どこから落ちたのか?第四の獣が出現した時から | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1世紀後半以降、使徒達が地上から去った後、異邦人の世界に

拡散されたのは、西洋教父達が、プラトン哲学、ギリシャローマ哲学思想を通して語る、聖書解説であり、

イエシュアやパウロ、弟子たち、太古から預言者が書いたヘブライの世界の,ヘブライの思索で語られるヘブライ聖書、トラーとは

違う教えを施されてしまいました。

日本伝統の歌舞伎が、ハワイアンのフラダンスという別物になるような

変身。

一般的に、聖書であると、当然のごとく受け入れられている

数々、様々に語られる概念、聖書解説、解釈は、実は聖書に

記された事実には基づかない、グレコローマ思想、発想、

異教徒思想に基づく概念であるものが無数にあるのです。

 

しかも、一番大きな偽りは、神の言葉、教えが2000年前に

十字架で神により破棄された!という異邦人が編み出した思想、主張ですが、これは、神の言葉に真っ向から反する思想そのものなのです。創造主、イスラエルの神と神の言葉が何であるか?

ということを、神が伝える通りに正しく理解していないことが、

間違った概念を編み出す原因、問題なのです。

 

神が言われた、神の言葉に人が一点一画も付け足し、差し引き出来ないという意味が、異邦人には全く理解されていないのです。

人間が好き勝手に神の言葉を分解、捨て、解釈し直せる性質だと勘違いしているのです。

詰まり、神の教えを分解出来る性質のものであるという思想。

レゴか、ブロック、パズルのように考えているのです。

取り外し可能!

人の体を分解出来ないという事は、簡単に理解出来るでしょう!

それと、同じなのです。DNA 自体を変えられますか?

神の言葉を変えるとは、それと同じ事を主張しているのです。

エハッド、まるごとでシャローム、完全、一体であるものを

分解出来ないのです。

 

神は、然りと言いながら、同時に否と言うような、嘘つきでは

ないということが、聖書に書いてあるのに理解しようとしない人には、聖書ではない、人間の思想を土台とした、聖書に反する

教えを次から次へと編み出し続けて行っているのです。

 

神を神と認めない態度は、神が言われることを、人が否定する

態度、思想、行為そのものなのです。

それが、聖書の最初、エデンの園で起きた事件でも、教えられているのです。

 

何の教えが聖書、神の言葉ではないか、西洋人が編み出した思想、教え、概念なのか、1つ1つ本当の事実を知って行けば、

どれ程、偽物、異物、別物を通して、聖書に記された事実から、遠く遠くかけ離れた思想を編み出し続けているのか、驚愕ものなのです。これは、追って解説が必要な内容です。

 

ユダヤ人の教師が、異邦人の間から追放されて去った後、

生徒が勝手に色々な事を言い出す、聖書ではない教えを編み出す、これらを偽の教え、偽教師と警告されているものなのです。

 

既に1世紀後半から、その兆しがあったのです。

黙示録が書かれている時代、90年代の人は、カリギュラ、

ネロ、ドミテイアヌス皇帝のような暴君、悪徳皇帝、それ以前の皇帝も、根底は、神の教え=トラーを実践すること、教える事

広める事、ユダヤ人は怠け者とやゆされた、週に一度のシャバットや、祭りを阻止して来た勢力なのです。

ギリシャ帝国も同じでした。

その事実を理解しないとならないのです。

たとえ、4世紀、キリストが神であるとローマ帝国が認めても

その根底にある思想が、聖書とはズレたものであり、結局人間

主体、皇帝が神である、教皇が神である、人が神の言葉を好きなように付け足し差し引き、解釈し、判定しなおすことをやり続けて来た構造、システムの宗教だからです。土台が砂そのもの。

 

