聖書を正しく解説しない逸脱した聖書解説の数々 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エペソ 2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望も

なく神もない者であった。

 2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。

 

12−13節は、イエシュアに出会う前の「異邦人」の状態が

書いてあります。

イスラエルに属さない異教徒異邦人であり、契約=はじめの愛

トラー神の教えを、全く聞いたことも、生きたこともない、知らない無関係、神と関係の中にない人。

イスラエルの神を知らなかった異邦人は、ユダヤ人、契約の民、

神の1つの大家族ではない、神の教え、契約に根付く生き方も

知らない、神を知らない、ユダヤ人とも遠く距離が離れていた。

 

これは、この時代、ユダヤ人は、割礼という名の改宗儀式、

ユダヤ人が編み出した儀式をしない異邦人とは、ユダヤ人は

一切関わらない話も挨拶もしない、ましてや、食事などもしなかった

のです。

その壁を超えられない、両者超えられなかったのです。

隔たりの壁と呼ぶ、1世紀の社会的ルールが存在していたからです。

 

これは、口伝律法、ユダヤ人が編み出した教え、先祖の言い伝えで、

契約の中にいない異邦人は、神の教えを知らない、生きない野生動物

野蛮、汚れた動物を平気で無差別に食べ、きよいものときよくないものの区別も無い、異教の神々、女神の儀式や祭りをやる、

そんな人たちと関わったら、自分達の汚されてしまうと考えていた。

改宗儀式をして、ユダヤ人と同じようにイスラエルの神を信じて

聖別された生き方、汚れた生き方をする人とは、一切付き合わないという「おきて」が敷かれていたのです。

 

この偏見をペテロも、イエシュアが昇天された15年以上も後でさえ

変わらずに持っていて、異邦人に関わることを躊躇していたのです。

それで、見せられたのが、イエシュアにより清められた異邦人は

野生ではない、汚れていないことを教えるために、使徒10章で

天から降る敷物の上にあった様々な動物の幻を、ペテロは神から

見せられたのです。

 

エペソ2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを

一つにし敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、

 

ここにある隔ての垣根とは、ユダヤ人と、異邦人の間には、

交流できない規律があった、それがイエシュアによりイエシュアを

信じた異邦人も、ユダヤ人との交わりに加えられたのだと

パウロは言っているのです。

敵意とは、神の言葉に対する敵意などではありません。

ユダヤ人と異邦人の間に有った、敵意の感情です。

 

2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。

それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて

平和をきたらせ、

 

ここに書いてある「数々の規定から成っている戒めの律法」とは、

神のトラー=はじめの愛=モーセの五書=神の言葉、

教えのことなどではありません。

上に記したように、ユダヤ人が編み出した先祖の言い伝え、

口頭律法、伝統の教えや慣し、それらを、戒めの律法と呼んでいたのです。ユダヤ人が1世紀に作った「律法 ルール」です。

 

モーセの五書=神の教え、トラー、はじめの愛、契約書と、

人間が編み出した、様々な規定、おきて、戒めの律法が

全く別ものであると言う理解が、欠如したまま読み、

それを解説するから、パウロが言ってもいな意味、神のトラー=契約=教え=モーセの五書が破棄された!と言う、完全にパウロが語る

意味とは逸脱した聖書解説が、堂々と横行し、それが広くクリスチャンに浸透し、偽情報、嘘を、聖書だと、皆が信じる騙しの中に

閉じ込められてしまっているのです。

 

神が神の教えを捨てる、又は人に捨てよ、廃れたと教えたと言う?

