"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -40ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

「モーセの律法とキリストの律法」は何が違うのか?

こんな質問、コメント、教えを聞いているのではないでしょうか。

神の教えは1つしかない!ということを、知らない人が、聖書とは

違う聖書解説、人間の思想で聖書を紐解き、解説している間違いに

気がつかないとなりません。

モーセは人間です。イエシュアは神です。イエシュアがトラーを記してのではなく、人=預言者=モーセに神の言葉を記すことを託されたのです。

命を与えるのが、神であり、父の元=創造主の元に戻ることを可能にできるのは、神以外にないのです。

人=モーセはそれができないのです。

神の教えの完全版を記す役割を与えられたのが、モーセであり、

そこに記されている、神の創造された元の性質通りに戻ること、

神の性質通り、トラ〜に記された生き方を可能にするのは、イエシュア=神以外にない!という、正しい解説をしてください。

 

先ず、最初から、誤訳である「律法」という言葉を、頭の中から

完全に削除する必要があります。

そして、神の教えに、2種類別物があるという教えは、空想、

偽情報、人間が編み出した教えであり、聖書=神が伝える教えではない、真実ではないということに、聖書からはっきりその事実に気がつかないとなりません。

 

聖書や、その他の書に、文字で書かれている「律法」という言葉は、消せないので、その言葉の意味は、本来のヘブライ語の言葉の意味

ではない、誤訳で表されている意味ではない、それはヘブライ語で

記されている、神の言葉、教えに対して、多大に不適切で、

人に間違った固定概念を植え付けている根拠、大元であると、

自分の中で誤訳、偽情報を、正しい言葉、適切な翻訳、教え、情報に転換する必要があるのです。

 

神の言葉、教えを指して、「律法」などという言葉は、聖書には

実は一言も書いてなどないからです。

聖書を、読む、考える、教えられるスタート地点、根本が間違って

いるのです。

神の言葉、聖書を指して語られるヘブライ語は、トラーであり

「神の教え、インストラクション」という意味であり、律法という

意味ではありません。

神の教えは、人の生きる全て、それは個人だけでなく、共同体、

そして国全体、細部に渡るインストラクションが記されているのです。

家の建て方や、軍隊の形成に関すること、読めば分かる通り、

人の生きる全てが書かれています。

トラーはイスラエル、聖別された神の国の憲法でもあるのです。

その中には、もちろん法的なことも記されているのです。

だから、一世紀、福音書以降に記されたイスラエルの国会議員は、

トラー学者達で締められていたのです。

 

そして、神の教えは、西洋宗教が語るような「するしない掟リスト」

ではないのです。

神が創造された人の性質そのもの、詰まりイエシュアの性質そのものの生き方が、神により教えられている、神の教え、命そのものなのです。

だから、あなたは命=神の教えていること、言葉を生きることを

選びなさいと神が伝えているのに、西洋宗教〜人間の教えは、

神の教え、命のパンイエシュアが教えられた生き方そのものを、捨てよ!捨てよ!という大矛盾を平気で教え、それが今の時代の正義で

ある!神が神の教えを十字架で処分、抹殺したという、

まやかしそのものを人に教え続けているのです。

神の言葉を捨てている人々、何を神が教えているのか、イエシュアを信じる人が、本当には知らないという、おかしな状態がずっと2世紀以降続いて今に至るのです。

 

律法に戻るな〜!と、異邦人は心配しなくても良いのです。

異邦人は、最初から神の契約=神の教えなど本当には知らない、

学ばない、生きてもいない、その代わりにローマ帝国皇帝、人間が

作った宗教の教え、慣わし、儀式記念日を実践し、それが、昇天以降の神の新しい教え、生き方だと、聖書にも書いていないことなのに、神の教えだと教えられてしまっているのです。

 

昇天以降の新しい時代は、モーセの律法を生きるのではなく、

神の教えを生きるのです!と、ある神学校の講師が講壇からこのように、話していましたが、これは、聖書に書かれていることに関して

一体何を言っているのか、意味不明であることに気がついていないのです。

神の教えは、神がモーセという預言者を通して、人に伝えたものしかありません!神の教え、イコール、モーセの五書=トラーであるという事実を、神学校の教師が知らないまま、聖書とは違う教えを

平気で語り続けている、こんなことが平気で罷り通っているのは

宗教の教えが浸透してしまって、神の言葉がそのまま教えられていない、語られていないことによるのです。

神の教えが、律法、契約と、神の教えとは別物であると考えている

時点で、聖書ではない教えに洗脳されていることに、はっきり、聖書から、気がつけないとならないのです。

 

神の教えは、1つしかないからです。神の教え、契約に新旧、又は

人種により2つあると考えている、それは聖書ではなく、幻想

偽情報を刷り込まれた結果であり、聖書を正しく学ばないからです。

そして、パウロが語るトラーの解説を、正しく理解、解説されない

人間の作り出した宗教、半分嘘=人間の教えが混じった宗教、

その神学には、こういう問題が山積みなのです。

偽情報で、聖書を解説しているのです。

聖書を、人の思想で、曲げて解説しているからです。

異邦人とユダヤ人には、別の教えが適用される?と言われているでしょう。神は何と言っていますか?

