仮庵は、一年の最後を締めくくる最大の祭りです。
未来預言、イエシュアが再臨されて、イエシュアが統治される
新しい世界が来る預言的祭りでもあるからです。
そして、再臨された後、全世界が神のモアデイムを生きるようになると預言されています。
そして、未来全世界が神が創造された祭りで、エルサレムに上る。祭りを祝うとは、神の創造されたモアデイムを全部祝うのです。シャバット、新月、春の4つの祭り、秋の3つの祭り。
永遠に祝われる「わたしの記念日」と神が言われた、
その通りになるのです。
第8日目の祝日に、イエシュアはご自分が救い主である
神、命の源、命を全てにもたらす創造主、源である宣言をしたのです。
仮庵の祭りは、7日間ですが、最後にプラス、1日が付け足されていて、第8日の祝日と呼ばれます。
この日に、イエシュアが宣言されたのです。
ヨハネ7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、
叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところに
きて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
祭の終りの大事な日 הוֹשַׁעְנָא רַבָּה この日を、「ホシャナ ラバ」と呼ばれる日であり、シロアムの池から神殿の祭壇に大勢皆
行列になり、踊り、歌いながら、水を運ぶ儀式の一番盛大に
行われる日なのです。
日本のお祭りでも、お神輿を担いで、群衆がそれを取り囲み、
ずっと行進しながら進んで行く行事がありますね。
水がなければ、枯れて死にます。イスラエルは水が無く、
雨が降らない期間が半年も続き、夏は50度近くにもなるような
灼熱の場所です。
神だけを頼らないと生きて行けない場所です。
荒野の鹿が、湧き水を求めて出てくる様子を、命の水=神ご自身
命の源を求めて乾くことが書かれています。
結局人は、別物を求めて、別物の代替えで満たされない。
命の源に繋がり、本物の水を汲み出し続けて生きるよう、
人は造られているからです。
仮庵の最後の日の盛大な儀式、これを知らない人は、本当の喜びが何か体験したことがないと言われる程、盛大な喜びに包まれる儀式だったのです。
イエシュアの言葉を聞いた人は、イザヤの預言を知っている人達、ユダヤ人なのです。メシアを待望していた。
クリスチャンがこの箇所、ヨハネ7:37−38を読んでも、
何の祭り?祭りの最大の日??何?と考えますか?
意味不明、ただの日本にあるような街の祭り程にしか、頭に思い
浮かびません。
いや、ただ読み逃して、いつイエシュアがこの意味
ある宣言を、意味ある仮庵の祭りでしたということが、
全然見えないが異邦人の理解なのです。
私自身も以前は、福音書以降を読んでも、字面を読むだけで、
その中身の深い意味は、分からない。モーセの五書、預言書に
記されていることを、正しく教えられない、いや殆読まないのが
当然であるような、結局宗教教育だからです
それがいつ、何の時、何の意味があり、モーセ、預言書の何を
裏付けて話しているのかも知らない。
何の祭り、神が創造された命のサイクル、モアデイムをめぐり、特別な出来事、宣言がされているなどということに関して、
全然意識にも上りませんでした。それ以前に、理解が無い。
祭りが何かということさえも、全くゼロ、知らないまま、
ただただ、字面を読んで、意味を知らないまま、読み逃していました。
イザヤ 12:2 見よ、神はわが救=イエシュアである。
わたしは信頼して恐れることはない。主なる神はわが力、
わが歌であり、わが救=イエシュアとなられたからである」。
12:3 あなたがたは喜びをもって、救=イエシュアの井戸から
水をくむ。
このイザヤの箇所が、マイム・マイムのフォークダンスの歌が
付けられ、これはイスラエルでも仮庵の時に踊りますが、
日本では、この意味も教えられないまま、日本中の学校で
このフォークダンスが教えられています。
いつか、この聖句の本当の意味が、そのまま伝わると良いと思います。
偽物のイエシュアではなく、聖書に記されている本物、人間が
イエシュアの顔、実態を塗り替えた偽物のイエシュアではなく
聖書に書いてある通りのイエシュアが伝わるように。
それには、書いてある通り、オリンピアローマ、第四の獣が
作った龍の物言いをする宗教の教えではなく、生粋、純粋な
父の教え、イエシュアが教えられたモーセの五書、トラーに
記されている意味通りを、教えられる必要があるのです。
人の問題は、最初から同じです。神の言葉を捨てる。変える。
神が創造主であり、神が人に何を生きる、何をするようには
造られていないという事、神が伝える言葉、教えを、人間が忘れる、いや忘れさせることをされているのです。
一瞬でも、神の言葉から意識を反らせるのは、偽情報、龍の物言いです。神は本当は、そんな意味では言ってないかも〜。
人が自由に選んで良いんだよ。今の時代は、神の古くて不完全な教え、律法は廃れたから、自分が考えて良いと思うことを、
自己選択して生きる時代だから!これ、全部龍の物言い、
人を神の言葉から意識を反らせて、神の言葉、教えを捨てて生きて良いという思考回路を、ばっちり刷り込み続けて来たのです。
本当に危険。命の根幹、デザインを覆すLGBTQをクリスチャンの
牧師、教師までもが、賛同するような、それ程、神の教えから
遠く遠く遠く離れたズレ=罪を生きて良い!と神の教えを捨てて
いるソドムとゴモラ、ノアの時代と同じです。
そのような腐敗は、何から始まるのか?人が、神の言葉を捨てる事。神になり変わり、権威を奪い、勝手な物言いをし続けている、それに全く気が付けないまま、神の言葉を捨てることが
あたかも、正義!恵み!聖霊時代!という。これこそ、サタン的
666、反キリストとは、神の教えに堂々と敵対し、人を罪へ
いざなう勢力、組織、構造、教えだと、聖書に書いてあるでしょう。
神の教えに真っ向から敵対する声を聞いて、神が言われる通りではなくても良い!と人間が勝手に決める事です。
それをやっていることに、気が付きますか?
