ギリシャ哲学 皇帝崇拝 異教の神々女神の下で神の契約に忠実に生きた フィラデイルフィア | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1世紀、イエシュアが来られた時代、イスラエルはローマ帝国

支配下にありました。

そして、古代中近東、近隣諸国は、イスラエル同様、ギリシャ

哲学思想、ギリシャ神話、皇帝崇拝、異教の神々、女神の崇拝

異教の文化がどっぷり融合していた時代なのです。

 

イエシュアが来られる以前に、ギリシャ語の70人訳がされ

ましたが、その翻訳の中にも、ヘブライ思想ではない、

ギリシャ思想が混入しているのです。

ヘブライ語、ヘブライ思索にはない概念、心、霊、魂、肉体と

分裂して考えている言葉です。その他諸々あります。

人は、全て丸ごとで、生きるものとされたのです。

分けられない。そして、分けるのが、ギリシャローマ哲学思想

正に、西洋宗教、デイスペンセーション神学思想の大元が

グレコローマ哲学思想なのです。

聖書とは、異物の思想や、解説がたくさん混入しています。

空中軽挙でクリスチャンが天に消えると言う空想話も、

その1つです。

古代のユダヤ人で神の言葉を読んで、そのように考える人は

一人もいないのです。トラー にはない異物な思想だからです。

今も同じです。

 

黙示録に記されている預言書から暗号で引用されたヨハナンの

警告は、このような皇帝崇拝、異教の神々、女神の

宗教、崇拝、儀式、記念日と融合することへの、厳重警告だったのです。これを、今もずっとやっています。

神の教え=契約=トラー=モーセの五書に記された教えから

ズレた人達。

これは、ローマ帝国の迫害に耐えられず、混ぜ物教えに同調した

異邦人の結末でもあるのです。その結果、トラー=契約を捨て

神の教えではない、異教の神々〜ローマが作った宗教を

実践して来たのです。

当時は、神の教えを捨てて、迎合したユダヤ人がいた。

それが、5つの群れです。その後、異邦人は、神の教え=トラー

と、そして、パウロのようなトラー教師と完全決別した理由は、

ユダヤ人とつるんでいると、トラーを実践しているとみなされ、

重税、処刑されたから離れたのです!

だから、異邦人は、イエシュアが教えた契約=トラーに根付いた生き方など、信じた時から教えらてもいない、実践もしない。

イエシュアが教えた、シャバット、新月、祭りを全部捨て

ローマ帝国が作った代替え〜皇帝、太陽神の日、日曜日、

そして、異教の神々、女神の祭りを作り替えたものを祝っていること、それに気がついている人、いない人がいるだけです。

 

それらは、皇帝崇拝、異教の神々、女神の偶像礼拝

祭り、記念日をローマ帝国に住む住人として、参加しないとならない!このローマ皇帝の勅令に、迎合し、参加、同化した人達です。

もちろん、頭、心の中では、イスラエルの神以外、神などいないと知っているのです。

しかし、社会生活確保、生き延びるためには、ジェスチャーでも

皇帝崇拝の焼香や、異教の神々、女神の乱行祭りに参加する

偶像の神々を拝む〜全部表向きの見かけのジェスチャーで

あっても、それを神が禁じている!それが、5つの群れに対する

厳重警告なのです。

今の日本では、未だ、そのようなことを強要されていませんが、

近い未来は分かりません。

欧米など、黙祷しただけで逮捕されるのですから。

神学校でも同性愛賛成しない人は、入学できない!

そんな腐った、罪を罪とも聖書から知らない、教えない教師が

偽物の教えをふんだんに教える神学校には行かない方が無難です。

90年代は、とにかく、想像に絶する程の迫害があったのです。

ユダヤ人は、それ以前にずっと獣である帝国から、神のトラーを生きることを禁じられて来たのです。

それは、クリスチャンには理解できないことです。

なぜなら、最初から、融合、同化、シンクロの第四の獣が

作った宗教を本物、神が教えた新しい教えと教え込まれていることに、全く気がついていないからです。

 

