"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -70ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

創世記1:1 はじめには天と地とを創造された。

 

創世記、ヘブライ語のタイトルはベルシート『はじめに』という言葉で呼ばれています。その書の冒頭に来る、重要な言葉をその書の

タイトルにしているからです。

この言葉、イン〜中、という前置詞と、頭、ローシュという語源と

一緒になっている言葉です。「はじめのなかに〜」

 

翻訳という性質上、ヘブライ語の元の言葉で表されるものが、

翻訳では、覆い隠されているので、そこに記されている言葉の意味、使われ方、強調されていること、同じ意味の言葉でも、特定の言葉を分けて使って、特別な注意を人から引く目的で使われている言葉など翻訳では、全く知るよしもないものなのです。

その言葉の意味を解説されれば、それが何かが見えます。

 

ある有名な伝道師が、こんなことを言っていました。

「言葉、一つ一つに注意していたら、キリがない!」

この発言、言っている意味が分かっていないのです。

神の言葉の中には、1つ1つ重要な意味が詰められ、込められているからです。1つ1つの細胞が意味ないと、言っているのと同じです。

そういう学び方をする異邦人には、ユダヤ人のような深い理解がないのです。なぜなら、この一言の中に、ものすごい情報、神の考え、

意図、意思が詰まっているのだということにさえ、気がつけないままになるからです。

そして、当時の人々が聞いていたように、その意味通りで、書かれている言葉を知るということが、大事なのです。

これを知るには、そこに書かれている言葉を彼らがどう理解して聞いているのか?という、情報が必要なのです。

それを、正しく学ぶのが、教師の役割なのです。

21世紀の、異教徒の世界の、ネット時代の今、日本や諸外国の文化に照らし合わせて考えてみても、聖書に書かれている登場人物が

理解していたことごは違うものになります。

私達は、アヴラハムや、ヤコブではない。ヤコブが、どういう意味で、神から伝えられた言葉を聞いて、理解していたのか、それを知る必要があるのです。

この創世記の最初の箇所に書いてある神とは、ジェネリックの名です。神〜複数、神々、「エロヒム」です。

この言葉は、古代中近東の他の神々にも使われていた同じ言葉です。

このジェネリックの神という言葉から、次第に、このヘブライの

トラーに記されている「神」とは、どんな神なのか?という事を、

創世記〜申命記でずっと解説しているのです。

そうすると、トラーに記されたイスラエルの神は、他の神々=人間が

作った神々とは違う神であることが、見えてくるのです。

 

人間が作った神々は、神々が、人間に神々に対して奴隷のように仕えさせるのです。人に一番大事なものを、神々に差し出せと要求する、神のために犠牲になる、そのような要求をする神々です。

親は子のために、必要の全てのを与えて、教育し、導き、育み育てるのです。

ある貧しい国々では、子供をたくさん産む理由は、一家の労働力、

収入を増やすためです。

子供、イコール、働き手。親に仕えるために存在する。

これ、昔の日本にもあった制度だそうです。

長男だけ、結婚できて、残りの兄弟姉妹は、家の奴隷、使用人として

仕えるために、結婚をして家を出られないという制度がありました。

 

『おじろく・おばさ』とは、長野県下伊那郡(伊那谷)南部に近代まで存在したそうです。農家の次男以下の男子や一部の女子に生涯

分家、結婚などにより、家を出ることを禁じ、生家の労働力として

使役する制度がありました。

これは偶像礼拝の神々に仕えさせる思考回路と同じです。

人の人生を狂わせる、人間の考えた生き方、宗教。

 

神々のために、人が犠牲になる。神のために、結婚を禁じる。

話しは飛びますが、黙示録に書いてある以下を誤解しています。

 

黙示録14:1 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に

立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に
小羊の名とその父の名とが書かれていた。
 14:4 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。

 

この箇所、ある宗派が自分たちの教団からだけ、この144000人が出るなどと解説していますが、そんな西洋宗教の思想から、

ヘブライ人である、ヨハナンが語るトラーを考えても、何が書いて

あるのか見えないのです。

ヨハナンは、ローマ帝国の迫害、トラーを禁じる!という人たちには

分からない、コード化、隠語で、トラー、預言書を話しているのです。

今の時代の生物兵器のことを語ることを禁じられて、「ちくわ」

食べ放題パーテイとか、「ワクワク」などと言う隠語で語られたでしょう。今もそうですが。

このような、事実を発信するのを禁じる、イコール、真実を隠したいからです。分かりやすいです。

本当の情報、その情報を知られたくない人々が、全部本当の情報を

消しているでしょう。人のサイト、アカウントをバンし、果ては、

逮捕して、身柄拘束する。

医療に関して、又はこの世界、宇宙、地球に関して、真実を語る情報が、次から次へと消されていく。とても分かりやすいです。

 