神の言葉、教え、指導を、律法と呼んで、律法は悪いものだ!
十字架で処分したのに、そんな古い処分廃品に戻り生きる事は、悪いことだ!と教え続けているでしょう。
信じた後、何を生きたら良いのか、見えないのは、神の教えを
捨てているからです。
最初から、異邦人は、イエシュアが教えた契約に根付く生き方を
知らない、教えられていない、生きていないのです。
聖書に書かれた、ほんの狭い狭い範囲しか、語られていない、
教えられていないのです。
イエシュアが教えられたのは、モーセの五書に忠実に生きる事なのに、マタイ以降だけ読んで、それを読み取れないままです。
イエシュアが父の教えと言われたのは、モーセの五書=婚姻契約、エレミヤ2章に書かれた荒野であれ程神ご自身=言葉=
イシュア=聖霊を求めていたのに、神の婚姻契約を捨てた!
それが、黙示録の2:4にある、「はじめの愛」から離れたと
言っている背景なのです。
その究極が、命を生み出す、神が創造されたデザインを覆す
LGBTQであり、人の道に外れた様々な違反、生き方、人を破壊
傷つける行為、このような事で世界が満ちているのです。
神の言葉を退ける人達は、自分の考えを言いたい放題、やりたい放題、神が神と口では言うのに、思想、行動はそれと正反対のことをしているのです。
神を愛する人は、神の仰せ=トラー、婚姻契約を聞いて、生きる!と書いてあるのに、その意味など通じていない。
「わたしの掟を心に留めて守る人は、わたしを愛する人である」ヨハネ14:21
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」ヨハネ14:23
逆に読めば分かるのです。イエシュアを愛さない人は、神の掟=
トラーに記された掟を心に留めない。
イエシュアを愛さない人は、父の言葉=モーセの五書に記された
神の言葉を、ガードして生きない。捨てる。
その通りのことを、させられているのです。
神の教えを一瞬でも忘れさせる、一瞬どころか、ずっと忘れるよう、捨て去り、考えもしないように西洋宗教は教えています。
大変危険な思想なのです。異端思想に警戒するなら、そのような物言い、嘘、偽情報に警戒する必要があるのです。
人間が作った、教え、宗教は、神の教えから人を遠ざけ、引き裂き、別物の思想を頭脳に刷り込む罠だからです。
神の言葉が悪者にされ、人の作った思想にすり替えている。
これが、地を這う動物の声なのです。
エデンの園を歩く時、神が創造された木、知識の木だけからは
食べてはだめと言われて、それを目で見て確認させて
いたでしょう。
神の子らは、人種、血筋に関係なく、皆が神の家の家訓、
しきたり、神が伝えた通りのことを生きる!それが神が創造された人の生き方だからと教えていることさえ、理解しないまま、
今は律法が廃れたと、神の言葉ではない4世紀のローマ帝国、第4の獣
龍の物言いを聞いているとも、分らないままなのです。
もしクリスチャンが、神の教えが永遠普遍と、イエシュアが
教えた通りに理解していたら、仮庵の祭りを盛大に皆で祝った
事でしょう!
