昨日はアヴの月の9日でした。
この日に、イスラエルに取って、たくさんの大惨事、悲劇が起きた日です。これらは、偶然ではありません。
1. カナン偵察隊の悪報告(旧約聖書伝承)
モーセに率いられたイスラエルの民がエジプトを脱出し、
約束の地カナンを目指していた際、12人の偵察隊のうち10人が
「あそこの住民には勝てない」と絶望的な報告を行いました。
これを聞いた民が神を信用せず一晩中泣き明かしたため、
その世代は約束の地に入ることを許されないままになります。
何が、悪かったのでしょうか?
ここで、12人の斥候のうち、たった2人だけが、神の目から見る
報告をしたのです。
これは、黙示録にある、2つのカハール、群れ、スミルナと、
フィラデイルフィアと同じです。
2つの群れ、2つ〜契約の板、神の契約=トラーに忠実に生きた
残りの民です。
10人は、目に見えたものを、肉の目から見て、神が約束されたこと
神が約束の地を与える!という約束にしっかり目を留めて考え続けず、自分達の考えを、報告し、他の人々をガッカリさせ、失望させたのです。
何を話すか、語るか、これは言葉は実態ですから、人に必ず影響を
与えます。
口で発する言葉を、耳で聞いて、体もその言葉に反応するそうです。
そうですよね。上向きな言葉、力付ける言葉、励まし、神の約束を
語る言葉と、そうではなく、否定的な言葉や、暗い言葉、まして
神の言葉を人間が否定する発言、言葉、こんなものは御法度!!
というか、神に逆らうものそのものであることに、気がつかないと
ならないのです。
ウオーリーを探せ!を知っていますか?反キリスト、反キリストと言うならば、聖書で反キリストとはどんな定義がされているのか、
正しく知る必要があります。
1)神に敵対するもの 攻撃 反対するもの
2)神が伝えることとは別物にすり替わらせることをするもの
反キリスト、イコール、イスラエルのエルサレムの神殿で、
自分が神だと宣言する人イコール、反キリストだと考えていたら、
見つかりません。
反キリストは、実は最初から潜入しているでしょう。
エデンの園の最初から、存在しているのです。
それは、人の思想の中に入り込み、神に敵対すること、神の言葉に
敵対する、反することを主張させ、それを行動すること。
神が言われたことではないこと、教えにすり替えること。
これを、ずっとやっているのです。
それをする集団、一人ではないのです。
ローマ帝国、その前のギリシャ帝国も、人が神になっていました。
「神の子」というタイトルは、皇帝に与えられたタイトルだからです。
自分の宮殿、神殿に、神のごとく立って、人々に皇帝崇拝をさせていたのです。
それが、黙示録の舞台、背景、環境でもあるのです。
神に敵対するものは、必ず神の言葉を曲げる、変形させる、否定する
ことを行って来ました。今もずっとし続けているのです。
ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、
いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時とトラー とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
これを、やったのがローマ帝国であり、ギリシャ帝国同様、
神のトラー=契約=神の教えに根づき生きることを、処刑をもって
禁じたのがそれです。
10人は、神の目、神の約束に立たず、自分たちの見た目、ネフィリムのような背の高い強そうな大きな巨人で、とても勝てそうもない。
そして、自分たちイスラエルは、彼らにはイナゴのように見えるだろうという、挫かれるような報告を発言したのです。
そして、エジプトに引き返した方が良いと言ったのです。
しかし、そこで二人の斥候、ヨシュアと、カレヴは違う報告をします。
ヨシュアとは、イエホシュアという名で、イエシュアと同じ意味の
名で、発音が違うだけです。
יְהוֹשֻׁעַ 主は救いであるという意味の名です。
カレブは、犬という意味にもなりますが、この名は、
コル=全て 完全 レブ=頭脳という意味の語源です。
犬とは、「勇敢さ」「守り手」を象徴する存在でした。そのため、
名前に込められた意味としては「忠実な者」「勇敢な守り手」という
意味があります。
民数記14:4 彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。
14:5 そこで、モーセとアロンはイスラエルの人々の全会衆の前で
ひれふした。
14:6 このとき、その地を探った者のうちのヌンの子ヨシュアと
エフンネの子カレブは、その衣服を裂き、
14:7 イスラエルの人々の全会衆に言った、
「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。
