神が神の子ら全てを呼び出している特別な季節 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバット、新月、春と秋の祭りは、廃れて古い律法時代の

廃れて終了した祭りなので、今は関係ありませんとか、

ユダヤ人だけ祝えば良い記念日だ!とクリスチャンはそう教えられ、皆がそう信じて、その様に神が創造されたアポイントメントの日、祭りを全て捨てています。

 

又は、今はその人が考える日、どの日でも安息日、記念日で

良いと教えられています。

ローマ14章にある、パウロが語る内容は、レビ記23章に

記された神の創造された神の子ら全員を呼び出しているアポイントメントの日のことなど、実は一言も話していない、考えにも

浮かんでない、パウロの言葉を読んで、聞いている人も同様なのです。

それなのに、神のシャバットや祭りの話を、人間が、それぞれが思う良いとする日に変えて良い!などという

10000%地の果迄ズレた聖書解説、偽情報が、堂々と浸透してしまっているのです。

パウロは、ローマ帝国下に生きていた1世紀のユダヤ人の群れの

中に、国の記念日や、この時代、ある人は断食を週2日するという、神の教えではない実践をやっていた人がいたのです。

どの日が良いのか?神の教えではない事、そんな事は、その人が考えれば良いからです。

どの日に、運動するのが効果的か?何曜日に、水泳教室に通うのが良いか?それと同じ種類の日のことなのです。

人の生活、文化の中の、どの日、ある日なのです。

 

神の創造されたモアデイムを人が、その人の考えで勝手に仕分けて良いなどという発想が出来るのは異邦人クリスチャンだからです。

人の世界でも、それぞれが考える日だったら、それは皆が特定な日に、特別な祝い事など皆で集まって出来ない事が、分かりませんか?

バラバラ家族の、勝手な生き方。

神の言葉、モアデイムが聖別され、変えられない、汚すことを

禁じられている、それをすることが罪とも、理解していないからです。なぜ?神の言葉を廃れた!と言って、捨てて、神の教えを

神の教えとも理解していない集団、組織、構造に教えられて来たから

です。

 

聖書を読む前提が最初からズレているからです。

1)聖書を旧約、新約聖書とマルキオンのような異端思想を

持つ人の概念で、異邦人が勝手に聖書を区分けして、タイトルを

付けてしまった事。

神は、聖書を、「トラー」「証」と読んでいるのです。

 

2)そして、旧約、新約という不適切な人造タイトルを付けた

書を2つの区分、分別し、旧約と新約には違う教えが書いてあると、これ又、神が伝える事実ではない、聖書解説を施しているのです。

聖書に聖書と書いてあるのは、1000%全て、モーセの五書

預言書、諸書を指しているという事実を、はっきり知らないと

なりません。

 

そして、マタイ〜黙示録は、タナック=トラー、預言書、諸書の

短い短い解説、注解、後書きなのです。

しかも、それらは使徒が書いた手紙なのです。

預言者が書いた聖書ではありません!

どういう意味かというと、使徒たちは、預言者が記した聖書=

トラー、預言書、諸書に対しての短い解説を書いているだけ!

預言者が書いた、タナックを塗り替える事など、使徒は書ける

わけがない。神が神の教えを変えたというのは、ローマ帝国

第四の獣が作った大嘘、暴言、神に敵対する666の行為

そのものだからです。

使徒たちは、預言者が記した、トラー、預言書の事実を短く

解説しているだけです。

トラー=言葉が肉体となって来られたイエシュア、メシアが

タナックに記された通りのお方であり、トラーに記された

生き方の完全版を人に教えたことを、書いているだけだからです。

メシアが、トラーの最終目標、ゴール、手本です!

とパウロがローマ10:4で解説しているのです。

クリスチャンの間で語られる聖書解説は、パウロが語る事実から

完全に逸脱した間違った読み込み、原典聖書に記された意味通りに語られない、神の教えが変化するという人間の思想を信じる

人の思想で語られる、間違った解説を聞かされていることに

気がついて下さい。

 

神は、神の言葉が永遠に変わらない!と言いながら、変わると言うなら、その時点で神は信頼に値しない大嘘つきなります。

そして、神ご自身が自分の発言した変わらない言葉に対して

矛盾を主張していることになります。

 

聖書の後書きが、本編の書とは違う事を語れば、それは、

別の書の解説、後書き、注解をしているということになることを

理解してください。

そうです。4世紀に、第四の獣が作った龍の物言いをする

人工宗教から編み出された、数々の聖書ではない、人間の思想を聞かされて来てしまったのです。

そして、パウロが何者か?ということを、クリスチャンは正しく教えられていません。

パウロは、公に神殿の請願を通して証明したように、100%モーセの五書に忠実に生きて、人に、モーセの五書に反する教えなどしていない!と、パウロ自身が証明しているのです。

1世紀当時、イスラエルの中でも最高峰のトラー学者なのです。

ぜひ、この箇所を読んで、パウロが自分自身で証明した事実を

理解してください。使徒21:20−26

もし神の言葉を終了、廃れた!と教えるとしたら、それは

神の定義では、偽預言者、偽教師であり、神が伝える神の深いところにある考え、教え、言葉を、人に正しく伝えない、

神に対して、敵対、妨害する行為をしている「龍の物言い」を

している人、組織、構造のことです。

使徒が、神の教えを曲げる?それでは、使徒ではありません!

