こんな解説が一般的にされています。
<1コリント3章では、「死に仕える務め」(2コリント3:9)
「罪に定める務め」(2コリント3:9)と呼ばれていたモーセの
律法の役割です。>
この聖書解説は、聖書の言葉に対して一体何を言っているのでしょうか?神の言葉=モーセの五書は、死に仕える務め?
罪に定める努め。神に何が罪か定義されなければ、人は神の創造の
性質、デザインとはズレた=罪、悪=神の意図通りではないことが何かを、どうやって知るのですか?
人は神に教えられない限り、何が罪で、何が人の生き方で、何が神の者とされた聖別された人の生き方であるのか、分からないのです。
神の言葉を最初から、悪者に仕立て上げているその思想、その意識
こそが、神の教えから遠く離れて、ずれているのです。
神を愛する人は、神の仰せ=トラーを生きる!
神を愛する人は、神の言葉、教えに対して敵対心を持つ?
これ、サタンの思惑、意識そのものでしょう。
イエシュアを通して、父の元に戻った人は、もれなくイスラエルの神の大家族、イスラエルが代表として受け取った婚姻契約=トラー
天の神の家訓を生きる!と書いてあることが、全く通じていない状態で、神の教えを律法=悪いもの!と刷り込まれた人が、神の教えは
1つしかない!と言う事実にさえ、聖書を読んでも全く気がつけない
そんな盲目状態に留まり続けているのです。
神の教えは1つしかない。神の教えは進化、変化しない。
神の教えは、トラー以外にない!と言うことさえ、
クリスチャンは正しく教えらてもいないことが問題なのです。
欠目なく、マタイ以降を読めば、そこに書かれているのは、100%
モーセの五書=父の教え=トラーが解説されているだけ!
そこに登場する人は、今のような西洋人が作った宗教の教えなど
教えられてもないし、生きてもない!!!
シャバットは永遠に第7日目であり、ローマ教、人間が神の教えや
記念日を変えた、日曜礼拝など神の聖別された聖日、アポイントメントの日などではない!
そんなこと、聖書のどこにも書いてもない!ということさえ、
全く気がつけないでしょう。
不思議ですが、それが洗脳、刷り込みという状態にさせられている
のです。
モーセの五書=聖霊により記された神の言葉を悪者に仕立て上げ
そして、別物の教えがあるかの如く語りますが、どこが聖書ではないのか、検証しましょう。
これは、パウロが語ることを、全体的に読まないとなりません。
聖書は全体、そして1つ1つの書は、ある箇所だけ取り出して
読まない。
その全体を何度も何度も何度も読み続けないとなりません。
2コリント3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。
このような箇所を、クリスチャンはこう解説されます。
文字=モーセの律法、霊に仕えることとは違う古い命のない生き方だ、神の言葉に仕えるのではない!などとと教えられますが、
聖書とは完全にズレた思想です。
ここに書いてある「新しい契約に仕える人」とは、頭脳に割礼がされ
神の教えを理解し、聖霊が内側に住む状態。その聖霊と100%
マッチする神の教え=言葉=トラーを新しくされた人は生きる!
それが新しい契約に仕える人の状態なのです。
神の教えを捨てる人は、人間の教えに仕えて生きているのです。
神の教えを捨てる人は、無法、愚かと神が言ったでしょう。
文字に仕えるもの=人間が作った宗教の教えを生きる事、そのもの
を言っているのです。
霊=言葉=イエシュアそのものです。
人の作った教えは、人を殺し、霊=神の言葉は人を生かす!
パウロは、トラー、預言書、諸書を引用して解説しているのです。
クリスチャンの間に浸透した教えは、神の言葉を悪者に仕立て上げる
とんでもない偽情報を刷り込まれているのです。
大元を考えてください。独裁政治のギリシャ帝国、ローマ帝国暴君達が、神の教え=トラーを生きることを、今の北、ベネズエラ、イランや隣の国の独裁者と同じように、人に禁じ、平気で人を処刑し続けて
来たのです。
そのようなおぞましい違反が行われ、四世紀にコンスタンチヌス皇帝がキリストを信じる宗教はOKしたけれど、結局、神の教えを根底からなし崩しにした、変えてしまった人造宗教を作ったのです。
聖書を利用しながら、神の言葉を廃れた!と教える偽物宗教。
神の教え、トラーを捨てた宗教の教えに作り変えたこと、
クリスチャンは、はっきりその歴史の中に起きたおぞましい事実を
知らないとなりません。
イエシュアが昇天されても、神の教えや記念日は変わらない!