14:8 もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。
14:9 ただ、主にそむいてはなりません。またその地の民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、
彼らを恐れてはなりません」。
同じことを目撃しても、その人が受け止める見方、考え方、受け取り方で、全く違うことに捉えてしまうことを教えています。
神が言われたらそれは、変わらず永遠に真実!と受け取る人と、
神の言葉は、途中で変わったかもと疑う人では、結末が異なることを、ずっと教えているのです。
14:10 ところが会衆はみな石で彼らを撃ち殺そうとした。そのとき、主の栄光が、会見の幕屋からイスラエルのすべての人に現れた。
14:11 主はモーセに言われた、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、
彼らはいつまでわたしを信じないのか。
14:12 わたしは疫病をもって彼らを撃ち滅ぼし、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう」。
14:13 モーセは主に言った、「エジプトびとは、あなたが力を
もって、この民を彼らのうちから導き出されたことを聞いて、
14:14 この地の住民に告げるでしょう。彼らは、主なるあなたが、
この民のうちにおられ、主なるあなたが、まのあたり現れ、あなたの雲が、彼らの上にとどまり、昼は雲の柱のうちに、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前に行かれるのを聞いたのです。
14:15 いま、もし、あなたがこの民をひとり残らず殺されるならば、あなたのことを聞いた国民は語って、
14:16 『主は与えると誓った地に、この民を導き入れることが
できなかったため、彼らを荒野で殺したのだ』と言うでしょう。
14:17 どうぞ、あなたが約束されたように、いま主の大いなる力を
現してください。
14:18 あなたはかつて、『主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、
父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼす者である』と言われました。
14:19 どうぞ、あなたの大いなるいつくしみによって、エジプトからこのかた、今にいたるまで、この民をゆるされたように、
この民の罪をおゆるしください」。
14:20 主は言われた、「わたしはあなたの言葉のとおりにゆるそう。
14:21 しかし、わたしは生きている。また主の栄光が、全世界に満ちている。
14:22 わたしの栄光と、わたしがエジプトと荒野で行ったしるしを
見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞きしたがわなかった人々はひとりも、
14:23 わたしがかつて彼らの先祖たちに与えると誓った地を見ないであろう。またわたしを侮った人々も、それを見ないであろう。
14:24 ただし、わたしのしもべカレブは違った心をもっていて、
わたしに完全に従ったので、わたしは彼が行ってきた地に彼を
導き入れるであろう。彼の子孫はそれを所有するにいたるであろう。
14:25 谷にはアマレクびととカナンびとが住んでいるから、あなたがたは、あす、身をめぐらして紅海の道を荒野へ進みなさい」。
14:26 主はモーセとアロンに言われた、
14:27 「わたしにむかってつぶやくこの悪い会衆をいつまで忍ぶことができようか。わたしはイスラエルの人々が、わたしにむかって
つぶやくのを聞いた。
14:28 あなたは彼らに言いなさい、『主は言われる、「わたしは生きている。あなたがたが、わたしの耳に語ったように、わたしはあなたがたにするであろう。
14:29 あなたがたは死体となって、この荒野に倒れるであろう。
あなたがたのうち、わたしにむかってつぶやいた者、すなわち、
すべて数えられた二十歳以上の者はみな倒れるであろう。
14:30 エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、わたしがかつて、あなたがたを住まわせようと、手をあげて誓った地に、
はいることができないであろう。
この箇所を読むと、神の裁き、判断は正しく、たった二人しか、
出エジプトした世代の人は、約束の地に入れなかったという厳しい
結果があったのです。
ここで、勘違いしてはならないのは、旧約の神は怒りの神!という
聖書に書かれたこととは違う、間違った解説をしてはならないのです。
神の伝える事実をすり替えるものは何と呼ばれましたか?
