第8日目 新しい始まりは第8日であり第1日には戻らない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

仮庵の祭りが終わりました。

仮庵を片付けて、新しい年を迎える、色々教えられた事を

心して生きる!と決意する日々です。

 

西洋宗教、キリスト教、4世紀にローマ帝国が作った宗教の教えでは、聖書、神の教え、モアデイムを実践しない、人が作った

別の宗教の教え、文化、実践、伝統、記念日が教えられて

しまっているので、聖書を読んでも、そこに記されている

本当の意味は何か?何を意味して書かれているのか?

場所、時、意味が分からないまま、ただ字面を分かったかようにか読んでいました。

しかし、その内容も、正しく知らないし、深い意味も分からないままになってしまっているのです。

 

人が作った記念日と、神が創造されたモアデイムとは、

意味が全く違うものなのです。

神が創造し、神が人を呼び出している日と、人間が作って、

人間が人間を呼び出している日は、違うものなのです。

 

人は、時を作り出せない。そして、時を取り分け、聖別など

出来ません。しかも、神の創造されたモアデイムは、全てイエシュアを表すものであり、預言的祭りでもあるのです。

 

神が神であるということを、忘れて居るのは、

神の言葉を忘れさせる声を聞き続けて、神が創造された世界は

神のもの、所有者、主権者であり、そこに住まうようにされた人は、神が教える通りを生きるという、シンプルな事実を、

ただただ無視したいだけなのです。

 

神が創造主であるそれが、シャバットで表される宣言であり

神の民に与えられた婚姻指輪なのです。

神の者とされた人は、神の性質通り、天の国、神の家の生き方

家訓を生きる人だからです。

イエシュアの性質を表す地の塩、世の光は、その人が生きる

神の言葉=性質通りを生きる時に、その人の内側、言葉、

行動から、イエシュアの実態が環境に表れ出て、周りの人に

イエシュアの実態、香りが認識されるからです。

 

それなのに、神の言葉、教えとは異なる行動をする、それは

別物のメシアの影を、地上で勝手に映し出し、動き回ることを

しているだけです。イエシュアに属さない生き方をしている。

 

神ではない、人間が作った日で、今は何時でも安息日、聖日

などと主張しますが、それは聖書から逸脱した異端思想です。

いつ集まっても、何の目的で集まっても良いのです。

しかし、それらは、神が聖別し、神ご自身が神の子ら全員を

呼び出しているアポイントメントの日ではありません。

そこにわたしはいません!もちろん、神はいつも居られますが

神が指定されたアポントメントは、神が与える特別な意図、

出会い、目的がある。普通の日には、それはありません。

人の世界でも、毎日が宴会、祭りではないでしょう。

特別な日を準備して、その日を楽しみに待ち、特別な日を

祝い、それを、特別な体験、思い出とできるのと似ています。

何時でも、安息日、祭りで良いよ!などという神は、聖書に

書かれている創造主、イスラエルの神ではありません。

 

それらは、人間が勝手に主張する、聖書に記されていない、

別物の神、偶像です。

偶像=人間の考えで空想している神、偶像です。

聖書の神ではない。

300年代に、ローマ帝国により、神の教えを生きること、

神のモアデイム、シャバット、祭りを祝うことを完全に

禁じられる迄、異邦人クリスチャンも今は神の祭り、秋の祭り、再臨と未来イエシュアが統治される世界を表す預言的祭りを

祝っていたのです。

 

今、イエシュアが教えた父の教え、聖書に記されたトラーと

そして、モアデイムを実践しているのは、ユダヤ人、又は、

聖書が永遠普遍の神の言葉、教えと発見し、理解した人が

オリジナル、本物に戻ってそれを生きて、祝う事をしているのです。

神が創造されたモアデイムを神が指定した日に、神の前に出て

神と共に皆で祝うことを教えているのは、未来預言と、

そして、その中で日々の中で、神の前に神の性質通りの正しい

歩み方、生き方の神が造られたレッスンプラン、カリキュラムがあるのです。

学校でも、年間学習プランがあるでしょう。

神の家にも、同じように、神がプランした人の成長、

命のサイクルのプランがあるのです。

 