それと同じです。144、000人は、12という数字の意味、

12弟子X12部族、そして、1000年。

詰まり、神の契約=トラーに忠実な人々のことを指して、ヨハナンは

話しているのです。

女に触れたことがないと読み、カトリックは、聖職者は結婚してはならない理由は、このヨハナンの言葉にあるとしていますが、

完全に間違った聖書の読み込み、解説をしているのに、全く気がついていません。

そういう聖書の読み込みは、聖書に書かれている意味を知らない人が

無理で勝手で、間違った解釈を施すとペテロが言った通りのことを

しているのです。

しかも、結婚を禁じるのは、悪霊の教え!とパウロもはっきり警告しているでしょう。悪霊の教えを人に教える宗教、イエシュアに属する

教えなどではありません!

 

教皇ベネディクトゥス8世(1018年)
司祭が結婚して子どもに教会財産を相続させることを防ぐため、

正式に司祭の結婚を禁じた。

第1ラテラン公会議(1123年)
教皇ベネディクトゥス8世の勅令を採択し、ローマ・カトリック教会において司祭の結婚を公式に無効とした。

教皇グレゴリウス7世(1074年)
独身(禁欲)義務を強化する改革運動の一環として、既婚司祭を破門にし、霊的純潔と神への全き奉仕を強調した。

 

霊は崇高で、体は汚れているという思想は、ギリシャローマ哲学思想的、禁欲主義、ヘレニズム思想から来るものであり、クリスチャンも

多くこの思想に、洗脳、汚染されていますが、聖書ではありません。

神は、結婚を創造し、人を男と女に創造され、結婚を聖別していること、聖書を教える人が、理解していないのです。

元が、偽物宗教、人間が作ったにすぎない思想を土台にし、神の言葉

罪、聖別、教えの土台を一掃して作った人造宗教だからです。

黙示録 14:4に記されている、女に触れないという意味は、偶像礼拝、異教の神々の教えに同化し、混ぜもの、偽物の教えに染まっていない人のことを、ヨハナンが指しているのです。

姦淫の罪、大淫婦という言葉で表されているでしょう。

人間の作った偶像の神々、それらの思想、儀式、慣わし、シンボル

記念日に混じったものを通して、イスラエルの神に関わらない人々のことを、言っているのです。

イエシュアは、汚れたものを取り込んだまま、神に近づけないこと

はっきり教えているのです。

なんでも受け入れるイエシュア、メシアという脳内ジーザス空想は、自分の勝手な発想、投影です。

イエシュアは、姦淫の罪を犯した女の人に、「2度と罪を犯さないないように。」と言われたでしょう。

悔い改め、罪や偶像礼拝、偽物の教えに染まった生き方から、

足を洗わない限り、汚れたまま、生き続けてしまうからです。

 

偶像礼拝とは、人間が考えた教えを通して、神々を人間が操作して、これを祈りや奉仕やその他諸々の修行をやることで、人間が神を動かすという、それが人間の考えた宗教なのです。結局、人間主体、