黙示録の警告は、その後4世紀に、キリストは信じても、

神の教え=トラーは廃れたと言う偽物の教えと、そして、皇帝

崇拝、教皇が絶対であると言う、ローマ帝国が作った宗教であると言うことに、はっきり気がつかないとならないのです。

全部が全部嘘ではないから、分からないだけです。

詰まり、混ぜ物。黙示録の警告と同じ、混ぜ物、妥協、

ニコライ派、バラムの教え、偽女預言者イゼベルの教え、

詰まり、神の教えを変えた、異教の神々、女神崇拝、皇帝崇拝を取り入れて人間の宗教〜これこそ正に、4世紀のローマ帝国が

作った宗教であることに、気がつかないとならないのです。

 

16世紀、カトリックが編み出した聖書ではない教え、

それが「95か条の論題」ルターが書いたものですが、

95の偽物の教え???今はそれ以上に偽の教えだらけです。

偽物、聖書ではない!と主張しても、元の元の嘘、偽情報を

一掃しないまま、パン種ごっそりため込んだ、結局同じように

聖書ではない教えを土台とした宗教の教え、実践、記念日を

継続しているのです。中途半端な悔い改め。

嘘、偽の教えの全てを捨てていない。保存したまま。

元が、異教の神々、女神の教え、祭り!それでもOK と考えているのは、異教の神々、女神の神殿がある丘に同じように

マリア女神や、聖ヨハネ、人間を神の如く崇拝する寺院を

ビザンチン帝国が作った、その思想と全く同じです。

 

白塗られた墓とあるのは、表向きは白でも、中身が死。

骨、死骸、詰まり偽物!それが、宗教、偶像を通して、イスラエルの神に勝手に近づくやり方なのです。

皇帝崇拝の日、太陽神の崇拝日、太陽神の祭り、多産の女神の

祭り、死者を祀る祭り、それらをキリスト的な意味に変えたもの

全部偽物!

ローマ帝国では、紀元4年、アウグストゥス皇帝はティベリウスを養子に迎えましたが、それには厳格な条件が付けられていました。

それは、今度はティベリウスが自身の甥であるゲルマニクス

(ティベリウスの弟、大ドルススの息子)を養子にしなければ

ならない、というものでした。

この取り決めは、クラウディウス家とユリウス家の血統を融合させることで皇位継承を確実なものにするために仕組まれたもの

でした。

これにより、ティベリウスの実子であるドルスス・ユリウス・

カエサルではなく、ゲルマニクスがティベリウスの後継者として指名されることとなりました。

 

アウグストゥス皇帝が仕組んだこの「二重の養子縁組」には、

ローマ帝国の未来を左右するきわめて重要な政治的意味がありました。

一言で言うと、「能力のある実力者を皇帝に据えて国を安定させつつ、自分の愛する『ユリウス家』の血筋に絶対権力を引き継がせるための、超ウルトラCの政略結婚ならぬ政略養子縁組」

だったのです。

 

この複雑な仕組みの裏にある3つの重要な意味があります。

1. 「ユリウス家」の血筋を何が何でも守るため

初代皇帝アウグストゥス(元は名門ユリウス家)には、

男の跡継ぎがいませんでした。 

一方、アウグストゥスの妻の連れ子だったティベリウスは、

戦争にも強い超エリートでしたが、血筋は「クラウディウス家」という別の名門でした。

アウグストゥスとしては、「国を治めるために有能なティベリウスを次の皇帝(2代目の代行)にせざるを得ないが、その次は

絶対にユリウスの血を引く者に皇帝に戻したい」と考えました。そこで白羽の矢が立ったのが、甥のゲルマニクスです。

 

ゲルマニクスの母は、アウグストゥスの最愛の姉の娘

(つまりアウグストゥスの大姪)。

ゲルマニクスをティベリウスの養子(=次の次の皇帝)にすれば、3代目には再びアウグストゥスの血(ユリウス家)が流れる皇帝が誕生することになります。

 

2. 実子(ドルスス)を差し置くことで「内乱」を防ぐ

もしティベリウスがそのまま自分の実子であるドルススを後継者にしていたら、どうなっていたでしょうか。 アウグストゥスの血を引かない「クラウディウス家」の王朝になってしまい、アウグストゥスを支持していた元老院や民衆、軍隊が反発して、せっかく始まった平和な帝国がまた激しい内乱(王位継承争い)に逆戻りするリスクがありました。

 

実子を差し置いてでもゲルマニクスを指名させたのは、

「これはユリウス家とクラウディウス家、両方の力を合わせた『みんなが納得する正統な後継者』なのだ」と周囲にアピールし、平和に政権をバトンタッチするためでした。

 

