黙示録3章 称賛と励ましだけを受けたもう1つの群れ フィラデイルフィア | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

黙示録3章にある「フイラデルフィアの群れ、カハール」は、

スミルナの群れ同様、称賛と励ましだけを受けて、叱責、矯正を受けませんでした。その理由は、混ざり物の教えに加わらず

神の教え=トラー=モーセの五書に忠実に根付いた生き方をしたからです。

2つの群れは、2つの契約の板、神の契約の題目が記された数字を意味しています。

その群れは、はじめの愛から離れたと、冒頭から叱責された

5つの群れ、5つ=契約=神のトラー=教えから、離れた群れに

対する重大警告が冒頭から記されているのです。

 

ヘブライの世界、ヘブライ語で神の教えを聞く人の耳には、

ある言葉、数字を聞くだけで何を意味しているのか、理解して

聞いているのです。

5=神の契約=モーセの五書=トラーです。

5つの群れ、目覚めている5人の乙女、眠っている5人の乙女

全て、神の契約=教え=トラー=モーセの五書に記された神の

言葉に忠実に根づき、神の教えを捨てず、曲げす、神の言葉に

固くって、偽物の教えに交わらないで生ていることを、

一方、眠っている=神の契約、教え、トラー 、モーセの五書

に記された神の言葉に対して忠実に生きていない、それらを

表しているものです。

 

白い衣も、女に触れたことのない人も、そして、14万4千人も、全て、神の契約=トラー=神の教え、モーセの五書に記された生き方を歪めない、曲げない、捨てない、偽物の教え、

皇帝崇拝や、異教の神々、女神の儀式、崇拝、正にローマ

帝国が作った、人にやらせたまがい物宗教に交わらない生き方をしている人、残りの民意味して、ヨハナンが書いているのです。

そして、黙示録の舞台は、90年代、1世紀のローマ帝国支配下に生きていた、ユダヤ人イエシア信者の群れ、人々が住んでいた場所です。

その場所はローマ帝国が皇帝崇拝、皇帝とローマ帝国が

未来永劫、繁栄の為に、異教の神々、女神をローマ市民が

崇拝することを、強制的にやらされた場所です。

これは、西洋宗教の発祥と、直に繋がっている性質です。

人が主体、神!人が神の座に座る階級制度は、この皇帝崇拝から

来ているものです。

ローマ帝国が作った宗教は、4世記以降、今に至るまで、

人間が勝手に開催した会議で、神の教えを塗り替え、作り替え、

削除、付け足しの連続という罪、神に対する冒涜、違反を

行い続けています。

聖書とは異なる、聖書に存在しない¥別の教えを編み出し続けています。

これこそが、黙示録の時代と全く同じ、第四の獣、

人間=666、神の教えを捨てさせたローマ帝国から出た

まがい物の教え、生き方なのです。

 

ここで注目しないとならないことがあります。

人は、神の教えに対して、付け足し、差し引き出来ない!

してはならないということを、イエシュアを信じる人が正しく

理解していません。

その理由は、何度も書いている通り、第四の獣であるローマ帝国から出た人間の教え、主張、律法は廃れた!ということにした

大嘘を、信仰の土台としているからです。

 

2000年前にキリストが来られたから、古い教えが廃れ、

代わり、動物の生贄ではない新しい購いの方法、救いの方法が

与えらたというのは聖書に書いてない偽情報です。

クリスチャンはもれなく、トラー、契約、モーセの五書に記された教えは、イエシュアが来られる迄の一時的な仮の教えだと、

そう教えられ、その偽の教えを疑わずに信じていますが、

聖書にそんなこと書いてもありません!

マタイから黙示録には、全て、100%どの聖書記者ー使徒も

100%モーセの五書を学び、信じて、生きて人に教えた人

だけだからです。

読んでも分かる通り、使徒の記録でも、その中では、皆が熱心にトラーを学び、調べ、そして、シャバット、祭りを祝ったことしか書いてないでしょう。

そこに、神が神の教えは、有効期限が切れたから、処分せよ!とか、日曜礼拝に安息日が変更され、クリスマス、イースター

ハロウインを祝うようになったと書いてありますか?

