"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -31ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

こんな解説が一般的にされています。

 

<1コリント3章では、「死に仕える務め」(2コリント3:9)

「罪に定める務め」(2コリント3:9)と呼ばれていたモーセの

律法の役割です。>

 

この聖書解説は、聖書の言葉に対して一体何を言っているのでしょうか?神の言葉=モーセの五書は、死に仕える務め?

罪に定める努め。神に何が罪か定義されなければ、人は神の創造の

性質、デザインとはズレた=罪、悪=神の意図通りではないことが何かを、どうやって知るのですか?

人は神に教えられない限り、何が罪で、何が人の生き方で、何が神の者とされた聖別された人の生き方であるのか、分からないのです。

 

神の言葉を最初から、悪者に仕立て上げているその思想、その意識

こそが、神の教えから遠く離れて、ずれているのです。

神を愛する人は、神の仰せ=トラーを生きる!

神を愛する人は、神の言葉、教えに対して敵対心を持つ?

これ、サタンの思惑、意識そのものでしょう。

 

イエシュアを通して、父の元に戻った人は、もれなくイスラエルの神の大家族、イスラエルが代表として受け取った婚姻契約=トラー

天の神の家訓を生きる!と書いてあることが、全く通じていない状態で、神の教えを律法=悪いもの!と刷り込まれた人が、神の教えは

1つしかない!と言う事実にさえ、聖書を読んでも全く気がつけない

そんな盲目状態に留まり続けているのです。

 

神の教えは1つしかない。神の教えは進化、変化しない。

神の教えは、トラー以外にない!と言うことさえ、

クリスチャンは正しく教えらてもいないことが問題なのです。

欠目なく、マタイ以降を読めば、そこに書かれているのは、100%

モーセの五書=父の教え=トラーが解説されているだけ!

そこに登場する人は、今のような西洋人が作った宗教の教えなど

教えられてもないし、生きてもない!!!

シャバットは永遠に第7日目であり、ローマ教、人間が神の教えや

記念日を変えた、日曜礼拝など神の聖別された聖日、アポイントメントの日などではない!

そんなこと、聖書のどこにも書いてもない!ということさえ、

全く気がつけないでしょう。

不思議ですが、それが洗脳、刷り込みという状態にさせられている

のです。

 

モーセの五書=聖霊により記された神の言葉を悪者に仕立て上げ

そして、別物の教えがあるかの如く語りますが、どこが聖書ではないのか、検証しましょう。

これは、パウロが語ることを、全体的に読まないとなりません。

聖書は全体、そして1つ1つの書は、ある箇所だけ取り出して

読まない。

その全体を何度も何度も何度も読み続けないとなりません。

 

2コリント3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

このような箇所を、クリスチャンはこう解説されます。

文字=モーセの律法、霊に仕えることとは違う古い命のない生き方だ、神の言葉に仕えるのではない!などとと教えられますが、

聖書とは完全にズレた思想です。

 

ここに書いてある「新しい契約に仕える人」とは、頭脳に割礼がされ

神の教えを理解し、聖霊が内側に住む状態。その聖霊と100%

マッチする神の教え=言葉=トラーを新しくされた人は生きる!

それが新しい契約に仕える人の状態なのです。

神の教えを捨てる人は、人間の教えに仕えて生きているのです。

神の教えを捨てる人は、無法、愚かと神が言ったでしょう。

文字に仕えるもの=人間が作った宗教の教えを生きる事、そのもの

を言っているのです。

 

霊=言葉=イエシュアそのものです。

人の作った教えは、人を殺し、霊=神の言葉は人を生かす!

パウロは、トラー、預言書、諸書を引用して解説しているのです。

クリスチャンの間に浸透した教えは、神の言葉を悪者に仕立て上げる

とんでもない偽情報を刷り込まれているのです。

 

大元を考えてください。独裁政治のギリシャ帝国、ローマ帝国暴君達が、神の教え=トラーを生きることを、今の北、ベネズエラ、イランや隣の国の独裁者と同じように、人に禁じ、平気で人を処刑し続けて

来たのです。

そのようなおぞましい違反が行われ、四世紀にコンスタンチヌス皇帝がキリストを信じる宗教はOKしたけれど、結局、神の教えを根底からなし崩しにした、変えてしまった人造宗教を作ったのです。

聖書を利用しながら、神の言葉を廃れた!と教える偽物宗教。

神の教え、トラーを捨てた宗教の教えに作り変えたこと、

クリスチャンは、はっきりその歴史の中に起きたおぞましい事実を

知らないとなりません。

イエシュアが昇天されても、神の教えや記念日は変わらない!

