仮庵最後の日 シェミニ・アツェレット 第8日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

仮庵の祭りの7日になり、丁度週一度のシャバットが

「シェミニ・アツェレット(八日祭)」にぴったり重なりました。

祭りの開始日と、最後の日は、曜日に関わらずシャバットと同じく止まり祝う日です。

そして、祭りの週の中に第七日目のシャバットが来れば、

その日はもちろんシャバットとして止まり、祝う日です。

7日間の長い祭りは、過越の祭りと仮庵です。

両方、7日間の祭りです。7=完了、完全を表すものです。

7日、7週、7月、7年=シュミタ年、負債がゼロになる

負債で使用人となった事が、解かれる。

7年を7回繰り返すヨベルの年。元の主人の手に戻る

土地が元の所有者に戻る。全て、修復を教えているのです。

元の所有者、最後は王の王に全てが戻る!

仮庵は、7日の祭りと、そして最後の日を

「シェミニ・アツェレット(八日祭)」第8日という単独で

独立した日を祝います。この日が、2026年は、今日の日没

迄なのです。

シムハトラーと言って、神の契約、トラーを与えられたことを

喜び祝うという日でもあります。この日は、盛大に祝う日です。

 

聖書に記されている世界、教え、記念日、祭りは、西洋ローマ

帝国宗教の教え、記念日、祭りと違う内容のものが書かれていて

違うことが教えられています。

 

イエシュアが教えた教えは、父の教え=モーセの五書、そして

イエシュアが教え、祝われたのはシャバット、新月、春の祭りの

4つ、過越、種無しパン、初穂、そしてシャヴオートであり

秋の祭りはヨムテルア、大贖罪日、そして仮庵の祭りと、

今日の第8日めの最終日の祝いの日なのです。

 

聖書と、人間が作った宗教の教えや記念日とは違います。

神が創造されたモアデイムは、人が生きる命のサイクル。

神の元に戻り、新しくされた人を生きて本物の自分を取り戻し

修復される命のサイクル、暦、時です。

神のモアデイムの中で、偽物、ズレを日々の出来事を通して

教えられ続けて、脱皮して行くサイクルを神が造られたのです。

栄光から栄光へと、主の性質通りに変えられていくプロセスは

自動的ではない。エレベーターや自動に動く歩道ではない。

生きて、神の教えられる事を聞いて、生きて、参加する人が

変化して行く事が出来るものなのです。

そうでしょう。目の前の本を開かなければ、そこに何が書いて

あるのか分からない。

本を読んで、その中で教えられることを、実際に練習してみな

ければ、どんな分野のことも、上達しないのは、誰でも知っている事です。

料理のプロは、材料の性質を知り、切り方や、取り扱い方を研究した人に教えられ、それを実際に自分でやってみる。

味付け、調理時間、その他、実際にやってみて、やりかた、

かげん、コツを習得して行くのです。眺めているだけではない、

実際にやってみないと、習得出来ません。

野球の大谷選手も、子供の頃から小さい、細かい練習の積み重ねを、父親や、コーチにより手ほどきされ、指導されて練習

してきたから、今もしているから、元からある素質が開花し、

その才能、技術を上達出来ているのでしょう。

楽器演奏習得も同じ。楽譜見ていただけでは、楽器を眺めていただけでは、人が演奏する様子を見ているだけでは分からない。

実際に先生に手ほどきされる通りに、日々練習し続けて、

上達するのです。

それと同じ事なのです。新しくされた人を与えられた。

それが、信仰義人と言っていることであり、努力で新しくされた人を手に入れたのではありません!

それを、努力で手に入れよう、改宗儀式をして手にいれよう

それは出来ない事でしょう。そして、義とされた、神の元に

戻った、聖霊が内側に住む事が始まった後の生き方を、

クリスチャンの教えの世界では、正しく教えて居ません!

神の者とされた人は、神が伝える通りを、生きる、再学習が

待っている!これが、完全に抜けて、それぞれが考えることを

自由に生きて良いと教えてしまっていますが、聖書から完全に

逸脱している思想、実践、生き方なのです。

神の国には、神の家には、神が創造された通りの生き方をする

それ以外は異物であるということを、理解しないとなりません。

ロイヤルファミリーには、独特な生き方、生活習慣がある!