ないでしょう。聖書に書いてもないことを、あたかも書いて

あるように語り続けるのは、特にパウロの書簡を正しく理解しない教師達が、歪んだ曲がった聖書解説をして、パウロという人物が何者なのか正しく理解していないことから、偽の聖書解説を

編み出しているからです。

しかも、パウロがどうして、偽の教え=モーセの五書とは

ちがう教えをしていると疑われたと書かれているのですか?

割礼を授けることを禁じ、モーセの五書とはちがう別の教えを

パウロが施しているという、街の噂になっていたからです。

使徒21章。それは、偽情報でした!!!!パウロ自身が

その偽情報を完全に嘘であると、神殿で動物のコルバンを

長い一定期間捧げる、ナジル人の請願をしていることで、

証明されているからです。

聖書の事実を理解しない人が、勝手なパウロ像ー神の教えを

塗り替えた、シャバット、食規定、その他神の教えを、人間の

判断で、仕分け、分断し、時代ごとにあった教えに変えて良い!という嘘を拡散しているのです。

 

パウロは、ある人々が誤解していたことを、神の教えに基づき

正しく教えているからです。

異邦人は、信じたらユダヤ人という血筋に進化しません!

人間が編み出した儀式を通さないと、神の国の本物のメンバーになれない!というのは、嘘だからです。

しかし、神が与えた印=信仰義認でもある譲渡契約、割礼は

永遠に変わりません!

それを理解する人が、するだけであり、理解しない人は、やらないだけで、それで神の伝える永遠の真実が変化するのではないのです。

全ては、人間側の問題です。神の言葉を永遠の真理として

神が言われる通りに受け取るのか、それとも、自分の考えを

第一に持ってくるのか?その違いだけなのです。

 

1世紀当時のユダヤ人と異邦人との関係、そして、ユダヤ人ではない異邦人が、ユダヤ人と関わりを持つ唯一の人たちは、

割礼という名が付けられた改宗儀式=当時のユダヤ人が編み出した儀式をしないと、関わりを持つことをしなかったからです。

それは、キリスト教の洗礼式のような、水に潜るという簡単な

儀式ではありません。

今のユダヤ人の間にも改宗儀式がありますが、それも、長い年月がかかってしまうような、トラーの学びや、その他の学びという

長い道のりが伴う改宗儀式なのです。

これをやる異邦人は、イスラエルの市民権を申請できる権利を

貰えるのです。これで、イスラエルの国に移民した人を知っていますが、大変なものです。

しかも、ユダヤ人でさえ課せられない重荷を負わせるなとは、

そのような改宗儀式をすることもそうですが、異邦人がもし

ユダヤ人となる改宗儀式をしたら、自分の世界、異邦人との

関わり、家族や、友人と気軽に交流出来ないような拘束が

あったからです。

 

今も同じです。超正統派ユダヤ教の人など、他にもグループが

ありますが、彼らは、外部の人とは関わりませんし、ましてや

異邦人となど関わらないというスタンスなのです。

目も合わせないし、挨拶もしない。

これ、神の教えではありませんが、異邦人は神の契約の民ではないというズレた理解で、異邦人は汚れた生き方をする人達であり

そのような野生動物のような人間に触れたら、自分たちも汚染、汚されるという、ずれた思考回路をしているからでしょう。

イスラエルに居るユダヤ人同士でも、自分の属する派以外の人以外とは関わりを持ちません。世俗的なユダヤ人、または移民してきたユダヤ人を、ユダヤ人とはみなさず、異邦人と見ています。

 

これ、クリスチャンにもあるのです。以前聞いたことがありますが、キリスト教のパスターが集う会議で、他の宗派の人とは口も聞かない、関わらないというのが普通だったそうです。

人は、皆同じ思考回路があるのです。それは、汚れた教えや、

偽物と交わらないという考えが土台にあるからです。

それは一理あります。社会には色々な人がいます。

学校、会社、近所でもいます。

ずれた思想を持つ人と、社会生活の中で関わっていても、偽物の教えが何か、神が伝える言葉の真実が何かという、自覚がある

場合は、その教えには交わらない。

クリスチャンの牧師が、LGBT 賛成と言っても、そんな罪、偽の教えは取り入れない、交わらないと、神の言葉を正しく理解している人は、自分を偽の教え、汚染された生き方から守ることが

