マタイ25章の10人のおとめのたとえ話と並行した
同じ内容を、別のことでイエシュアが教えています。
マタイ7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、
みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ
、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うで
あろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
同じ事をイエシュアが語っています。
不法=トラー無し=アノモス、律法は廃れた!これこそが
聖書で語る「不法」である事実を、聖書からはっきり捉えて
理解してください。
神の言葉、教えから、人の意識を反らせるものが、反キリストであり、「666」であらわされる勢力がすることだからです。
神の言葉、教えから意識を反らせる教えは、巷に氾濫しているでしょう。
聖書は、神の言葉ではない!と教える牧師や、神学校の聖書教師まで大勢います。信じるだけで良いんです!後は、何もしなくて
良い、自由に生きる時代、恵みの時代、聖霊に促されて生きる時代で、律法は廃れたからです!?
神の言葉=聖霊が記したものであり、聖霊はご自身が書いた言葉を否定、終了しません!聖霊に導かれる、イコール、それは神の
言葉と100%マッチしていないとならないのです。
トラーを正しく学び、書いてあることをそのとおりに教える事をする教師の方が稀なのです。
そして、神の教えは、律法で廃れた!という思想。
これも、イエシュアが教えられた父の教えに、真っ向から反する人間の思想、主張です。
神の言葉を捨てよ!これこそが、見かけは子羊のようでも、
語る物言いが「龍」と警告されている、神の言葉を堂々と否定し
あたかも、それが神が言われることだ!律法は十字架で消滅
破棄されたのだ!などと教えている教えそのものです。危険。
神の教えを捨てよ!という、龍の物言いこそが、危険であり、
偽物の教えであると気が付かないのは、神の言葉の真実に
盲目状態、眠った状態であり、鎧兜は穴だらけ、すきだらけに
なっているのです。
穴だらけ、すきだらけの場所から、偽物の教え、龍の物言いが
好き放題侵入している状態なのです。
今や牧師がLGBTQ、教皇もプロテスタントの牧師もLGBTQ賛成誰も、何もそれは罪!などとも言わない。差別、偏見は悪い!!
そんな声に飲まれているのです。
神の言葉をどの箇所でも否定する、イコール、果ては何でもありの思想になるのです。1つたががはずれれば、どこまでも
ズレて行く。その人の判断で、勝手な教えを主張するからです。
神の教えを真っ向から違反する教えを、教師、牧師が
堂々と語るノアの時代、ソドムとゴモラの時代と同じです。
神の教え=油を内側に持つ人、神の教えをガードして
生きる人を、別のたとえ話でイエシュアが解説しています。
岩=イエシュア=言葉=トラーの上に家を建てる賢い人とイエシュアが言われました。
そして、神の教えを捨てる人は、愚かとあります。
砂の上に家を建てる人とあります。
西洋宗教は、神の教えを捨てよ!と教え、廃れた!と言い続け
人間が作った偽物の教えにいざない、人を宗教の教えに巻き込み
神の言葉、神が呼び出しているアポイントメントの日全てを
逃し、別のサイクルを生きているのです。
7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、
砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
神の言葉をないがしろにして捨て、代わりに第四の獣が主張する
龍の物言いを聞いて、それを生きる事は、愚かであるとはっきり
イエシュアの口からも警告しているのです。
警告は、全て、トラー、預言書に記されている警告なのです。
なぜ?イスラエルが辿った過去の過ちが、そのまま書かれているからです。私達全ての人への、同じ教訓であり、神の教え、
警告だからです。
1世紀後半以降から、異邦人がユダヤ人達から完全決別の道を
辿ったのは、ローマ帝国による迫害です。
黙示録が書かれた理由は、ユダヤ人でさえ、5つのユダヤ人の
カハール、群れが、ニコライ派、バラムの教え、偽女の預言者
イザベルの教えとあるように、ローマ帝国皇帝崇拝と、異教の
神々、女神崇拝、祭り、それに伴う不品行、公の場での性的不品行、異教の神々の祭壇の上にささげられる豚やきよくない動物の
生贄を彼ら異教の神々、女神の祭りで一緒に食さないとならない。
そうしないと、社会生活から追放されたという環境が、
1世紀、ヨハナンが黙示録に書いているローマ帝国下に生きた人たちが、強制的に捺せられたことだったのです。
その聖別を汚す行為に参加したのが5つの群れ、神の契約を
捨て、偽物の教え、生き方染まる、同化、迎合、シンクロして
交わることをしてしまった人への、警告と叱責が記されているのです。
2つの群れ、2は、契約の板を表す神の契約、はじめの愛
トラーに忠実に生きた群れ、フィラデルフィアとスミルナには
称賛と励ましだけが語られているのです。
詰まり、クリスチャンの世界で教えられている神の律法は
廃れた!ということが真実なら、黙示録に記されたヨハナンの
書いている内容は、全く意味をなしません!辻褄合いません!
