"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -80ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

宗教とは、神の教えに、人間の思想が、侵入、混じっているもので

あり、イエシュアが教えた、預言者たちの手で記された、エデンの園から、純粋なまじりけのない神の口から直接人に教えられて来た、

永遠普遍であり完全な神の言葉の中に、余計なものを刷り込んだもの、人間の思想を混ぜてしまったものが宗教というものなのです。

 

神は、神の言葉に一点一画も人間が手を加えてはならないことを、

創造の最初から、エデンの園からはっきり教えて、警告しています。

以前私は、このような印象を持っていました。

ジーザスが十字架にかかった後は、以前の警告も罪の定義も教えも

消えて、それら以前の教えは、今は関係のない教え、時代遅れの教え、一時的な教えは破棄された。今はそれらの教えにある罪は、

罪にもならないという、神の教えとは異なる感覚を、しっかり植え

付けられていたのです。クリスチャンも同じだと思います。

私が聞いて来たのは、イエシュアが教えた純粋な神の言葉、教えではない人間が作った宗教の教え、神学だったのです。

 

もしも、エデンの園で、アダムとハヴァが神の伝えた教えとは別の事をしたことが、死に匹敵するほど危ない!人がする生き方ではない

という正しい理解が本当にあれば、今のように律法〜本当は神の教え、インストラクションという意味の、神のトラー=神の言葉が廃れた!などという、大変危険であり、神の前にそのような考え、態度、

行動こそが罪そのものであり、神に対しての一番の冒涜な発言、

行動など決して出来ないはずです。

神が教えている事に対しての正しい理解がないから、罪の定義をごっそり捨てているから、罪を罪とも見えなくさせられて、神の教えとは違う事、偽物をやらされていることにさえ、聖書を読んでいても、

気がつけない状態でいるのです。

 

神の教えに、旧、古い、廃れたものと、新しいものの2つ別物があるという事自体、完全に空想空気椅子思想なのです。

又は、ユダヤ人と異邦人には、別の教え、別の罪の定義が適用されるなどという、これこそ、逸脱した思想!同じ人間でしょう?

ユダヤ人に毒な食べ物は、異邦人にも同様に毒なのです。

ユダヤ人に罪な事は、異邦人にも罪、同様に傷、痛み、破壊、崩壊

をもたらすものなのです。

1つの家族は、父なる神が呼び出した同じ日に、皆が神の前に集まり

喜び、楽しみ祝うのです。別の日に別行動する家族、寒い隙間風の

吹く、分裂家族そのものです。機能不全家族を宗教は教えている。

 

こんな簡単な事も、分からなくなるのは、人間の編み出した教え、

思想で洗脳されているからです。

 

子供が理解できない事があるでしょう。なんでダメなの?特に赤ちゃん。言葉がよく通じていない、深い意味まで理解できない赤ちゃんに

これはダメ!と言ったら、邪魔されている、楽しみ取られる、

又は厳しいママ!としか、思わないでしょう。

それと同じ意識を、クリスチャンは神の言葉に対して、知らない間にばっちり敵対心、警戒心を刷り込まれているのです。

おかしいでしょう?イエシュア=言葉なのに。

イエシュアに敵対する思想を刷り込まれているのです。

それがイエシュアに敵対しているとも、知らないまま。

神は、神が創造された人=イエシュアそっくりの本物の人は、何何を生きて、何何を生きないという、シンプル、明白な事を教えているのに、それが全く通じていないまま、厳しい律法=廃れた!新しい教え

楽=聖霊=恵の時代!などと、聖書に書いてもない事を、信じているのです。

善を悪、悪を善という。イザヤ5:20ですが、善とは、トヴ=神の意図通り、悪とは神の意図とずれた全て、それを創造主である神が伝えているのに、人間が勝手に、善悪の基準を作り、勝手に言い続けているのです。神を尊重しない態度は、神の言葉を人間が遮り、人間が考えた事を尊重し、実行することなのです。人間至上主義。

人間が神になっている行動、思索です。

 

聖書の不適切な翻訳、誤訳と、間違った聖書解説のおかげで、聖書に書いてない、人間の思想を刷り込まれているのに、全く気がついていないだけなのです。

聖書を正しく学び、教えられないなら、何の教えを刷り込まれても

それが、聖書、本当と思うでしょう。デイスペンセーション神学を

通して聖書解説されても、何が聖書とは違うのか、識別さえも出来ない。教師が、正しく聖書を学んでいない、神の言葉の事実を知らないからです。デイスペンセーション神学を信奉すれば、それは聖書とは