聖書には、神が伝える真実が書かれています。

 過越の祭り=種無しパンも、7日間。

仮庵も7日ですが、この祭りは、最後の第8日という単独の日が

加えられています。

8とは、新しい始まりなのです。1ではないのです。

継続して、未来永遠にずっと続くのです。

 

聖書には神が意図する数字が記されています。

7は、完全です。そして、6は人を表す数字として使われます。

5は、神のトラー、契約、モーセの五書。

そして、3は強調をされる時に使われます。

3度という言葉が何度も出てくるのが、それです。

三回繰り返したら、強調です。

ペテロが3度裏切り、3回イエシュアを愛するか、

イエシュアに確認されたのでも、表されています。

8日は、新しい始まりです。

割礼も生まれて8日目に受けるように、神に命じられています。

その日は出血が最小限、そして、かさぶたが出来て癒やされるのです。

8日は、修復、いやし、新しい始まりを教えられているものです。

レビ記を読むと、荒野でミシュカン、神が人と住まわれる場所

神の家、そして祭司システムがスタートしたのも8日目です。

 

レビ記 9:1 八日目になって、モーセはアロンとその子たち、

およびイスラエルの長老たちを呼び寄せ、

9:2 アロンに言った、「あなたは雄の子牛の全きものを罪祭のために取り、また雄羊の全きものを燔祭のために取って、主の前にささげなさい。

9:3 あなたはまたイスラエルの人々に言いなさい、

『あなたがたは雄やぎを罪祭のために取り、

また一歳の全き子牛と小羊とを燔祭のために取りなさい、

9:4 また主の前にささげる酬恩祭のために雄牛と雄羊とを取り、また油を混ぜた素祭を取りなさい。

主がきょうあなたがたに現れたもうからである』」。

 9:5 彼らはモーセが命じたものを会見の幕屋の前に携えてきた。会衆がみな近づいて主の前に立ったので、

:6 モーセは言った、「これは主があなたがたに、せよと命じられたことである。こうして主の栄光はあなたがたに現れるであろう」。

9:23 モーセとアロンは会見の幕屋に入り、また出てきて

民を祝福した。そして主の栄光はすべての民に現れ、

 9:24 主の前から火が出て、祭壇の上の燔祭と脂肪とを焼きつくした。民はみな、これを見て喜びよばわり、そしてひれ伏した。

 

大祭司であるアロンが祭壇にコルバンを捧げることが出来たのが

8日目であり、神の栄光が民の前に現れ出たとあります。

この8日目は、重要な意味があるからです。

 

8章には、祭司システムがスタートする前の7日間の準備期間の

ことが書かれています。

 

レビ記8:33 あなたがたはその任職祭の終る日まで七日の間、

会見の幕屋の入口から出てはならない。あなたがたの任職は

七日を要するからである。

8:34 きょう行ったように、あなたがたのために、

あがないをせよ、と主はお命じになった。

 8:35 あなたがたは会見の幕屋の入口に七日の間、日夜とどまり、主の仰せを守って、死ぬことのないようにしなければ

ならない。わたしはそのように命じられたからである」。

 8:36 アロンとその子たちは主がモーセによってお命じになった

ことを、ことごとく行った。

 

7日間の準備期間があります。

 

らい病の人が癒やされた事を宣言する日も、7日間、天幕の外、

宿営の外に待機しなければなりません。

そして、第8日目に祭司の前に出るのです。

14章に記されているすすぎ、きよめの一連は、イエシュアの

すすぎ、洗い清めを表しているものです。

 

レビ記 14:10 八日目にその人は雄の小羊の全きもの二頭と、

一歳の雌の小羊の全きもの一頭とを取り、また麦粉十分の

三エパに油を混ぜた素祭と、油一ログとを取らなければならない。

人間の考えでやる!これが、諸悪の根源なのです。

このミシュカンが稼働する時、大祭司アロンの息子たちが、

天から下った神ご自身の火ではなく、自分たちの手でおこした

異火を祭壇のコルバンに乗せ、即座に殺された記事が9章に

書かれています。

大祭司、イエシュアを地上で表し、イエシュアの業を神の家の中で教える人達は、別物を人に教えることは出来ない、それ程

禁断な事であるのです。

 

サウル王も、サムエルが来るのを待てなくて、勝手に行動して

王の座を退けられてしまったのです。1サムエル13

 

 