なぜなら、ヨハナンは、預言書に記された警告を、暗号で
書いており、神の契約、クリスチャンが言う律法に記された
生き方にもどれ!という警告だからです。
そして、偽物の王国、ローマが支配する王国と、本当の王国
神が統治する世界が来る、この2つを対比させて書いている
からです。偽物の王国は、廃れてなくなる!
未来、地上に、神の国が降りてきます!天に消える、天で治めるという思想は、プラトン哲学、西洋宗教哲学思想です。
預言書と辻褄が合わなくなります。黙示録とも辻褄が合わなくなります。
問題の根、原因は、人間が神の教えを変えたからです。
それが4世紀のローマ帝国が作った宗教であり、
偽の教えは、1世紀後半から西洋教父達により既に編み出され
聖書出はない教えを、一般の人に伝授して行ったのです。
今も同じです。神学校の講壇から、又毎週日曜日も、神の教えを
否定する教え、律法は廃れた!と教えているでしょう。
そして、ローマ帝国が作った人工記念日、日曜、クリスマス、
イースターを、神が創造された記念日全て捨てて、代替えで
祝っています。
アメリカなどクリスチャンの人数が日本の何百倍ですから、
異端思想、カルト化した教えで溢れかえっています。
それは、今に始まった事ではない、以前からずっとあるのです。
様々に編み出されたムーブメント、それは神の教えから出たものではなく、人間の思想から出た偶像です。
人間が神になるという思想は、ローマ帝国、皇帝崇拝と同じです。
今の時代に、聖書を記した、聖書に登場する預言者、使徒がいると信じて教える、新使徒リフォメーション、新使徒運動と
言って居ますが、それらの人は、誰も聖書を正しく学んでなど
いない、聖書を知ってなど居ません!
もし、トラーを学び、ヘブライ聖書に記された事を理解していたら、自分がモーセのような預言者だ、使徒だなどと言えません。
そして、それらの人は神から遣わされた人なので、逆らっては
だめ!これ、完全にカルト教です。
誰も神の教えなど注意しない、学びもしない、ローマが作った
宗教の教え、人が編み出した神学やその実践ばかりをやり
イエシュアが教えた父の教え、契約に根付く生き方など
教えないし、生きてもいないのです。
神の契約、教えから、遠く離れたのは異邦人だけではなく、
イスラエル自体も、最初に契約を与えられた代表者が、
神の教えから遠く離れ、その結果約束の地に追放され、
追放先では、エジプトと同じく、神の教えをろくに聞けない
本物の神に仕えられない、ましてや、神のモアデイムを堂々と
祝えないという環境下にあったのです。
紀元前597年に新バビロニアのネブカドネザル王がエルサレムを包囲し、最初の強制連行(第一次捕囚)が行われたからです。
約束の地を追放された理由は、イスラエルが神の教えを捨てて
異教の神々、女神の偶像礼拝、偽物と混じる混合をやって
それらを通して、イスラエルの神を礼拝しているつもり
だったからです。
バビロン捕囚は、50年ー70年の間と言われていますが、
その間、トラーが読み上げられて、教えられ、シャバットや祭りを祝う事などされなかったことが書かれています。
そして、トラーに書かれた事を再発見し、この時、仮庵の祭りを
祝ったことが記されています。
立ち止まり考えて見れば分かりますが、西洋宗教の教えを
信じた最初から教えられた異邦人は、バビロン捕囚に追放された
イスラエルと同じく、神の教えを、信じた最初から正しく教えられず、神が創造されたモアデイムを、最初から教えられなかったのです。
はじめの愛を忘れたとは、ユダヤ人は最初から、神の教えを
教えられたからです。
異邦人は、神の教えが廃れた!という、ローマ帝国が作った
宗教を、信じた最初から教えられてしまったのです。
クリスチャンの中で、信じた最初から、イエシュアが教えられた
トラー、父の教え、ユダヤ人のように幼い頃から、トラー、
預言書を教えられ、シャバットや祭りを祝い続けて、イエシュアに出会ったという人はいますか?