それを、一般人、野生であった人は、1から学ばないとならないのです。野生、イコール、神の教え、天の国のしきたり、家訓

生き方を知らない人達です。神の教えを知らないでしょう。

異邦人は、ユダヤ人のように、トラーを知らない。

聖書に登場するイエシュアを信じた人は、殆がユダヤ人でした。

彼らは、神の教えを知って居た人です。シャバット、祭りを

祝うことをして来た人達です。

異邦人は、違います。神の教えの、いろはが何も教えられていない、知らない、生まれ育ちが先祖代々異教の神々を信じる異教徒文化で生きて来たからです。

だから、平気で神の教えが廃れた!などと唱える偽の教えに

同調出来るのです。何でもOKと勘違いしているのですが、

神の家には、土足で上がれない。異教徒の生活習慣や、その他

異物の構造を、神の家には持ち込めないことが、聖書には

はっきり記されているのに、神の言葉は廃れたという偽情報の

おかげで、神が教えている生き方を、殆捨てているのです。

勝手なふるまいをして、神の国を、聖別を汚す行為、罪を罪とも識別しない生き方、別物の教えの構造で満たしているのです。

それら、神の教えに違反する生き方は、イエシュアが内側に住まう人は出来ない!ということが、分からないままなのです。

 

古い人、死んだ自分、イエシュアと共に葬られた偽物の自分は、

神の性質通りに造られた本物の生き方ではない思想、思考回路

行動を学習してしまったのです。

その偽物の生き方を切り替える事は、ただブンバラバラバラ

呪文を唱えているだけでは、変わらないのです。

神に教えられた事、神が伝える通りを分かった事を生きて行く

上で成長し、新しくされた人の性質を自分のものとして

取り戻していく、それは自分で神の言葉を生きて行くことで

御霊の実が季節、時が来るとなるとあるのです。

これは、季節=モアデイムです。神が創造された命のサイクルを

シャバットから、シャバット、新月から新月、祭りから祭りへ

神の教えの中、声の中で、神が言われる通りを実際に生きている時に、御霊の実がなると教えているのです。

水のほとりに植えられたとは、水=イエシュアです。

水=イエシュア=聖霊=神の言葉です。

人が、イエシュアが生きた通りをまねする、実践するとは、

イコール、神の考え=言葉=教えに根付いて生きる以外にない!

これが、多大に覆い隠されて、他のことに邁進させられているのです。

礼拝というと、歌、踊り、賛美や祈りやそのような事をやると

考えるでしょう。それは、神に対する表現の1つなのです。

それらは、神が呼び出して居る日に皆で集まり、神の言葉、

教えを読み、考えることをする、祝うことをするのです。

しかし、礼拝の本当の意味は、そのような限られたことではないのです。

アヴォダ、生きることなのです。

「生きることは、キリスト」とパウロが言ったのは、

エデンの園の最初から書かれている事なのです。

何をしていても、神の前には、全てが神への礼拝、アヴォダだからです。それは、神の性質通りを生きること、イコール、

それが礼拝と書かれているからです。

エデンの園を耕すという言葉、耕す。

神に言われた通り、耕し、神が言われた通り園を管理する。

エデンの園、自分の頭脳も、エデンの園の木と同じ形の脳回路

があります。かしら=頭脳=良い地にまかれた種。

神の教えを理解し、神の言葉=種を性質通りに耕し、手入れする

生き方。御霊の実は、神の言葉に根付いて生きる時に、

季節が巡る、季節ーモアデイム、神の時の中を、神が教える通りに生きるときに、実がなると、教えているのが、詩篇1の冒頭

詩篇1−3にはトラーが解説されているのです。

神が言われた事、これこれをするように、あなたは造られています。これこれをするように、あなたは造られて居ません。

神の言葉を無視して生きるとは、神を愛する行為ではなく、

神を忘れて生きることです。

詰まり、自分の考えが最優先になり、神の言われる事を一瞬でも忘れる、捨てる、危険な状態になるのです。

 

神に創造された、神の性質通りを、神の教え、言葉に根付いて

生きること全て、それが「礼拝」の本当の意味だからです。

 

日々の生き方、行動がイエシュアの性質通り、それはイコール

トラーに記された生き方通りであるなら、その人の内側から

見えない神、イエシュアの香り、雰囲気が、行動を通して

環境に表れ出て、周りの人が、目に見えない神の実態にふれるのです。

毎日が礼拝!と言うなら、その通り、生きることを通して、

イエシュアの性質通り、神が言われた通りを生きることです。

神の教えは廃れた!第四の獣が作った宗教の教え、龍の声の

代弁者は、イエシュアに属する人のする生き方、行動、発言することではありません!

