聖書には、創世記から、黙示録まで 同じ事しか書かれていません!
段階的開示、プログレッシブ レビレーションなどと教えを
する人がいます。神が自身の真意や救済計画を、歴史の経過や聖書の記述を通じて少しずつ段階的に明らかにしたと言いますが、
聖書には、完全なる神の言葉が書いてあるのです。
真理をつまびらかに、開示し続ける?聖書が書き直しされ続けている?もしくは、聖書教師に、今迄なかったようなインスピレーションが与えられると信じているのでしょうか。
ダービーのような、19世紀まで人が考えついた事のない、
聖書から逸脱した思想を編み出すのは、そのような段階的開示
神の言葉の真実ではない人が語る仮説であり、嘘なのです。
今の時代の方が、よっぽど神の言葉が分からなくなって、
神の言葉、真理に対して盲目状態です。
いや、神の言葉を言語、オリジナルから学ぶ教育無しに、
どのように、正しく書かれている内容を知ることが出来るのか?
という常識的なことに、気がつくベきなのです。
聖霊が何でも教えてくれるという、意味不明なことを信じているのです。
聖霊が何でも教えてくれる条件は、正しく神の言葉を学ぶこと!
それがなければ、人の空想を土台に、何が本当なのかの根拠が
抜けているのです。
聖霊が何でも教えれば、教師はいらないし、学校にも行かなくても良い。自動的に皆、スポーツ、芸術のプロになれる?
医者も学ばないで外科医になり、手術を完璧に執刀出来る?
そんなことありえないでしょう。
今の方が、神の教え、真理、言葉から、逸脱し、真理から迷い出ている状態なのです。聖書を読みながら、何が罪であるのか
書いてあるのに、識別出来ない。聖別された人の生き方が何であるのか、神の言葉を捨てているから分からない。
何を神が生きよと教えているのか、教師が知らないまま、
人間が作った教えを教えて生きている不思議に目が開かれないと始まらない。
神の教えが、変化しないとも気が付けない、聖書に書かれているのに読み取れない状態に陥った人達が、聖書から逸脱した思想を
様々に編み出し、主張し、拡散し、人に聖書出はない教えを
教え続けているからです。
聖書はトラーの教え、言葉を解説しているのです。
黙示録の最後に至るまで、トラーと預言書に記された事が、
ずっと書かれている事が、読んでも分かるはずです。
イスラエルだけへの教えという読み方をするならば、それならば異邦人には、イエシュアは、一切何も関係ありませんということになります。
イエシュアが言われたでしょう。
マタイ15:24 するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。
詰まり、神の契約、教え、トラーを知らない人のところに行って
1から説明するのではない。契約を与えられた人達が、
世界へ、神の教え通りを拡散させるから、地上で制限時間のあるイエシュアが契約に根付いた生き方を知らない異邦人のところに
直接行く無駄は出来なかったからです。
イスラエルを代表として、神の家の家訓、婚姻契約書を渡され
それを、世界の四隅に伝える重大な役割をイスラエルが与えられたのです。
全民族の父と任命されたアヴラハムの子孫、それがイスラエルであり、神が伝える神の国、神の家、父の家の同じ家訓、生き方を
全世界へ伝える、それがイスラエルの役割なのです。
創世記12:3
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
ヨハネ4:22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、
ローマ 3:1 では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。
また割礼の益は何か。
3:2 それは、いろいろの点で数多くある。
まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。
3:3 すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。
イザヤ2:1 アモツの子イザヤがユダとエルサレムについて示された言葉。
2:2 終りの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、
2:3 多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、
ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。トラー=神の教えはシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
<道、イコール、ハデレフとは、契約に根付く生き方、歩みのことなのです。>
ミカ 4:1 末の日になって、主の家の山はもろもろの山のかしらとして堅く立てられ、もろもろの峰よりも高くあげられ、
もろもろの民はこれに流れくる。
4:2 多くの国民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、
ヤコブの神の家に行こう。彼はその道をわれわれに教え、
われわれはその道に歩もう」と。
トラー=神の言葉、教えはシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
<主の言葉、教えは、主の言葉=トラーを否定するローマ、
人間の宗教から出るのでは有りません!>
ルラブでも、教えられているように、水、源、命の源=神に戻ることを、ずっと教えられています。
神に戻る、イコール、それは、神の性質通りに生きることに戻る。神の戻る=神の言葉、教えに根付く、それが聖霊に浸るという意味なのです。神に戻るというと漠然と空想するでしょう。
神の中に居る、そしてその人達は、神が伝える性質通り、
トラーに記された神が創造された人間の生き方を、コミュニテイ
民全体でする!シンプルな事実を教えているのです。
創世記 1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
イザヤ55:1 「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。
