけです。そこを語れば、この項は、終わりということです。