しかし、祝った人などいないと思います。
婚姻契約を捨てて生きよ!という、龍の声を拡散しているのは、
4世紀の第四の獣が作った宗教の教えであり、神の声、本物の
羊飼いの声ではありません。
それは、聖書を読めば分かるはずなのですが、聖書を読みながら
書いてある事実を否定しながら、読むように教育されてしまっているのです。
永遠普遍と書いてあるのを、一時的、暫定的、廃れたと読んでいるでしょう。
全ての神の子ら、イスラエルを代表とする、イスラエルの間に
住もうと希望、決めて住んでいる異邦人も同じ教えを生きると
ずっと書いてあるのに、その事実を全く読み取らないまま、
ローマの教え、ダービーの思想を信じて、聖書、神の言葉を
否定することを、ずっと教えられて来たのです。
それらの聖書から逸脱した思想、教えを、聖書教師と呼ばれる人が、神学校の講壇から次世代の牧師や教師になる人に教え、
その人達が、クリスチャンが集まる場所で、毎週日曜日に
神の教えが廃れたという思想を前提とした教えを施して、それを聞かされ続けているのです。
仮庵の祭りが終わると、春の過越の祭りまで、長い間モアデイム
祭りがありません。シャバットと、新月だけです。
この時期、刈り込みがあります。自分の中に、自分の本来の性質のそぐわないことを、指摘して、気が付かせられます。
それは、日常生活の出来事、人との関係の中で、はっきり教えられ、見えてくるものです。
ハヌカと、プリムの祭り、イエシュアも祝われましたが、
それらの祭りは、神が創造されたモアデイムとは違う性質の
記念日です。歴史の中で起きた事件。
プリムの祭りは、ハマンのユダヤ人殲滅計画から、エステルを
通して、それは、モルデガイの知恵と判断で、神が背後で
ユダヤ人を救い出した歴史の事実を祝っているものです。
神殿を乗っ取られ、偽の神々の偶像と豚と豚の血で祭壇と神殿を汚したギリシャ帝国。
ハヌカの祭りは、ローマ帝国同様、神のトラー、契約を生きる
ことを禁じて、ユダヤ人に、神の教えを破り、ゼウス神を拝み、
清掃動物、豚を食する様に強要し、直接ユダヤ人の口にツッコミ
それを飲み込まない人は、全員処刑されたのです。
マカバイ記を読むと、分かります。
全て、神に敵対する勢力、4つの獣、帝国で表されているものは、神のトラー、教えと、神のモアデイムを変え、破壊し、
神の契約を生きて表し、環境に映し出す人、ユダヤ人と異邦人も
殲滅しようとする勢力なのです。
汚れた生き方を浸透させ、神の聖別を汚す行為、生き方を強要したのです。それがローマ帝国、第四の獣も同じだったのです。
今は帝国ではなく、それぞれバラバラな異教の神々に仕える国々ですが、神の教えを知らない異教徒の生き方をさせています。
そこまで、神の教えを潰し、神の性質を生きる事を妨害する
理由は、敵は、イエシュアが表れ出ること、イスラエルの神が
本物であることが証明されることを、必死で阻止しようと愚かな事をし続けて、人を破壊し続けているのです。
結末は、決まっているのに、悪あがきなのです。
神の教えに敵対し、敵に賛同するような発言、行動は、
聖霊が内側に住む人がすることではないのです。
人が、神の言葉=聖霊ご自身を生きる時、環境の中に、神が
表れ出てしまうから、敵はそれを阻止しているのです。
異教の神々の国に住んでいても、イスラエルの神の大家族の一員に加えられた人は、血筋はイスラエルではなくても、同じ神の
家族として、神が伝える生き方、家訓、振る舞い、生活習慣を
生きると、神が教えているのです。
それが、神の創造した人の生き方、性質そのものであり、天の国
神の家、父の家、祈りの家に住まう人の生き方だからです。
結局人は、神の言われることなど、聞きたくないのです。
自分の考えが第一であり、だから、神の教えは廃れた!という
偽情報がとても心地良く、自由に振る舞えるのがありがたく
聞こえるのは、自己中心だからです。肉のまま。
誰かに命令、制限されたくない。
神の教えに縛られると考えているでしょう。
世界は、益々愛が冷えるとは、神の教えを捨てて、好き勝手に
生きる。人が神の言葉、教えから離れたら、本物の自己像も、
本当の生き方も分からなくなってしまうのです。
人を破壊しようとする勢力は、どんどん強くなって居ることが、分かると思います。
地の塩、世の光とは、神の性質、イエシュアが生きられた通り
父の教え、婚姻契約に根付いた生き方をする人を通して
地の塩、世の光の役割が出来るのです。
偽物を生きたら、塩が塩気を失い、ただの土のかたまりで道端に
捨てられ、光が油が無い状態なら、暗闇なのです。