創世記 1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、
はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。
1:27 神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
今や世も末です。神学校では、聖書ではなく、人間が作った宗教と
その神学を教え、神の言葉、聖書を正しく学びません。
人造宗教を聞いた人達が、聖書=神の言葉とは逸脱した思想を持ち、神の言葉を信じる人は愚かですとか、神の言葉の方を疑えとか、
神の言葉は寓話、たとえですとか、神の教えは廃れたとか、
様々に聖書とは何も関係のない人の思想を、人に教えていますが、
それらは、10000%イスラエルの神、イエシュアが教えた
父の教えとは何も関係のない、コンスタンチヌス皇帝の勅令が大元の
宗教の教えです。危険な異端思想に聞き入るのは、やめないとならないのです。自分で自分を守る。
31節に、創造のすべてが完了した時に初めて、トーヴメオード
はなはだ良かったと、神が感動、感嘆を持って最大限にご自分の意図通りに出現した創造物に対しての賞賛をしているのです。
そして、人は、神のかたち=性質通りに創造されたと書かれています。そして、神は人を、男と女に創造されたとあります。
神の創造を、人間が曲げ続ける、イコール、歪み、世界が汚染、破壊
され続けて行くことになるのです。
LGTBの罪は、聖書の最初から記されています。聖書の中には、
せきららに、人が犯した罪が記されています。
レビ記18章に、どんな人の間で、性的関係が結べないのか、書かれています。その中には獣姦や、同性同士も性的関係を結んではならないことが、はっきり記されています。
神の教えが1つであることを理解しない、西洋宗教の教えを聞いて
そして、聖別された人の生き方、レビ記11ー27章に記されたことが永遠に神が伝える生き方である教えを捨てよと教えられるクリスチャンには、神が伝えている聖別された生き方、罪が何であるのか
本当のところは通じていません。
だから、牧師や教皇がLGBT賛成、擁護しているのです。
こんな宗教の教えを教えられる、イコール、神の前に罪、冒涜を平気で実践して良いと教える、罪の扉を開くことを教える偽教師、狼に
教えられている!と聖書からはっきり気がつかないとなりません。
神の教えが廃れた!という全ての教えは、異端的な教えであり、
イエシュアが教えた父の教え、パウロが教えたトラーではありません!
ノアの時代の人々、そして、ノアの息子、ハムも、ソドムとゴモラも
みな、神の創造のデザインを歪めた同性愛、近親相関、それらを
犯して、破滅を招いたことが書かれています。
2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての
作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
神がこの世界の創造主である宣言は、このシャバット、第7日目で
宣言されているのです。
天の万象は、神のモアデイム=アポイントメントの日を司る為に
造られたと書かれています。
神が止まった理由、神の創造の業が完了したからです。
神が止まられた通りに人も止まると、教えられているのに、人は神が
言われることではないこと、人間の編み出した思想を、神の言葉と
すり替え続けてきたのです。
シャバットが、その中心なのです。そして、神のアポイントメントの日、神の子ら全員を呼び出して、神との特別な会見をする日は、
レビ記23章にその暦が書いてあります。
これは、未来イエシュアが再臨されたら、引き続き、今度は全ての人が祝うようになる、神のアポイントメントの日なのです。
そうすると、今異邦人の間で実践されている記念日は、全て人造
人間由来、ローマ帝国皇帝が作った記念日であり、イスラエルの神に
属する記念日ではないことは、聖書を読めば分かるはずです。
しかも、誤解しているように、人間が神のモアデイムを自由に変えて良いなどと、神は言ってないどころか、神のモアデイムを汚してはならない!とずっと警告しているのです。
人が、神の教えや記念日を変えるから、神が何を教えているのか
正しく理解できないままになっているのです。
シャバットは、神の創造された全てのモアデイムの中心です。
あるキリスト教宗派は、シャバットだけを祝うそうですが、
神のモアデイムは、全部を祝う!ということが大前提なのです。
作曲家が作った交響曲は、4楽章全部演奏して1つの曲であり、
全てを通して、その曲に込められた意味、メッセージ、音楽の完全版になるのです。勝手に端折っても、作曲家の意図、意味は通じないのです。未来、イエシュアが再臨された以降、世界中が、シャバット
新月、神の祭りを祝うようになると預言されています。
今の時代は、いつが新月、満月、週の7日など、全部分かりますが
古代や、又は無人島に流されて行ったら、どうなりますか?