違う思想であるという、否めない事実があるのです。

神の言葉で全てが造られたのです。神=言葉と書いてあります。

イエシュア=言葉=トラーが肉体を取って来られたと書いてあるのです。

神の言葉に対して、律法などと書かれたヘブライ語は1つも存在しません。不適切な翻訳と、不適切な聖書解説のおかげで、どれほど

イスラエルの神と、神の言葉に対して曲がった、歪んだ思想を

クリスチャンは、長い年月刷り込まれているのか、全く気がついていなのです。

これ、今の世界でも分りませんか?主要メデイアが情報操作し、

人の思考、行動を支配、コントロールているのです。

知らせなくてはならない事を、わざと隠し、映像も隠し、間違った

情報を流し、歪んだ印象を人に与えている。

そして、腐った司法は、邪魔な人たちが、罪の無い人に濡れ衣を着せて不当逮捕、

勾留する。検察も腐っている。事実上の権威。誰も逆らえない。

権威ないはずのあの人も、鶴の一声で、政治家を動かす。

誰も何も言えない。おかしな構造が裏で出来上がっているのです。

偽情報が拡散され、誰が本当の情報を流しているのか分からない。

秘密裏で危険な緊急事態条約などの憲法改正が行われている?

これが通ったら、日本人は全て奴隷そのものにさせられてしまいます。国に逆らう事は許されないなら、自分の意思に反して、全て従わせられてしまうからです。こんなものを通そうとしているのは、

日本だけです。実験国だからです。個人の権利はなくなります。

異議申し立てもできない。

 

それと同じ事を、神の言葉に対してされ続けているのです。

神の言葉に対する偽情報を流されて、神の教えを正しく理解しない

場合、ずっと神の警告に違反し続けて、それで神を愛していると思い込むのです。

神を愛する人は、神が伝えたトラーを愛して、神が言われた通りを

生きる!とイエシュアが申命記を引用して解説された事が書いてあるでしょう。

この間の天皇家の長子が、ラオス側から国賓として、国家元首対応で招かれて行かれた事を見て、思いました。

人の所作や、動作、行動、言動は、付け焼き刃で出てくるものではない、その人の人柄は、様々な事を通して培われたものが現れ出て来ます。

幼い頃からの、両親や周りの人たちによる、教育のたまものでもあり

本人の意識、自覚、努力も相当にあるのです。

ラオスの多くの人がこぞって、日本の要人を大歓迎し、皆が笑顔で雰囲気は手に取るように伝わって来ました。

世界もこれを、大々的に、大絶賛をもって報じていました。

日本のメデイアは肝心なところは、流していませんが。

隠しても無駄でしょう。今更。この時代、皆が知る方法があるからです。やはり、国の代表は、人々から尊敬される人であるべきです。

 

これ、パリサイ派のガマリエル、パウロの師匠でもあった大ラビで

ありイスラエルの議会議員であった人が、イスラエルの全国民に尊敬され、信頼されていたと使徒5:34にありますが、敬愛、尊敬の念は、人に強要できません。

人の側から自然にその人に対して、敬意、尊敬が表されるものなのです。

パリサイ派、イコール偽善者とクリスチャンは教えられていますが、こう考えてください。一部のパリサイ派が当時の口伝律法、

人間の言い伝えを厳しく人に要求していただけで、パリサイ派

全体は、善良な人であったという事実を覚えておいてください。

日本人、イコール全員悪人、偽善者というのと同じことを、

クリスチャンは教え込まれているのです。事実ではない。

一部のパリサイ派とイエシュアが対峙している記事が書かれているだけです。飛躍にも程があるのです。

イエシュア信者になったユダヤ人は殆どがパリサイ派であったことを知っていますか?イエシュアもパリサイ派の流儀でトラーを教え

パリサイ派の流儀でシャバット、祭りを祝っていたのです。

 

パウロも死ぬまで生涯ずっとパリサイ派に属していました。

だから、エルサレムのパリサイ派の拠点であるパウロのところに

諸外国からトラーに関する質問、相談の手紙が寄せられたのです。

パウロがパリサイ派のラビであったから、回答したのが、パウロの

手紙であり、それらはパリサイ派流儀のトラーの教え方でもあったのです。

パウロも1コリント16で、エルサレムにいるパリサイ派のイエシュア信者たちへの支援のために、労働日である日曜日に、個人個人が

家に資金を取り分けておいてとパウロが指示しているでしょう。

これ、日曜礼拝の献金のことなど話していません。

日曜は労働日であり、シャバットではありません。

勘違いした聖書の読み込みをしているのです。

シャバットは、現金の受け渡しや、商売をしない日であることを

聖書からクリスチャンは理解していません。

だから、パウロはシャバットではない普通の日、日曜日の日に

各自自宅で、資金を取り分けてといったのです。

これ、十一献金でもありません!

