"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -46ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

どうして、なぜ?このような疑問、問いには、答えがないことが多いのです。なぜこんな目に遭うの?なぜ、こんなことが許されているの?なぜ、悪人がのうのうと、平気で何も困らず、生きているの?

 

分かりませんよね。世の中、肉の目、自分の考えから見ると、

理不尽なことばかりあります。

しかも、歴史の中で悪を行う人が、どうして堂々とのさばっているのか?

でも、それらの人を通して、確実に神は神のプラン、計画通りをしていることが、聖書を読んでも分かります。

知らない間に、神の計画の一部として使われている。

 

悪、この言葉は、ラア、ヘブライ語では、神の意図ではないという

意味が、悪と訳されています。

神の意図ではないことを、する、考える、生きる、これらをしても

幸せになどなれません。

悪を働く人を見て、普通なら義憤が湧きます。

人を搾取し、利用し、痛めつける人々。

人を利用して、私服を肥やす人々。

私が体験したこと、リーダーが悪を働いていても、間違ったことをしていても、それを周りの人が皆知っているのに、誰も何も言わない、止めない。その結果、人が傷つき、破壊される。

これは、日本人の特徴でもありますが、アメリカでも、同じような

ことが無数に起きているのです。

これは、聖霊の住まう場所、生き方ではない、サタンに乗っ取られ

支配され、周りを破壊する行為を、神の名を利用しながら、出来てしまう、恐ろしいことがあるのです。

神に創造された人の生き方ではないことをする場合、「たとえ全世界を得ても、何の得があるか?」というその一言に尽きるのです。

神のみ旨、性質とは異なることをする、イコール、命を生み出さず

人を傷つけ、破壊する行為だからです。

こころから安息、安堵、平和、幸せになどなることなど、悪を働いたままでは、出来ないからです。

 

世界は、偽情報で満ちています。

特に、イスラエルに関する報道はずっと嘘だらけです。

これは、本当なのです。偽情報を、人は簡単に信じているのです。

著名なYoutuberも、何も真実を知らないまま、反イスラエル情報を

発信しています。イスラエル軍は、ガザ地区の子供を殺したり、飢えさせたりなどしていません!ハマスがガザ地区の市民を殺し、飢えさせ、援助物資や資金を独り占めにしているのです。

彼らは、人間の衣を着たサタンだからです。

彼らの残虐さを、知らないだけなのです。テロリスト、サタンに魂を売った人を擁護するのは、殺人鬼を擁護するのと同じです。世界は偽の教えに騙されて狂わされています。

 

私が、不思議に思ったのは、ユダヤ人であり、アメリカに住み、

ヘブライ聖書を読みながら、デイスペンセーション神学を信奉し、

教える人がいる、偽教師。偽情報、歪んだ聖書解説を人にしている。

真実ではない教えに学ぶ不幸、損失。

その思考回路が不思議でたまりませんでした。

「どうして、聖書に書いてない思想を、ユダヤ人でありヘブライ聖書を読みながら信じられるだろう?」と、私の友人や先生に聞いたら、

「このカップは青いのに、紫と教えられたら、どこまでも、紫と思い込むのだよ。」と。

これって、完全に洗脳なのです。宗教の教えは人を洗脳します。

日本人は、信号を「青」と言いますが、本当は緑色です。

でも、緑色と目で見ても、青というのです。

偽物の聖書解説〜聖書を人間の思想、デイスペンセーション神学で解説するような解説は、聖書に書いてあるのに、それとは違うことを

平気で主張し、人間の教えで、神の言葉を再解説、再定義し直すことをしています。

聖書に書いてないことを、真実であるが如くに語っていることに

ぜひ疑問に思わないとならないのです。

どこに、神の教えが変わった、シャバットが日曜日になっと書いてありますか?書いてないでしょう!逆が書いてある。永遠に変わらないと。

神の教えは、変化しない、廃らないと聖書に書かれていることを、

言いながら、同時に、変わったとクリスチャンは言い、信じている。そういう偽情報を偽情報聖書ではないと、聖書から自分で読み取り、識別できないとならないのです。

特に教師は、この間違いに関して、人に教えていることから、

言い逃れができないこと、聖書にはっきり警告されているのです。

不注意、無頓着、いい加減な聖書の学び方をしてはならないのです。

これは、本当に不思議なことなのですが、それは、聖書には2つ別の

教えがあると、教えこまされているからです。無いのにあると。

 

イエシュアが来られた後、神の教えが変わり、聖霊時代になり、

今まで聖霊が内側に住まったり、聖霊により導かれることがなかったなど、様々な解説をしていますが、それは、聖書、モーセの五書、

預言書、諸書を正しく学んでいない結果、その中に何が書かれているのか、理解していないからです。

聖書は聖霊により書かれたのです。聖霊は、聖書に書かれた神の言葉に反することなど、人に教えません!!!