 

神の性質は、エハッドです。神の名もエハッド、神の言葉もエハッドであり、神は神の性質に反するようなことを、人に教えません。

エハッドとは、全く一体である。一つ以上で完全に一体という意味であり、神の教えは、西洋人、又は西洋思想に影響された人が語るような、分裂、分断の神、神の言葉ではないからです。

聖書には、モーセの五書に記された神の唯一の教え、トラーしか

書かれていないということが、見えない人、理解しない人が

聖書=神の言葉、教えとは違う思想を語り続けているのです。

 

クリスチャンが「十戒」と言っている、10の言葉は、聖書の題目

です。

10の柱=タイトル、題目に記された内容をモーセの五書全体で、

解説しているのですそれが、神の教えの完全版なのです。

そして、聖書のどの箇所も、モーセの五書の解説なのです。

それ以外の神の教え、モーセの五書=トラー=神の教えを否定する

終了させる、別物の教えは、聖書に無い!!!と言うことが、分からない場合には、人間の思想で、聖書ではない別物の教えが、あたかもある、進化論説、偽科学説と同じように、無いものをあるかのごとく

語り続けられているだけなのです。

 

マタイ以降には、神の完全版である全ての教えは書かれていない!!

と言うことに、気がついてください。

その箇所には、神の教え=父の教え=イエシュアが教えられたトラー=モーセの五書とは別物の教えが書かれているという、大嘘、幻想、なのです。


こんな解説がされています。

 

『新しい契約では、信者の罪が赦され、罪が取り除かれるという

約束が与えられている。」

義とされた信者は、永遠のいのちをすでに受けてる。

又、信者には次のことが約束されています。

①律法が信者の心に書き記される(新生)

②律法に従うことを可能にする聖霊が与えられる(聖霊の内住)

このような違いが、信仰生活の上で大きな違いを生み出します。

 

新しい契約とは、モーセの五書以外の別の契約と考える時点で、

それは聖書に記された神が伝える事実などではありません!

神の教えは、最初から、エデンの園から同じだからです。

どの時代の、どの人種も、イエシュアを通して以外、誰も父の元に

戻ることができない!それが、永遠の事実なのです。

罪許され、聖霊を与えられる事実は、エデンの園、永遠の中に既に

用意され、有効なのです。

それを、時代ごとに別の救い、別の許し=仮の許しがあると

考えている時点で、聖書に書かれている事実が、見えてないのです。

 

神の契約は、1つしかないからです。

神の贖いの方法、救いの方法も1つしかないと、書いてあるのです。

 

その契約を受け取った代表者、神の大家族の長男として、イスラエルが選び出されただけです。

特別な特権や、えこひいきされるために、イスラエルが選ばれたのではない。

アヴラハムが全民族の父とされた理由は、神の同じ祝福が、全民族に

アヴラハムを通して、与えられるため!とはっきり書いてあります。

 

神は、ユダヤ人を創造されたのではありません。

神は、神の性質そっくりの「人」アダムを、同じ性質=土=アダマから造られたとあるのです。

人は、同じ土、アダマから出てきたのです。

ユダヤ人のため、イスラエルだけのために、神は全世界を創造されたのではない!!と言うことが、書いてある通りに神が伝える通りに

見えないとならないのです。

 

新しい契約とは、同じモーセの契約、それが再更新され続けること

を、聖書では話しているのに、新しい、別物の教え、契約があると勘違いした解説をしているのです。

聖書を読んでも分かる通り、トラーとは別の教えや契約は聖書の

どこにも、実際に存在しないし、聖書に書いてもありません。

そして、実際に存在しない別の新しい契約、空想を根拠にこのように

解説しています。

 

「モーセの律法の下で生きるクリスチャンとキリストの律法の下で

生きるクリスチャンの対比、違い」

 

モーセの律法とキリストの律法は同じ!!!!

イエシュアは、父の教え=モーセの五書=トラーを教えに来た!

と言われた意味が、正しく通じていないのです。

モーセは、人です。預言者です。神の言葉を、文字に記したのが

トラーであり、そこに記されていることを、命、新しくされた人として生きることを、可能のするのは、神=イエシュア以外にいない!

という、正しい読み方をしてください。

しかも、モーセの律法とキリストの律法と2つ別物と考えている

時点で、聖書に書かれていることを、正しく理解していないと

はっきり気がついてください。

命を与えることのできるのは、人を変えることを可能にするのは

神以外にないでしょう!!

どんな偉大な預言者も、人ひとり救い出せない、命を与えられない、

新しく人を作り変えられない、誰も父の元に戻ることを可能にできないからです。

 

教会時代(恵みの時代)は「新しい契約」に基づくもの。

キリストの律法ではなく、モーセの律法に従って生きようとすることも可能?何を言っているのか、意味不明です。

人は、神の教えを捨てる選択は、神から与えられてなどいないのです。

聖書に書いてあるのは、新しくされた人、イエシュアの代価で新しい

命をいただいた人は、新しくされたから、神の性質==イエシュアが教えられた通りの生き方=父の教え=トラーを生きることが可能になったと書いてあるのです。

 

教会時代、聖霊時代などというものは、聖書には書かれていません。

聖霊=神=イエシュアは最初から、人の内側に住まった事実が、

ずっと、トラーに記されているではないですか!

 

教会という言葉も、造語であり、聖書に存在しない言葉であることを

はっきり捉えてください。

便宜上使われていますが、本当に誤解を与える造語なのです。

神の家族は、エデンの園から1つしかありません。

カハール、ケヒラ、エクレシア、この言葉は、神が呼び出して応答し神の家族に加えられた人の群れを指す言葉であり、

教える会などという造語は聖書にはありません。

昇天以降も、エデンの園、最初から存在する同じ神の大家族、

カハールに、イエシュア=岩の上にずっと同じ家族が加えられ続けることが、聖書には記されているのです。

紛らわしい、偽情報に基づく曲がった聖書解説が、聖書に書かれている事実を、正しく人に知らせないように、妨害しているのです。

そして、清教徒が語るように、神の教えは人間が選択して、自由に

選んで、生きても良い、生きなくても良い、神の教え、言葉は、

そんなものではないのです。