それが、聖書に書かれているのに、マタイ以降を読んで、別の教えが

書いてあると考えてしまうのは、最初の部分に対して理解が丸で

ないから、何が書いてあるのか、見えない盲目状態なのです。

 

異邦人で、パウロ達のように、幼い頃からヘブライ語で記された

トラーに書かれた意味を、満遍なくずっと教え続けられ、

それを生きて来た。

神が創造されたシャバットや祭りを祝い成長したなどという

そのような環境に生まれた異邦人など、誰一人としていないでしょう。だから、神の教えが、分からないだけなのです。

誰かに神の教えは廃れた!という偽情報を聞かされて、それが聖書だと聖書に書いてもないことを、簡単に信じられる。神の教えを知らないからです。

異邦人は、イエシュアを信じても、その後、全員、もれなく教えられてしまった教えは、ローマ帝国製造の宗教、その教えと、慣わし、

儀式、記念日、実践であり、神の純粋な言葉、教え=聖書とは異なることを教えられ、やらされてきたのです。

そのようなことが、聖書ではない!と異邦人も気が付けるように

なった、終わりの時代が来たのです。

嘘から目覚める、聖霊=神の教え、言葉が目覚めさせる力があるからです。

ユダヤ人とて、デイスペンセーション神学のようなアイルランド人が

勝手に作った思想に洗脳されたら、聖書ではない聖書解説を施して、

人を間違った教えに導いてしまっていることが 起きているのです。

 

イエシュアは、カトリックやキリスト教が教えているような

神の教え、言葉が廃れた、終了!生きなくて良いよ!今はそれぞれが個人で自由選択して生きれば良い!などという、紛い物の偽物、

いい加減な嘘の教えは教えていません!

神の教え=トラーから右へも左へも逸れるな!と言われた父の教えを

その通りに教えているではないですか。

 

神はこう解説してるからです。

神の言葉=モーセの五書=イエシュア=聖霊です。

神の言葉が、人を生かす命のパンと教えているからです。

 

霊に仕える人は、聖霊が記された神の言葉=トラーに違反する思想

行動はしない、それが霊に仕える人の実態ですなどと、解説している

それは、1000%間違ったパウロの書いた内容の読み込みです。

 

聖書を、特にパウロの書簡を、パウロがモーセの五書を否定した

別の教えが解説されているという誤解、空想にぶちあたるような

紛らわしい箇所があったら、パウロ自身の宣言、証明を思い出して

ください。使徒21:21−23

パウロ自身が、1000%トラーに忠実に生きて、人にもトラーに

忠実に生きるように教えて、人にモーセの五書=トラーとは違う教えなど施してない!と証明しているからです。

そうでなければ、パウロはその場限り、人に嘘をつくペテン師ということになります!そんな人は、神は神のトラーを正しく教える使徒として任命しません。

パウロは当時のイエシュア信者の中での、最高峰のトラー教育を受けて、神の教えを熟知した学者であったから、神の教えを正しく人に

教える任務を与えられたのです。

使徒達は、一般人、素人です。漁師やその他の職業を生業とする、

いわゆるプロのトラー学者ではありません。

でも、ユダヤ人の家庭に育つ人は、神のトラーを日々生まれた時から

教えられて知っているのです。

でも、学者と素人は違うことが分かるでしょう。

だから、パウロは、異邦人に対してもトラーを正しく教える任務を

担ったことは、理に叶うのです。

そのトラー学者が、神のトラーを否定する教えをする?言っている

意味が意味不明なのです。宗教の教えは本当に害毒であり、人に真実を伝える妨害ばかりをし続けているのです。

その偽の教え=神の教えを否定する教え、そして迫害のおかげで、

ユダヤ人は極端に防衛戦を貼っているのです。

 

