"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -84ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エレミヤ31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家と

ユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。

31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。

31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしのトラーを彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの

民となると主は言われる。

 

ここに書いてある「契約」とは、シナイ山で与えられたトラーモーセの五書、婚姻契約です。

新しいとは、再更新される同じシナイ山でモーセを通して与えられた同じ契約です。

クリスチャンが教えられているような、二つ別の契約は存在しないからです。シナイ山の契約とは別の契約書は、聖書に記されてなどありません!

イエシュアが、過越の祭りの晩餐で、十一人の弟子たちに対して、

再更新された契約も、同じシナイ山の契約であり、イエシュアが父の教えと語った、モーセの五書に記された神の教え=契約です。

 

マタイ以降に記されている内容は、新しい教え、新しい契約書に変えられたものではありません!

最初の部分=創世記〜マラキの、短い短い短い、抜粋の解説が、

マタイ〜黙示録だからです。

その中には、トラーを塗り替えたり、神の教えを否定、破棄した教えは、1つも書かれていません。

クリスチャンは、空想で、マタイ以降には、最初とは違う新しい教えが書かれていると、思い込んでいるでしょう?

最初の部分を正しく教えられていないから、そんなことを考えられるのです。

ここに書いてあることを読んで、エジプトを出た時に与えられたものではないとは、イコール、シナイ山で与えられた別物!と早合点

しているのです。

エレミヤが語ること、聖書記者たち、残りの民、神の教えを理解している人の基本中の基本!神が神の契約の中身を変更することはない!と言う、神が宣言している通りの理解が異邦人の中に、全くないことが問題なのです。それは、変化する神、変化する神の言葉、変化する

神の業という人間が編み出した思想を聖書に記された事を捨てて、

信じているからです。

エレミヤはこの箇所を聖霊により記している時も、エレミヤは

神のトラー、神の言葉は永遠にかたく立ち、神の言葉は廃らない!

と言う正しい理解の元に書いていることを、クリスチャンは全く

理解していないのです。

 

エジプトを出た時、彼らの状態は殆どの人が、頭脳に割礼がない

幼児、赤子、生まれたばかりの赤ちゃんと同じ。

神の古い教えは、破棄されたのだと勘違いしているのは、

ローマ帝国、反キリストの仕業と神が警告したその通りのことを、

ローマ皇帝、コンスタンチヌス、教皇、司教、西洋教父たちが

やったことを、クリスチャンはその事実を知る必要があります。

 

トラー=婚姻契約、クリスチャンが古い教え、律法と言うモーセの

五書に記された教え、ユダヤ的なこと一切生きてはならない!!!と

ローマ帝国の勅令で市民に強制執行したのです。

クリスチャンが信じたらユダヤ的なことやめなさい。律法に戻るな!信じたらユダヤ人やめなさいというスローガンを、普通に聞いているでしょう。

そのスローガンは、コンスタンチヌスの声、出所は人間なのです

コンスタンチヌスが「信じたらユダヤ化されてはならない!モーセの五書、トラーをユダヤ人のように生きてはならない!」とローマ市民に勅令を通して命じたのです。神の命令ではなく、人間の命令。

 

これは、イエシュアが来られる170年前のギリシャ帝国で行われた

こと同じ、ダニエル書に記された反キリストの仕業と全く同じことを

したのです。

反キリストは、最初からいます。エデンの園から。

その特徴は、神の言われた言葉、教えを曲げること!

神の言葉を曲げ、人を神の言われる事とはズレた事に導けば、

間違った方向に導き破壊できるからです。その果てがLGBTQ。

シンプルな事実、警告が最初から書かれているのです。

人間が、神以外の創造物が、神の言葉と、神の時を塗り替える

これは神しかできない。創造は神しかできない。

それなのに、それを人がしているのです。詰まり人間が神の言われたことを否定、破棄、削除、又は神の言われたことを、人の教えに作り変えて解説して、別物を人に伝え、生きさせることの全てです。

気持ちさえあれば、神の教えや神の記念日を捨て、別物でも良いと

異邦人は平気でそう考えるのです。

偽情報を通して、語られる聖書解説神の言葉は廃れたと信じる人が

翻訳した、不適切な翻訳、聖書にない言葉や文章をそのような不適切な翻訳をする人により、偽情報が浸透してしまったものを、読んでいるからです。

 

こういう教え、聖書ではない、人間が神の教えを塗り替えた解説をしています。

神の古い教えは厳し過ぎて、人が生きられないものでした。

神は、その教えを与えて、人間がいかに罪深いか教えるために与えた律法だからです。

そして、メシアが来られたので、律法を生きることが終わり、

恵が与えられ、聖霊により生きる時代になったのです。

十字架に、律法は付けられたのです。

信じたら、行いなんでする必要がありません。

神の古い教え、言葉を生きてる人は、律法主義です。

 

これら、全部聖書にない人間の編み出した思想の聖書解説、

聖書ではない、聖書を正しく解説していない、ローマ教、人間が

作った宗教の教えを解説し続けているものなのです。

こんな聖書ではない思想をずっと教えられ続ける。

聖書が目の前にあっても、それが聖書ではないと気がつけない盲目。

 

中世までは、印刷機がない、個人が手元に聖書がない。

プラス、今に至るまで、異邦人の世界にはイエシュアやパウロのように、ヘブライ聖書を教える教師が全くいなかった。

翻訳を頼るしかない。元の言葉が語る本当の意味も、聞かされない。

そう言う暗黒時代を通って来たのです。

カトリック、ヨーロッパでは、一般の人は中世迄聖書がない、司教がラテン語で聖書を読み上げても、普通の人はラテン語など知らない。

日本人が知らない言語で、聖書を読み上げられて、そして牧師や教師が語る聖書解説が聖書と思う。

いやこれ、今も変わらないのです。

でも、今や正しい情報を探れる時代になりました。

聖書に書いてある本当の内容は、正しい教師、情報にアクセスし

学ばないと分かりませんが、少なくともキリストの誕生日は12月

25日ではないことは、その祭りの裏にある異教神の祭りであることも、クリスチャンではない普通の人が、今やよく知っています。

なんと言われていると思いますか?