同時に、ユダヤ人も、メシアが見えないのは、覆いがかけられているからです。

でも注目してください。今、一世紀以上より、もっと多くのユダヤ人がイエシュアを発見しています。

そして、聖書に登場する、一世紀のイエシュア信者は、ほぼ、ユダヤ人であることを知ってください。

そして、パウロや他の弟子たちが人に伝えたことは、聖書に最初から

書いてある同じ福音です。

新しい教えなどではないのです。

 

こういうことです。トラー、預言書、諸書、聖書に聖書と書かれているのは、創世記〜マラキだけを指しています。

神の教えの完全版は、モーセの五書、創世記〜申命記であり、

ヨシュア記以降は、全てモーセの五書の解説なのです。

イエシュアが来られた後、別の教えが登場したことが、マタイ以降に

書かれていると思い込まされている、その聖書に反する嘘、偽情報を全部捨てないとなりません。

一世紀の人は、イエシュアが教えらた教えは、父の教え、すなわち

モーセの五書だけであり、父の教え通りを教えに来たとイエシュアが

言われた通り、イエシュアはトラーを否定する教えなど教えていません。

逆を言われたでしょう。神のトラーを成就する、この意味は、

神の教え、トラーを、神が意図した通りに解説し、そしてそれを生きること、人に教えるために来た、とイエシュアが言われたのです。

 

ユダヤ人の間にも、トラーではない解説が浸透していますが、

基本的に、彼らは神の言葉など破ろう、廃れた!という思想はありません。

でも、神の意図とはズレた生き方は、人が編み出した教えにより

実践されているのです。

 