偽教師、偽使徒であり、神と人から追放されます。

使徒も同様、神の言葉、教えを伝える子であるイエシュア、

預言者、使徒は、1000%神=聖霊が記した神の言葉を

消去、削除、終了、破棄するような事は、一言も言いません。

 

パウロも使徒も、もちろんペテロも生涯、100%モーセの五書を忠実に教え、生きて、人を導いた人です。

イエシュアが来られたから、神の教えが廃れて、トラーとは違う別の生き方を伝えられたという神話、作り話を捨てて下さい。

クリスチャンは、キリストが来られて、キリストが神の律法を

破棄して、今迄聞いた事もない違う教え、新しい教えを教え、

聖霊時代、恵みの時代神の言葉が廃れた新しい契約が教えられたという聖書に書いてもない、空想話を、教えられて信じ込んで

いるのです。

聖書を読めば分かりますが、イエシュアを信じた人は、殆が

ユダヤ人なのです。

彼らは、昇天以降もトラーを熱心に学び続け、追求し、

それを生きて居ることしか、書かれていません。

神殿が存在し、そこでコルバンが祭壇で捧げられ、シャバット、新月、過越、仮庵の祭りも、神殿で行われていたのです。

仮庵の祭りなど、最大の喜びの時であり、盛大な祭りが行われたのです。未来、神の祭りが、エルサレムの神の家で行われる時が

来ます!神が伝え、預言されていることが、事実だからです。

 

神の教えが廃れたという教えをする人こそが、聖書を正しく学んでいないことは、その発言からクリアーに証明されます。

なぜなら、聖書には、そんなことなど書いてもないからです。

 

使徒とは、シャリアフ、詰まり「神から遣わされた人」は、

神の言葉トラーを、イエシュアが教えられた通り、神の意図通りに人に教え、生きて、指導する人のことです。

 

人の世界でも、国の代表で遣わされる大使は、国を代表することを生きて、伝える役割を与えられたのです。

いや、そんな大げさなレベルではなくても、誰かに伝言託したら

その人は、伝言を与えた人の意図通りに、相手に伝えるでしょう!違うメッセージ、又は伝えた人の真意を損なうことを言うと

伝えますか?

クリスチャンの世界の教えは、そのようなことを教えているのです。預言者や使徒が、神の教えを曲げる教えを人に伝えている!

そんなまやかしは、空想、寝言、嘘だと気が付かないとなりません。聖書には、そんな事1つも書いてないからです。

神は、人が一点一画、神の言葉を、変えること、付け加えること、捨て去る、削除することを、断固として厳重に

禁じている事しか、書いてないのに、それが全く通じないのです。やりたい放題、言いたい放題、果は、神の創造の根幹を

揺るがすLGBTQにクリスチャンが賛同する。

嘘の教えで、神の教えが目の前に書いてあるのに、別の意味に

勝手に読み替えているからです。

 

パウロがローマ14章で語っているのは、人間の世界、当時の

ローマ帝国下に生きていた人達の慣わし、習慣、人間の考える

日のことであり、神の創造されたレビ記23章に書かれている

アポイトメンとの日のことではありません。

ギリシャ語、言語でも、普段の日、定冠詞がつかない普通の日のことなのです。

異邦人には、神の創造されたアポイントメントの日がどれ程

重要であり、人がそれらを変え、作り替え、捨てる行為を

聖別を汚す、神を汚している行為である!と神が言われている

事を理解しないからです。理解しないから、捨てている。

 

そうです。龍の物言いをするのは、第四の獣、ローマ帝国、

その構造なのです。その組織が、人工宗教を4世紀に作って

しまったから、偽の教えがこれほどまでに浸透したから、

それが本当だと思いこんでいるだけです。

 

神が本当に何でも良い、何時の日でも、気持ちが大事、愛が大事などと言うならば、それはそうでしょうが、事実は違うのです。

神は、神が創造されたこと、そして、神の言葉、神のモアデイムを人間の考えで、その人の気持ちがあれば、どのように変形させても、別の日に変えても良い!などと言わないどころか、