利己主義です。

一方イスラエルの神、創造主である神は、人々に近づいてくださる神であり、神が人のために、この世界の全てを創造され、全て必要な

ことを、永遠の中から備え済みで、物理的な世界を造られたのです。

永遠の中に、既に神に選び出された人々、神に聖別された人々の為に

子羊イエシュアも永遠の中に既に屠られて、贖い、救い、全てが完了し、その後にこの世が造られたと書いてあります。

そして、イスラエルの神は、神が提示した「婚姻契約」を土台に

人との関係を結んでいるのです。

神の約束、保証、祝福、恵、贖い、救い、許し、全ての必要を神が

与えて下さるのです。

誰かが何かをしたからということではなく、神は神の側で選び出した人に対して、一方的な恵を与えています。

そして、神の計画を一人一人に対して持っている、これは変わらない

プランなのです。

神が人と契約を結ぶ前から、永遠の中から、エデンの園から神は

同じ、全ての必要、供給、提供、準備、用意して下さっているのです。

私達でも親が子を迎える時に、全て知る限りのことを用意、準備して

そして、子供を育てるでしょう。

なおさら、人を創造された父なる神は、人に生きる全ての必要を

最初から全て備えて下さっているのです。

2000年前まで、救いも、赦しも、贖いも、祝福、恵みも、

聖霊=神が内側に住まうこともなかった?そんな思想を語るのは

聖書に書いてあることを、正しく学ばない、理解していないからです。神は永遠から永遠に同じ!瞬時に人を許し、その人と関わり、

アプローチしてくださるのです。

2000年前まで、お預け状態?以前の人は皆地獄行き?どんな神ですか?神は神の選び出した人を永遠の中から聖別していると、

はっきり教えているのです。それが、モーセの五書=トラーの中には

記されているのです!

アヴラハムを通して与えられた契約は、神の一方的な贖いの代価で

義とされる、信仰により受け取る、新しい命です。

そして、創世記では、アヴラハムを通して出てきた1つの家族、

12部族ですが、それがシナイ山でイスラエルという国家として

イスラエル民族が誕生したのです。

アヴラハムを通して与えられたのは、1)神の一方的な恵による義とされる事実 2)全民族の父となる 3)アヴラハムを通して、

全民族に祝福が与えられる 4)神がアヴラハムの神である

5)イスラエルの国が神から与えられる。

 

これは神が創造されたこの世界で唯一神が選び出し聖別し、異教徒とは、分たれた、神の臨在が地上にそのまま反映する、

それは神に聖別された人々を通して反映する土地を与えたのです。

今のイスラエルより、より広範囲の土地なのです。創世記15:18-21

イスラエルの国は、単なる不動産の所有権ではないのです。

神が聖別された、神により与えられた聖なる場所なのです。

そこは、イスラエル以外、誰も正式な所有権が無い場所なのです。

神の臨在がある場所は、聖なる地であり、異教徒が汚せない。

なぜなら、全世界の所有者である神ご自身が、イスラエルにその場所の譲渡権、所有権を与えたからです。

もしも、異邦人がイスラエルの中に住まうならば、同じようにイスラエルの神が提示した生き方をするように、神が教えられているのです。

神は神の国、家、神の民、神の時を聖別しているのです。

これは、諸外国に住む、今の私達も同じです。

イスラエルの神、父なる神の元に戻った人は、漏れなく全て、

イスラエルの神に属し、神の家のメンバーであり、神の家の家訓、

聖なる民の生き方をするという大前提条件があると、神が教えているからなのです。

人間の作った国、その中にある王室でも、その王室のメンバーに相応しい振る舞いをしない人は、その国に損害、悪い評判をもたらす人になります。

イスラエルの王と、諸外国の王は全く意味が違いますが、国を代表する人が、その国の国益を損ない、恥ずべき行いをし、振る舞いに気品や気高さ、道徳心や人として当然の資質が備わらない人が、他の国々に外交に行ったら、歓迎されるどころか、軽蔑されてしまいます。

 

神の国、聖なる民、神の民とされた人は、イスラエルの神、イエシュアに属する性質を生きるという自覚がないならば、それこそ、

勝手な振る舞いをして、天のロイヤルファミリーの生き方を知らない

野生動物と同じような生き方になってしまうのです。

神の家に属する聖なる民は、どのように生きるのか?ということを

神は神の言葉で人々に漏れなく全て教えているのです。

その神の教えを捨てる場合、神の国、天の国に属する人の生き方など、分かる訳がないまま、どこかの国のロイヤルファミリーがやる

ように、何も分からず、世界に恥を撒き散らし、国に泥を塗るような行動で、評判を落とすことになるのです。

クリスチャンに教えられてしまった、神の教え=聖書とは異なる思想は、10000%イスラエルの神に属さない、ローマ帝国による勅令であることを、はっきり知らないなら、神の伝えること、聖書を正しくは理解できません。

その代わりに、人間が編み出した思想、教え、シンボル、儀式、記念日で、聖書とはズレた、歪んだ曲がった聖書解説を信じ込み、神の

伝える契約の中に根付く生き方が、どんなものであるのかも、

イエシュアを信じながら全く分からない状態に留まります。