"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -43ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書ではない、聖書には記されていない、人造宗教の人造神学、

思想を通して解説される、聖書解説は、聖書とは異なるものです。

このような事を、言い続けているのです。

 

1)モーセの律法とキリストの律法では土台となる契約が異なるため律法の性質が大きく異なる?

 

簡単に言うと、神の言葉、聖書、神の教えは、全部1つしかありません。神の教え、言葉、契約、神の国に生きる人への「家訓、契約」

の全てが記された完全版が、モーセの五書なのです。

聖書は、どの書も、どの箇所も、モーセの五書を解説しているものなのです。

 

モーセの律法とは、正しくは、トラー=神の教えインストラクションであり、モーセの五書が神の教えの完全版であり、聖書全体は

もれなく、モーセの五書の解説、註解なのです。

契約と律法、この言葉を、ヘブライ語の元の言葉に正しく直します。

律法とは、実際にヘブライ語では、神の言葉を指して使われていない

誤訳なのです。

 

契約とは、神の民となった人に与えられた神の国、家族、家に生きる

家訓です。

これは、イスラエルという民族を代表に、全民族に与えられたものです。全民族に与えられている、イコールその条件は、神と繋がる前提が最初なのです。

神に認められるために、神の教えを生きて、義とされるという目的のために、神の言葉は与えられていません!

人造宗教の教えで伝えられる解説は、聖書ではありません。

 

神の民とされたという、その事実が最初に前提として、ないとならないからです。

これは、人の努力や行いではなく、神がされた事実、永遠の中に

屠られて完了されている子羊の血の贖いの代価があるという事実から

教えているのです。

この世界がスタートする前から、神が一方的に容易した、譲渡契約

信仰義認とは、それなのです。

神と出会うという最初のスタートがある、これはクリスチャンは体験し、知っていることです。

信仰により義とされるということは、エデンの園の最初から同じで

あり、どの人も、どの時代の人にも同じこと、同じ福音しか教えられていません。

神により、新しくされた人、本物の自分、神の性質通り人が取り戻されているという事実、そこから生きるということがずっと教えられているのです。

宗教の教えは性悪説を教えますが、神は人を、神の性質通りに造られたとはっきり、その事実が教えられているのです。

その性質とは、違う物を学習した理由は、神の言葉、教えを人が

疑い、蛇の声に耳を傾けて、その嘘を信じたからです。

神に造られた性質とは違うこと、食べる〜人間の食べ物ではないから

食べてはダメ!と言われたことをしたことで、死が入り込んだ。

これ、今もしているでしょう。神により人の食べ物ではないと言われても、そんなの関係な〜い!と、アダムとハヴァと全く同じ思考回路のまま、神の教えを捨てよ!という偽情報を本気で信じているのです。

半分嘘、半分本当。嘘とは、神の言われたこと、神が禁じていることをしても、食べても死なないという嘘です。

半分本当は、神のようになれるという半分嘘本当です。

最初から、神の性質に似せて造られたということは事実ですが、

今は神の性質通りではないよという嘘を伝えたのです。

神の教えとは違う教えは、必ずこの点なのです。

半分嘘、半分本当。そして、語る言葉が、ずれているから、別物を

教えられ、別の意識をすりこまれてしまう、これが宗教の教えなのです。

 

2)モーセの律法の下で生きる信仰生活と、キリストの律法の下で

生きる信仰生活はどのように違うのか?

モーセ契約の下で生きる信者と新しい契約の下で生きる信者の違いがある?

 

律法と契約という言葉がありますが、これは同義語であるのです。

律法は誤訳です。本当のヘブライ語は「トラー」であり、神が神の民と、神が結んだ契約が、ブリット、シナイ山で文字として契約書を与えたのがそれです。

他の神々は、人間との関係は無い、人は神との直接の関わりができない、それが異教の神々、そんな神々は、本当は存在しないからです。

人間の考えから編み出した神々を、悪霊が利用しているのです。

 

人との関係を結び、人に保証と約束、契約を与え、神の性質通りに

生きることを教えるのは、イスラエルの神以外にありません。

契約、イコール、神の民の家訓であり、それがモーセの五書なのです。

誰でも、メシア、イエシュアを通してイスラエルの神に戻った人は

同じ契約=神の家の家訓を生きる、花嫁として生きることに招かれたという、永遠の事実が聖書から読み取ることをしない人が、

2つの契約、旧新別の契約が存在するという空想思想を語り続けて

いるのです。

このような思想は、聖書を正しく理解しないまま、人間が作った

西洋宗教の教え、神学を神の教えと疑いもなく信じているから、

聖書とズレれたことを信じて、言うのです。

神の教えは、聖書は、どの箇所も、もれなくモーセの五書=神の教え=契約を解説していると言う事実を先ず知らないとならないのです。

 

3)モーセの律法の土台となるモーセ契約と、キリストの律法の土台となる新しい契約では、与えられている約束が以下のように大きく異なる?

 

人間、ローマ帝国が四世紀に作った人造宗教の教えは、前提、土台が

最初から神の教え、聖書とはずれているのです。

所詮、神の言葉を変えて、人間の教えが混ぜられた人造宗教だからです。こんな解説をしています。

 

4)モーセ契約では、律法を守る者が永遠のいのちを受けることが約束されていました。(レビ18:5、ルカ10:25~28)。

と主張していますが、それは聖書ではありません!