月、年、季節は、天体から分かるのです。
なぜなら、新月からスタートし、月、星の観察で、月、年のめぐりは
分かるからです。
でも、一週間の7日は、誰にも分からないのです。
よく考えてみてください。神が全ての所有者であり、神が時を創造された、神だけがこの全世界の主権者であることを、シャバット、
第7日目を通して教えていることに、気がついてください。
人間は神のモアデイムを変えることもできない、変える能力もない
変える権限、権利も、権威も持っていないのです。
人は、神が聖別されたもの、神の時、神の家、神の民を変えることは
出来ません。
神が聖別されていなものを、人間が聖別することは出来ません。
勝手に独りよがりの聖別をしても、それは、神の前には、何の意味もないのです。なぜなら、聖別の定義は、罪の定義も同様、神だけが
できることだからです。
意味を考えないまま、出どころがコンスタンチヌスの思想であるものを、神の言葉、教え、記念日と完全に誤解、いや偽情報に騙された
ままなのです。今やネット時代です。
どうして、人間が勝手に編み出して、神の言葉を塗り替える冒涜をした人造宗教、ローマ教、カトリック教、それがプロテスタント、
キリスト教というものが出てきたのか?
自分で調べれば、その根拠、理由、出どころが分かります。
聖書に書いてもない、思想の宗教がなぜ出現したのか?
政治的理由、人が人を支配する目的のために、作った宗教、
それが西洋宗教なのです。ヘブライではない、西洋。
ある人が、こんなことを言っていました。
「イスラエルはキリスト教の国ではないから、イスラエルの国旗など
飾るな!」そうです。キリスト教とは、イスラエルの神から出たものではない、西洋人、コンスタンチヌスが作った宗教なのです。イスラエルではなく、ローマ。
だから、イスラエルとは何も関係がないのものなのです。
カトリックがどれほど、反イスラエル、反トラー思想を唱え、
ユダヤ人はキリスト殺しだと、人に教えているのか知りました。
イエズス会は、プロテスタントにも対抗していますが、もともと
反ユダヤ思想、反モーセの五書思想が土台の宗教なのです。
ユダヤ人はキリスト殺し?聖書を知らないのでしょう。
イエシュアが何の目的の為、最初に地上に来られたか。
永遠の中に屠られ完結された贖いの実態が、真実である、神の言葉が
真実である照明をされる為に、悩める僕、人の罪を負った人として
来られたのです。
未来は、ユダ族である王の王、全世界の主の主、そして、メルキゼデクの位に属する天の大祭司として、エルサレムの神殿から全世界を
治めるイエシュアとして到来すると、預言されているのです。
空中軽挙でクリスチャンだけ、永遠に天に消えるというのは、嘘です。なぜなら、最後は天と地は1つとなり、エデンに戻る。
そして、人がイスラエルの神に戻り、1つの大家族として修復される
状態になると、預言されているからです。
シャバットは、神が神であり、神だけが全世界の権限を持つ存在であり、世界に対して、創造主であり、全世界の所有者である宣言なのです。
それを、人間=ローマ帝国が塗り替えたのです。
それは、バビロン、アッシリア、ペルシャ、ギリシャ帝国、
ローマ帝国がずっとやって来たことなのです。反キリスト。
そして、未来、最後は、大帝国ではなく、粘土と鉄で表される、
世界のバラバラな国々、まとまらない勢力、複合=神に敵対するものの集合なのです。
誰の教え、声に聞いて、生きているのか?
棚卸し、再確認する必要があるのです。
人間の世界に浸透した、人間が作った宗教の文化、伝統は、
イスラエルの神の前には、何も意味がありません。
大勢がやっているから、長い年月やっているから、それが真実だなどと言うことには、10000%なりえないのです。
だから、怖いのです。大勢が、間違った道へ引きずられて行くことが
聖書には、記されているからです。狭き門。
誰の声=教えに聞き入っているのか?混ぜ物の教えを聞かされ続けているから、本物と嘘が見分けられない、分からないのです。
ジーザスの名を利用しながら、翻訳聖書を利用しながら、中身は人間が作った宗教の教えの教えの解説、実践、記念日、シンボル、
偶像思想が満載の宗教は、イエシュアに属さない、異物だなのです。
新しい次の世界、天と地が1つになる時代が到来したら、その世界は
神のモアデイムを祝う、全員が頭脳に腹に、DNAに、神のトラーが
刻まれている状態で生きる人であると書いてあるのです。
そして、未来、神の家に、神が大事にし、愛することを、同様に愛する異邦人、神の仰せを愛して生きる異邦人も、神の家、祈りの家
神の一番親しいお茶の間、祭壇の前に招かれて祝宴すると
約束されているのです。イザヤ56:3-8
新しい世界には、コンスタンチヌス教の教えはありません!
