"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -85ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

日本のテレビ局TBS社長がこのように言ったそうです。

「テレビは洗脳装置。国民は報道で動かされる。」その通りです。

嘘が世界を駆け巡るのは、ズボンに片足を入れるより早いと言った

人がいますが、本当です。

ローマ帝国コンスタンチヌス皇帝が四世紀に混ぜ物宗教を作った理由は、帝国したにある全ての人を支配、統治するためです。

異教徒と、異邦人イエシュア信者を両方うまく支配するためには

ミックス教、異教徒に馴染みやすい教え、儀式、記念日、シンボルを

入れた方が、受け入れやすいからです。

これ、ローマ教のイエズス会がやったことと同じです。

コンスタンチヌスと同じように、同調し、教えを塗り替えるのです。

 

だから、日本にフランシスコザビエルが来た時、カトリックなどと

言うと日本人には全く異物なので、仏教の一派である、「天竺教」と言ったのでしょう。嘘でしょう。嘘。まあ元が人造宗教だから、

歪んでいるのですが。

だから、日曜礼拝、クリスマス、ハロウイン、イースターも同じように異教の神々、異教徒の祭り、裏には悪霊祭りがある、異邦人には馴染みある祭り、異教徒が皆が12月、4月、10月に祝う異教神祭りだから、それを変えた。

結局偽物、本当は異教神の祭なのに、それをキリスト的な意味に変えたのが、今クリスチャンがその事実を知らないまま祝っているものであり、神の教えとは関係のない人造記念日なのに、それが聖書に

書いてある神が変えた仰せ、新しい記念日と疑いもなく信じて

実践されているのです。

神は異教の神との教え、シンボル、儀式、記念日に混ざり物、

偽物を通してイスラエルの神を拝むことを、姦淫、高きところの礼拝おぞましい、最も忌み嫌う、吐き出そと、聖書にはっきり厳重警告されているのです。

偽物の実態から、イエシュアがそっくりそのまま現れ出ない。偶像の神々を通して、イスラエルの神を世界へ伝えてはならないのです。

しかも偽情報でしょう。12月25日はキリストの誕生日でもない。

不屈の太陽神が、当時の時に再び現れ出る、元が異教の神の記念日が

あるのです。

神は神の創造された記念日を捨てて、代わりにコンスタンチヌス教が

作った聖書に書いてない人間が作り変えた記念日を代わりに祝って

と言ってもない。神のモアデイムを汚すことを禁じているのに、

全く通じない。偽情報に洗脳されると、真実が伝わらないまま

堂々巡りになり、それを一括りに古い教え、律法主義などと考えるのです。蛇の声は今も健在なのです。

 

聖書を正しく教えられた背景のない異邦人は、簡単に偽情報=偽の聖書解説に騙されてしまいます。

元に何が書かれているのかも、正しく教えられていないなら、偽札と

本物札が見分けられないのと同じ状態に陥るのです。

 

だから、「クリスチャンは律法を生きるのではなく、神の言葉を生きるのです。」と意味不明なことを、堂々と講壇から語るのです。

律法=誤解、トラー=神の教え=神の言葉であり、神の言葉は、

クリスチャンの間で解説されているように、破棄されていない、

人間が神の言葉を塗り替える行為を、神ご自身が厳重に禁じている!ということを、聖書から理解しない人には、本当に人の思想という

偽物の教えの洗脳装置に支配されてしまいます。

 

神の教えが廃れた、イスラエルと異邦人は別の教えを生きる、

イエシュアが来られたので、コルバン〜生贄と訳されているものは

終了したと、クリスチャンはそう教えられて、信じていると思います。

それらコルバンは全ては、メシアが来られる迄の仮の教え、

仮の許しだからだと、教えられます。

 

