「異教まみれのキリスト教」と知るなら大元の問題 土台を一掃する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ガラテヤ3:23−25信仰が現れる前、わたしたちは律法の下で

監禁され、現れるべき信仰の中に閉じ込められていました

こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係

なったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。

しかし、信仰が現れたので、もはやわたしたちはこのような

養育係の下にはいません。」

 

「律法の下に閉じ込められていた」と読めば、キリスト教が語る所の

神の古い悪い律法=イエシュアが来られる以前の教えの中に閉じ込められていたのだ!と聞こえませんか?

いや、そう教えられて、本気でそれがパウロが言っていると信じているでしょう。

そして、信じたら、その後は古い廃れた律法の教えなどをもう生きないのだ!!!と言う、イエシュアが教えたこととは真逆の教え、

聖書に真っ向から反する、意味不明なことを信じている、

その根拠とされているのが、この箇所です。

 

イエシュアを知らない時も、神のトラーを周りが生きて、自分も

教えられていたら、危険、罪、不品行を回避できます。

安全に幽閉〜神のトラーで、罪、危険から守られると言う意味です。

全ては、間違った聖書解説を刷り込まれた結果、聖書を正しく

読んでもいない。聖書記者が書いてもないことを、歪んだ別の解説で

事実とは違う教えにねじ曲げられ、神の言葉を否定する思想を次から次へと連続的に刷り込まれ続けて今に至るのです。

 

神の律法=本当は教え、インストラクションという牢獄に閉じ込められていたと、クリスチャンの間では語り継がれています。

言っている意味そのものが、第一異常、変だと気が付かないとなりません。なぜ、神の言葉は永遠に廃らない、神の言葉は人を義へ導く、良いものである、堅固な櫓、安全地帯、神としっかり繋がる臍帯と、神が宣言しているのに、神の託した教えに人間が手を加えてはならない警告が、黙示録の一番最後まで書いてあるのに、その事実を正しく把握していないからです。

しかし、それはパウロが言っている意味とは全く違う、又神ご自身に

敵対する間違った聖書解説なのです。

 

パウロが語っているのは、当時ローマ帝国、ギリシャ帝国の中から

存在した生活習慣、環境慣を引き続き生きている環境の人達が

誰でも知る家庭生活を通して教えているのです。

裕福な家庭には、使用人、育係がいました。

ペデゴーゴと言う「養育係」と訳されている、その使用人は、

教師の元にその家の子息を連れて行くという、役割をしていました。

詰まり、トラー=神の言葉、教え=契約書に記された神の大家族に

与えられた法的文書には、たくさんの側面があるのです。

知らないまま、トラーを教えられ、生きていたら、その中で、

メシアに出会うことに導かれると言う意味です。

一旦、イエシュアに出会ったら、神の言葉が無用になったのではなく、イエシュアに出会うと言う、トラーのその目的、役割の側面は

終了しただけです。出会いは1度、購いの瞬間は、一度だけだから。

それなのに、クリスチャンは、神の古い律法が廃れたと言い続けて

偽の教えを、世界へ拡散させ続けているのです。

 

イエシュアに出会った人は、神の教え=トラーを内側に新しい人=

聖霊の実態を持って生きることができるようになった、トラーを生きて、成長して行くのだと教えているのです。

神の教えを捨てて、龍の語る教えなどを、生きてはならない。

獣を拝んではならない。

それは、イエシュアではない、別物の教えだからです。

トラーは、先ず贖われた民、花嫁になった人たちへ与えられた

「婚姻契約」です。神との関係に入った、神の大家族が生きる家訓

であり、これは永遠に変わらない生き方なのです。

 

ユダヤ人が、全世界の民族、国民の中から、この契約を受け取り、

世界の民族に同じように伝えるために最初に選ばれて、シナイ山で

トラーを受け取り、残りの民により先祖代々神の伝える通りの生き方を教え、生きて来たのです。

神の言葉、トラー=教え=はじめの愛に記された生き方を知っているという、そのアドバンテージが、ユダヤ人にはあるのです。

神が言われたように、子供達に絶えずトラーを教え、教育するよう

命じられました。神の言葉を勝手に捨て去る人には、神のどの言葉も

その人の基準、判断で却下し続けているので、そのようなことをする

人には、神の言葉は、正しく通じなくなっています。

 

