神の大家族には神の伝える独特な生き方がある | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の教えが変化し、神が創造された記念日が全部終了し

代わりにローマ帝国が4世紀に作った宗教の教えの宗教活動や

実践、日曜が聖日、主の日になり、クリスマスやイースターを

祝え!と聖書に書いてもないことをなのに、イエシュア、神が

教えていると考えているのは、偽情報、龍の物言いを信じているからです。

 

そのおかげで、どういう事が起きているのか?

神に対して、世界へ偽証している。特にユダヤ人に対して

偽物、聖書には書いてない偽のメシアを伝えている。

神の前に罪である行為、神の教えを捨てること、罪を罪とも

認識出来ない生き方をしていること、神が伝える契約に根付く

生き方を信じた最初から知らない、教えられてもいないし、

今も生きてもいない。

聖別を汚す行為が何かも、神の言葉から理解していない!

混ぜもの、姦淫の罪、偶像礼拝と警告されているものを

知らない間に、堂々とやっているのに、無感覚状態。

異邦人には関係無い教えさ!その思想そのものが、偽情報

嘘だから、神の教えを堂々と平気で捨て去って、何も考えても

いないのです。

 

1000%勘違いした間違った聖書の読み込みを通して、

神が伝える事実が全くクリスチャンには伝わらなくなって

しまいまっただけなのです。

最初から偽物を教えられてしまうと、生まれた最初に偽の親を

見せられた雛鳥と同じく本物が分からなくなってしまうのです。

 

それらが、再学習の旅、ノア、アブラハム、ヤコブ、

荒野の40年の旅路と同じく、偽物の教えを学習したことを

リセットする旅路なのです。

脳回路は実際に脳の中に物理的に製造され続けます。

偽物の教えを考え続けている脳回路は、偽物の教えが染み付くのです。それを箱と呼ぶでしょう。

自分の既存の考え以外では、考えられなくなるのです。

 

この映像を見ると、脳内で偽の教え、真実の教え、両方に対して

脳回路が出来る事が分かります。偽物の教えを聞き続けると

偽物の教えを信じる脳回路ができて、その脳回路=思考回路

固定概念の中でしか、物事を考えられない、見れなくさせられます。間違った思想を考え、教える教師程、この脳回路は固くなり

間違いに気がつくのが難しくなるのです。

間違った教え、情報を信じる、それが固定概念、既存の先入観であり、間違いの教えであっても、そこからしか考える事が

出来なくなるのです。

人間が神の言葉を曲げるという偽の教え、それが本当と思い込み

その偽の思考回路からしか、聖書が読めなくなる。

下矢印

脳回路が出来上がって行く仕組み

 

神の古い教えを生きる人は、律法主義とクリスチャンは

言いますが、神の教え、律法、本当の言葉はトラー=神の教えを捨てる人を、神の教え、定義では、「不法者、神に敵対する者」と伝えています。

 

神の教えは律法は古くて、廃れた悪い教えだ!それはキリスト教が主張する勝手な主張、 定義ですが、

神の教えから意識を反らせる勢力が、反キリストなのです。

神の教えを塗り替える、捨てることをさせる事、それが、

聖書が語る反キリスト、666の構造であることを

聖書から知ったほうが良いです。

 

聖書に記されていない、偽物、違うメシア、聖書に書かれて

いない、神が神の教えを終了する!という作り話をローマ教が

しているから、異端 偽のメシアとユダヤ人は認識しているのです。当然です。偽証するなかれとあるのに、堂々とそれをしている。永遠普遍と言われたご自分の言葉を言い換える嘘つきの神、偽証です。神が聖別していもの、日を、聖別聖日と主張する、

それも、偽証です。

 

エゼキエル 22:26 その祭司たちはわがトラー=神の教え、

婚姻契約(律法)を犯し、聖なる物を汚した。
彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

 

これが、混ざりものの教えを取り入れる姦淫の罪、偶像礼拝

第四の獣、ローマ帝国が作った宗教でもあり、

ここに書かれている、イスラエルのレビ族の腐敗した祭司達への

同じ警告なのです。

なぜなら、神はイスラエルの神であり、ローマ帝国が作った宗教の神ではないからです。

聖書は、神の言葉、教え、警告は創世記の最初から黙示録の最後まで、永遠から永遠に変わらない、同じだからです。

人種に関係ない、神が創造された同じ人間に語っているからです。

それが起きたのが1世紀後半以降です。

プラトンやグレコローマ哲学思想を信じる思考回路を持つ

西洋教父達の主張は、聖書に反する事を人の教え始めました。

聖書は、イスラエルを代表として書かれていますが、イスラエルという国家が出来た時も、その中に異邦人も含まれていました。

いや、それ以前、創造の最初は、皆異邦人です。

アダム、ノア、アヴラハム、皆異邦人です。

 

神が1つの国民を選び出し、神の国、聖別された民、国、神の家天の国の現実を生きる人を、世界の中から唯一選びだしたのは、

他の異教の神々の民族とは違う、神の家、神の国の生き方を

ガードして生きて、世界へ福音を伝える人を選び出さなくては

ならなかったからです。

唯一であり、いくつもの民族ではありません。

なぜなら、神はお一人であり、神の国、神の大家族も1つだけ

だからです。

1つ神、聖別された1つの国民、イスラエルという名字の

大家族の長男、その長子がユダヤ人イエシュアであり、

唯一の家族に、他の全ての民族も加えられるのです。

 

それは、血筋が日本人からユダヤ人になるのではないのです。

しかし、変化はあります!異教の神々、文化で生きていた生き方から、決別し、神が教える神の国、神の家の家訓を1から教えられて生きることに切り替える!異邦人だったアヴラハムがしたことと、同じ事をするように教えられているのです。

これを、正しく理解しないとならないのです。

イスラエルの神の大家族に加えられた人は、以前の異教徒

異文化の生活習慣、すなわち神が伝える生き方ではない、

聖別を汚す行為、罪、ズレた生き方をやめないとならない。

イスラエルの神の家、大家族には、神が提示する生き方という

家訓があるのです。血筋、民族に関係なく、神の大家族に加えられた人は、もれなく皆、神が伝える生き方に切り替える!

