"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -59ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

世界ではクリスマスの日、25日は、友人達と晩ご飯を頂きました。

アメリカではクリスマス休暇で休みですが、イスラエルは普通の日

です。

ローストチキン、ベークドポテト、そして、野菜は私が作りました。

イギリス、フランス、アメリカから移民してきたユダヤ人達と

そして、日本人の私。

世界中はクリスマスを祝いますが、アメリカ、ヨーロッパでは、

この日は家族が集まる日である伝統の祝い日となっています。

日本は、クリスマスはカップルの日のようですが、欧米は日本の

お正月のように、家族の日です。

 

世界中は、クリスマスを祝います。その日の目的はどうでも良い。

宗教の伝統の祭りの日が、伝統的に浸透し世界中、異教徒だろうが

なんだろうが、この日を祝うのです。

今やイスラエルもツーリスト商戦で、諸外国から来る人のために

クリスマスツリーや、クリスマスマーケットなど開く商売をする人がいます。

旧市街では、以前そんなものなど見られなかったそうですが、

今やミックス、まざりものが侵入して来ているのです。

イスラエルは、神が聖別された場所、国、人、生き方であること

多くの人が忘れているのです。

 

友人達との楽しい夕食の中、どうして聖書にはキリストの誕生日を

祝う祭を神が造っていないのかと話していました。

生まれる日より、亡くなる日の方が良いとあるからでしょうか。

 

コヘレト7:1良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日に

まさる。

古代はユダヤ人には、誕生日を祝うという習慣がない、異教の国々では誕生日を祝う習慣があったことは書かれています。

今現代の、自分の国の文化で考えるから、誕生日は普通のことですが

古代にはそのような習慣は、ユダヤ人には普通のことではなかったようです。

そして、神は永遠から永遠に存在しているからでしょう。

しかし、その時、イスラエルのベツレヘムに生きていた人達の中には、メシアの誕生を知っていた人達がいました。

羊飼い〜神殿に仕える祭司たち、神殿の祭壇に捧げるコルバンの羊をベツレヘムで飼育していた人達、イエシュアが割礼を受けるために

神殿に来た時に居たシメオン、そして東方から来たマギ達。

 

一世紀当時の羊は、いつでも出産したのではなく、春と秋に出産した

のです。12月ではない。そして、神は特別な出来事を、必ず神の

創造されたモアデイムの時にされているので、モアデイムの中に

既に永遠の中にあるイエシュア=神が教えられているのです。

 

「今日はキリストの誕生日ではないけれど、イエシュアが生まれた

箇所をみんなで読んで見よう。」と言うことになりました。

少しずつ読んで、それぞれが考えていることを話したりしました。

 

ルカ 1:8 さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の

務をしていたとき、

1:9 祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。

 

この箇所では、神殿が存在している時には、現代の勤務と同じく、

レビ族の祭司、レビ族でありアロンの家系にある大祭司は、

ある期間神殿での勤務が割り当てられていました。

それは、全員が同時期に勤務するのではないのは、シャバットの日にも、神殿の中では祭司達には勤務があるからです。

二十四時間、祭壇に捧げられる全焼のコルバンも朝に夕に捧げられるのです。

そうすると、その時代の勤務表で誰がどの時期に勤務していたか

分かるそうです。

ルカの箇所を読むと、バプテスマのヨハナンの父ザカリヤは、

レビ族であり同時にアロンの家系に属する大祭司でした。

ヨハナンも同じく、レビ族アロンの家系の大祭司です。

 

ザカリヤの名は、「神が覚えておられる」という意味の名です。

覚えるとは、ザハル、覚えている、記憶しているというだけでなく

実際に覚えていることを行動するこ言葉なのです。

シャバットを覚えてという10の言葉も、覚える、イコール実際に

実践し、神が言われた通りをするという、神からの永遠の教えなのです。人間がそれを捨てているだけですが。

 

そして、ザカリヤは、子供の名を同じくザカリヤとつけようと

考えていました。御使に、子供の名を、ヨハナンと名付けるように

命じられました。ヨハナン、「神は恵深い」という意味の名です。

ヨハナンは、母の胎内にいる時から、聖霊に満たされていたと書かれています。

そして、ヨハナンが母の胎内で6ヶ月の時、ナザレのミリアム(マリア)は、ユダのダビデの町の、ヨハナンの母、エリザベトに会いに行きます。

ユダ、エルサレムはユダの領土であり、神殿がある場所です。

ザカリヤとエリザベトはレビ族ですが、ミリアムとヨセフはユダ族です。親族であり、混血だったのでしょう。

 

ルカ1:41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、

 1:42 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、

あなたの胎の実も祝福されています。

 

メシアが胎内にいるミリアムに、エリザベトの胎内にいるヨハナンが

喜び踊ったと書いてあります。

 

祝福されたイエシュアの母となるミリアムですが、当時のユダヤ人の

世界で、未婚で妊娠なんて、聖霊により受胎したなどと、誰も信じる

わけない、いわば、町の晒し者になったでしょう。

このような細かい記録は、書かれていませんが、想像すると、

そんなに楽な道のりではなかったのです。

 

ルカ1:67 父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、

1:68 「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。

神はその民を顧みてこれをあがない、

1:69 わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった。

 1:70 古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、

1:71 わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。

1:72 こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、

その聖なる契約、

1:73 すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、

 1:74 わたしたちを敵の手から救い出し、

1:75 生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。

1:76 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、

 1:77 罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。

1:78 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、

そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、

1:79 暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ

導くであろう」。

 1:80 幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。

 

