"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -41ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

人の編み出した、神の教え、言葉を否定する教えこそが、

神が伝えるつまずきの岩、障害物です。

神の教えを遮る人間の教えは、神の教えで退ければ良いのです。

神は人に真実を伝えています。

神の教えを生きることは、むずかしくない!それが、新しくされた

人の性質そのものだから!と書いてある、それをパウロは短い言葉で

解説しているだけなのです。

 

もし、子供に、いや自分が人に、これ難しいよ〜と言われたら、

難しいと思うでしょう。

でも、簡単にできるよ、難しくないよと言われたら、それだけで

意識が変わるのを、体験的に知っているでしょう?

子供の頃、自転車乗りや、鉄棒の練習をしている時、親に「できるよ!」と言われるのと、「無理無理!」と言われるのでは、

できないと思えば、本当にできないことを体験するはずです。

 

神の律法=誤訳で表される、本当は神の教えを生きるのは難し過ぎて人にはできません!という、神が伝えた教えとは真逆の、人間が

作った偽情報、嘘を言い続けて人を、新しくされた人は、イエシュアの性質を生きられる!という事実を、サタンが見せなくさせている

障害物を人の意識の中に置いているのです。

それが人間の編み出した宗教の思想であり、神が伝える

「全ては過ぎ去り、全ては新しくなった!」という、信じがたい、

でも事実を知らせない、蛇の声を復唱し続け、自分も、そして他者にも神の性質を生きることを、くじかせることを、イエシュアを信じながらイエシュアの言葉を否定し、率先して嘘を信じ続けて、騙され続け、そして所詮罪人だから仕方ないという、偽の自己像に戻って

生きることをさせられているのです。

 

ヨハナンは申命記30を解説しているのです。

 

1ヨハネ5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。

 

クリスチャンは、行いではありませんと言いますが、救い、贖いを

得ることは、信仰により受け取るだけ、そして信じた人は、神が

伝える通り、イエシュアが生きて、見せたトラー=神の教えを生きる!と言い換えないとなりません。

キリスト教は、生まれることだけを教えています。

生まれた後、どう生きるのか?それがごっそり抜けている。

異邦人は、最初から契約に根付いた生き方も知らない、していない。

そして、ローマ帝国、人間が作った宗教の教えの実践を生きていることに気がついていないのです。

だから、神の教えを捨てよ!と教え、神の記念日の全てを捨てている

でしょう!!!気がつかないとならないのです。

聖書に書いてないことを、信じて、実践していること。

 

はっきり書いてあります。ヨハナンは、申命記にある神の口から直接出た言葉を、引用しているのです。

神を愛するとは、神が伝えたトラーを生きること、それが生きることはキリストと、パウロが解説していることと同じなのです。

トラー=神の教え=モーセの五書に記されているのです。

聖書の箇所の全ては、モーセの五書=神の教えの解説なのです。

聖書には、神ご自身=聖霊により記された言葉を否定することなど

ただの1つも記されていないことに、どうして、聖書を読みながら

気がつけないのか?偽の教えで、神の語る真実に対して、

おおいをかけられて、目隠しをされているからです。

だから、7と書いてあるのに、今日も1と読み替えて、そう信じて

実践しているでしょう。

永遠普遍と書いてあるのに、変化するとクリスチャンは言い換えているのでしょう。変だと聖書を読んで気がつかないとならないのです。

自分で考える。世界は偽情報で満ちているからです。

大手、大元が偽情報を流しているからです。

 

神の言葉を塗り替える思想を持つ人により、神の言葉は

律法で、厳しく、呪い、廃れた古い教えで、人が生きられない教えを

神が人を試すために与えたと、教えられてしまう。

人が生きられないから、キリストが来て、古い呪いの教えを十字架に付けたという、大嘘解説をし続けて、神の教えとは違う、人間が作った混ぜ物宗教を人に拡散しているのです。

それでは、神がエデンの園、永遠から語られている福音でもなんでもないものなのです。

聖書を、粗雑な粗悪な思想、学問で学ぶから、聖書とは違う解説が

聖書ではない!とも気がつけなくなっているのです。

 

申命記、30:10 これはあなたが、あなたの神、主の声に聞きしたがい、このトラーの書にしるされた戒めと定めとを守り、心をつくし、

精神をつくしてあなたの神、主に帰するからである。

30:11 わたしが、きょう、あなたに命じるこの戒めは、むずかしい

ものではなく、また遠いものでもない。

 30:12 これは天にあるのではないから、『だれがわれわれのために

天に上り、それをわれわれのところへ持ってきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。

 30:13 またこれは海のかなたにあるのではないから、

『だれがわれわれのために海を渡って行き、それをわれわれのところへ携えてきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに

及ばない。

30:14 この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。

 

神が、神の言葉で人に直接伝えている事実は何ですか?

1)神のトラーを生きるのに難しくない!アーメン。

2)はなはだ近い、カロブ=あなたの腹の中に記されているDNAに

刻まれているトラー、それが事実だから、あなたの性質通り、

神の性質に造られたあなたの性質通りを生きられると

11節には書いてあるのです。

それを信じるか、信じないか、生きるか、生きないかは、個人の選択次第なのです。

嘘を信じて、これ無理!と騙されるのか、神の言われることをその通りに受け取り、生きることを始める、これが命を選びなさい!

神の言われることを選んで生きなさい!という神の仰せなのです。

 

人の教えに、神が伝える永遠の真理を覆い隠され、真実を知ることを邪魔されてはならないのです。

偽の自己像を教えるそれが蛇の声であり、宗教の教えなのです。

 

神の教えを勘違いした解説をされてしまっている理由は、粗悪、粗雑な聖書の学びであり、聖書を人間の思想を通して解説している、

聖書ではなく、人造宗教とその人造神学を学んでしまっている、

それが問題なのです。

土台が根本的に聖書ではないことを根拠に、間違った学問を学んだ

教えに聞き続けているからです。

自分で考えないと、ならないのです。

今の世界でも分かる通り、メデイアは嘘を意図的に流しています。

ローマ帝国は、意図的に神の言葉を捨てたのです!

