聖書〜神の言葉、教えに関する多くの誤解した解説が異邦人の間で
され続けている理由は、様々、色々あります。
一番大きな理由、原因は、ヘブライ聖書、オリジナルに記された
神の言葉、教えではなく、人間が神の言葉、教えを塗り替えて作った宗教、思想を聖書を読み解く土台とされてしまっている事です。
そして、昇天以降は、今まで聞いた神の教え=トラーとは別の、
新しい教えがイエシュアやパウロから教えられ、聖霊時代という別の時代になったから、以前の時代の古い教えの生き方とは違うことをする時代が来たのだという100%聖書とは真逆、聖書に記されていない人間の教えが浸透しているのです。
そして、古い教えを生きるのは、恵を捨てた生き方だと主張します。
神の言葉、教えは1つしかないという基本的な理解がないからです。
恵とは、神の教えを破棄して、罪を自由に生きれる自由などではありません!神の教えを捨てて、自由に生きれる恵?だから、神の教え=トラー=契約を破り、罪を犯して良い?恵で許されるから?
それを聖書では「無法」トラー無し、アノモスと書いてあるのです。
恵とは、神のトラーに違反した生き方に対して、許しが与えらたことです。なんでも罪を犯す自由が与えられと誤解しているのです。
神の教えを捨てる自由、それが恵?だから律法に戻るなと言う、
神の教えに戻るのか?意味不明なことを言い続けていても、その矛盾に聖書から全く気がつけない盲目状態に陥っているのです。
そういう思想はこうです。100キロメートル制限された道路を、
今は無制限になりました、制限規定=罪の定義、規定は消えましたと言っているのと同じことを言っているのです。
そして、もしクリスチャンの語るように、神の教えが廃れたら、
全てが崩壊します。
1)神との関係の根拠が崩壊、無くなる。なぜなら、神は神が提示した契約にだけに基づき、人との関係を結んで、保証しているからです。契約を破る生き方、イコール、神との関係を断つ、神を蔑ろにする行為であり、それは神との壁がある希薄な関係に陥り、
蚊帳の外で、別物を生きる偽物、神の前に羽のごとく軽い、
意味のない存在になると警告されています。
神の教えを捨て、神の教えとは違う教え生きて、偽物を取り入れて
イスラエルの神に関わることを、聖書では、偶像礼拝、姦淫の罪と
言っているのです。
夫の言うことを無視して、隣の旦那の言うことは熱心に聞いて
生きる。変でしょう?どこの家に嫁いだ嫁なのですか?ということです。それが、見えてないから、分からないまま、別物=神の言われたこととは違うことを、生きていても気がつけない。
その理由は神の教えが廃れた!という大嘘=エデンの中の蛇の声を
信じて、神の言葉を実際に捨てて生きているからです。
2)神からの祝福、恵、約束、未来の預言全部なくなります。
3)もし、神のトラーが廃れたら、罪の定義は消え、無法地帯になります。
4)罪が存在しないから、今後は一切子羊イエシュアの血による贖いの代価、救い、恵も全く必要なくなります。
言っている意味が不明なのに、それが聖書と騙され続けているのです。神の子らは、神の性質通りを生きるのに、信じたら、その後は
自分の考えで生きる。LGBTもOK。時代に合わせて神の教えの解釈も変えて良い?シャバットはいつの日でも良い。気持ちだけあれば良い毎日、シャバット(休日)のように生きる。
言っている意味が不明なのです。
区別がない、イコール、神が提示した聖別の定義、意味が消えるのです。
人間が神の聖別を、定義し直すことなど、一切できないことさえ、
聖書=神の言葉から分かっていないのです。
神の創造を変えられますか?人間がこの世界を作り変えられますか?
無から有を、言葉で作れますか?神の時を塗り替えられますか?