3. 国民と軍隊からの「圧倒的な人気」

指名されたゲルマニクスは、容姿端麗で性格も良く、軍事的な

才能にも溢れた当時の国民的スーパースターでした。

兵士たちからも神のように慕われていました。 一方、実子のドルススは能力は高かったものの、気性が荒く、少し地味な印象でした。

「カリスマ性のあるゲルマニクスを未来のリーダーに約束する」ということは、ローマ帝国全体の士気を高め、帝国の基盤を盤石にするという意味でも、これ以上ない選択だったのです。

 

アウグストゥスの計画通り、ティベリウス(2代)の後は、

ゲルマニクスの息子であるカリグラ(3代皇帝)が即位し、

さらにその後はゲルマニクスの弟であるクラウディウス

(4代皇帝)、そしてゲルマニクスの孫にあたる、ネロ(5代皇帝)へと皇位が受け継がれていきました。

アウグストゥスが仕組んだこの融合によって生まれた王朝は、

歴史上**「ユリウス=クラウディウス朝」**と呼ばれ、

ローマ帝国の黄金期の土台となりました。

 

フィラデイルフィア、この土地は、どんな場所でしたか?

紀元17年に発生したリディア地震は、アナトリア西部

(現在のトルコ)にあたるローマ帝国の属州アジアを襲った

破壊的な地震であり、少なくとも12の都市に壊滅的な被害を

もたらしました。

古代都市フィラデルフィア(現在のベニシェヒル/アラシェヒル)も、この災害で甚大な被害を受けました。

この地震はタキトゥスや大プリニウスといった歴史家たちに

よって記録されており、大プリニウスは「人類の記憶の中で最大の地震」と表現しています。

地震の後、ローマ皇帝ティベリウスは復興を支援するため、

フィラデルフィアの税金を5年間免除するという手厚い救済措置をとりました。

この都市はその後も20年間に渡って余震が続くなど、非常に

地震が起きやすい環境にありました。

この頻繁な震災への脆弱さは、聖書の『ヨハネの黙示録』3:2

節にある、「勝利を得る者を、私の神の聖所の柱としよう。

彼は二度と外へ出ることはない」という記述の、

歴史的な背景としてしばしば引用されています

 

この土地、地域は、古代のフィラデルフィア(現在のアラシェヒル)は、東へと続く非常に重要な貿易ルート(通商路)の

要所(ハブ)でした。

当時の地理的な役割と、なぜそれ程重要だったのでしょうか?

1. 「東への門戸」としての立地

フィラデルフィアは、ローマ帝国の属州アジアの港

(ヘルメス川の河口付近)から、アナトリア半島の奥地

(東の高原地帯)へと繋がる主要な街道沿いに建設されました。 このルートは、西の沿岸部にある豊かな港湾都市と、東の広大な内陸部を結ぶ「大動脈」だったため、人や物資が必ず通過する

場所でした。

 

2. なぜ都市が作られたのか?

この都市は紀元前2世紀、ペルガモン王国の王アッタロス2世に

よって建設されました。彼がこの場所に都市を作った最大の

狙いは、「東の地域(フリュギア地方)へ向けて、ギリシャの

文化と言語を広めるための拠点(文化と交易の窓口)にするため」でした。そのため、最初から意図して交通の要所に

建てられているのです。

 

3. 地震が多くても再建された理由

紀元17年の大地震」で壊滅的な被害を受け、その後も20年間

余震が続いたにもかかわらず、人々がこの土地を捨てなかった

のは、ここが経済的にどうしても外せない貿易ルートの拠点だったからです。皇帝ティベリウスが手厚い税金免除(5年間)を

行ったのも、この重要な交易路の拠点を一刻も早く復興させる

必要があったためです。

 

黙示録の中でフィラデルフィアのユダヤ人の群れが「開かれた門」の比喩で語られることがあるのも、

この街が「東の内陸部へと続くルートの開かれた門」だったと

いう、当時の地理的・商業的なイメージが背景にあると言われています。

そして、完全にギリシャ語が浸透する地域となったことも

意味があるのです。

黙示録3:7 ヒラデルヒヤにある群れの御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、

開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも

開かれることのない者が、次のように言われる。

3:8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、

あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、

わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。

 3:9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と

自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、

こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。

3:10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。

3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。

3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。

彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの

神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、

わたしの新しい名とを、書きつけよう。

3:13 耳のある者は、御霊がカハール言うことを聞くがよい』。