人を恐れ、尊重し、人に属するのか、それとも神を畏れ、神の言われる事を信じて、忠実に生きるのか?

あなたは、命=神の言葉を生きることを選びなさいと言われている、本物の羊飼いの声が全く聞こえていない、通じていない。

それは、龍の声=偽物の教え=神の言葉は古くて廃れて、人を

縛る、悪い生き方だ!という声に遮られ続けているからです。

 

そして、いつでも、何曜日でも、安息日や祭りという、人間の

教えを、神の教えだなどと、発表、主張してはなりません。

あなたの職場、学校、国の記念日は毎日ではないでしょう。

特別な日、指定している日、決まった特別な日が、取り分けられているでしょう。毎日が宴会ではない。祝日、休日ではない。

それと同じです。毎日が休日、それでは労働日がない、特別な

記念日の意味は、全くなくなります。

神が創造された神の国、神の家には、神が創造された特別に

取り分けられた、神ご自身が神の大家族のメンバー全員を呼び出し、皆で祝う日を設けられているのです。

その日は、人が作って、決める日とは違うものです。

それを、人間、西洋教父、第四の獣、ローマが、

クリスチャンは、第七日目ではなく、日曜日を尊重せよ!という

勅令を出して、強制的にローマ帝国下の市民に従わせたのです。

又は、あるクリスチャンは、「今はいつでも安息日」などと

言い続けていますが、ローマ14章のパウロの記した事を、

完全に誤解して、神の創造されたレビ記23章のモアデイムを、人間がどの日に決めても良いという、とんでもなく逸脱した誤りの聖書解説がずっと施されているのです。

そういう、間違いの聖書解説を教えられるのは、進化論を

教えられるのと全く同じ事をされているのです。

真実ではない、人の思想、偽情報、偽仮説をあたかも、聖書

神の言葉と教えられてしまっているのです。

そのような嘘、偽情報、砂を土台として、神の言葉を人間が

なし崩しにする思想、宗教を信じさせられている、イコール、

龍の声を聞いて、本物の羊飼いの教えを聞いていると勘違いしているのです。そして、世界へ、聖書とは違う、歪んだイエシュアを拡散していることに先ず気がついて下さい。

特に、ユダヤ人には、そのような思想は、偽メシアとしか見えない、その通りだからです。神が神ご自身の言葉を捨てさせ、

聖別を汚す生き方、罪を堂々と生きることをしている、

ただの新興宗教、偽のメシアを信じていると見られています。

 

キリストを信じれば、後は何でも良い、天国切符手に入れたら

後はやりたい放題、お恵みだけ貰えれば良いという考えや

人に聖書に書かれていない、別のイエシュア、歪んだ顔、実態の

イエシュアを知らない間に伝えているのです。

そして、人を宗教の教えで縛るのです。人間が作った宗教、

真理出はない教え、生き方が人を縛っているのです。

神の教え、言葉は、人を自由にします。自由とは、罪に縛られない、束縛されない、本来の生き方が出来ると言っているのです。

人の教え、宗教に縛られて、それに気がつく大勢のクリスチャン

特にアメリカはクリスチャン人口が多いですから、そのカルト化

した宗教思想や活動から、脱出している人が、声を上げているのです。日本はクリスチャンの人口が少ないですし、英語圏の

動画や記事は、意識してアクセスしない限り見れませんが、

このような宗教が編み出した運動に縛られていたのは、今に始まった事ではない。ずっと前からなのです。1世紀後半から。

 

ローマが作った宗教ではなく、イエシュアが教えられた生粋

純粋な神の教え、言葉、トラーに戻る必要があります。

イエシュアは、人に神の教えに敵対し、破棄、捨て、終了し

関係ないから、自由に生きよ!などと、教えていません。

そのようなメシアは、カルト化した偽物のメシアを語っているのです。

父の教え=トラー=モーセの五書に書かれた教えを、父の意図通りに教えに来た!父の言われた事以外は、何も語らないと書いてあるのに、そのイエシュアが、父の言葉が廃れた、終了!

などと言っていると主張している、その思想こそが、龍の声

龍の物言いであり、神の教えを妨害する大きな大きなつまづきの

岩なのです。

父の教え、トラーを否定し、変えるメシア、イエシュアは

聖書に書かれていない、偽物!偽物の羊飼いです。