復活の日、時間は、不明です。多分、シャバットが終わる時、

復活されたなら、それは未だ土曜日です。

しかし、シャバットと復活の時刻、日時とは繋がりはありません。

シャバットは、神の創造の最初から、そして永遠に変わらないものであり、第七日目で神が止まり、神が全世界の創造主である

証、証明であり、神に聖別された人に与えられた「印」

婚姻指輪なのです。

復活の時刻や日により、シャバットが変更などには

ならないものであることは、聖書の最初から最後まで、

その事実は変わらないものなのです。

 

「クリスチャンは、シャバット=第七日目を尊重してはならない。日曜日を尊重せよ!」

と異邦人、イグナチウス、その他の西洋教父達が言い出したのは、彼らが反ユダヤ、反モーセの五書思想だからです。

とにかく、ユダヤ的なものを、全て忌み嫌う、排除したかった。

異教徒の文化とは違う異物である、ユダヤ人イエシュア、

イスラエルの神の教えは、元々異邦人には異物だからです。

受け入れられない、理解できないもの、先祖代々培って来たもの

教えられて来たもの、異教の神々、女神を信じる人たちとは

違う生き方だからです。

 

ローマ帝国発祥のグレコローマ哲学思想、異教の神々、女神、

皇帝が神の子、救い主と主張した組織のトップが人間である構造の宗教です。

神の言葉に付け足し、差し引きしてはならない理由は、DNAを

破壊すること、本物が何か分からない、偽物の生き方が出現してしまうからです。

そして、第四の獣は、神の言葉、トラーと神の創造された

モアデイム、アポイントメントの日を変える!と預言された

通りのことが、4世紀に起こったのです。ダニエル7:25

黙示録13:11

クリスチャンの間では、神ご自身が、ご自分が提示された

神との関係の中に入った人に与えた婚姻契約を破棄した!

という、聖書とは違うことを主張しますが、それは完全に

偽情報です。

 

そして、神の大家族は1つしかありません。イスラエルという

名字のユダヤ人、異邦人混合の大家族なのです。

エデンの園から、同じ1つの神、1つの神の家族の中に

他の全ての人が加え続けられると書いてあるのです。

パウロもトラーに記された事実を説明しているのに、

クリスチャンは、パウロがトラーを解説していること、

神の家族、ユダヤ人と異邦人は1つであると言っているのに、

意味が全く通じないままなのです。エペソ2章。

 

神は時を創造されました。命のサイクルは、神が創造されたものです。命が生み出されるサイクルがあるでしょう。

人の人生と、個人と家族の歴史、人類も、命が生まれて、成長し

そして、次に又命が生まれて成長するという、サイクルです。

円。このサイクルを、神が定めたアポイントメントの日、

イエシュアの実態そのものを生きて、学習し、体験し、神と

出会う日が、神が創造されたモアデイムなのです。

それが、レビ記23章に記されています。

これを、クリスチャンは、古い律法時代の古い記念日!と

教えられ、捨てています。いや、話題にも上らない、語られたこともない、教えられもしないのが一般的です。

それらの記念日の意味、祭りの意味など、一度も聞いた事は

ありませんでした。日本でも、ヨーロッパでもアメリカでも。

本物の神の教えの代わりに教えられたのは、ローマ帝国が作った教えと、記念日だけです。

これらは、イエシュアの業を表す預言的モアデイムであり、

そして、神の家族が1つに修復されるプロセスを表しているものでもあり、この地上での人生の旅路を神と共に歩む、

仮庵、イエシュアの中、天の中に既に住んでいる事を教えているものでもあるのです。

 

秋の祭り一連の記念日は、実際にイエシュアが再臨され、天と地が1つになり修復され、世界が1つになる、イエシュアがエルサレムの神殿、神の家から、統治される時代が来ることを、表し教えているものです。

ユダヤ人も、トラー、預言書、諸書に記された約束のメシアを

毎年待望しているのですが、そのメシアがあの2000年前に

来られたイエシュアであることを、知らないユダヤ人がいる

ということなのです。

 

再臨、再臨と大騒ぎするならば、神が言われた通りにイエシュアの再臨を準備して、待たないとならないのです。

その事をイエシュアが語った下りがあります。

 

