聖書を読む時に旧約聖書、そして新約聖書と、聖書を2つに分裂、
分断して考える、語る、解説することをやめないとなりません。
聖書は、創世記から黙示録まで、同じ神の言葉、テーマ、教え、
警告、全部同じ神の教え、言葉しか書かれていないのです。
しかも、マタイ〜黙示録は、神のトラー、預言書に記された抜粋
引用に過ぎず、神の言葉の完全版など書かれていません。
その箇所は聖書の最後の後書きであり、聖書の短い註解書です。
しかも、預言者が書いたトラー、預言書、諸書を使徒が短く解説している、そして、タナックに反した違う教えなど、誰一人として
記してもいません。
聖書を二つに分断し、旧約、新約聖書と、勝手に神の言葉、聖書に
タイトルを作ってそう呼んでいるのは、時の異端者、マルキオンの
ような偽教師の思想から来たものなのです。
小アジア(現トルコ)のシノペ出身の彼は、144年頃には、
異端として破門され、その後独自のマルキオン派を設立して
活動しました。
2世紀以降は、徐々に、神のオリジナルの言葉、教えが、
ローマ帝国下に住んでいる、西洋思想を持つ、元が異教徒である
トラーを正しく知らない、生きて来た歴史の無い西洋教父たちにより、マルキオンだけではなく、グレコローマ思想を混入させる、
聖書ではない聖書解説、思想が、徐々に入り込み始めて、異邦人の間で施されて行ってしまった時代なのです。
そのような、神の教え、トラーから逸脱した教えなど、ユダヤ人は
拒絶したのです。
マルキオン(85頃–160年頃)は、2世紀において非常に大きな影響力と波紋を呼んだ思想家であり、彼の打ち立てた説は史上最も過激な「旧約(トラー)の完全否定」でした。
神の教えの完全版、モーセの五書、それを否定する人は、
どんな方向にも歪んだ、曲がった聖書解説を編み出します。
大元、本物を、偽物の教えで作り替えている!という、罪、
歪みに気がつけば良いのです。
人の書いた書物でも、著者とは違う人が、違う思想を付けたし、
削除し、その著書に手を加えれば、オリジナルに記された著者の意図は、歪められる、それを人間の作った宗教ローマ教がやっているのです。
この思想、クリスチャンの間に浸透しています。
マルキオンの思想における「反ユダヤ」「反モーセの五書
(反トーラー)」の核心論点は、主に以下の要素で構成されています。
1. 2人の神の存在(完全な二元論)
マルキオンは、ヘブライ聖書(旧約聖書)の神と、
イエス・キリストが示した神は全く別の存在であると主張しました。
旧約聖書の神(造物主・デミウルゴス)
モーセの五書に登場する神(ヤハウェ)。
物質世界を創造した神であり、「気まぐれで、不完全で、残酷で、
報復を好み、律法で人間を縛りつける怒りの神」であると
彼は判定しました。
自分の選民(ユダヤ人)だけを贔屓し、目には目を求めて戦争や殺戮を命じる、正義(裁き)のみを優先する神と捉えました。
イエス・キリストの神(至高の父なる神)
旧約の神とは一切無関係な、遥か高次元に存在する
「完全な愛と慈悲、恵みの神」が存在するという仮説を編み出した。
物質界や旧約の神の酷苛な支配から人類を救い出すために、
イエス・キリストをこの世界に遣わしたと説きました。
2. 「モーセの五書(律法)」の完全破棄と反発
マルキオンにとって、モーセの五書に記された律法や命令は、
救いをもたらすものではなく、「人間を縛り付け、苦しめるための
命令体系」に過ぎませんでした。
この思想、クリスチャンも同様に刷り込まれています。
律法(モーセ) vs. 恵み(キリスト)の対立
モーセの五書が要求する割礼・安息日・食物規定・生け贄の儀式などは、すべて旧約の神が定めた無価値で不完全なものとして退けました。
イエシュアの教えとの対比
モーセの五書の「目には目を(復讐)」に対し、イエスの
「敵を愛せ(慈愛)」を挙げ、この2つの教えは絶対に相容れない
矛盾したものであると論じました。
イエシュアが教えられた教えは、父の教え=モーセの五書=トラー
=はじめの愛=婚姻契約だけ!という事実を理解しない、このような偽教師に教えられた人が、マルキオンの思想を、今日も唱え続けているのです。
3. 旧約聖書の全面的な排斥と「マルキオン正典」の作成