誰かを支援したいなら、それはその人の自発的な行為なのです。

強制はない。10%献金も聖書の教えではない。税金以外は自発的。

シャバットに献金集めをしないとは、神の教えであり、日本人が

自宅に土足であがり、畳の部屋を歩かないというのと全く同じなのです。そんなことする人はいない!

シャバットを捨て、代わりに労働日である日曜に集まり礼拝をし

献金をする!?聖書に登場する人の中にそんなことをしていることは

1度も記されていません!

シャバット以外に誰かの家に行ったら、集まったとしたらそれは

シャバット目的ではない、他の用事で集まっていると理解しないとなりません。

自分の思い込みで聖書の記述の意味を変えてはならない。

勝手な読み込みばかりして、人間が作った自分に馴染みのある

キリスト教の慣わし、しきたり、シンボル、儀式、記念日にすり替えて考えるから、聖書に書いてある事実が読み取れないままになって

いるのです。

クリスチャンの中には、実はたくさんの偽情報〜間違った聖書解説が浸透しているのです。

本当にそうなのです。自分で調べれば分かります。

聖書に書かれた本当の意味に照らし合わせたら、間違った聖書解説が何かはっきり、クリアーに言語の意味から分かるからです。

人が何を神の言葉、教えに対して、変えて、曲げて来たのか。

人がそう言うから、そうだと思い込んでいるだけです。

ペテロに関しても、特に神の言葉に関して、偽情報だらけ

その大元、根源がコンスタチヌスの冒涜、神のトラーを生きるな!

と処刑を持って強要した事なのです。

イスラエル以外の王は、イスラエルの王とは役割が違います。

それでも王でも首相でも、国を代表する人は、その国を背負い、

国を反映代表する、模範的な役割をしなくてはならないのです。

 

国の代表となる人は、日常生活に於いても正しい振る舞いをし、

利己的、自分勝手、自己中心な事をしないで他の国々の交流の中、

良い関係を築けるような思索、人柄、態度、行動をしなくてはならないのです。

一般市民を、平民などと平気で呼べるのは、勝手な行動をする、

人を軽視する教育を受けて来た証でもあるでしょう。

そのような人は、人から尊敬などされないのです。

日本の国に対して、不快な印象を与えるような行動をする人、

相手国に軽視されるような人は、国を代表する存在にはなれないのです。誰も受け取らない、認めないのです。退けられるのです。

日本のメデイアは、わざと意図的に重要な場面などカットして出さないことをしているようですが、海外の報道があるので、全部見えて

しまうのです。

隠しても無駄。隠しても、真実は現れ出て来るのです。

真実とはそういうものです。神の言葉を隠しても、サタンは最後には

敗北するのです。親の振る舞い、教育が、子に継がれるのです。

神の国を受け継ぐ人は、天の神の国の祭司達と同じ、神の家に住まう

品格、慣わし、思考回路、態度、行動は、イエシュアとぴったりの

人でなくてはならないのです。

神は神の臨在がある場所、神の家、神の人々と、神の時=モアデイムを聖別しています。

人は、神が創造された時と、神の言葉を塗り替える事などできないのです。神ご自身が主権者だからです。

今も、今日もこの時も、神の言葉を塗り替える思想と、実践で

イスラエルの神を汚し続ける行動ができるのです。

その原因は、神が教えていることを理解しない、神の教えは廃れたという偽情報をがっちり刷り込まれているからです。

 

神が言われたことに対して、人間が神に成り代わり、神の権威の座に座る権利もないのに座り、神の言葉を退けて、それぞれ人が考える所をして良い時代になったなどという大嘘を吹聴しているのです。

その思考回路こそが、偶像礼拝であり、混ざり物宗教の教えなのです。偶像は、人の思索の中にあるのです。それが、形、宗教、思想として、目に見える形で現れ出て来るからです。

人間が編み出したものを、人間が実行する。

これ、以前に書いたガテマラにある宗教、「丸太が神」である宗教、

人間が作った宗教、丸太を24時間、人間が交代で担ぐ。

神を担いで、人が神をコントロール、支配する。人間が考えた神像、神々を、人間が崇拝する。

これが、人間が作り出した偽物の宗教、一番分かりにくいものは、

イエシュアの名を利用して、混ぜ物の教えを混入させた人造宗教です。

あれと同じ。オーガニックと名が付けば、全部オーガニックと思う。

でも、実は中身は、添加物満載、化学肥料、化学薬品、農薬ふんだんに使った危険な食品と同じ。本当はオーガニック、オーセンテイック

正真正銘、本物ではない、まがい物。