聖書、そして、マタイ以降、たとえ話で使われる言葉、登場人物、物なども同じですが、その他でも聖書に書かれている言葉や数字には、当時の人達に書かれて通じる意味があるのです。

10とは、10の言葉、シナイ山で与えられた婚姻契約の

題目です。契約の石の板です。2つの契約の板です。

題目、タイトルをモーセの五書で詳しく解説しているのです。

5とは、モーセの五書です。神の教えそのものです。

神が与えた婚姻契約は、神の者にされた人、聖別されて、

新しくされた人全てです。ユダヤ人も異邦人両方です。

出エジプトしたのは、奴隷から贖い出されたのは、永遠の中に

屠られた子羊の血の代価は、ユダヤ人だけにされたものではないからです。ユダヤ人、異邦人両者。これが、イスラエルの神の

大家族の民族混合の1つの家族です。

その家族の特徴は、血筋ではありません。

神の民の特徴は、生き様で表されるのです。聖別された人の

生き方、異教の神々、女神、そして異教徒と同じ生活習慣を

生きることを捨てて、神に教えられた事を生きる。

神の家に召しいれられた人は、神の教え、トラー=はじめの愛、

婚姻契約に記された神の家の家訓を生きる!それが、神の者と

された人、人種に関係なく、神が伝える通り、神が創造された

神のに姿通りの人の生き方をする!と教えているのです。

 

ユダヤ人と、異邦人は別の群れ、別の教え、別の生き方をする!と主張するアイルランド人ダービーが作ったデイスペンセーション神学や、ローマ教、人間が作った教えは、聖書、神の言葉、

教えではありません。

神は、このような人間の思想とは、違う事を教えています!

主に在って、異邦人もユダヤ人も1つ。1つ唯1の神、

異邦人も以前は遠く離れていたが、お互い近い関係になり、

同じ家族、唯一の神の家族に加えられ、天の共同相続人になったとあるそれが事実です。人の教えに惑わされるのは、神の言葉を

正しく理解していないからです。エペソ2章。

 

マタイ25:1 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。

 25:2 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。

25:3 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。

 25:4 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。

 25:5 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、

寝てしまった。

25:6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。

25:7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを

整えた。

 25:8 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。

わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。

 25:9 すると、思慮深い女たちは答えて言った、

『わたしたちと

あなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。

店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。

 25:10 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。

そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。

25:11 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、

ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。

25:12 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。

 25:13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、

あなたがたにはわからないからである。

 

思慮深い五人は、あかりと一緒に油を持っていたとあります。

世の光である、その光の源はイエシュアご自身です。

イエシュアを信じて、新しくされ内側にイエシュアが住まわれている。しかし、5人は、油がなかったとあります。

 

これは、西洋宗教で教えられえている事に対して真っ向からの

警告そのものでもあります。

詰まり、信じた、光=イエシュア=聖霊が内側に住む、新しくされた人を得たのです。

しかし、西洋宗教は信じた後、トラーは廃れたと言い、

神の教えを生きるということを、本当の意味では教えていません。詰まり、契約に根付く生き方など、教えられていないし

実際に生きてないのです。

これは、本当に深刻な問題なのです。油とは、神の教え、

トラー、実態を実際にその人が生きることです。

それは、誰かにおすそ分けなど出来るものではありません。

神を信じていると言いながら、神の言われる教えを捨てる人の

ことが、他にも書かれています。マタイ7:21−27

 

そして、イエシュアが同じ言葉を使って話していることに、

注目する必要があります。「あなたを知らない!」

婚姻契約の中の関係を生きていない花嫁など、花嫁の実態が

ない!親しい関係を生きて居ない!知らない!

 

イエシュアが語られる教えは、100%モーセの五書、

クリスチャンが廃れた律法と教えられている、そのものから

語っている事にも、気がついて居ないと思います。

そして、ある部分の父の教えをしているという誤解を解いて下

さい。そのような聖書解説は、神に真っ向から反する、違反する

敵対する勢力の声、龍の声を代弁しているものだからです。