そして、自分たちの帝国支配に都合の良い、大衆に受け入れられる

混ぜ物、土着宗教、太陽神信仰を混ぜた、別物の宗教を作ったのです。土台が砂であり、神の教えではない、嘘嘘嘘が多数含まれた

混ぜ物、紛い物の宗教だからです。

人間の作った教えを信じる虚しさ。そして、神の言葉の方を捨てるように教える宗教。これが、偽物の正体なのです。

皆がそう言うから、真実だと思っているだけなのです。

偽物、混ぜ物は所詮コピー品であり、偽物にしか過ぎない。

神はこのような偽物、混ぜ物を姦淫の罪と言っていることに

聖書を読んでも、何を警告されているのか、全く気がついていないでしょう。

高きところの礼拝、偶像、異教の神々、偽の教え、宗教を通して

イスラエルの神を礼拝すること、これが姦淫の罪なのです。

夫に繋がれながら、別の夫の言うことを受け入れ、混ざる。

 

それは、今は人間主体で、神の言葉を仕分けて良いと言う大嘘を

本当と教えられているからです。

人間の考えでいつでも安息日、記念日などと、これも大嘘です。

人間の作った宗教、イスラエルの神に属さないものを、神がどれほど

忌み嫌われているのか、聖書には書いてあるのです。

黙示録で、ヨハナンが書いてることは、それです。

毒麦が畑に撒かれても、麦=残りの民を同時に引き抜かないため

忍耐しているだけです。

 

神が神の教えを生きるのは難しくないと言っているのに、

クリスチャンは、神の教えは難し過ぎて、神の言葉が捨て去られないとならかったという、偽情報、間違った聖書解説をされているでしょう。

神の教えが廃れたという根拠にしていますが、聖書には1つもそんなことは、書いてなどありません。ぜひ、自分で聖書を読んで、

神の教えが廃れたので、神の教えから解放され、今は人間が神の言葉、記念日を自由に作り出して良いと、どこに書いてあるのか

調べれば良いのです。書いてない!

パウロが、神の教えを捨てるように教えるなら、パウロは偽教師

偽使徒であり、聖書を記す資格がない人になります。

この箇所も、クリスチャンが完全に誤解した読み込みを教えられている箇所です。

この箇所を根拠に、神が神の教えを捨て去った!としています。

 

ローマ7:6しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して

死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

 

このような箇所を読んで、神が神の教え=トラー、誤訳では律法で

すが、そこに記された罪の定義があるから、人が罪を犯す、だから

罪の定義を捨てれば良い!という、とんでもない思考回路なのです。

そんなことは、この6節には書かれていません。

パウロがここに書いているのは、トラーの中には、罪の定義、ズレ

神の性質ではない生き方は何か?ということが、はっきり記されています。

ここにある、律法とは、神の教えからの解放ではなく、神の教えが

伝える「罪の法則」ノモスから解放されたと書いてあるのです。

普通に考えて下さい。あなたの住む町の色々なルールや決まりがあります。自分はそれに縛られたくないから、これからは、そのルールが

取り払われるべきであり、自分の好きに、自由にやって良いのだと

考える、そのようなズレた思考回路と全く同一なのです。

 

もし神の言葉が廃れたというならば、こう言うことが起きます。

神の言葉は、クリスチャンが教えられているように、分解できない

性質です。

神の言葉が廃れたら、境界線がなくなります。無法地帯で、何の罪も

許されます。なぜなら、罪の定義が消えるからです。

罪が定義されないなら、イエシュアの救い、贖いは一切、必要なくなります。恵も祝福も約束も、保証も、神との関係も消えます!

なぜなら、神は人と、神が提示した契約を根拠に関係を結んでいることをはっきりと教えているからです。

そうすると、西洋宗教が語る思想が、聖書とは全く違うことは

聖書に基づき考えれば、見えます。

 

神の言葉、トラーが十字架に付けられ、消えたとクリスチャンが教えられたことが本当ならば、それならば、罪の定義、ルールがなくなる。人の生きる上で、人が何を生きたら良いのか、何も分からなくなると言うことなのです。

そんなこと、聖書に書いてないのです。イエシュアと共に木にかけられて消滅したのは、以前の自分と、そして自分が責められるべき罪の

罪状が、イエシュアにより消された!と書いてあるのに、

粗雑な解説をする人が、律法が十字架に付けられて消滅したという

本当に、ジャンクスカラーシップが横行しているのです。

聖書とは、何も関係のない、人造宗教思想を、勝手に発表し、

人に間違った教えを、伝授しているのです。

 

デイスペンセーション神学や、人間が作った宗教の教えを信奉する人の教えは拡散され続け、それは止められないものです。

でも、自分を守れるのは、永遠変わらない真実を語る神の言葉だけです。偽ものの教えを聞かない、神の言葉だけに戻る!そうやって

自分の身、自分の思考、生き方を、神が言われる通りにガードできるのです。あの毒生物兵器は、人に害であり、何も意味がないどころか

死や病気を招くと分かる人は、それを避けられたのです。

それと同じです。有名な人が語るから、学者が語るから、それらが

真実とは限らない。狭き門であり、偽物の教えは、肉にアピールし、

好評を博すと言うことを、知っておいたら良いのです。

神の言葉だけが真実であり、人間が神の言葉をどの箇所でも否定する教えは、偽もの、嘘、まがいものなのです。