神に敵対するものの行為、神が言われたことを、別のものにすり替える、すげ替える行為、それこそが反キリスト!と書いてあるのです。
同じ神です。神は、西洋宗教が語る進化、変化する神などではないからです。
イエシュアが言われた言葉を、どうして信じないのですか?
イエシュアは、昨日も今日も、永遠に同じ!と言われたでしょう。
イエシュア=神です。
少し脱線しますが、アメリカであるクリスチャンがしばらく
ユダヤ人でメシアを信じる人の集まりに行っていたそうです。
しかし、ある時、ラビがイエシュアが神であるとは考えられないと
主張し始め、イエシュア、メシアであることを、信じませんとなったそうです。
これは、人が考えること、思想、哲学、教理、神学がイコール
神を正しく表しているものではないことが、分かると思います。
ある一部のサドカイ派は、復活を信じなかったと書いてあります。
一部です。なぜなら、バプテスマのヨハネも、その父であり
ザカリヤも大祭司であり、レビ族、サドカイ派の祭司たちと神殿に
仕えていた人だからです。
その人が考えること、イコール、聖書に記された事実ではない!
ということは、無数にあるのです。
今の世界の西洋宗教の土台が、それなのです。
それは、ローマ帝国により製造された、人間の思想が土台=反ユダヤ
反モーセの五書思想を土台として作った宗教だからです。
どのみち、人間が神の言葉を捨てる、否定する、終了とする、
変わったと宣言し、決め付けている、それこそが神に反する行為で
あることに、はっきりと聖書から気が付く必要があるのです。
知らない間に、敵の片棒担がされ、神に敵対する主張、行動をしている!という、気がついたら絶対やりたくないことをやらされているのです。
神は、神が言われたことを信じない、拒絶する、別物を取り入れる
ことをどれほど厳しく拒絶するのか?それは、偽物であり、人を破壊
するものだからです。
嘘は、騙し、偽ものは、聖書が語る闇そのものだからです。
偽物、嘘に騙されて生きる。そして、神の言葉を捨てる!
そして、悲劇は続くのです。
2第一神殿(ソロモン神殿)の破壊(紀元前586年)
新バビロニア王国のネブカドネザル2世によってエルサレムが
攻略され、イスラエルの信仰の中心であった第一神殿が破壊・焼失
しました。多くのユダヤ人がバビロンへ連行される「バビロン捕囚」の始まりとなりました。
3. 第二神殿の破壊(西暦70年)
ローマ帝国に対するユダヤ人の反乱(ユダヤ戦争)の末、
ローマ将軍ティトゥスによってエルサレムが包囲・鎮圧され、
再建されていた第二神殿が破壊されました。奇しくも第一神殿の
崩壊と同じ「アブの月9日」でした。
4. バル・コクバの乱の鎮圧とベータールの陥落(西暦135年)
ローマの過酷な支配に対して起きた第二次ユダヤ反乱(バル・コクバの乱)の最終拠点であったベータールの砦が陥落し、何万人もの
ユダヤ人が殺害されました。この敗北によりユダヤ人は完全に故郷を追われ、世界中に離散する「ディアスポラ」の時代が本格化しました。
5. エルサレムの更地化(西暦136年)
ローマ軍によってエルサレムと神殿跡地が完全に耕されて更地にされ、ユダヤ人のエルサレムへの立入が禁じられました。
その他の歴史的出来事(後世のアブの月9日)
後世においても、この日を中心にユダヤ人に対する迫害や大惨事が
繰り返されたと考えられています。
イギリスからのユダヤ人追放(1290年): エドワード1世により
全ユダヤ人に追放令が出されました。
スペインからのユダヤ人追放(1492年): 国王フェルナンドと女王イザベルによる「アルハンブラ宮殿勅令」の猶予期限がアブの月9日の頃でした。
第一次世界大戦の開戦(1914年): ドイツがロシアに宣戦布告し、
ヨーロッパでのホロコーストへと繋がる一連の大戦の引き金となりました。
トレブリンカ強制収容所への移送開始(1942年): ワルシャワ・
ゲットーから大規模な移送が始まりました。