"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -42ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

人とそして、全ての創造物は神の言葉で造られており、人は言葉で

外の環境を学び、自分の頭脳に言葉で意識をインプットしています。

 

語る言葉により、自分の中にインプットされる情報と、その印象は

大きく変わります。

例えば、ある人の性質を、「のんびり、ゆったり構えているおおらか

で、動じない人」と言うのと、「行動がのろい、仕事が遅い、鈍感」と表現するのでは、全く違う印象を与えられてしまうでしょう。

 

言葉により、この瞬間も、自分の中に様々な概念をインプット、

植え付けているのです。

 

人が考え出す、神が解説する神の教え、言葉、神ではない神像を

ずっと人が言い続け、人に拡散し、伝達し続けていますが、神が解説する聖書、神の言葉とは違う発想、考え、概念は、神の言葉からズレた場所、ズレた目、ズレた思考回路から編み出されるものです。

それが、人間が作った教えが混じった宗教の教えの実態なのです。

 

怒りの神、恵みの神などと、変身する神を西洋宗教は語りますが、

神の怒り、神の妬みは、人間のそれとは違うのです。

そして、神が伝える通り、神は変化などしません。永遠から永遠に

同じと、神ご自身が紹介している神像を、人間が神の言葉を再定義、塗り替えている、それが人間が作った宗教の教えの解説なのです。

聖書を人間の思想で読み解く違反をしているから、神が人に伝える

真実が伝わらないままになってしまっているのです。

人が考える怒りの神、怒りの時代、恵の神、恵の時代。

律法時代と聖霊時代。

これらの解説全て、神の語る真実を人間が再定義する間違った表現です。

そして、旧約聖書、新約聖書というタイトル。

これが、大きなくせものなのです。

この人間が神の言葉に対して付けたタイトルも、人に対して非常に

間違った概念を植え続けている大きな原因の1つなのです。

新しい、古いというだけで、2つ別物、新しい〜改訂版、古い〜悪いと思い込むのです。

神の教え=契約に、2つ別物の教えがあると、本気で信じている多くのクリスチャンがいるでしょう。

これは、このように間違った聖書に対する概念を受け付ける言葉

タイトル、題目のせいであり、これは、異邦人が聖書に付けたタイトルであり、神はそのような分断思想を連想させる間違ったタイトルを

聖書には、付けていません。

神は神の永遠普遍の1つの言葉、教えを、「証」「トラー」という

タイトルで呼んでいます。

聖書に書かれた事実に、気がつかないでいるのです。

 

その大元は人間が神の教えを曲げて作り変え、再定義した人造宗教の教えのせいなのです。

人間が作った宗教を、信奉しているという事に、まず気が付く必要があります。

それは、聖書を注意深く読めば、神は神の言葉を変えてなどいない事が、記されているのです。

間違った教え、間違った言葉、間違った聖書解説のおかげで、

神が語る真実を見えなくさせられているのです。

神の言葉、教えに2つ別物はないということに、聖書を読みながら

聖書を教える人さえ、全く気がつけないほど、偽物の教え、騙しが

浸透しているのです。

読めば分かるのです。どうして分かるのか?神が語られている言葉に

立てば、真実はクリアーだからです。聖書に書いてもないことを信じる、書いてないことを、書いてあるように空想する、そのような

曲がった行為をやめれば良いのです。

神が一度でも、神は変わらない、神の言葉は永遠に変わらない!

と宣言されれば、それは確固たる事実であり、変わらない!という

事が永遠の事実だからです。

途中で変わったと思っている、それは偽物の教えに騙されているからです。

ある牧師さんに質問されました。その方は、シャバットは、神が変えたのではなく、人間、ローマ帝国、皇帝が変えたものであるということを発見したのですが、結局カトリック、西洋宗教西洋神学を学んで来たので、様々な情報が聖書では無いという事に気がつけないのです。

 

こんな質問です。

旧約の時代と、新訳の時代で、何を生きたら良いのかどうして分かるのでしょうか?という質問です。

旧約の時代、この概念も間違っているのです。結局、新旧二つの教えがあるという、神の言葉、教えに対する間違った思想と、人間が

神の言葉を仕分けて良い、変えて良いという大冒涜を神が教えていると勘違いしていること、結局、大元の問題は、偽物の教えを、神の教えと勘違いさせられていることなのです。

聖書を読めば、はっきり書いてある、それが神の教えです。

そして、神殿が今存在しませんから、その中に入ることに関しての

教えは、今は実践されないだけなのです。

神殿が無いから、神殿に仕えるレビ族の祭司は、今実際に神殿に

仕えて、働いていないでしょう。

レビ族であり、アロンの家系の男子の大祭司も大祭司の役割が今はない。でも、聖書には、昇天以降、神殿が存在していましたから、

イエシュアが来られる前と全く同じように神殿が機能し、祭司、大祭司がいて、二十四時間、一年365日、祭壇の上に、朝に夕に

全焼のコルバンが捧げられ、シャバットごとに、パンが入れ替えられ

祭りも神殿中心で祝われていたことが、書いてあるではないですか。

パウロも、神殿で、パウロの偽の噂、トラーを否定したことを人に教え

生きているという、嘘を払拭するために、神殿でコルバンを捧げ

ナジル人の請願を立てたでしょう。

聖書に書いてあることを、無視しないで、見落とさないで、その意味を正しく理解すれば良いのです。いい加減な聖書の読み方、人間の

思想で、神の言葉の方を変える、曲げる読み方を止めれば良いのです。

デイスペンセーション神学、西洋宗教、人造神学の聖書解説、思想はこんなことも、言います。

 

1)律法に示された神の義の基準を守ることができる人は誰もいない?

 

神は何と言われましたか?神のトラーは、むずかしいものではない!