それが、聖書に書かれているのに、マタイ以降を読んで、別の教えが
書いてあると考えてしまうのは、最初の部分に対して理解が丸で
ないから、何が書いてあるのか、見えない盲目状態なのです。
異邦人で、パウロ達のように、幼い頃からヘブライ語で記された
トラーに書かれた意味を、満遍なくずっと教え続けられ、
それを生きて来た。
神が創造されたシャバットや祭りを祝い成長したなどという
そのような環境に生まれた異邦人など、誰一人としていないでしょう。だから、神の教えが、分からないだけなのです。
誰かに神の教えは廃れた!という偽情報を聞かされて、それが聖書だと聖書に書いてもないことを、簡単に信じられる。神の教えを知らないからです。
異邦人は、イエシュアを信じても、その後、全員、もれなく教えられてしまった教えは、ローマ帝国製造の宗教、その教えと、慣わし、
儀式、記念日、実践であり、神の純粋な言葉、教え=聖書とは異なることを教えられ、やらされてきたのです。
そのようなことが、聖書ではない!と異邦人も気が付けるように
なった、終わりの時代が来たのです。
嘘から目覚める、聖霊=神の教え、言葉が目覚めさせる力があるからです。
ユダヤ人とて、デイスペンセーション神学のようなアイルランド人が
勝手に作った思想に洗脳されたら、聖書ではない聖書解説を施して、
人を間違った教えに導いてしまっていることが 起きているのです。
イエシュアは、カトリックやキリスト教が教えているような
神の教え、言葉が廃れた、終了!生きなくて良いよ!今はそれぞれが個人で自由選択して生きれば良い!などという、紛い物の偽物、
いい加減な嘘の教えは教えていません!
神の教え=トラーから右へも左へも逸れるな!と言われた父の教えを
その通りに教えているではないですか。
神はこう解説してるからです。
神の言葉=モーセの五書=イエシュア=聖霊です。
神の言葉が、人を生かす命のパンと教えているからです。
霊に仕える人は、聖霊が記された神の言葉=トラーに違反する思想
行動はしない、それが霊に仕える人の実態ですなどと、解説している
それは、1000%間違ったパウロの書いた内容の読み込みです。
聖書を、特にパウロの書簡を、パウロがモーセの五書を否定した
別の教えが解説されているという誤解、空想にぶちあたるような
紛らわしい箇所があったら、パウロ自身の宣言、証明を思い出して
ください。使徒21:21−23
パウロ自身が、1000%トラーに忠実に生きて、人にもトラーに
忠実に生きるように教えて、人にモーセの五書=トラーとは違う教えなど施してない!と証明しているからです。
そうでなければ、パウロはその場限り、人に嘘をつくペテン師ということになります!そんな人は、神は神のトラーを正しく教える使徒として任命しません。
パウロは当時のイエシュア信者の中での、最高峰のトラー教育を受けて、神の教えを熟知した学者であったから、神の教えを正しく人に
教える任務を与えられたのです。
使徒達は、一般人、素人です。漁師やその他の職業を生業とする、
いわゆるプロのトラー学者ではありません。
でも、ユダヤ人の家庭に育つ人は、神のトラーを日々生まれた時から
教えられて知っているのです。
でも、学者と素人は違うことが分かるでしょう。
だから、パウロは、異邦人に対してもトラーを正しく教える任務を
担ったことは、理に叶うのです。
そのトラー学者が、神のトラーを否定する教えをする?言っている
意味が意味不明なのです。宗教の教えは本当に害毒であり、人に真実を伝える妨害ばかりをし続けているのです。
その偽の教え=神の教えを否定する教え、そして迫害のおかげで、
ユダヤ人は極端に防衛戦を貼っているのです。
神が神の言葉は永遠に廃らない!固く立つ!と言われた事
その事実だけに立って考えてください。
廃れなくては、捨てられなくては、否定されなくてはならないのは、
人間が作った間違った教え、聖書を否定する教え、宗教の教えや
神学の方こそ、一掃、破棄されないとならないものなのです。
新しい契約とは、頭脳に割礼がされた人に与えられる、シナイ山で
与えられた神の教えの中身は全く同じ契約が、再更新されたものです。
これが、イエシュアが過越の祭り晩餐で言われた、弟子達に対して
言われた「新しい契約」を結ぶという宣言なのです。
シナイ山で与えらた契約は、時代の中の、節目節目で、何度も再更新されているのです。中身は同じ変わらない神の教えです!