一人も居ないと思います。全て、全員、カトリック、キリスト教という宗教の教えと、その実践、日曜礼拝、クリスマス、
イースターというものを教えられた人しか居ないと思います。
それらは、4世紀にローマ帝国がダニエル7:25で預言された通りのことをやって、出てきた宗教なのです。
神の言葉を変え、神が創造されたモアデイムを変える!
実際、預言された通りに変えたのです。
そして、黙示録13:11でヨハナンが暗号で記した通り
その宗教組織の語り口は、見かけは、子羊でも、語る物言いは
「龍」神の教えが廃れた!という、イエシュアではない別の声が
神の教えを否定し、人を神の言葉から意識を反らせる偽物の教えを主張し続けて今に至るからです。
その違いを良く考えて見る必要があるのです。
異邦人は、最初から、イエシュアが教えられた本物の神の言葉
父の教え、はじめの愛、トラー、契約=モーセの五書に記された
神の言葉を正しく教えられては来ませんでした。
約束の民、イスラエルも神の言葉を聞けない飢饉があった。
それは、神の言われた言葉、はじめの愛を捨て、偶像礼拝に
染まった結末だったのですが、バビロン捕囚から、エルサレム
イスラエルに帰って来たのです。
そして、エズラとは、パウロや、ガマリエルのような優秀な
トラー学者でした。
ネヘミヤ8:8 彼らはその書、すなわち神のトラーをめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。
8:9 総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。
8:10 そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。
憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。
クリスチャンもこの箇所を歌にしたり、唱えたりしていますが、
この言葉が、どんな状況で語られたのか知る人は少ない。
しかも、仮庵の祭りさえ、何か教えられていない、知らない、
分からない、祝わない状況なのです。バビロン捕囚状態。
これは、忘れていた神が人に与えた特別な祝宴の日。
イエシュアの到来、統治を教える祭り、仮庵の祭りなのです。
クリスチャンは再臨を待ち望みながら、神が言われた通りの
準備をしない状態です。5人の眠った花嫁のたとえばなし。
油=神の教え、トラー、はじめの愛に生きることを捨てて、
眠っている。眠る、イコール、人間が作った教え、宗教を生きて
ローマが作った別物の記念日を祝うから、聖書に書かれていることを読んでも素通りする。
廃れた教えさ!という「龍の物言い」を信じているからです。
宝を奪われても気がつけず、神に呼び出されている本当の日を
聖書に書いてあるのに知らず、イエシュアが何を祝い、何を教えたのかも、教えられていない。これは本当におかしな状態なのです。
神の家族は同じ家訓を生きて、同じ記念日を祝うのです。
クリスチャンだけ、第四の獣、ローマ帝国が作った教えと
ローマ帝国が作り替えた記念日を祝えと神がいつそんなことを
教えましたか?
続く