イスラエルが建国されたのは1948年5月14日。

その直後から、イスラエルはずっと戦争、攻撃し続けられていますがこれは、イスラエルという国が欲しいのではなく、破壊したいだけ。

はっきり言ってサタンの攻撃です。

神の言葉を塗り替える、潰す、変える、人間が神の教えを再定義しなおす、これも、サタンの仕業なのです。

人から、神の真実を知る手掛かりを奪う行為、それが宗教の教えなのです。エデンの園で教えられた警告と同じなのです。

世界には、親切な人、良心的な人、腹に書かれたトラーを知らない

間に生きている人は大勢います。

でも神を信じている、メシアを信じているのに、神の伝える真実、

教えを理解しないまま、結局、イエシュアを信じながら、神が言われることに、知らないまま、神の教えに敵対している多くの人がいるのです。

クリスチャンもイスラエルに入って来ました。

30年前、その当時、彼らはローマ帝国、人間が作った宗教、ローマ教の教えが聖書と疑いなく、今と同じように信じて、実践していた

そうです。

神の教えを知らない、聖書を正しく学んでいない、神の創造された

モアデイムを知らない。

それが、宗教の教えで、本当の神の言葉、教え=聖書を別物の教えに

塗り替えた教えや、実践、記念日が異邦人の間に浸透したのです。

これは、完全に神の教えや、神が人に伝える、祝われるべき神の永遠の記念日ではないのです。

未来、イエシュアが地上に戻られたら、人間が作った宗教の教えや

記念日、実践は全部消えます。

30年前は、イスラエルに来たクリスチャン達は、過越、仮庵を祝わないで、イースターとクリスマスを祝っていたそうです。

これは、聖書ではありません。

今は、変わり、イスラエルでは、過越、仮庵を聖地に住むクリスチャンも祝います。

日曜日は、普通の日、労働日、登校日ですから、日曜礼拝もありません。日曜礼拝に固執するのは、人間が作った教え、伝統に固執し、

神の創造されたシャバットを塗り替えたということに、未だ盲目であるからです。

クリスチャンは、日曜日は復活を記念して、その日に安息日となったという、人間が作り変えた、言い換えた、神の記念日の意味、日を

勝手に再定義したことを、神の真実であると教えこまれていますが、これは聖書とは何も関係のないことなのです。プラス、神に対する

冒涜、反抗なのです。

よかれと思いしていることで、神に敵対させる、これがサタンの手口

やり口なのです。

未来、日曜礼拝、クリスマス、イースターは祝われなくなるのです。

ザカリヤ14章に、再臨後、神のモアデイムを皆が祝うようになる

預言がされているからです。

復活の日と、シャバットは何も関係のないものです。

もし日曜日に復活したとしたら、土曜日はシャバットなので、復活されなかったのでしょう。

とにかく、何曜日にイエシュアが復活しようとも、シャバットが

第7日目であることは、変わらない、神のモアデイム、新月、

過越、仮庵もう少し詳しく言えば、過越、種無しパンの7日間、

新しい命に連なる事実を教える、初穂の日は、種無しパンの7日の

真ん中の日。そして、シャヴオート。ペンテコステとギリシャ語で

言いますが、シャヴオートは聖霊降臨祭りなどという意味、名前の

祭りではありません。

1世紀、使徒以降に記録されていることでも分かるでしょう。

シャバットごとに、パウロが会堂で、トラーを教え、議論していたと

書いてあるのに、どうしてその記録を無視して、日曜礼拝などと

言い続けているのか。偽証するなかれ!神が伝える真実を、

クリスチャンが塗り替えて、嘘、聖書ではない不真実な教えを

人に伝えてはならないのです。神の言葉により、嘘から目覚める。

神が神の言葉を終了させたという、偽物のメシア像を伝えてはならない!

パウロは、諸外国に聖書とは違う別の教えを伝えたのではないのです。

トラーを教えた!この事実を、クリスチャンは教えられていません。

そして、キリストが来た、復活した、そのことしか教えていないと

思わされているのです。

全く違うのです。最初から、聖書の最初から、メシア、イエシュアは教えられているからです。そして、トラー、預言書に記されたメシアが、神の伝えた言葉通りに地上に来られ、永遠の中に完了している業、贖い、救いの事実を、地上で証明された!!!

何も変わらないのです。使徒2章以降に、初めて人の中に聖霊が住まい、聖霊時代になり、神の言葉が廃れたという偽情報、人間の作った教えを流されて信じる、それは、聖書の最初の部分、神の教えの完全版を正しく教えられていない、知らないからです。

大祭司ヨハネも、シメオンも、祭司であり祭壇に捧げるコルバンを

飼育する羊飼いも、皆、タナックに記されたメシアを認識したではないですか。その他、名もない普通のユダヤ人も、タナックに記されたメシアを、約束のメシアであると気がついたのです。

 

一世紀のイエシュアを信じた人は、ほとんどがユダヤ人です。

黙示録に書かれている、7つのカハールもユダヤ人の群れであり、

異邦人教会という紛らわしい言葉、コンセプトで語られている

別の新しい群れではないのです。

エデンの園から継続する、1つしかない神の大家族だけしか存在しないのです。異邦人は、元々神の教えを知らない、異教徒です。

一世紀の70年、神殿崩壊、第一ユダヤ戦争の後、そして

バルコクバの乱以降、徐々にユダヤ人が世界へ散って行ったのです。

その中に、イエシュアを信じる残りの民であるユダヤ人はずっと

存在し続けて今に至るのです。

異邦人の世界に浸透した教えは、純粋な神の言葉、聖書ではなく

ローマ帝国、人間が作った宗教、思想が浸透してしまったのです。

このことは、なぜそんな偽物の教え、聖書を否定した数々の人間の

思想が、宗教会議で可決し、浸透したのか?

なぜ、そんなことが許されたのか?この、なぜ?は分かりません。

でも、神はオセロのコマの黒を全部白にひっくり返す時が来るのです。

イエシュアが約束のメシアであり、人であり神となったということを

ユダヤ人も知る、神の教えが廃れたという冒涜を語る思想が、神に

敵対する行為であり、聖書ではない、嘘!と全ての異邦人が気が付く日が来る。

これは、イエシュアが来られる時、全部嘘がひっくり返るのです。

神ご自身こそが、人に真実を切に伝えたい、知らせたい!と考えているからです。

偽物の教え、人造宗教の教え、全部神により消される日が来るからです。