人の手で編み出したものを通して、イスラエルの神には近づけない、礼拝できない、神のみ前に神の意図通りの生き方ができない事は
最初からずっと教えられています。
カインが捧げたものは、初穂ではない、普通の収穫物の適当な一部です。神が伝えた意味を、カインは理解していないのです。
もしくは、知っているのに、神の言われたことを無視した?
一方、アベルは、神が伝えた通り、子羊の初子、シミ、傷、欠陥の
ないものを神の前に差し出したのです。
神の前にコルバンを持って出るという意味は、最初から「イエシュア」により新しくされている事実を、教えているからです。
目に目ないもの=永遠の中に屠られた子羊イエシュアの贖いの事実
を、目に見える形、コルバン、動物、収穫物を通して教えているのです。
それが永遠の中に屠られた子羊イエシュアの血により、贖われ
新しくされている事実を、教えているからです。
エデンの園と同じです。神の前に、自分がした罪、その動機、
いきさつ全てを、事実通り、神と共に見てそれを告白し、罪許され、
神が獣の皮の衣を着せた、それが「義の衣」と語られているものなのです。
同じ福音が最初から語られているのです。
それは、未来まで救い、贖いがありませんよ〜。今は仮の恵、救い
許しですなどと、神は言いませんでした。
永遠の中から同じ!永遠の中、この世の礎が創造される前から
選びだされていたと神が言われたでしょう。
語られて教えられている、イコール、同じ実態を、残りの民、永遠の中に選び出された人、この世の礎が造られる前から永遠の中に屠られた子羊!と書いてあるでしょう。
全て受け取っている事実が、聖書には書かれているのです。
西洋哲学思想のように、時系列で物事を見ているから、ヘブライ思索
永遠の中に全てが完結した状態でこの世界が造られた、
神は永遠の中にいる!という事実が、見えてないのです。
どの地点でも、アクセス可能。しかも、神ご自身の方からアプローチ
近づいてくださるのです。
書いてあるでしょう。イエシュアも戸の外に立ってドアを叩くと。
これ、ヘブライの世界の婚姻儀式です。
花婿の方から、花嫁を迎えに来る!
誰一人として、時代、人種に関係なく、自分の方から神のもとには
近づけないのです。
それを、律法を生きたから義とされたとか、クリスチャンの間で解説される聖書解説は、聖書とは全く異なる思想を語っているのです。
神の教え=トラー=イエシュアの似姿を生きるのは、神に義とされた
人、神の花嫁となり聖霊が内側に住まう、イエシュアが内側にいる
人は、内側に住まうイエシュアの実態と異なる生き方をしない!
汚れた生き方をしない!聖別を汚す生き方をしない!
汚れた清掃動物も食べない!それは、内側におられるイエシュアとは異なるもの、異物であり、現実に毒だからです。
神の宮を豚で汚せない!という意味が分かりますか?
それは、聖書を正しく理解し、ダニエル書に記された反キリストの
行うこと、神の教えを捨てさせ、神のシャバット、祭りを捨てさせ
汚れた豚や動物をむりやり食べさせてギリシャ帝国がやったことが
預言されているのです。
それがハヌカの記念日の裏側にある出来事なのです。
そして、ローマ帝国も同様に同じことをやってしまったこと、
クリスチャンは理解していないと思います。
偽物の教えに聞き入る場合、本物=神の教えは頭脳に響きません。
偽物の教えで洗脳されているから、神の教えは終わった、今は自由に選べる時代だ!という大きなまやかしを教えられて、それが本当と
思い込んでいるだけです。
未来は、全部ひっくり返ります。
オセロのコマは黒から白へ変わるのです。
私が教えられた宗教思想は、クレジットカードのような感じの教えです。この日迄がこのカードの有効期限です。
これから先は、この日が来るまで有効になりませんなどという感じ。
それってどんな神?人を許し、救い、祝福、贖い、神が内側に共に住まう状態、お預け状態?古代の人?