そして、神の教えは廃れたので、今は人の選択でいつでも安息日、

礼拝日=安息日を決めるのだなどなど、変化球の教え聖書ではない

教えのオンパレードなのに、聖書=神の教えのごとく、堂々と至る

場所で語られ続けているのです。

神の言葉は、神が伝える通り、完全であり、変更不可、変わる必要がありません。

いつでも安息日という意味は、今は労働日が消えて、全てが休日という意味になってしまいます。

神が伝える聖別の意味が、消えてしまいます。

神の創造、神の時、労働日と、聖別された日を人が塗り替えて解説している冒涜なのです。

神は特定の日を、他の日と区別しているのです。

それが聖別の意味です。境界線がなくなるのです。

神の伝える神の暦、第1〜第6日を労働して、第7日目に止まるという

神が創造された時、暦の宣言、人間の生き方に、人が勝手に反対しているのです。

7日のサイクルは神が決めました。

それは物理的に、人の体の中にもDNAとして搭載されています。

人の命も、7を巡って生きるようになっているのです。

ずっと働き続けると疲弊します。神は第7日目に止まる、シャバットと言われたのです。

それを、人間、コンスタンチヌス皇帝が第一日目と勝手に変えた

ローマ帝国の勅令で、強制的に偽物の記念日を祝わなくてはならないことになったのです。

ダニエル7:25にある、神に敵対するものは、神の教えと、

神の時を変えるとある通りのことをしたのです。

神は人に日曜礼拝、クリスマス、イースターなど教えていません!

それらを祝うようにも、命じていません。

今はいつでも安息日とも教えてもいません。全部間違った聖書の読みこみと、聖書に書いてもない、ローマ帝国教の教えを書いてあるが如くに信じていることが、誤解の原因なのです。

神は、神の記念日を捨てること、汚すことを厳重に禁じています。

その神が、神のモアデイムを捨てて、異教神の祭りをパクって人間が作り変えた別物の記念日を祝えなどと人に教えません。

人間が作った宗教、ローマ帝国統治目的のために作った混ぜ物宗教だから、土台が偽物であり、神の純粋な教えではないのです。

 

クリスチャンは、新約聖書と異邦人が勝手に作ったタイトルをつけた箇所、マタイ〜黙示録が新しい契約であり、中身はモーセの五書を

否定した教えが書かれていると、完全に誤解した教えをされているのです。

異邦人の神学校で、教師がこんなことを教えているのです。

ノーベル賞級学者が、進化論を教えるのと全く同じことがされているのです。

トラーを正しく知る人は、マタイ以降に神の教えを否定した教えが

書かれているとは読みません。そこにはトラーの抜粋が記されているだけだからです。別の教えなど書かれてもいない。

もし、人が神の教えを破棄せよ!などということをすれば、それは

神の前に死に匹敵する罪なのです。

嘘なのに、本当であると聖書を教える人がそう教える。

聖書を教えている人が、聖書ではない偽情報を信じて、人に教えて

いる、それが異邦人の世界で行われて来てしまったのです。

イエシュアが教えたトラーではない、イエシュアが父の教え以外しない!生きない!言っているのに、イエシュアの教えを否定した教えを、していることにも気がついていないのです。

イエシュアは、100%モーセの五書を教え、パウロも同じように

100%モーセの五書以外の教えなどしていません!

全ては、聖書を聖書とは異なる聖書解説を、異邦人の教師や学者

それらを書物にして、人に間違った偽情報を伝達し続けているから

です。

どうして、コルバンがあるのか、大贖罪日に、大祭司が毎年1度だけ

神の神殿の至聖所に入るのか。

イエシュアが来られたから、これらは全部終了した。

これは、聖書を正しく学ばない人が、語る解説なのです。

 

イエシュアが来られた後、昇天以降も、神殿が存在している時は、

大贖罪日も祝われ、祭壇でコルバンが捧げられました。

エンアクトメントと英語で言いますが、歴史の事実を、実際にそれぞれがその時代の登場人物になり、服装も当時の洋服を着て、

歴史の中で起きた、事件などを演じて、それを再現して学ぶというものがあります。

 