と言っているのに、人間が神の教えを退けて、蛇の声を復唱し

それはあなたには生きられないよ!という、嘘、偽の自己像を言い

続け、偽物の自分の自己像を生きることに、ずっと引きずられたまま、本当の自分が分からない、本当の自己像を生きられない。

それはこのように宗教の思想が、人に真実を生きることを、

くじかせ、偽物の教えに縛り付け、所詮あなたは罪人だから、

神の伝えることは生きられませよ!と言い続けているのです。

本当に害毒な思想を、平気で神の真実だと、聖書を正しく読まない

理解しないまま、人に拡散しているのです。

 

神は何と言われましたか?

 

ローマ6:4すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

 

1コリント 5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り

除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者=罪が削ぎ落とされた者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、

すでにほふられたのだ。

 5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と

邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実な

パンをもって、祭をしようではないか。

 

パウロが解説してるのは、出エジプトの出来事全体です。

過越の祭りを知らない、祝わないから、何を教えられているのか、分からないだけ、神が教える、贖い、救いを

皆で神の造られた記念日、過越の祭りの7日間で再現し、思い出す。

それが、イエシュアが言われた事でもあるのです。

 

永遠の中に屠られた子羊の血の代価で、どの時代のどの人も、

同じように父のもとに引き寄せれ、戻る事ができる事実。

そして、種無しパン、マッツアは、「罪が削ぎ落とされた者」と

なっていることを表す、シンボルなのです。

イエシュアがされたのは、カトリックが過越の晩餐の儀式で行うものを作り変えた聖餐式ではありません。

イエシュアは何をされ、何を言われましたか?

 

過越の祭りを祝うたびに、この晩餐では、奴隷から引き出され、

救われ、贖いわれ、神の者〜聖なる人〜新しくされた人となった事実

出エジプト6:6−7に既に教えられている永遠の中に存在する事実を

受けとっていること、新しくされていること、イエシュアが地上で

生きて、そして、実際に地上で処刑され、復活されたこと、永遠の中にある完了の業、モーセに託された神の言葉で伝え続けたことが、

事実である証明をされたこと、それを毎年過越の祭りを祝うたびに、皆で思い出してと言われたのが、イエシュアの遺言なのです。

 

それなのに、異邦人は、神の教えていることを捨て去るように教えられ、神が永遠に祝うように教えた、神の記念日、祭りの全てを捨て、

部分的に儀式だけを取り出し、その意味を変えてしまったのです。

イエシュアがされたのは、カトリックが作った聖餐式、日曜=普段の日にやるものではなく、過越の祭りの中で行うものでした。

 

1コリント 11:23 わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、

11:24 感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、

このように行いなさい」。

11:25 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。(過越の祭りを祝う晩餐で)

飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」

 

日本人が、お屠蘇を飲む儀式を元旦以外にしないように、儀式には

意味があるのです。

いつ、何をどうするのか?と教えられているのに、人間が全部神の

教えや記念日、祭りを勝手にアレンジ、作り変える、これはエデンの園のあの蛇のやったことと同じです。

神の教えを取り出して、勝手に言い換える、再定義し直す、

作り替える、それをずっとしているのです。

そのように人間が神の教えに付け足し、差し引きすることに対して、神は人に、今も、今日も厳重警告し続けてているのです。

聖書を神の言葉と信じないクリスチャン、牧師は無数にいます。

神の言葉を、今日も今も真実だと理解しない人は、どこまで行っても

人間の編み出した教え、虚構を信じて行くのです。

 

2コリント5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。

古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

 

新しく造られた者と、神は事実を述べています。

イエシュアと共に死んだら、以前の自分は死に葬られたのです。

誰が復活したのですか?新しくされた人です。

でも、それは感覚的にも分からない。肉体も変わらない。

しかも、頭脳の中にはバッチリ、先祖代々の記憶と、自分の生まれて来てから、それ以前から、又学習してきた思考回路、思い出、記憶

行動、思考パターンが健在のままなのです。

新しくされたら、一瞬にして変わりたいですよね。

昔の漫画、サリーちゃんの魔法の杖のように、一発振るうだけで、

一瞬にして全部を変えてもらいたい!でもそうは、ならないのです。

 

アンインストール、インストール、のように、OSを簡単に切り替えたい。でも、その作業は、一瞬ではできないのです。

新しくされた人の事実は取り戻されている。それを、生きる、

本物の自分を知り、再所有し続けてる、それが地上の旅路なのです。

それが荒野で教えられている人生の旅路、仮庵、仮の体

朽ちる体の中に、イエシュアが住まわれている事実を教え

頭脳の一新により、神の目から見る通りを再学習することを、

ずっと教えているのです。

神が自動的に、全て変えてくれたら、どんなに楽!簡単でしょうか!

新しくされた事実を生きよ!その事で、新しい人を再学習、再所有

する道のり、それがこの地上の歩みの中で行われる事が、書かれているのです。

パウロは、この箇所、出エジプトにある、贖い出されて新しくされた

事実が書いてある箇所を解説しているのです。

イエシュアは、救い、贖い、許し、聖霊=神が内側に住まう事実は、エデンの園の最初から教えられていることに、聖書からはっきり気が付かないとなりません。

太古から語られた同じ福音と聖書には記されているのです。

 

エペソ1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、

 1:5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。

 

そして、救い、贖いは、この世の礎が創造される前に既に完了して

いる!

この世の礎が創造される前に既に、神により取り分けられ、聖別されている!と書いてある通りなのです。

人間の頭脳では、よく理解できないことですが、それが神の伝える

事実です。

神の教えを、人間の神学、思想、仮説で解説するから、聖書に書かれている神の永遠の真理、真実が覆い隠されてしまっているだけなのです。