【複製】第四の獣の大嘘が暴かれる終わりの時代 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

西洋宗教、ユニバーサル、カトリック、その他、第四の獣、

ローマ帝国がする事を、ダニエル書で預言された通り、ローマ帝国が、神の言葉と、神のモアデイムを変えたのです。

神の言葉、神の創造されたモアデイム、事実を、曲げているのが、

偽情報です。

 

2000年前、キリストが来られて、神が神の古い言葉=律法を

キャンセルしたと解説しているでしょう。

一般に流通している様々な教えが、伝統が、人の作り物であることは

歴史の中に起きた事実でも、証明出来るのです。

聖書とは真逆、神の伝える事実に真っ向から敵対する聖書解説。

 

神を嘘つき呼ばわりしてはならない。聖書に書いてもない、偽の神像を語り続けてはならない。偽情報、大嘘、浸透した教えが、人間が

作った混ぜ物の宗教である事実に気がついた人から、偽情報を語る

ことをやめないとならない。いや、大勢の人が嘘を嘘!と証明する時代になったのです。今迄は、第四の獣が作った宗教の教えが堂々と

大手を振っていましたが、これは衰退の路線に入ったのです。

嘘は、永遠に固く立つ事などできないからです。

 

なぜ、キリスト教、カトリックの教師、パスターは誰もこの事実を

語らないと思いますか?

1)全く知らない。2)薄々知っていても、自分達の伝統で死守し

て来た宗派の教理、教え、伝統の実践、記念日と、聖書の事実が

全く相反する、辻褄が合わない聖書解説であるから、

そのまま放置している。どちらかです。

 

一般的なクリスチャンは、神の言葉が変化して、古い箇所、旧約と

呼ばれる箇所は、キャンセルされたものだと疑いもなく信じている、聖書の教えでもないことを、本気で信じているのです。

神の言葉は、クリスチャンが主張しているように分解、削除、取り出し、取り消し出来ない、変えられない、又変化しないものであるという、神の言葉に対しての基本中の基本の正しい理解がごっそり無い、欠けているのです。

人の体の臓器、動物、その他の創造物でも同じですが、自由自在に、これ、あれ、それの臓器は要りませんと捨てたら、どうなりますか?

死にます。機能しなくなります。それと同じことをやっているのです。

神の言葉を破壊する、イコール、死です。

それがエデンの園の最初から教えられているのです。

実際に、神の言葉を曲げて、神が言われたことと違うことをしたから

死、隔たりが入り込み、神の中から、外側に飛び出て、その外側に

閉じ込められてしまったのです。今まで見えていた世界、天と地が

一体であった場所に居た、見えていたものが見えなくなってしまったのです。

詰まり、神の教えでは無い、それらしくても全く聖書から逸脱した

思想、偽情報を刷り込まれたら、何を言われても偽情報を通して

偽情報、嘘の箱の中だけでしか考えられなくなるのです。

 

神が警告された通り、人間は、神の言葉を一点一画も変えられないし

変えてはならぬ!と神に直接言われているのに、その意味が全く

通じないのは、嘘=旧約聖書は、キャンセルされたもの、終了、

破棄、十字架で処分されたという大嘘を信じているからです。

嘘、騙しイコール、聖書が語る闇そのものです。

光がないから、見えない状態。

 

そして、1)救い、購いは、人の手、努力、わざ、業績により得られないという事実と、2)神の者とされた人は、その後イエシュアの

性通り=神のトラー、契約、教えを生きると教えられていることが、

全く見えてないままなのです。

この二つ別の性質の内容、課題を、一緒くたに混同し続けているのです。

少し遠回りになりますが、世間一般に解説されているものが、

実は聖書ではなく、西洋人による作り物の教えであるものが

無数にあります。驚くべきほど、無数。人の創作した教え、実践。

 

ルターが、信仰義人をあたかも初めて、聖書から発見したかの如く

考えていませんか?