それ自体が、「龍の語る偽物の教え」であり、子羊の語るトラー、

父の教えなどではないと、聖書から識別、判定できないとならないのです。

特に聖書を教える人が、偽物の聖書解説だけを、聞かされている

そして、その逸脱した聖書解説をずっと人に教え続けている。

しかも、聖書では無い聖書解説を、神学校で教え続けてしまっていると言う、大問題が異邦人の中にあるのです。

集団催眠、集団の騙しなのです。

 

エペソ2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして

神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。

 

ここでパウロが解説しているトラー、預言書に記された事実があるのです。神の計画は、神の創造通りの修復です。

1つ、土同じ要素から造られた人から、1つ大家族、神の家族が

エデンで神の性質、トラーに記された通りに生きて、世界を治める。

それが、未来にやってくるのです。

十字架にかけて滅ぼしたのは、偽物の教えの全て、偽物の生き方の

全て、そして、ここでデイスペンセーション神学が、偽物の作り話と

分かる、証拠も書いてあるのです。

そして、異邦人とユダヤ人の間に有った、互いに対する「敵意」が

イエシュアにより、滅ぼされたとあるのす。

 

イスラエルと、異邦人を別物と分裂させて、教えていますが、

神の契約は、全ての人をご自分の元に引き寄せ、戻し、そして1つとすると聖書には書いてあるのです。

1つ体、体の器官は色々あるとパウロが解説しているでしょう。

器官、役割は別でも、1つ体であるのです。

 

主に在って1つとずっと書いてあるのに、ダービー教は、

2つ分裂した群れと、聖書から逸脱した不真実、自分教を19世紀

以降、アメリカで浸透させてしまったのです。偽の教えを教育する。

 

今も偽教師は、溢れるほどいます。偽教師とは、聖書では無い教え

偽の教えを施す人です。

聖書の教えではない教えを今日も聞かされるのですが、それを、

嘘か、まことか、自分で、聖書から識別できるようになれば良いのです。

聖書に基づき、聖書に何が本当は記されているのか、分かるようになると、偽の教えはクリアーに異物として識別、区別できるようになります。偽の教えを止めることは出来ないけれど、自分の中から

全ての偽の教えというゴミ、粗大ゴミ、不要物を排除出来ます。

偽の教えは、人を真理から逸脱させ、自由を奪い、奴隷として縛ります。

それが、成人の頭脳であり、神の教えられたことを実際に生きて

御魂の実が内側に実る生き方に移行できます。

宗教の教えを生きたら、御霊の実ではなく、偽物の霊の実を実らせて

しまいます。

そして、聖書を読み違えて、神が昇天以降は、神の言葉と、神の

シャバットや祭りを別物に変えて良い、その人が考える日にすれば

良いなどという、聖書ではない、神の言葉から逸脱した間違った

聖書解説を教師に教えられ続けて、現在に至るのです。

 

以下の箇所も、キリスト教では、神の教えが終了、無効になった根拠

と解説される箇所ですが、1000%パウロの書いている意味を

誤解しており、そして、何より、神ご自身が言われた、神の言葉は

永遠に固くたち廃らず、変わらない!と言う永遠の宣言に真っ向から

相反することを、偽物、偽りを言う神だとしているのです。

 

ローマ10:4キリストは律法の終わり(目標・完成)であり、

信じる者すべてに義をもたらされるのです。」

律法は、誤訳です。ヘブライ語は、トラーです。

神の教え、指導、インストラクションです。

どの聖書箇所を読む時でも、神の言葉が変わらない、廃らない、

この永遠の事実から離れて考えたら、偽の聖書解説を生みます。

ここに書いてあるのは、イエシュアご自身が、トラーそのものであり

モーセのが記されたトラーが肉体を取り、恵とまことに満ちた

本当の生き方を、実際に地上で人に生きて示されたのです。

そのイエシュアの生き方が、トラーの最終目標、集大成、完成形で

あり、それを人が生きる!とパウロが意味しているのです。

他の翻訳では、聖書を正しく理解しない人には、神の教えが廃れたとしか、聞こえない誤訳で記されています。

 

ローマ10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、

律法の終りとなられたのである。(口語訳)

キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。 (新改訳)

 

新改訳聖書では、あたかも、神の教え、トラー=神の教えをキリストが終わらせたとしか、読めない翻訳、不適切な訳が施されています。

このような翻訳トリックを施せば、パウロが意図した意味など

完全に抹消できます。

そして、聖書を正しく理解しない人が、堂々とこのような箇所を取り出して、律法は廃れた、終了だ!と聖書とは、真逆、神の言葉、真実に敵対する思想、聖書解説を言い続けているのです。