変える行為、捨てる行為は、死に匹敵する冒涜、罪であると教えているのです。

それが通じないのは、神の教えが廃れた!と罪の定義、聖別の定義、神の民となった人の生き方を教える神の言葉、トラーを

廃れた!として、注意も払わないからです。

 

聖霊=イエシュア=神はエハッド、一体です。

神は唯一のお方です。しかし、そのお方を信じた後、

聖書ではない、別の教え、別の神、別のイエシュア像、

見かけは子羊でも、語る詳細が、別物=龍の物言い、

詰まりローマが作った宗教の神、変化する神、人間が主体となり

神の言葉を仕分け、分別して良い!と教える、偽の神像を

教えられているのです。

 

親を選び生まれる事ができなかったように、生まれる時代、

そして、環境を選べませんでした。

異邦人に生まれて、自分の家族や、住まう場所も選べませんでした。

メシアに出会った後、ユダヤ人のように、もし、トラーを正しく教えてくれるような両親、友人家族や、親戚、コミュニテイの中で成長したら、イエシュアが教えられた父の教え通りを知る事

それを生きることが出来たのですが、異邦人だから、信じた

最初から教えられたのは、第四の獣が作った、作り変えられた

混ざりもの、作り物、別物の、神の教え、実践、記念日だったのです。

なぜそうなのか?その問には答えがありません。

これと同じです。なぜ、神は苦しみがあるのに、すぐに取り除かないの?愛の神なのに、なぜすぐ介入して来ないの?と言った

仏教徒が居ましたが、それも含めて、神の支配の中にある、

なぜ?の問の答えは、人には今与えられていません。

出来る事は、神の伝える永遠普遍の言葉が変わらない真理、真実であることを知ったら、偽物の教えを全部捨てる!本物に戻り

神が伝えた通りを生きる!それが出来る唯一のことです。

それは、暗い部屋に灯りが灯り、ゴミが何かはっきり見える状態になったことです。ゴミ=龍の物言い、神の教えではない偽物

それを、排除せよ!と言われるのは、神ご自身です。

混ざったら、一緒くた、聖別がない、境界線がない、異教徒と

同じ生き方になるからです。

 

しかし、時代が代わり、真実を探り出せる事が出来る時代になったのです。

分かると思いますが、今迄聞いてきた、西洋宗教の教え一択ではない。それらが、実は4世紀のローマ帝国制作の宗教出会ったということは、聖書を読めば分かるし、歴史の事実をそのとおり

掛け目なく見ても、分かります。

 

神を愛する人は、神の仰せ、言葉、トラー、婚姻契約を愛して

それを生きる!と神、イエシュアが言われた通りをしたい。

人間が編み出した偽物など生きたくないし、生きてはならない。

 

それが、神に創造された、神の似姿、性質に造られた人の

本来、本当の生き方だからです。

偽物、コピー品など、掴まされて、騙されたままで良いなどと

本当のことを発見した人は、考えません!

知らないから、分からないだけなのです。

しかし、正しい情報、神の本当の言葉=聖霊が記した言葉通りを

発見したら、龍の声か、本物の羊飼いの声か、識別出来るようになります。

 

バビロンの大淫婦、姦淫の罪、ヤラべアムの罪、ニコライ派の

教え、伝統の言い伝えの人間の教え、人間の作った律法の戒め、それらは、人間が作った教えであり、神が伝える神の言葉、

教え、人の生き方ではないのです。

 

偽物と混ざってはだめ!偽物の教えを取り入れて、それらを通して、神に近づけない!とずっと教えているのです。

それが、シミ、傷、欠陥のない、コルバン、祭壇の上に捧げる

コルバンで表されているのです。

イエシュアの実態、贖いを通して、新しくされた人は、偽物

偶像、人間が編み出したまがいものの宗教、似て非なることを

通して、イスラエルの神には近づけない、そのような事をしてはならない!とずっと書いてあるのに、気がつかないとならない。

 

偽物の教えに気がつけ無い理由は、ユダヤ人だけの教え、

クリスチャンには、今はもう関係ない、なぜならキリストが来られたから!などという、聖書とは関係のない人間が考えた思想を、信じているからです。

イエシュアが昇天された以降も、そして未来も、神の家、祈りの家、エルサレムには神殿が存在し、祭壇、神の家のお茶の間、

一番親しい交わりをする場所で、コルバンが捧げられるのです。

神に引き寄せられる、近づく、コルバンの意味です。

それは、神の与えた実態通りを通してだけ可能!

人間の編み出した偽物を通して、神に本当の近づき方はできない!

だから、人間が作った偽物の教え、宗教、別の記念日を通して

それらが、聖日などと言って、コピーを通して、神に近づけない!と言う事を、理解しないとならないのです。

未来は、第四の獣が作った宗教の教え、実践、記念日は全部

神の家から消えると預言されているのです。