最初から、エデンの園の最初から、人は、イエシュアの購いを通して出なければ、父の元に戻ることが出来ないことを教えているのです。

ローマ帝国が、神のトラーを禁じ、そして無数の聖書とは違う教えを編み出し続けたおかげで、普通の人は聖書が手元にもなく、ラテン語と言う理解できない言語で聞かされ、その上、西洋教父、司教の

ローマ化けした、聖書とは逸脱した数々の聖書解説を聞かされていたから、それが16世紀まで、普通の人には見えないままだっただけなのです。西洋、ローマ、ギリシャ、別物の宗教の産物。

 

ノアも、アヴラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセその他諸々

聖書に登場する人、預言者、名も無い普通の人も、理解していた

それが残りの民です。

購い、救いは、永遠の中に完結している事実がある。

それを、どの時代の、どの人種も受け取れるのです。

考えて見てください。モーセにより文字で記された神の言葉が無い

時代は、全て、神の教えは、口頭伝達で同じ神の言葉、教えが教えられ伝えられて来たのです。

神が一人一人の所に来て、隔たりの場所、エデンの園、神の内側から

外側に出て閉じ込められた人の所に、神の方からたずね求めて

来て下さった!この事実だけに立って考えれば良いのです。

今も、太古も同じです。

伝道集会で、キリスト信じますと手を上げさせ、前に出て、牧師と共に罪人の祈りを祈ったから救われたのではありません。

これらも、人間のインベンションです。

人間の編み出した思想や、概念は無数にあるのです。

クリスチャンの想像する天国、地獄は、聖書に書かれているそれとも

違うものです。

自分の文化、誰かの考えた思想を通して、聖書に書いてある事実とは違う無数の教え、聖書解説を刷り込まれてしまっている事実にさえ

全く気がついてない状態なのです。

 

ルターは、「信仰義認」を主張した人ですが、それは最初から

聖書に書いてあるのです。

 

ローマ 4:1 それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。

4:2 もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。

 4:3 なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。

 

創世記15:6 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。

 

聖書に、聖書と書いてあるのは、モーセの五書、預言書、諸書だけを指して語っている、それが聖書なのです。

マタイ〜黙示録は、使徒が書いた聖書の後書き、短い註解、引用です。

クリスチャンの間で、「信じるだけで良いのです」という事を、

頻繁に聞かされ、そう主張しますが、それは、神の元に戻ること、

イエシュアの購いを通して、父の元に戻ること、新しくされた事実を取り戻すこと、それは、信仰による以外無いという事実を語っている事です。それが、信仰による義です。

 

しかし、もう1つ、クリスチャンが多大に誤解している点は、

信じた後、神の性質通りに新しくされた人は、神の仰せ、はじめの愛

婚姻契約、トラーに根付いて生きるという点を、完全に否定、

誤解した思想だけを聞かされているのです。

そして、実際にイエシュアを信じた後、クリスチャンは、聖書に書いていある、イエシュアも教えられた父の教え=契約に根付く生き方が何かも知らない、最初から生きてもいないから、理解していないのです。

これは、父の家という意味をクリスチャンが理解していない、誤解していることにも直に繋がっていることなのです。

 

新しくされること、父の元に戻ること、神の家族の一員に加えられること、それは行いや努力では得られません。

そして、神のものとされた人は、神が伝える通りを生きる!

この2つ別の事柄を完全に混同し、正しく理解していないのです。

生まれることと、成長することは、2つ別の過程なのです。

 

神のものとされた人は、生活の全てに於いて、神が伝える聖別された生き方をすると書いてあるのが、聖書なのです。

それは、夫婦、家族生活、衣食住の全ての領域で、近所との付き合い、商売、ビジネス、政治、学校生活、どんな分野で生きても、

神が伝える通りを実践、行い、指揮、指導する。

その中心、世界中へ神が伝える生き方を放射、光を放つ場所、それが

エルサレムの神の家なのです。

その人達が、神の教えを捨て、それぞれが考える勝手な生き方をしたら、それは神が聖別された生き方、きよい生き方、純粋な生き方が

何か分からないまま、異教徒と何ら区別のない、境界線が無い生き方をしているのです。

ルターは、信仰義認という事実は理解していたのに、神のものとされた人は、神の教え、トラーを生きるということを理解しない人でした。その結果、彼は何を主張したのでしょう。

ヘブル、ヤコブ、ユダそして、黙示録を聖書から除外したのです。

こういう思考回路と、態度は受け入れて良いものではありませんし、まして人を指導する教師としては、失格です。

ルターは、結局神の教えを理解しないまま、反ユダヤ、反トラーで

結果、ヒットラーの迫害をする教師となってしまい、ユダヤ人迫害に手を貸したことは、容易に理解出来ます。

ユダヤ人が頑なだから西洋宗教が伝えるキリストや、神の教えを捨てる行為をしなかったのではありません。

神の教えを正しく理解する人は、西洋教父が語る偽のメシアなど

信じる訳などないのです。今も同じです。

だから、偽物、ローマ、ギリシャの仮面を被った偽物のイエシュア、

イスラエルの神を世界へ伝えることをやめないとならないのです。

神の教えを捨てよ?信じたら、ユダヤ人やめよ?トラーを生きるな!