神の言葉=イエシュアであり、神=言葉廃らない。

これを理解しない西洋教父達のような思想を持つ人が、人に聖書ではない、聖書から逸脱する思想を、次から次へ編み出すのです。

 

ギリシャ語で記されている意味は、イエシュアが、トラーの集大成

完成形、人がお手本にする目標の生き方そのものである!と書いて

あるのです。

 

ガラテヤ3:23−25信仰が現れる前、わたしたちは律法の下で

監禁され、現れるべき信仰の中に閉じ込められていました

こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係

なったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。

しかし、信仰が現れたので、もはやわたしたちはこのような養育係の下にはいません。」

この箇所も、神のトラー(誤訳=律法)が廃れた、終了、破棄されたと、間違った聖書解説をされている代表の箇所です。

クリスチャンの間で、完全に混同、混乱、一緒くたにしている事が

あります。

ガラテヤのこの箇所を読むなら、ガラテヤ全体を何度も読む必要が

あります。パウロが何を話しているのか、文脈、内容から理解しないとならないからです。ある箇所だけ取り出して読む読み方は、

誤解を生みます。必ず全体、全部を読むのです。

パウロが語っている「論点」の中心は、何ですか?

ある人々は、西洋教父やカトリックがやったように、金や努力で

罪の許し、救い、購いが得られると考えていたのです。

又は契約にある人は、自動的に神との関係に安全に確保されているなどと考える。ユダヤ人の間にあった偏見です。

それは、2つあります。1つは、先に書いたように、異邦人は契約の

中にない、野生だから、その野生の動物ごとき人達は、ユダヤ人が

編み出した改宗儀式をしないと、神の国の正式メンバーにはなれませんよ!と言う思想です。

これクリスチャンの中にも、そっくりそのままその意識があります。

信じるだけではダメです。信じたら、この教会の正式メンバーになる

為、洗礼をこの教会で授かり、教会会員登録をして、この教会の

活動、集会に参加しないとなりませんと教えます。

それをしないと、正式なクリスチャンとは認めません!と言われます。それと同じことです。

 

パウロが論じて、諭していることは、神の元に戻ると言う事実、

新しくされると言う実態は、イエシュアが永遠の中に屠られた子羊として与えられている購いの血の事実だけしか、それを得ることが

出来ないということを、話しているのです。

他の方法は、信じて受け取る以外にないからです。

そして、もう一つ、クリスチャンが大いに誤解しているのは、

生まれた後の成長、生き方に関してです。

信じるだけで良いんですよ。これは、神と出会う、新しくされる事実

これは信仰により、受け取る以外方法がないからです。

しかし、神の元に戻った人は、神の家のメンバー、花嫁になったので

神との関係に入った人は、その後勝手気ままに生きて良いと思う

又は、西洋宗教の教え、活動をすること、イコール神を愛していると

教えられてしまう。そんなことを信じていては、ズレます。

 

神の民は、神が伝える通りの生き方を、知り、契約に根付いた生き方を1から学び、それには神の言葉を学び、それを生きる!

この重大な部分が、クリスチャンの間では、全く教えられていない

いや、神の言葉通りの生き方を教えらていない、欠損、欠落があるのです。イエシュアを信じても、イエシュアが教えた通りの、契約に

根付く生き方など、最初からしていない、ずっとしていない。

代わりに、第四の獣が作った教え、人が考える所の生き方、

そして、神の教えを廃れた!と言う、「龍」が語る大嘘を信じて

やらされているのです。

 

神の元に戻るとは、その人が聖霊によりある時、イエシュアが神で

あると分かる、その事実は、自分の努力や行いで獲得できるような

種類、性質のものではない!とパウロが、ガラテヤでも、ローマでも

話しているのです。

 

 

 

 

 

 

続く