コンスタンチヌス教の記念日も全部消えます。
次の時代、そこにあるのは、神のトラー、契約を生きる人、そして
神のシャバットを愛し、新月、祭りを祝う人が生きている時代が来ると預言されているからです。
神が神のシャバット、モアデイムを創造されました。
それを、人間の選択で、却下、破棄して良いと神は言いましたか?
言うわけなどありません!そんなことを言う神は、聖書に記された
イエシュア、イスラエルの神などではありません!
コンスタンチヌスの神、その宗教が主張しているだけで、聖書に
そんなこと、どこにも1つも書いてなどありません。
キリスト教の看板に、日曜日には、「主日礼拝」「聖日」と
書かれたものが出ていますが、これは、西洋宗教の自己主張であり、神が伝える聖別された日ではない、人間が勝手に聖別している、
神の前に何の聖別の意味もない普通の日=普段の日、労働日=日曜日であることを、はっきり知る必要があります。
そして、クリスチャンは、イエシュアを信じる人は、神の言葉、
神の性質、神の創造された記念日に対して、偽証してはならないのです。
神が日曜日を聖別などしてもいないのに、人間が、日曜日を、
聖日、主の日などと勝手に言い換えるのは、神の言葉を人間が塗り替える違反、冒涜行為なのです。罪そのものなのです。
黙示録にある「主の日」と読んで、それが日曜日、主の日などと即座に誤解しているのは、聖書を正しく知らないからです。
聖書の最初を正しく知る人は、ユダヤ人ヨハナンの記した意味を
正しく理解します。
聖書に「主の日」とある意味は、神のモアデイム、レビ記23章に
記された神が創造され聖別された記念日、シャバット、新月、祭りであり、そして歴史の中で、神が特別なことをされる日のことを、
「主の日」と言っているのです。
その「主の日」は、神のモアデイムとぴったり合うのは、神の定めた時、イエシュアの業を表す記念日であるからです。
それなのに、宗教、西洋宗教、ローマ帝国は、神が聖別されてもいない日を、人間が作って、それを祝っているのです。
そのローマ帝国の勅令にローマ教、そしてクリスチャンも
今皆が従っているだけなのです。人間の声に聞き従っているのです。
神の教えに聞いて生きているのではなく、ローマの勅令を聞いて、
それが神の教えと刷り込まれてしまっているだけです。
神はなんでも良い、いつでも良いなどと一言も言ってないどころか、それらを厳重に禁じています。姦淫の罪。
聖書を読めば、書いてあります。混ぜもの、偽ものに交わり、
それを通して、イスラエルの神と関わる、礼拝すること、厳重に警告しているからです。神の聖別を汚すな!と教えています。
創世記2:8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、
その造った人をそこに置かれた。
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、
これを耕させ、これを守らせられた。
8節にある、東は、「ケダム」です。この言葉は、方向を表すだけの言葉ではなく、「時」を表す言葉なのです。永遠を表す言葉。
方向を表す東という言葉は、ミズラッフという言葉です。
翻訳では、東としか見えない言葉も、ヘブライ語ですと
言葉の使われ方で、何を強調しているのかが見えます。
エデン、喜び、歓喜という意味の言葉、永遠の中に神の中に植えられていることが分かります。神が言われた通り、人は神に永遠の中に
選ばれていた!と解説しているのは、神が伝える教えの中に書いてあるから、神の教えの事実をパウロが解説しているのです。
パウロは勝手に自分の意見や思い込み、空想、宗教の世界で語られ
るような、自分の考えを人に述べているのではなく、トラーに記された神の言葉を解説しているのです。
エペソ1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
黙示録13:8 地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。」
翻訳ではぼやけますが、この世の礎が創造される以前から、屠られている子羊という意味です。エペソ1:4と同じです。