見かけは子羊に似て2本の角があるが、龍のように物を語るとある

通り、龍は、神の言葉を捨てよ、廃れた、神の言葉からそれよと

教えますが、神は逆を教えています。

神の言葉を捨て去る、それよと教える、それが「666」の文字

で表される、警告そのものです。

申命記 6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

 6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に

留め、

これらの言葉=モーセの五書、契約書、はじめの愛に記された

神の口から直接語られた言葉の全てです。>

6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、

これについて語らなければならない。

6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、

あなたの目の間に置いて覚えとし、

6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

 

目の間=額に、手に、戸口に神の言葉を付ける。

これ、黙示録に記されている「獣の印」額に印=獣の印が付けられているとは、ローマ帝国の偶像礼拝、皇帝崇拝カルトの教えを生きる

ことですが、申命記の神の永遠の教え、仰せは、神の言葉を目の間

詰まり頭脳=レブに刻み、そして右手=神の言葉を実際に行動、生きることをし、そして、家の戸口にも付ける。

その意味は、自分の家を出入りする時に、この印=メズサ=神の言葉

が入った印を瞬時に見て、家を出て外に出る、社会生活をする、家に

戻る、どの場所でも、神の性質=イエシュア=トラーを生きよ!

と教えられているものです。

 

ある友人にイスラエルで買ったメズサをプレゼントしたら、

「これ偶像礼拝?」と笑いながら言われましたが、それ程迄に、

神の教えではない別物、神の教え、言葉が消されてしまって教えられていない状態になったのは、第四の獣の仕業です。

 

16世紀の宗教改革は、神の教え、言葉それ自体からズレたことより、「獣」が作った宗教で、教皇、王、枢機卿、政治、全てが金で

買う、腐敗して、どうしようもない、今の世界と同じ。

権威を権力者が金で買う、それが払えないから免罪符を売ったのです。

これは、別の大きなトピックなので今は書きませんが、とにかく、

最初から、第四の獣が神の教えを捨て=666=神の言葉からそらされ、作った宗教など存在してはならない物だったことは

神の言葉、預言書、ヨハナンの警告からも明らかなのです。

神の教えに、人の思想を混ぜ、神の言葉を退け、捨て去り、神の言葉

から離れるように仕向ける、それが666で表されているものであり

それが、諸悪の根源なのです。似て非なるもの。

見かけは羊のようでも、実は龍の言葉、教えを語り、人を神の言葉から人を遠ざけさせ、偽物の教えに誘い、人の教えを生きるように押し付けている、それが人が作った宗教の実態、偶像礼拝そのものだからです。

 

聖書に登場する人は、1000%全て、モーセの五書=神の言葉の

完全版を神の言葉、聖書と知っていました。

そして、聖書とは、モーセの五書、モーセの五書の解説である

預言書、諸書のみを指して、聖書では、聖書と書いてあるのです。

マタイ〜黙示録の、聖書=トラー、預言書、諸書の後書き、短い

註解書は、使徒達が生きていた時代には、完成していないし、

流通されておらず、ごく少数のその手紙を宛てられた群れの人しか

知らない手紙だったからです。

 

もちろん、使徒達が記した書簡は、100%トラーを支持し、語り

教え、紐解く解説しか記されていません。

聖書に登場する人、主にユダヤ人ですが、彼らは、第四の獣が

作った、トラー=はじめの愛を覆す、否定する、塗り替える教えなど

聞いていませんし、それらの龍がもの言う教えを生きてもいません。

聖書、トラー、預言書、諸書を誰に学んだのか?とパウロが確認させているのが以下です。

聖書、タナックに記されていること、自分が、幼い頃から慣れ親しみ教えられたトラー 、その教えに留まりとあります。

龍の声は、神の教えは律法であり、その教えは古くて、廃れたので

捨てよ!と見かけは子羊ジーザスの名を利用しながら、語る内容は、獣、龍の教えを、信奉、崇拝、拝むことを教えています。

 