これ、創作話であり、クリスチャンの間で教えられているイスラエルの神、イエシュアはローマ化けした別物の神であり、聖書に書かれている神ご自身が紹介し、人に教えられている神とは違う神です!
神が一方的に提供した贖いの代価、永遠の中に既に支払い済み、完了完結ずみ、その事実から生きよ!と教えているのです。
それが、神の創造の6日で表されているのです。
全て必要なものは、6日の間に完成!完了!何も後から付け足すもの何も無し!そして、第7日目に神が止まられ、その日を最大限に祝福し
そして週の日の唯一、第7日目を祝福されたと書かれているのです。
書いてあることを、よく考えてみるのです。神が第7日目だけを
最大限に祝福し、そしてその日だけを、区別し聖別したとあります。
人は、神とは違います。人は神が創造された「時」を勝手に変えられない、神が聖別されていない普通の日、労働日を、聖別もできない。神の教えも、人は変えられない!とあるでしょう。
神の言葉を人間が別物に変えてしまうこと、それは遺伝子組み換えと同じ行為なのです。そういうことをやるから、別物の影が地上に
現れ出るのです。ローマ帝国皇帝教の影。本体=ローマ帝国の思想
宗教、コンスタンチヌスの実像であり、イエシュアではない。
神の創造された人の性質を生きさせない、別物が現れ出るからです。
誰がこの全世界を創造されましたか?神です。
ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、
いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時とトラーとを変えようと
望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
神の創造された時と、神の言葉の所有者は誰ですか?
神ご自身であり、人間は神が創造された時と、神の言葉を変えられないのです。
それを、人間がやっている!ということにはっきり気がつかないとならないのです。
そして、神はコンスタンチヌスが作った宗教で塗り替えられた神像、
変化する神、変化する神の言葉、人間が時代ごとにその時代にあった
教えに変えて解釈して良いなどと言う、いい加減なことを人に教える
神ではないことが、聖書にはっきり書いてあるのに、それが見えない
まま、盲目状態なのです。
7と書いてあるのに、1と読み込む。
こんなこと、学校の教科書を読んでしていますか?しないでしょう。
十戒と訳されている言葉は、「10の言葉」であり、10の言葉は
1つです。これは、神の教え、トラーに対する、10の項目、
タイトルであり、これが聖書=神の教えの柱なのです。
この1つ1つを、モーセの五書全体で、解説しているのです。
本の最初に目次があるでしょう。
それと同じです。その目次に10の項目があったら、その書の中で
1つ1つの項目に対しての解説が書かれているのです。
出エジプト20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、
家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを
造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
8節に、覚えてとあるヘブライ語は、ザハルと言う言葉です。
これは、単に記憶すると言う意味ではなく、頭脳に刻んだこの神の
聖別された日を、実際に行う!神が言われた通りに祝うという意味です。これクリスチャンの間では完全に無視された項目、捨て去っています。日曜日は、神が聖別された日ではない、コンスタンチヌス皇帝の日であり、その日は「不屈の太陽神の日」そしてコンスタンチヌスを崇める日としてローマ帝国が作った日であり、イエシュアとは何も関係のない日です!