金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。
55:2 なぜ、あなたがたは、かてにもならぬもののために金を費し、飽きることもできぬもののために労するのか。わたしによく聞き従え。そうすれば、良い物を食べることができ、最も豊かな食物で、自分を楽しませることができる。
55:3 耳を傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは
生きることができる。わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てて、ダビデに約束した変らない確かな恵みを与える。
55:4 見よ、わたしは彼を立てて、もろもろの民への証人とし、
また、もろもろの民の君とし、命令する者とした。
55:5 見よ、あなたは知らない国民を招く、あなたを知らない国民はあなたのもとに走ってくる。これはあなたの神、主、
イスラエルの聖者のゆえであり、主があなたに光栄を与えられたからである。
55:6 あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、
主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。
55:7 悪しき者はその道を捨て、正らぬ人はその思いを捨てて、
主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。
われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。
55:8 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、
あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。
55:9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
55:10 天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。
55:11 このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに
帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。
<神の口から出る言葉とは、トラー、モーセの五書に記されている言葉なのです。それを捨てる事、その行為が何を意味しているのか、イエシュアを信じるならば、知らないとならないのです。大体、人間が神の言葉を捨てる、無用、廃れた!という大冒涜を平気で語る意識が、根本的に、神の考えから全く逸脱して
ズレた状態である!ということに先ず、気が付かないとなりません。>
55:12 あなたがたは喜びをもって出てきて、安らかに導かれて行く。山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打つ。
55:13 いとすぎは、いばらに代って生え、ミルトスの木は、
おどろに代って生える。これは主の記念となり、
また、とこしえのしるしとなって、絶えることはない」。
エレミヤ2:1 主の言葉がわたしに臨んで言う、
2:2 「行って、エルサレムに住む者の耳に告げよ、主はこう言われる、わたしはあなたの若い時の純情、花嫁の時の愛、
荒野なる、種まかぬ地でわたしに従ったことを覚えている。
<黙示録でヨハナンが記した、「はじめの愛」から離れた、
捨てたとは、ここから語っているのです。
神の教えを生きることを荒野で熱心に求めたのに、神の教え、
契約に根付く生き方を捨てた!ローマ帝国の迫害で!
それを書いているのです。
神の教えは、創世記の中に記されたイスラエルが辿った歴史の
なにかの事実、ナレーションに基づき書かれているのです。
裏付けになる出来事が必ずあるのです。だから、トラーを知らないなら、聖書を読んでも、何が書いてあるのか、空想になる。
だから、ダービーが考えだしたような思想、分裂思想、神の進化論仮説を編み出すのです。>
2:3 イスラエルは主のために聖別されたもの、その刈入れの初穂である。すべてこれを食べる者は罪せられ、災にあう」と主は言われる
2:7 わたしはあなたがたを導いて豊かな地に入れ、その実と良い物を食べさせた。しかしあなたがたはここにはいって、わたしの地を汚し、わたしの嗣業を憎むべきものとした。
2:8 祭司たちは、『主はどこにおられるか』と言わなかった。
トラーを扱う者たちはわたしを知らず、つかさたちはわたしにそむき、預言者たちはバアルによって預言し、益なき者に従って行った。
<イスラエルが、約束の地を追放されること、神の契約を破ること、神がしてはならない!神の教えから逸脱することは、
約束の地に入る前、預言されていました。
イスラエルへ警告されたことは、異邦人へも、同じ教え、警告なのです。そうでなければ、異邦人は、イエシュアとは関係ない
神の家族の一員でもないということになります。
神の教えをする祭司達が、神の教えを正しく教えず、聖別を教えず、きよいもの、きよくないものの区別も教えず、シャバットを汚したのです。これを異邦人イエシュア信者が今堂々とやっている、皆がやっているから、皆が信じているから、聖書に書かれているのに、神の教えを教えとも受け取れなくなっている状態
危険な状態なのです。>
2:13 「それは、わたしの民が二つの悪しき事を行ったからである。すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて、自分で水ためを掘った。それは、こわれた水ためで、水を入れておくことのできないものだ。
<自分で水溜を掘る、イコール、これこそが偶像礼拝、人間が
編み出した思想や、宗教、教理を生きることなのです。
神の教えを廃れたと捨てて、人間が作った思想を生きている!
水=本物の命、神の源に繋がらない偽物の教えを生きている。>
2:14 イスラエルは奴隷であるか、家に生れたしもべであるか。
それならなぜ捕われの身となったのか。