マルキオンは、当時のイエシュア信者が使っていたヘブライ聖書
(旧約聖書全般、特にモーセの五書)を「イエシュア信者にとって何の意味も持たない、別の神の本」として完全に投げ捨てました。
この思想こそ、今に至るまで巣食っている、偽の教えそのものです。
更に、当時の初期の文書(後の新約聖書)の中でも、ユダヤ教的な
要素や旧約聖書の引用が含まれる部分を「後世のユダヤ主義者に
よって改ざんされた」と考え、自ら削ぎ落としました。
ルカによる福音書の改変: 旧約聖書の預言やイエシュアの旧約的家系図などをすべて削除しました。
パウロの手紙(10通)のみを採用: 律法と恵みを厳しく対比させた
パウロを「唯一イエスの真意を理解した使徒」と称賛し、
その手紙からもユダヤ教的要素を徹底的に編集・削除して
自らの聖書(正典)としました。
マルキオンは、パウロがトラーだけを解説していることを、
パウロの文章から理解していない人です。
イエシュアが教えられたのは、トラー=父の教え=モーセの五書
のみであるということを、クリスチャンは正しく理解していません。
今も語られている、パウロの書簡の解説で、パウロが割礼を禁じた
食規定は無意味とした、今はいつでも安息日であり、人が考える日が
大事、日曜礼拝をしているなどの解説、コロサイ2、1コリント16
使徒20、マルコ7、使徒10、ローマ14などを取り上げて、
パウロが書いた事実とは無関係、逸脱した聖書解説をしていますが、
言語を理解しない、プラス、パウロはトラーに忠実に生きて、教え
パウロが、割礼を禁じたり、トラーを否定する教えをしているという
街の噂を、パウロ自ら払拭するために、神殿でコルバンを捧げて
ナジル人の誓いをした、この事実を理解しない人が、パウロを別の
人物像〜神の教えを破棄した聖書解説をしていると、偽パウロ像と
歪んだ聖書解説を施し続けているのです。
もし、イエシュアでも、使徒、パウロでも、神のトラーと神のモアデイムを変える、人に変えて良いと教えるなら、それは預言書に記された神に敵対するもの、ギリシャやローマ帝国の仕業やっていることになってしまいます。
聖書に記された事実と、人の編み出した聖書解説は、辻褄が全く
合わないものなのです。
4. 身体・物質の否定(グノーシス的傾向)
モーセの五書(創世記)では、神が物質や肉体を創造し
「非常に良かった」と神が宣言していますが、マルキオンは
「肉体や物質は、出来の悪い旧約の神が作った汚れたもの」
とみなしました。
そのため、ジーザスは人間の汚れた肉体を持って生まれた
(処女受胎)のではなく、幻として肉体の姿をとって現れただけで
あるとする「仮現論(ドケティズム)」を唱え、肉体の復活も否定しました。
マルキオンの「反ユダヤ・反モーセの五書」思想は、要約すると
「トラーに記された神は悪悪しい(あるいは粗雑な)下級の神でありその神が与えたモーセの五書や律法は、イエス・キリストの慈愛の
福音とは何の関係もない」という徹底した決別宣言でした。
この過激な主張に対し、当時の正統的異邦人クリスチャン(テルトゥリアヌスやイリナイオスなど)は、「旧約の神と新約の神は同一の唯一神であり、歴史の中で段階的に救いを現したのだ」と反論し
マルキオンを「異端」として退けました。
ここで、聖書には1つであり、同じ神という点は事実ですが、
段階的に救いを現した!というのは聖書の事実を逸脱した聖書解説です。
このように、聖書から逸脱した半分嘘、半分真実の聖書解説のオンパレードであり、聖書を正しく理解しない西洋教父たちの思想を、
たっぷり聞かされ、すり込まれたのが、異邦人の聖書解説の世界なのです。偽の教え、偽の聖書解説、偽教師は、堂々と巷に蔓続けて来たのです。
オリジナル聖書を知らない。パウロのようなトラー教師に教えらえていないからです。
しかし、マルキオンが独自の聖書目録を作ったことが強烈な刺激となり、正統派教会側も「どの文書を正当な聖書(新約聖書)とするか」を定義せざるを得なくなり、結果として現在のアブラハムの伝統を引き継ぐ「旧約・新約聖書の正典化」を急ピッチで進めさせる最大のきっかけとなりました。
新約聖書と呼び、それがイエシュアが来られた後に、神の言葉、