そして、クリスチャンが唯一、話題にする祭りは、シャヴオート

です。ヘブライ語では、週(複数)を意味する名前です。

その週は、7週です。過越のシャバットから数えて7週、

7回のシャバットを祝い、初穂=新しくされた人が成長する

様子を表す、オメル=穂を数える7週があるのです。

過越の祭りの日に処刑され、3日後の「初穂」の日に復活され

そして、シャヴオートの祭りまでの7週間に、イエシュアは

弟子達に現れたのです。

その7週が7回終わった次、それが7x7を繰り返した次の日の第8日目であり、50日目なのです。

これは、エジプトを出て、7週後、奴隷、偽物の主人、王から

子羊の血の代価により贖い出されて7週後です。

全部、意味が繋がっているのが、見えます。

人は、神が造られた時、命のサイクルの中で、神が用意した

特別なカリキュラム、レッスン、新しい人を生きる成長プランを

神が用意して与えて下さっているのです。

命のサイクルに生きるように教えられているのに、オリンピア

ローマ教は、それらを人間の思想、生き方、人間の記念日、

命のサイクルとは別物を作り出し人に教えてきたのです。

 

弟子たちは、過越から、シャヴオートの7週間は、ガリラヤに

戻らず、エルサレム、都に留まったまま、次の祭りを迎えるようにイエシュアに言われたのが、この時期なのです。

そして、シャヴオートは、7週を7回繰り返した次の日、

第8日目です。

それが、第50日目だから、ペンテコステというギリシャ語で

訳された祭りの名前が使われているのです。

7週、7回のシャバットを繰り返し、その次の日、第8です。

 

全てが回復するヨベルの年も、7年、七回のシュミタ年を

繰り返した次の年、50年目、詰まり第8に当たる時に

全てが所有者の元に戻るのです。

詰まり、最後は、全てが神の元、神の創造のデザイン通りに

戻ることを教えているのです。

 

注目してください。シャヴオート。婚姻契約を受け取った日。

花嫁とされて出エジプトした人が、神の契約を受け取ったのは、

過越から、7週。そして、その次の日なのです。8日目。

これは、聖霊降臨祭というものではありません。

シナイ山で、神が直接山頂に降りてきて、神の声を皆聞いて

おののいたのです。

未来、天が地上に降りてきて、1つになるのです。

 

仮庵の祭りは、第七の月の2回シャバットが来た後の15日です。

ヨムテルアは、第七の月の1日、新月の日です。

その日から、10日後、10の言葉、十戒と訳されていますが、神の契約の題目、神の教えを思い巡らし、一年の生き方を

振り返り、全員が一緒にその10日間、軌道修正、クリスチャンの言葉で言うと、悔い改めをする日々なのです。

そして、その5日後、仮庵の7日の祭りが始まります。

 

そして、15日から仮庵の祭りです。

全部七です。そして、仮庵の祭りは、第8日目があるのです。

聖霊は、エデンの園の最初から、神の前に罪を認めて、神の目から共にズレを認めて、神に罪告白した人は、許され、聖霊が

内側に住んでいたのです。最初からずっと同じ。

 

神が人を放置するなどと考えている時点で、別の神を想像しています。

仮庵の祭りは、7日間、そして、その後最後の日に第8日目が

付いているのです。

この第8日は、シャバットとして祝う日です。

仮庵、これは、私達は今この世界を生きている、しかし宮殿

ではない、神の家ではない、悪が支配する世界ですが、

仮庵は、イエシュアそのものなのです。

 

新しい始まりを表しているものです。

皆、同じ意味で繋がっており、未来、イエシュアが到来される

新しい時代を表すものでもあるのです。

 

一日は千年のようとあるように、第8日目は、イエシュアが

統治される時代を表しています。

そして、それは永遠に1に戻らないまま、続いて行くのです。

 

音楽をやる人は、音階、スケールを知っています。

1から7つの音、ドからシの音は、7つであり、次のドは第八の

音で完結します。

1オクターブは、ドからド、8つの音で形成されています。

コードも、3,5,7,9,12と重要な意味があるもので

造られているのです。これらも、聖書に出てくる特別な意味

メッセージのある数字です。

神の時、リズム、性質、生き方、創造の全ては、神が創造された通りに人が生きる、それが神の創造された世界だからです。