2:1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。

2:3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。2:4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。


メシアは、ユダ族、ダビデの家系であり、預言の通り、ヨセフも

ダビデの家系のユダ族、そして母ミリアムもユダ族です。

ベツレヘムは、「パンの家」という名の街であり、神殿に捧げるコルバンである羊を飼う場所です。

 

この箇所で分かることは、ローマ帝国皇帝アウグストが人口調査のために、それぞれの生まれ故郷、日本で言えば出身地に戻る勅令を出したのです。

今日、イスラエルの気温は風もあり、とても寒いです。

最低気温7°、体感温度は風があるからもっと寒いのです。

こんな時に、イスラエル全体にいるユダヤ人に対して、大移動する

人口調査などしないのは常識です。

一年で一番寒い時期に、防寒具や防寒用のブーツや帽子、手袋もないまま、ロバや徒歩で移動する???しません。

車やバス、電車があるのなら移動できますが、冬の正月帰省も、

冬の厚手の洋服の荷物を入れての移動です。子供がいる人は、

紙おむつもないのに、古代の時代で、そのような冬場に移動などするなど、あり得ません。

古代イスラエルのいた羊の種類は、春と秋に出産するものです。

それ以外の時に、羊は子供を産みません。冬に出産はしないのです。

 

聖書に書かれた内容を、勝手に塗り替える、それが宗教なのです。

 

ルカ 2:6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、

マリヤは月が満ちて、

2:7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。

客間には彼らのいる余地がなかったからである。

2:8 さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

 

2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

2:12 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。

それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

 

ここにある羊飼いとは、レビ族の神殿祭司であり、神殿の祭壇に捧げる羊を飼育していたのです。

神殿の祭壇に捧げられる、コルバンの羊は、シミ、傷、欠陥、異常が

ない、祭司が判定をしたものしか捧げられません。

ペテロが使徒10章で野生動物が天から敷物の中に入れられて降りてきた幻を見せられて、屠れと言われた時、ペテロはこう言いました。

「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、

汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。

と言いました。

もちろん、神は清くない動物を人に食する許可などしていません。

この「屠る」と言う言葉は、神殿の祭壇の上に捧げる時に、動物を

「屠る」という言葉なのです。

どこから来たのか分からない、日本語で言うところの「馬の骨」

馬はきよい動物ではありませんから、もちろん祭壇にも捧げられません。

ペテロは、祭壇に捧げる動物は、野生動物ではない、そして、きよくない動物など食さないと言っているでしょう。

これは、イエシュアが昇天されてから10年も後に見せられた幻です。

ここでは、神殿の祭壇で捧げられる動物しか、屠ってはならないことをペテロは知っていたのです。

そして、この幻は、異邦人を、動物のように見ている、それは今でも

そうなのですが、犬、豚、野犬、野生動物、イコール、汚れた動物

イコール異邦人という意識、それは人の編み出した口伝律法なのですが、それがペテロの頭脳にも染み付いていた、その偏見から目覚めさせる幻を見せられたのです。

神が神が創造されたきよくない清掃動物を食せ!と人にいうなら、

それは聖書に記された創造主ではないと、はっきり理解がないとならないのです。

 

布のくるみとあります。これは、神殿に捧げるコルバンの動物を

くるむ布なのです。子羊イエシュア、コルバンとして捧げられる

そのイエシュアが、コルバンの羊をくるむ布にくるまれている、

これが印だと言われたのです。

神殿祭司である羊飼いは、この意味を理解しているのです。

人間の赤ちゃんを、生まれた子羊のコルバンでくるみません。

永遠の中に屠られている子羊イエシュア、そのイエシュアが地上に

来られて、永遠から屠られている贖いの代価としての子羊であることを、証明するために来られたのです。

その子羊イエシュア、コルバンをくるむ布にくるまれている、

それが証拠、印と言われたのです。

生まれたコルバンの子羊がどこにいるのか、神殿祭司は容易に見つけられるのです。

場所とそして、そこにいるのは子羊ではなく、人間。

メシアの印である、コルバンをくるむ布に赤ちゃんが包まれている。

 

聖書の記述を、違う教えで塗り替える、又は宗教の教えの目から

解説すると、青なのに、赤と見えてしまう現象が起きるのです。

 

どれほど、人の思想や教えに色塗られてしまった、聖書ではない解説を聖書だと思い込んでいるのかと言うことは、書いてある事実に戻る時に初めて発見できるものです。

 

そして、残りの民、神に修復され、神との関係を持ち、聖霊を内側に受けて、神と対話し、神と共に歩んだ人は、どの時代にも、存在していることが、聖書には書かれています。

異邦人の中にも、神の真実を愛して生きる、残りの民を確保されているのです。ユダの息子の嫁タマル、ルツも異邦人であり、モーセの妻もエジプト人です。

 

2:21 八日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエシュアと名づけた。

2:22 それから、モーセのトラーによる彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。

 2:23 それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、

主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり幼な子を主にささげるためであり、

 2:24 また同じ主のトラーに、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。

 2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。

この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。

 2:26 そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、

聖霊の示しを受けていた。

2:27 この人が御霊に感じて宮にはいった。するとトラーに定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、

2:28 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、

2:29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに

去らせてくださいます、

2:30 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。

2:31 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、

2:32 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。

2:33 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、

不思議に思った。

 2:34 するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、

「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、

定められています。――

2:35 そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。