教えが変化した内容を、使徒たちが書いていると考えている時点で
聖書から、完全に逸脱した思想で考えている!とハッキリ気が付かないとならないのです。それは、事実ではない、人の教えを刷り込まれた結果、そう考えているだけだからです。
人の教え、西洋教父、ローマ帝国、グノーシス主義、禁欲主義、
グレコローマ西洋哲学、プラトン、ソクラテス 、新プラトン思想に
占拠された頭脳で語る西洋人の聖書解説を聞かされて来たからです。
それは、聖書は西洋人が語るように分断されている書ではなく1つで丸ごと完全版だからです。
神の言葉の性質、変化しない、永遠に同じ!という事実が理解できない人が、旧約の教え、新約にはこう書いてあると、解説しているだけです。
マタイ〜黙示録を記したのは、使徒です。彼らはユダヤ人です。
第四の獣がやったような、神のトラーを神のモアデイムを変えるような違反行為、罪、冒涜をする人は、聖書を記していない!!!という
事実からだけ、考えてください。
聖書の性質とは違う聖書解説を、平気でしているから、偽物の教え、
間違った聖書解説が今も今日もずっと施されて、それが聖書と聞く人を誤の教えに導いていることをしているのです。
書物があって、上、下がある、そして、最後の部分が後書きだとすると、聖書はこのようになっているのです。
1)モーセの五書 これが神の教え、言葉、神の家の家訓、婚姻契約、黙示録ではじめの愛と暗号でヨハナンが記している、神の言葉の
完全版です。
2)預言書 これも黙示録と同じです。
神の契約、教えから離れて生きているイスラエルに対しての、
神からの警告です。
はじめの愛=婚姻契約、神の教えに戻れ!
そして、1世紀当時と同じく、異教の神々、女神、神の教えを捨て
偽物の教えに交わっていたイスラエルは、神の教えに戻れ!という
預言者を尽く殺しました。
これ同じだと分かりませんか?律法は廃れた!信じたらユダヤ人やめよ!律法に戻るな!その声の出所と同じです。
3)諸書は、神のトラー=モーセの五書に記された神の教えを生きる
知恵の宝庫、生き方が記されています。
4)福音書 トラー、預言書に記された通り、永遠の中に屠られた
子羊の代価が真実である証明をする為、イエシュアが実際に
地上に来られたのです。
これは、預言書に記されている通り、最初は悩める僕として、
来られ、処刑されたのです。
罪なき人が罪となり、人の罪を背負ったことを、証明しているのです。
この事実は、永遠の中、この世が物理的に創造される前、
この世の礎が創造される以前、永遠の中に屠られた子羊!とヨハナンが書いているのは、創世記に記された事実を語っているからです。
ギリシャローマ西洋哲学思想で、物事を歴史線上に見て、語る西洋思想では、聖書に書かれた事実を歪め、見えなくなります。
2000年前に初めてメシアが来られて、初めて購い、救いが完了し
初めて罪許され、初めて聖霊が人の内側に住うようになった!
という解説は、クリスチャンの間に浸透している、聖書の事実とは
異なる聖書解説であり、人を真理を知ることを妨げる最も邪魔な
歪んだ思想です。
永遠の中に全てが完了されている!そこから、物理的世界が造られたことは、ヘブライ聖書を読めば、見えます。
神は「時」を語られているからです。永遠の中に全てが完了しているからです。
福音書、生けるトラー=イエシュア、言葉が神となって地上に来られ
人の間に住んだ。
このヨハネの冒頭を読むユダヤ人は、荒野のミシュカンをはっきり
頭に思い浮かべて考えるのです。
神が人の間に住う事実は、最初から教えられているからです。
5)使徒行伝は、神のトラー、婚姻契約、教えは、シオンから
世界へ出て伝えられることが記されているものです。
キリストを信じよ!それだけを教えているのではありません!
使徒、パウロは、神の教え=トラーを教えていたのです!
これを、クリスチャンの間では、全く理解されていないのです。
パウロの手紙は、それぞれの地域で生きていた群の中にあった様々な問題に対するトラーの知恵に根付いた解決、助言。
黙示録は、ローマ皇帝の皇帝カルト崇拝、異教の神々の教えに妥協、交わるな、はじめの愛、神の教え、契約に戻れ。エデンから出て、エデンに戻る。