できないです。
人間は神ではないからです。宗教とは、人間が神に成り代わっている
行為なのです。神の言葉を人間が廃れたと主張する行為、神のモアデイムを変える行為、それ全て聖書では、反キリスト=神の敵対するものの行為であるとはっきり記されています。
人間は神の時と神のトラーを変えられると思いますか?
時をどうやって変えますか?神しかできません。
人間は、神が聖別されたものを、勝手に塗り替えて、人間が時を勝手に選び出し、その日を聖別などできません!
やっても、神の前には何の意味もありません。
神の時、シャバット、神のモアデイムは、神が神であること、神が
創造である事実と直結しているのです。神がこの世の全ての所有権、著作権の全てを握っているのです。人間は神が創造されたものを
変えられない、見かけ、表向きは変えられても、DNA、中身、実態は決して変えられない。神が全世界に神が神であり、創造主である宣言でもあるのに、人間が真っ向から神の宣言を塗り替える行為を、
行動で示しているのです。
いくら人間が、日曜日を勝手に聖別したところで、その日は、神の前には、普通の労働日であり、安息日、聖別された日などにはなりません。
神を嘘つきとするのですか?神は第一から6日の間、労働し、
第7日目を神がされた通り、神の性質通りに造られた人も同じように
止まり、その日を神と共に祝う特別に祝福、聖別された会見の日と
せよと、神が言われているでしょう。
四世紀以降、人間、ローマ皇帝、太陽神信仰のコンスタンチヌスの創作日を、神の教えを捨てて、崇めているのです。
これは、神の仰せではなく、神がするなかれ!ということに、違反する行為そのものなのです。
日曜日を、聖日、主の日などと、人がどんなに主張、言ってみたところで、神が聖別された日、そして、神が聖別されたミシュカン、
神が聖別された人が生きる教えを、変えることなどできないのです。
人間は、神ではないからです。人は神に創造されたに過ぎない、被造物だからです。
神はそのような行為を、人がすることを断固として禁じていること、神の教えを捨てる人、罪の定義、聖別の定義を捨てて、神の教えを
理解しない人には、全く通じてないのです。
ローマ14章に書かれたパウロの解説を完全に読み違えているのです。パウロは、神のモアデイムを人間の意見で変えて良いという罪を人に教えなどしません!!!
神の時と神のトラーを変えることこそが、神が警告している反キリストの行為だからです。
神でもない人間が、神の主権を奪い取り、勝手に神の教えと、
神の創造された時=モアデイムを塗り替える、反キリスト。
でも、人間は神の創造の事実は塗り替えられないのです。
そして人間は神の時と、神のトラー=教えを変えることなどできません。
変えても、それは神の前に全く無意味、変わっていない、それどころか、そのような行為は、反キリストのやることであることが、はっきりと聖書に記され、警告され、歴史の中でそのようなことを、帝国がおこり、衰退することで示されています。
ダニエル 7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、
いと高き者の聖徒を悩ます。
彼はまた時とトラーとを変えようと望む。
聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
これを、ローマ帝国も一世紀以降、ずっとやったのです。預言された通りになったのです。ギリシャ帝国も同じ。その前も同じ。
神に敵対するものは神のトラーと、神の時を塗り替えて、人間が編み出した考えで世界統一を図ろうとし続けているのですが、最後は全て崩壊します。今からの時代、異教の神々の記念日、教えを強要されるかもしれない。
神の教えを理解する人に、日曜礼拝、クリスマス、イースターを
祝うことを強要することも、神の教えに完全に反した行為です。
神の時は、神が支配しており、人間は変えられないのです。
神が、神の民が約束の地を取る為に、時を止めたことが記されています。これは、ヨシュアがやったのではなく、ヨシュアは神のみ旨を
発しただけです。
ヨシュア10:12 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、
「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
10:13 民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。
ヨシュアは、地ではなく、太陽に向かって命令しています。
天体が動いているからでしょう。
そして、神の教えは、丸ごと全体で1つであり、それがモーセの五書
に書かれているのです。
クリスチャンが空想するように、神の教えは2つありません。
1つ丸ごとで、シャローム、欠けのない状態なのです。
神の言葉、教えの完全版が、モーセの五書であり、他の聖書のどの箇所も、このモーセの五書を指して、解説しているだけです。
日本国憲法でも、あれ、これ、それというものを、勝手に人が差し引き、付け足しできないでしょう?人間の作った憲法でもそうであるなら、どうして創造主である神の言葉を、造られた人間が勝手に
付け足し、差し引きしているのでしょうか?