 

律法を守る者が永遠の命を受ける?そんなことは、聖書には、1つも書いてありません。

イエシュアが言われた神の教え通りです。

「イエシュアを通して以外、誰も父のもとに来ることはできない」

これが真実でしょう。神の教えを生きたら、父のもとに戻れると

聖書のどこに書いてありますか?

どうして、神の言葉を塗り替えるのですか?

イエシュアを信じながら、イエシュアが語る父の教え、トラーを否定する、この思考回路、行動が完全にずれていると聖書から発見すれば良いのです。

人間の作った思想=デイスペンセーション神学、7変化の神の偽情報を信奉するから、偽物の教えで神の性質、教えを塗り替えているからです。

時代ごとに変化する、神、神の言葉、救いの方法?嘘、偽情報を土台に聖書を解説、考えることをやめない限り、聖書にはっきり記されている神が伝える真実は見えません。

 

注意して、聖書を読んでみてください。過越でも分かる通り、神に

贖い出された人が、その後に、神から婚姻契約を与えられたのです。

贖い、救われていない、聖霊が内側に住まわない人に、神の花嫁と

されている神の家の家訓は与えられてないのです。

神の教えは、人に救い、贖い、義を得させる目的のために、与えたのではないという、大前提を理解していないのです。

順序が逆。婚姻届を出し、新しい生活を始める、その時に夫の家に

嫁いだ生き方を教えられ、それを生きることを、始める。

新しくされた人は、イエシュアの性質通りを生きることに、変えられたという神が伝える事実が、見えないままの人がそのような、

曲がった聖書解説をしているのです。

義とされるために、神の教えを生きるのではない。

義とされた人が、新しくされた人に性質通り、神の家に相応しい

生き方に切り替える事をすると、神が言われている通りを、その通りに理解すれば、良いのです。

 

宗教の教えは、逆を言っているのです。最初は、神の者とされることが出エジプト6:6−7にあるでしょう。

これが、イエシュアがされた、過越の晩餐でされた儀式、

新しい契約、花嫁とされた人に対して、再更新された契約なのです。

 

出エジプト6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、

『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、③あなたがたをあがなうであろう。

6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを

導き出すあなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。

聖書、神の言葉を読む前提が、最初からずれていることに、

聖書に基づき、発見し、神が語る永遠の真実に気がつけば、

見えます。

神のものとされた、その事実がある人に、神のトラー=婚姻契約が

与えられたのであり、神の者とされないものには、与えられていないのが、神の婚姻契約なのです。だから、神を知らない異教の国々

神の教えを知らない人は、神の契約に根付く生き方をしていないのです。

この思想は、デイスペンセーション神学、聖書とは関係のない

アイルランド人の思想、時代を7つに分け、神の性質、神の教え、

神の取り扱い、神の救い、贖いの方法が時代ごとに変化するという

偽物の教え、聖書ではない偽物の教えを土台にして考えるから

聖書を、人間の思想で曲げて解説していることにも、気が付かないのです。

神の教えは、イエシュアが来られて昇天されても、何も変わっていないという事実が、聖書を読みながら見えていないのです。

使徒以降を欠目なく読んだら、同じように皆がトラーを生きて、

シャバット、祭りを祝い、四世紀にローマ帝国皇帝が作った混ぜ物宗教の教えや、クリスマス、イースターなど、聖書には書かれていない

記念日なのに、あたかも書かれているかの如くに思う、空想を本気で信じているのです。

教えられた教え、実践、記念日は、ローマ帝国皇帝、宗教会議の産物であり、イスラエルの神に属さない、神はそんなことを人に教えてもいません。

神の教えは、昇天以降、以前、何も変わらない!ということが

どうして見えないのか?青いカップを紫だと言われて、青いのに紫と思う、裸の王様は服を着ているというのと、全く同じことを言い続けて、疑問にも思えないほど、聖書ではない教えに汚染、洗脳されているのです。

 

レビ記18:5 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。

 

これは、神の教えを生きたら義とされるなど、神は言っていません。

神に義とされた人が、神が伝える義、本当の自分の性質通りを生きると書いてあるのです。

レビ記11章から27章までは、聖別された人の生き方が記されているのです。新しくされた人、聖別されている人は、これこれを生きて

これこれを、生きないと書かれているだけです。

どのくらいの人が、モーセの五書、トラーを読んで、神の教えを理解して、生きているのか?異邦人には、余り、いないでしょう。

神の教えは古くて、廃れた教えと教えられたら、神の教えは今は無効と信じて、神の教えをごっそりドブに捨て去って、神が何を生きるように教えているのか、全く知らないまま、人間が作った宗教の教え、実践、記念日を代わりに生きることを異邦人は教えられてしまったのです。

 

この、人造神学の聖書解説、思想はこんなことも、言います。

a)律法に示された神の義の基準を守ることができる人は誰もいない

 

神は何と言われましたか?神のトラーは、むずかしいものではない!

と言っているのに、人間が神の教えを退けて、蛇の声を復唱し、

それはあなたには生きられないよ!という、嘘、偽の自己像を言い続け、偽物の自分の自己像を生きることに、ずっと引きずられたまま、本当の自分が分からない、本当の自己像を生きられない。

それはこのように宗教の思想が、人に真実を生きることを、くじかせ、偽物の教えに縛り付け、所詮あなたは罪人だから、神の伝えることは生きられませよ!と言い続けているのです。

本当に害毒な思想を、平気で神の真実だと、聖書を正しく読まない、

理解しないまま、人に拡散しているのです。