神が神の言葉は永遠に廃らない!固く立つ!と言われた事

その事実だけに立って考えてください。

廃れなくては、捨てられなくては、否定されなくてはならないのは、

人間が作った間違った教え、聖書を否定する教え、宗教の教えや

神学の方こそ、一掃、破棄されないとならないものなのです。

新しい契約とは、頭脳に割礼がされた人に与えられる、シナイ山で

与えられた神の教えの中身は全く同じ契約が、再更新されたものです。

これが、イエシュアが過越の祭り晩餐で言われた、弟子達に対して

言われた「新しい契約」を結ぶという宣言なのです。

 

シナイ山で与えらた契約は、時代の中の、節目節目で、何度も再更新されているのです。中身は同じ変わらない神の教えです!

マタイ以降も、トラーしか書いてありません!

トラーを否定する教えなど、1つも聖書には書いてありません!

この事実が、聖書から見えない、イコール真実に覆いがかけられた

盲目状態。だからシャバットごとに、と書いてあっても、日曜礼拝などと、ローマ教の作った日曜礼拝が書いてあると、書いてもないことに読み替えて、7を1と読んでいるのです。

 

未来に向けて言われたエレミヤ31:31の新しく更新される

契約は、イスラエルとユダの家代表として再更新される同じ契約。

ユダヤの家とイスラエルの家は1つの家になり、異邦人もイスラエルの神の大家族の中に加えられ、同じ家訓=契約を生きる!と書いてあるのです。

異邦人に与えられた契約などありません。

厳密に言えば、モーセの五書の中には、全ての契約が網羅されています。ノア、アヴラハムに与えられた契約はその中に書かれています。

元々、ノアも、アヴラハムも異邦人でした。

 

その人達、個人個人、個人の家族が、民族となったのが、出エジプト

以降なのです。

神は、神の提示した契約を土台として人との関係を結んでいる事を

はっきり理解しないとなりません。

もし、異邦人だから神の契約は関係ない!と教えられ、そう信じるなら、その人はイエシュア=神とは何の関係もありません!と言って

そう行動しているのです。

 

新しい=別物と教えられ、そう信じて考えるから、間違った理解をしてしまうのです。ヘブライ語で記された意味通りに、当時の人たちが

理解した通りに、理解しないとならないのです。

新月は、別の月が毎月現れ出るのではないでしょう。

再更新し続けられる契約は、神が造られた月=光、同じ光が天に

現れ満月になり、月がかけて見えなくなり、そして新月が出る。

その新しい=新と同じ同じ言葉なのです。

 

新しく更新される、中身は同じ父の教え!正しい理解に戻らない

限り、新しい契約、モーセの五書=神の教え=父の教えとは違う

教え!こんなこと、聖書には書いてないのです。

イエシュアが教えられたのは、父の教えです。

父の教えを塗り替える教えなど、イエシュアも使徒もパウロもしていません!

宗教の教えは、神が伝える言葉の真実を人から覆い隠し、誤解した

曲がった、歪んだ聖書解釈を、堂々と知らないまま人に施し、聖書ではない教えをずっと拡散し続けて、人に害を与えているのです。

害=神が伝える永遠普遍の真理、真実を人に分からせなくさせている

からです。

害=神の本当の顔、実態を知ることを妨害し続けている!ということに、そう言う聖書ではないズレた思想を解説する人の教えにより

されてしまっているからです。

でも、自分の身を守る方法があるのです。

神の言葉から右へも左へもそれるなかれ!それが、神の警告であり

神の言葉からそれよ!捨てよ!というのは、サタンの声です。

 

偽の教えに騙されてはダメ!偽の教えと交わるな!それが神の警告です。偽の教えと交わる、それが姦淫の罪なのです。

神の警告を聞いて、神が神の教えを否定、終了、破棄しないことは

聖書全体により記されているから、それに反する教えは、全部間違った教え!であることは、神の言葉から確信、実証されるからです。

神は然りは然り!と言われて、後で否!とはいう偽りは言わない!

と宣言しているでしょう。

永遠に固く立つ、廃れない神の言葉といえば、それが永遠の真実であり、このように2種類別の教えがあるなどと、聖書のどこにも

書いてもない教えは嘘!とはっきり分かります。