2テモテ 3:14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。

あなたは、それをだれから学んだか知っており、

 

テモテは、誰から聖書=トラーを学んだのか?ユダヤ人である母親、祖母、そして、周りに居たトラー知るユダヤ人達、ラビ達です。

4世紀に神の言葉歪めて第四の獣が作ったローマ教の教え、

西洋教父達が語る、神の教えを捨て、哲学思想で聖書を曲げて語り、

「クリスチャンは今はシャバットではなく、日曜日を尊重せよ!」

1世紀後半から既に偽物の教えは、異邦人の間に、確実に浸透し始めて行ったのです。

聖書に登場する人たちは、神の教えが廃れたという大嘘、まやかし

そんな教えを、聞いた人はいません。いや、そのようなことを言う

教師を、偽教師とパウロも警告しているのです。

 

前回も書きましたが、この箇所、コロサイ2章です。

コロサイ2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、

人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに

従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。

偽教師は、人間なのに、堂々と神に敵対する暴言を吐き、

神の言葉は、十字架で廃れた、無効、関係ないと否定します。

そして、人が編み出した思想、哲学、神秘体験主義、悪霊の教え

禁欲主義、その他、聖書、神が教えた生き方とは異なることを

無限に教え続けます。

神から出た教えではなく、人間が編み出した教えです。

ある部分は聖書の真実を語るけれど、土台が神の教えを捨てた

無効とする教え、それらは聖書ではなく、人間が編み出した宗教なのです。

コロサイ 2:18 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とに

おぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。

彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、

これは、16節と繋がっています。

2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

 

クリスチャンは、古い教え、律法の祭り、シャバット、新月、過越

仮庵を祝わないことを批判されてはならないなどと、書いてある事と

真逆のことを、解説して信じていますが間違った解説です。

それら神が創造された本物の記念日、呼び出し日、アポイントメントの日を祝うことを、このような偽の教えを信じる、教える偽教師達から、批判されるなかれ!と言うことなのです。

それは、シャバット、祭りで、ユダヤ人は止まり、働かないから

怠け者と言われ続けたからです。

その時代、休日という概念は、彼らの文化にはありませんでした。

365日、全て労働日。神の創造された人は、6日の間、働き、

活動し、第七日目で止まる!

 

コロサイ2:19 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。

このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって

強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。

 

頭=頭脳、レブです。頭脳で神の言葉を理解し、体は、神の伝える通り、性質通りに機能する、生きる、そして育って行くとあるのに

命のパン=イエシュアは、廃れた、腐った、破棄されたなどと教え

別の食べ物=龍の声が語る食物食べて、拝まされている。

 

2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。

<これは、人間の作ったルール、規定、人の言い伝え、伝統の教えであり、神の言葉、教えだと勘違いして読んではなりません。>

 

2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。

<人間の規定、教え、それこそが獣の声、神の言葉を潰し、曲げ、

歪めて人間の主張で塗り替えた教えなのです。>

 

 2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。

この箇所以前読んで、ユダヤ教のことだと教えられ、そう考えていました。ユダヤ教=律法を生きること。古い教えに固執し、恵を生きない生き方。意味不明です。

なぜなら、イエシュアが教えられたのは父の教え=はじめの愛=

トラーであり、モーセが書いた神の言葉を、実際に地上に来られて

書いてある通りを、恵とまことに満ちた生き方を、人に生きて、

教えられ、示されたと書いてあるからです。

生きることは、キリストとあるのに、生きること=神の教え=トラーを生きるのに、神の教えを律法と呼び、生きることは、イエシュア、キリストの教えを捨てて生きることだ!と不明な解説をしているのです。支離滅裂、矛盾だらけで、一貫性のない、龍の声そのもの教え。

それらが、聖書の教えではない、龍の声、教えだからです。