神は神の教え=契約を神の民、異邦人を含めイスラエルの神に戻った人全てに与えている、神の家=聖別された場所、神の中を生きる、
聖別された人の生き方を教えている教えです。
神はその契約に生きよ!あなたは命を選びなさいと教えているのに、
異邦人は、命の生き方を捨てよ!と教えられています。
それは、神の教えでは完全に別ものの教えなのです。
エデンの園の蛇の声そのものです。
それは、最初と同じ。エデンの園に造られた、イエシュアの性質通りに造られた人の生き方、エデンで神が口頭でアダムに教えた同じ教えです。
新しい契約と聖書に記されているのは、中身が同じであり、
そして時代の節目に再更新し続けられているからです。
クリスチャンの間で多大に誤解されているのは、
1)メシアが来られる迄、古い教えで縛られていた
2)メシアが来られたので、古い教えは無用になった。
イエシュアが古い教えから解放し、恵を生きる時代になった。
以前になかった聖霊が与えられたので、聖霊により導かれて
生きる楽な時代になった。意味不明でしょう。
聖霊=言葉=イエシュアであり、聖霊は聖霊により記した、
神の言葉に反することを、人に教えたり、神の言葉を捨てよ!という罪に人を導きません!神の教えを捨てる人は、実際に救われた人は、
何を生きるのか?さえよく分らないままです。
道徳的なことなら、神を知らない人も、知っています。
なぜなら、神の性質通りに造られているからです。
天にある神の家、大祭司、イエシュアとそして天の祭司と呼ばれるものは、地上にある物理的な神の家、レビ族の大祭司、イエシュアを
表す役割のアロンの家系の男子です。
そして、普通の祭司がいます。それらはレビ族であり、他の部族の人とも、もちろん異邦人とも分たれています。
これ、どうしてレビ族なのか見えます。
世界中の中で、イスラエルの神に属する人は、天の大祭司であるイエシュアに属する、それらは神の家に仕える聖別された天の祭司であり、神が聖別された神の家は、神が聖別した神の家の子らが住まい神が聖別し、神が聖別された、異教徒とは分たれた生き方をする、
それがイエシュアイスラエルの神に属する全ての民=祭司なのです。
その人たちが、神の前に汚れた生き方をしながら、神の家の中には
入れないと教えているのです。
神の聖別されたモアデイムを汚すことができないという、理解が
全くないまま、イスラエルと異邦人への教えは別さ!という
ローマ帝国の勅令、ユダヤ化されてはならない!神のトラー
(律法という誤訳で訳されている言葉)を捨てよ!生きてはならない!というコンスタンチヌスの思想を実践しているのが、宗教の伝統の教え、実践、記念日なのです。
このような、聖書とは真逆な、偽情報=人間が編み出した教えを
信じた最初から非聖書的教えを教えられ、それが聖書であると
疑いもなく信じているから、聖書に書かれている事実が見えないのです。
そして、考えれば分かりますが、聖書を正しく学ばない人々により
その代わり、人間の編み出した聖書とは異なるローマ帝国西洋人造宗教、その神学や思想を神学校で学んだ教師に、聖書とは違う、聖書
解説をされてしまうのです。
全部が全部、間違ったことを語っているのではないから、どこから
どこまでが聖書で、どこからどこまでが神の言葉を歪めて否定した
偽情報か、本物、聖書に何が書いてあるのかオリジナルを知らない
場合には、簡単に非聖書的聖書解説が本当だと、分からないまま、
騙されてしまうのです。