シャバット、祭りをするな!割礼するな!

これこそが、第四の獣の声そのものであり、神に敵対するものの声

そのものだからです。

間違った聖書解釈をしていると言うことに、先ずルターは気が付かなくてはならなかったのに、間違った思想をユダヤ人、その他の人にも押し付けては、当然拒絶されるのです。

ヤコブ書などを読むと、信じるだけでは意味ないと言うことが、

至る所に書いてあります。

名とは、実態、行動を伴わないと、それは嘘になるからです。

イエシュアの名を身に纏う人は、イエシュアが生きたトラー、父の教え通りを生きないと、それは虚しい空虚でしかない、偽物になるのです。

当然です。主を信じますと言いながら、同時に主の言葉を否定する、

神の教えを捨てて生きる人は、主張、行動で神を蔑ろにし、軽んじている生き方をしている人とみなされるからです。

神は神の教えをキャンセルしていません。こんな大嘘が異邦人の世界に堂々と浸透してしまい、今も今日も、嘘が語られ続けて、嘘に騙されるから聖書に書いてある事実が見えない、盲目状態に留まって、

皆が気にしている反キリストを、周りを見渡してキョロキョロ探して神殿に立っていないか考えても、そこには反キリストはいません。

 

反キリストとは、聖書、神が解説する定義では、1)神に敵対する行為をする、神に反する、反抗するそして、2)神が伝えた言葉を別物の教えに塗り替えることをする!

それが、聖書が伝える反キリストの本当の正体であり、預言書に

警告されているそのものなのです。

第四の獣、ローマ帝国がやったことに気がつけば良いのです。

預言された通り、神の言葉、トラーと神の創造されたモアデイムを

ことごとく破壊し、4世紀ローマの作った偽物、作り物の宗教にすげ変えたこと、その事実がなぜ見えないのか?

それは、嘘の教え、キリストが来られて古い教えを破棄し、キャンセルし、神の言葉を生きるのは恵を無駄にする悪言い方だと言う大嘘をこれ程迄に刷り込まれて、ローマが作った宗教の教え、実践、活動にこれ程までに時間と労力を注ぎ込増されてきたから、分からないだけなのです。

 

ヤコブ2:17 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。

2:18 しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。

そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。

 2:19 あなたは、神はただひとりであると信じているのか。

それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。

 2:20 ああ、愚かな人よ。

行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。

2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。

 2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、

2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、

彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は

「神の友」と唱えられたのである。

2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。

 

1ヨハネ  2:3 もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。

2:4 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、

偽り者であって、真理はその人のうちにない。

2:5 しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。

 2:6 「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。

2:7 愛する者たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めである。その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言である。

3:4 すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。

 

マタイ7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、

主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。

また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

 

不法=アノモス、詰まりトラー=神の教え無し、捨てる人。

それをそのまま地でやらされているのです。

堂々と捨てているでしょう!

しかも、罪をすること、聖別を汚すことを堂々と奨励している。

主を信じる人が、不法をしている!神の教えは廃れた!と言う大嘘を

今日も今も拡散し続け、反キリストの代弁をしている。

その大嘘、危険に気がついた人は、続々それをやめて、真実を語ることに切り替えているのです。

 

トラーを捨てよ!イコールそれこそが、罪とあります。

罪とは、神の教え=トラーに違反する行為全てに対して、罪と

神が教えているからです。

よくも、こんな大嘘を第四の獣が堂々と刷り込んだかと思うのですが、嘘が大きければ大きい程、人は騙されるとある通り、その通りのことが起きた、今も継続しているのです。

みんなが嘘を拡散してくれるから、それが浸透している。

しかし、その大嘘から、神が語る永遠の真実に目覚める人がいる。