簡単なことなのに、反抗し続け、自己主張し、異教の神々の文化生活習慣、その他自分の生活の生き方全部の構造を持ち込んでいるのです。

それは、日本人が着物を着るのをやめるのではありません。

しかし、肌が露出するような奇抜な格好は、神の教えに反する

ドレスコードです。

寿司や、天ぷら、仮庵の祭りの間の祝宴で何でも食べられます!

しかし、神が禁じた人の食べ物ではないもの、人が食するように創造されていないきよくない動物を使ったものは、食さない!

こんなシンプルな事なのです。それは嫌だ!その場合、神を拒絶して、神を無視している行為です。

きよいもの、きよくないものの区別がつかない、神の教えを

聞きたくない異教徒のままであると自覚がないだけです。

 

神の家には、そのようなもの、生き方は持ち込めない!と書いてある意味が理解出来てない、それは神の教えが廃れた!という

龍の物言いをする大嘘を語るローマが作った宗教の教えを、

信じた最初から刷り込まれているからです。

 

信じるだけで良いんです。後は何でも好きに生きて良いのです?それはローマ教の教えであり、神が伝えている教えではありません。

光=聖霊、イエシュアが内側に住む人は、油=神が伝える

家訓、神の性質通りに造られた人の生き方をする!

シンプルな事実なのに、宗教の教えが複雑にしているのです。

神の家には、罪、聖別を汚す行為を持ち込めない!という基本的な教えを、理解しないとならないのです。

 

聖書には、キリスト教も、今のようなユダヤ教の教えも書かれていません。

ユダヤ教と考えると黒装束をまとい、彼らの厳しい戒律を生きると考えますが、それも神の教えではないのです。

 

もちろん、彼らは神の教えを生きていますが、そうではない

人が編み出した様々なルールをやっているのです。

それはなぜか?神の教えを破らないよう、神の教えの周りに

垣根=人間のルールをつくり、聖書ではない教えをふんだんに

盛り込んでいるのです。

ユダヤ人も、それに辟易して、そこから抜け出す人も多い。

しかし、それも神の教えられた生き方ではありません。

例えば、結婚した女性は髪の毛を剃らされます。これは神の教えではありません。そしてかつらをかぶるのです。

皆同じ髪型なのは、そのせいです。理由?他の人に魅力的で

あってはならないからだそうです。

異邦人とは付き合わない、これは1世紀ペテロ達も同じような

伝統の下にあったことが、使徒10やその他、パウロの叱責でも

分かると思います。

朝起きたら、靴紐は右から結ぶとか、全てを何かにつなげて

トラーに記されていないルールを編み出す、それらはイズム

ユダヤ教です。

 

私達が知らなくてはならないのは、神の教え、言葉であり

神が人に何を生きるように造られ、何を生きないのか、

それを神が教えられる言葉を通して、理解して生きる。

それなのです。

人間は、バベルの塔と同じ、そして自分の考えた環境を

街を作る。それをずっとして来たのです。

未来、イエシュアはエルサレムに戻ります。

神の家、祈りの家、神殿はエルサレムに再建されます。

黙示録の最後にある未来のエルサレムの神殿は、シンボルで

書かれています。

これは、別の時に解説します。

 

エレミヤ 3:14 主は言われる、背信の子らよ、帰れ。

わたしはあなたがたの夫だからである。町からひとり、氏族からふたりを取って、あなたがたをシオンへ連れて行こう。

 3:15 わたしは自分の心にかなう牧者たちをあなたがたに与える。彼らは知識と悟りとをもってあなたがたを養う。

3:16 主は言われる、あなたがたが地に増して多くなるとき、

その日には、人々はかさねて「主の契約の箱」と言わず、これを思い出さず、これを覚えず、これを尋ねず、これを作らない。

3:17 そのときエルサレムは主のみ位ととなえられ、万国の民は

ここに集まる。すなわち主の名のもとにエルサレムに集まり、

かさねて、かたくなに自分の悪い心に従うことはしない。

33:10 主はこう言われる、あなたがたが、『それは荒れて、

人もおらず獣もいない』というこの所、すなわち、荒れて、

人もおらず住む者もなく、獣もいないユダの町とエルサレム

のちまたに、

 33:11 再び喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、

および『万軍の主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみは、いつまでも絶えることがない』といって、感謝の供え物を主の宮に携えてくる者の声が聞える。それは、わたしがこの地を

再び栄えさせて初めのようにするからであると主は言われる。

 33:12 万軍の主はこう言われる、荒れて、人もおらず獣もいないこの所と、そのすべての町々に再びその群れを伏させる牧者の

すまいがあるようになる。

 33:13 山地の町々と、平地の町々と、ネゲブの町々と、ベニヤミンの地、エルサレムの周囲と、ユダの町々で、群れは再びそれを数える者の手の下を通りすぎると主は言われる。

 33:14 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。

 33:15 その日、その時になるならば、わたしはダビデのために

一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。

 33:16 その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。