マタイ以降も、トラーしか書いてありません!
トラーを否定する教えなど、1つも聖書には書いてありません!
この事実が、聖書から見えない、イコール真実に覆いがかけられた
盲目状態。だからシャバットごとに、と書いてあっても、日曜礼拝などと、ローマ教の作った日曜礼拝が書いてあると、書いてもないことに読み替えて、7を1と読んでいるのです。
未来に向けて言われたエレミヤ31:31の新しく更新される
契約は、イスラエルとユダの家代表として再更新される同じ契約。
ユダヤの家とイスラエルの家は1つの家になり、異邦人もイスラエルの神の大家族の中に加えられ、同じ家訓=契約を生きる!と書いてあるのです。
異邦人に与えられた契約などありません。
厳密に言えば、モーセの五書の中には、全ての契約が網羅されています。ノア、アヴラハムに与えられた契約はその中に書かれています。
元々、ノアも、アヴラハムも異邦人でした。
その人達、個人個人、個人の家族が、民族となったのが、出エジプト
以降なのです。
神は、神の提示した契約を土台として人との関係を結んでいる事を
はっきり理解しないとなりません。
もし、異邦人だから神の契約は関係ない!と教えられ、そう信じるなら、その人はイエシュア=神とは何の関係もありません!と言って
そう行動しているのです。
新しい=別物と教えられ、そう信じて考えるから、間違った理解をしてしまうのです。ヘブライ語で記された意味通りに、当時の人たちが
理解した通りに、理解しないとならないのです。
新月は、別の月が毎月現れ出るのではないでしょう。
再更新し続けられる契約は、神が造られた月=光、同じ光が天に
現れ満月になり、月がかけて見えなくなり、そして新月が出る。
その新しい=新と同じ同じ言葉なのです。
新しく更新される、中身は同じ父の教え!正しい理解に戻らない
限り、新しい契約、モーセの五書=神の教え=父の教えとは違う
教え!こんなこと、聖書には書いてないのです。
イエシュアが教えられたのは、父の教えです。
父の教えを塗り替える教えなど、イエシュアも使徒もパウロもしていません!
宗教の教えは、神が伝える言葉の真実を人から覆い隠し、誤解した
曲がった、歪んだ聖書解釈を、堂々と知らないまま人に施し、聖書ではない教えをずっと拡散し続けて、人に害を与えているのです。
害=神が伝える永遠普遍の真理、真実を人に分からせなくさせている
からです。
害=神の本当の顔、実態を知ることを妨害し続けている!ということに、そう言う聖書ではないズレた思想を解説する人の教えにより
されてしまっているからです。
でも、自分の身を守る方法があるのです。
神の言葉から右へも左へもそれるなかれ!それが、神の警告であり
神の言葉からそれよ!捨てよ!というのは、サタンの声です。
偽の教えに騙されてはダメ!偽の教えと交わるな!それが神の警告です。偽の教えと交わる、それが姦淫の罪なのです。
神の警告を聞いて、神が神の教えを否定、終了、破棄しないことは
聖書全体により記されているから、それに反する教えは、全部間違った教え!であることは、神の言葉から確信、実証されるからです。
神は然りは然り!と言われて、後で否!とはいう偽りは言わない!
と宣言しているでしょう。
永遠に固く立つ、廃れない神の言葉といえば、それが永遠の真実であり、このように2種類別の教えがあるなどと、聖書のどこにも
書いてもない教えは嘘!とはっきり分かります。