神の祭りはイエシュアの業を表す、エンアクトメントなのです。

イエシュアの業を再現している。

イエシュアが来られる前は、天にある神の家、目に見えない天の

神の家と、天の大祭司、イエシュア、それを地上で表したものが

地上に作られたミシュカンであり、地上の大祭司、レビ族のアロンの家系、普通の祭司は、全てレビ族出身の男子です。

目に見えない天の家、聖なる民の神の家での生き方を、地上で天の

実態をそっくりそのまま映し出す、中身は同じ影の役割である

物理的に目に見える神の家と、大祭司と祭司を通して、教えたのです。

イエシュアが来られる迄は、未来に来るイエシュアがされること、

それら子羊の血の贖いは、永遠の中に既に完了されている事実から、同じことを教えているのです。

だから、エデンの園を出て直ぐ、カインとアベルが神の祭壇に

コルバンを捧げているでしょう。

神の一方的に与えた贖いの代価、子羊の血で、新しくされている事実

許されている事実、聖霊が内側に住まうことを、信仰で受け取るだけ

同じことを最初から教えているのです。

未来、イエシュアが来られたら、神の神殿から世界を統治する時代が

来たら、再び祭壇でコルバンが捧げられるようになるという預言の

意味を理解していないのです。

永遠にイエシュアがされた業、子羊の血の代価は、実践され語り継がれ、シャバット、祭りでそれが再現され続けるのです。

大祭司イエシュアがおられるのに、コルバンを捧げ続ける?

そうです。それは、罪の贖いのためではないからです。

人々に、イエシュアがされた業の意味を、五感を通して実体験し

学習し、教えるためのものだからです。

これは、レビ記とそして、ヘブル書に記された祭司制度と、コルバンの意味を正しく学べば、クリアーに、神が人に実体験、天の実物

実態のレプリカ=地上の影を通して教えられている意味を理解できます。

全ては、聖書を聖書に記されている意味通りに正しく教えられていない!その問題に尽きます。

パウロの手紙を読むと、パウロはトラー深く、正しく理解していたことが分かります。ただ、以前のパウロは、イエシュアがタナックに

記されたメシアであるという点が、以前見えなかっただけです。

その当時の人は、王の王として君臨されるメシアが来られることを

待望していたからです。

ローマ帝国の弾圧から救い出して下さる、メシアを待っていた。

でも、花婿の例えのように、最初のイエシュアの最初の到来は、

婚約期間の花婿と同じです。

悩みを受ける僕としてのメシアであり、2度目に来られる時は、

王の王、主の主、全世界の所有者、権威者として来られるのです。

ダービー、デイスペンセーション神学やセブンスデーが語るように

秘密裏の再臨はありません。

神の完了の業は永遠の中に完結されています。

やがて朽ちない体が与えられる。仮庵=朽ちる体の中に今イエシュアが住まわれている。この事実は、感じなくても事実です。

神の中に居る、見えない天の現実の中にある。神の御座の前に

神の前に生きている。感じないだけです。

だから、今天の現実に生きていること、永遠の中の今を生きている

のです。コルバンは、罪の許しのためではありません。

しかも、コルバンは色々な種類があり、神への感謝、賛美、その他

罪とは何も関係のないコルバンがあるのです。

これら全て、神との対話、礼拝なのです。礼拝とは、神との関わり

神との対話=祈りであり、コルバンを通して、自分が新しくされている事実を、先ず神が強調しているのです。

コルバンの土台は、子羊のコルバン、朝に夕に二十四時間燃え続ける、その上に全てのコルバンが捧げられるのです。

イエシュアの贖いの代価により、新しくされている事実を、コルバンで最初からずっと教えているのです。

神が新しくされた事実からだけ、対話する、生きて!と教えているからです。

クリスチャンの中には、罪人罪人という死んだ以前の人の肩書きばかりを強調する人がいますが、それ、毒な思考回路です。

新しくされた人の自覚がある方が、神が伝えるズレにはっきり気がつけます。

罪人の自己像のままの人は、自分の自己像通りを生きます。

だから、その偽物の自己像を、頭脳の一新により変えて!とパウロが

いう通り、それは、トラーに記された、贖いの代価で新しくされている事実、コルバン、タミン=全きものとされている事実からだけ

生きて、考えて、発言するということを教えているものです。

 

イエシュアが人の罪を肩代わりされた事実、そして、神はその人を

新しい人とされている事実を、コルバンを通して教えているのです。

そして、内臓を全部祭壇の前に乗せて出すとは、腹の中にある

隠されたこと全てを、神の前に出して、神との対話、祈りをすることを教えているのです。

だから、コルバン抜きには神との関わり、対話、祈り、礼拝はないのです。

そして、神が見ている通りを、それは神の言葉を通してなのです。

神が語られる通りを聞く。自分が考えていることを神に話す。

それが、神の言葉とずれているのか、どうか。ずれていたら、神の言葉に軌道修正する、その行為がヘブライ聖書では祈りと書かれているのです。

そして、変わる必要があるのは、神の言葉ではなく、人間の側、

人の内側のことなのです。これを完全に誤解しているのです。