架空の祭りを祝う、どういう宗教?と。そんな嘘を本当のように、

クリスチャンなのにどうして言うのですか?と。

クリスチャンは嘘を本当と言う、嘘をついても、平気なの?

これには、誰も反論できないでしょう。

 

信じた初歩、赤子状態に留まっている、警告があるのです。

ずっと最初、初歩にとどまり続ける、それは、神の言葉、命のパン

イエシュアの似姿に成長する糧を捨てているからです。

 

1コリント3:1 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、

キリストにある幼な子に話すように話した。

3:2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。

食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になっても

その力がない。

ヘブル 5:11 このことについては、言いたいことがたくさんあるが、

あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことは

むずかしい。

5:12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。

5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、

義の言葉を味わうことができない。

 5:14 しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて

訓練された成人のとるべきものである。

 6:1 そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教えの初歩

あとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、

死んだ行いの悔改めと神への信仰、

6:2 洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、

などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。

 

キリスト教の教え、聖書ではない教えは、こう教えています。

「人にとって生きられない厳しい律法だから、神が神の言葉を十字架につけて破棄した!」これ、完全なる偽情報ですが、言いたいことは、人が生きることのできない律法を最初与えた、これは神は、それを生きるのは、難しくないと言っているのに、真っ向から神の言葉に反して、塗り替える教えをしているのです。考えないとならない。

人が、神に成り代わって神の言葉を曲げ続けていることに、なぜ

聖書に書いて警告があるのに、気がつけないのか?

偽情報=神の言葉は廃れという偽情報で洗脳されているから、

神の言葉が見えない、見ていても、見えない、盲目状態なのです。

 

申命記30:11 わたしが、きょう、あなたに命じるこの戒めは、

むずかしいものではなく、また遠いものでもない。

 

神が伝える教え、神が創造されたイエシュアの似姿そっくりの人は

神の性質通りを生きるのは、難しくないと神が言われているのに

人間が真っ向から神の教えに、NO、厳しい律法は廃れたと言い続けている冒涜をしているのに、その冒涜行為、神に敵対していることに気がつけないのです。

こう考えたら分かります。神の言葉が悪い、古いから、破棄されるのではありません!変わらなくてはならないのは、完全で、永遠普遍の

神の言葉ではありません。

変わるのは、人間の側なのです。

それが、エレミヤ31:31に書いてある内容なのです。

エジプトを出た時の、頭脳に割礼のない状態、赤子状態で、神の契約教えを簡単に破り続けるような、そのような状態ではない人々に対して、再更新される契約が与えられると言っているのです。

 

どう言うことか、分かりやすく言うとこうです。

今仮庵状態です。この世の旅路で、体は朽ちる体のままですが、

実際は、イエシュアがその仮庵である自分の中に住まわれています。

その人は、イエシュアが内側に住んでいる、新しくされているのです。感じなくても、神が言われた通り、コルバンで教えられているとおり、「あなたはマッツア=罪が削ぎ落とされた人になっている。

あなたは、タミン=神の前に全きものとされているから、全きものの

性質通りに生きなさい!」と言っているでしょう。

こけたとしても、それは本当の自分をその時、生きてないから、

こけるのです。本当の自分で生きなさい。神があなたを新しく造り変えたえた!と言っているからです。

神の前に歩むと言う意味は、神の顔の前、神の顔=鏡=トラーに

記された本当のあなたの性質通りを、吟味しながら、一歩、

1歩確認して歩め!と書いてあるのです。

 

 

古い自分は、イエシュアと共に死にました。そして、イエシュアと

共に復活しました。

この事実は、2000年前に初めて有効になったのではありません!

永遠の中から同じ。エデンの園から同じです。

どの時代も、永遠の中に完結している、子羊イエシュアの血の贖いで

神の元に戻り、許し、恵、祝福、そして聖霊を与えられているのです。それが、残りの民と聖書では記されているのです。

2000年前に、イエシュアが昇天された後、神の教えが破棄されて

キリスト教という新しい宗教を教えられ、神の言葉、教えや記念日が

変えられて、以前とは違う生き方になったと、考えているでしょう。

そして、そう実践している。でも、それらは聖書の記述とは何も関係のない人間の教え、実践なのです。

イエシュアが来られた前後に、の教えも、救いの方法も、許しや

聖霊が信じた人の内側に住まうことも、何も変わってなどいません!

それは、永遠の中から、同じだからです。

 

携帯やパソコンを、今皆持っていますよね。

古い機種は機能しなくなると、新しい機種に変えますよね。

新品。その時に、データだけ取り置きして、バックアップを残し

新しい携帯やパソコンに元のデータを入れて、正しく機能するように

するでしょう。

新しくした機種に、元の同じデータを戻すという例えで説明すれば、

新しくされた人の中に、神のトラーが頭脳に刻まれる!!!

裏も表も、腹の中、DNAに全て神のトラーが搭載されている状態に

なる!とエレミヤは言っているのです。分かりますか?

変わるのは、神の言葉ではなく、新しくされた人が、本当にその実態を生きて、成長し成人する状態になっていることを、話しているのです。