コンスタンチヌスがローマ帝国に人造西洋宗教を作った後、
宗教会議で、この日を、礼拝日として、そして、神の教え=トラー
モーセの五書を生きることを禁じる!!!!という、ローマ帝国
定番の勅令が作られたのです。神の言葉、記念日を変えたのは
皆人間の仕業であり、神に対する大冒涜、敵対する行動以外のなにものでもないことを、やってしまったのです。
それが、歴史の中で定着し、出所知らないまま、クリスチャンは
それが聖書と信じて疑わず、実践しているだけなのです。
神が聖別された日以外、それら人間が作った記念日は全て人間の
作った宗教の伝統の記念日に過ぎず、しかも、イエシュアを正しく
表さないローマ化けした影を地上に実践を通して人々の前に映し出しているものなのです。だから、世界中異教徒も含め、その日を祝うでしょう。ハロウイン、クリスマス、イースター。
神が定めたシャバットは第7日目です。これは神が全世界の所有者である宣言、神が神であり、神が創造主である宣言でもあるのです。
人間が否定しているだけです。
神を知りながら、信じながら、神が宣言する、神が人に与えた「印」婚姻指輪を捨てているのです。
神は婚姻契約を与え、神との関係にある印として、シャバットを与えたと言われました。
この日、イスラエルだけではなく、異邦人もと最初から書いてあるのです。神の契約は1つしかないからです。
厳密に言うと、アヴラハムの契約、ノアに対する契約、全てこの
シナイ山の契約に含まれていて、網羅されているのです。
それは、人間が編み出した思想、宗教の伝統の慣わし、実践、
シンボル、印や儀式、そして人間が作った記念日を実践しているから、本物が何か、聖書に書かれているイエシュアが教えらたこと
イエシュアが祝われた神が創造された永遠に祝われる「わたしの
記念日」と宣言された全てを、全部みごとに捨てているのです。
もちろん、クリスチャンは神の教えを捨てているとは思わない。
熱心に神に仕えていると思う。
でも、神を信じるとは何?それは、どうして分かるのか?
神が言われることを、神が言われた通りに生きる、それが本物であると神が言われたのです。生活の全てに於いて。それが礼拝という
ヘブライ語、アヴォダの本当の意味だからです。
日曜日に礼拝に行くことが、ジーザスを信じることではない。
日曜礼拝は、神の仰せではない。
日曜日は、神が聖別された日でもない。永遠にない。
宗教組織に十一件金することも、神の仰せではない。宗教活動する事も神の仰せではない。
では何?てことなのです。
未来、全世界が、神のシャバット、祭りを認識し、それを祝うとあります。そして、人間が作った宗教の教え、記念日も全部消えるのです。神の宮には、偽物の教えを教えて、人に売りつける商売人は
消えるとあるのです。日曜礼拝、クリスマスも、イースターも全てイエシュアが
統治される時代が来たら、全て人の作った教え、偽の聖日は消えます。
それらは、イエシュアに属さない、ローマ帝国コンスタンチヌス創造所有の別物だからです。
ヘブライ聖書、オリジナル聖書に書かれたことを知って行くと同時に、なぜ今世界に浸透したような西洋宗教、カトリック、
プロテスタントなる宗教があるのかという、その出自、大元を歴史を辿って調べて行くと、発見するのは、人間が神の言葉を塗り替えるという、エデンの園の出来事に全て通じることが、連続して歴史の中でされ続けて、これからもされるということが分かります。
いつかダニエル書の解説を書きたいと思いますが、歴史の中で起きた
こと、起き続けて来たこと、これから未来に起こることは、繰り返されて、同じなのです。
もとの問題が同じだからです。人間が神に成り変わり、世界を支配することです。
これ、今起きている世界がイスラムで支配されて行く構図とぴったり
合うと思います。
そして、神殿が建設されていなくても、イエシュアが来られる可能性もあります。イスラムがモリヤ山のあの神殿の丘を占拠しているでしょう。でも、あの場所は、神殿があった場所と少しズレているのです。
そして、アラーの神以外のものを、殲滅する!こんな思想を持つ
神々の信仰は、世界の中の他の宗教にはありません。
ダニエル書の中には、同じことが歴史の中で繰り返され、そして
それは未来、最後の時に起こることを予兆させ、知らせていることでもあるからです。
しかし、歴史の中で起きること、新聞や報道のタイトルを見て、
全てを聖書に繋げるのは、早合点であり、ズレてしまいます。
なぜなら、ホロコーストでも、第一次、第二次世界大戦でも、
この世の終わり!と多くの人が思ったからです。
でも、そうではなかったのです。
そして、神が主権者であり、全ては神の支配下の中にあること、
その事実だけで、安心できるのです。
一人一人は、名もないように見えて、確実に歴史の中、神が選ばれた時代に生まれて、神の計画通りを生きるように導かれているのです。
その時に、やはり、神に逆らうようなことを、知っても、知らなくてもしたくなどありません。