出来ますが、何も知らない子供をその中には、当然入れません。

同性カップルの親がいる子の家に、遊びに行かせません。

当然です。子供を、偽物の教えと、偽物の生き方は神の教えに

照らし合わせて罪であることを、はっきり教えて、子供を守らないとならないのです。なんでも受け入れるのが、愛と勘違いしている人は、神が伝える愛とは、神の教えに根付く生き方、

トラー をガードして生きる生き方を愛と教えているのです。

 

これ、死んだ10人で表される群れから絶たれた人と書いてある

意味を理解すると、分かります。神は、汚染物を、宿営の中に

留めない!という意味を理解しない人は、戸口に来る罪を、

無差別に愛と言いながら、なんでも、招き入れることをして

内側、人々を破壊されていく行為をしてしまうのです。

違う教えに、洗脳されてしまうからです。

 

1つ勘違いしてはならないのは、全ての人が同じ考え、信仰

そして、人生の道のりの中、同じ理解に到達しているのではないのです。

世界は、偽の教え、偽の聖書解説、偽の教理が浸透しています。

聖書のようで、人間の教え!!!それが20世紀近く浸透しているのです。様々な偽の教え。

これは、1世紀のイエシュアが居られた時代も同じです。

皆、メシアを待望していた。今もユダヤ人はメシアが到来する

ことを待望しているのです。

その、メシアが聖書に預言された通りのメシアではない、

その理解がずれているということがあるのです。

1世紀、約束のメシアが来られたのに、ローマ帝国の迫害、

圧力から救い出「獅子’としての王が到来したのではないから、

ローマ帝国の不当な扱い、迫害、重税やトラーを生きることで

処刑やその他、ひど目に合わされ続けてきた、そこから、完全に

解放してくださる王の王としてのメシアを待望していたのです。

しかし、預言されている通り、イエシュアは最初、悩める僕、

人に仕え、そして永遠の中に完結している購いの子羊の事実を

実際に地上で証明するために、来られたのです。

ロバに乗って神殿に入られる弱い僕。

王の王が凱旋するような形では、イエシュアは最初来られなかったから、多くの人が、イエシュアから離れたとあるのです。

しかし、預言書に記された通りの真実に目が開かれた人たちは、約束のメシアが来られた!と理解していたのです。

聖霊は、信じる人の中に、イエシュアが来られる以前から

住まわれているのです。

しかし、神が伝える真実は、聖霊が内側に住まわれていても、

嘘、偽情報を信じる場合、ある部分の真実は見えないままになるのです。

そうでしょう。聖霊=言葉です。イエシュア=言葉=トラーが

肉体をとってこられたとヨハナンが書いている通りだからです。

聖霊が内側に住むのに、ある人はメシアがメシアと分からない。

聖霊が内側に住むのに、神の言葉が永遠不変!と聖霊が記した

言葉通りを、クリスチャンが理解しないのと同じ盲目なのです。

盲点がある!ということなのです。

聖霊が内側に住う、イコール、自分は何でも聖霊に正しく

教えられると誤解してはなりません。

それには、条件があるのです。

神の言葉を、聖霊が記された通りに理解し、それに根づき

考えて生きる時に、聖霊は聖霊が記された言葉、真実通りを

教え続けてくださるのです。しかし、聖書に書かれてもいない、嘘を土台に、聖霊は真実を教えることができなくなります。

受け取る側が、偽情報を土台に考えている限り、それは分厚い壁ー偽の教えという分厚い壁で、真実が伝わらない状態になるからです。

これと同じです。作曲者が作った曲の楽譜、その作曲者の曲の

意味を正しく分析、理解せず、自分で適当にアレンジして、

べつもの曲に作り替える演奏をすること、それと同じことをしているのです。

神の言葉は、キリスト教やカトリックが主張し、語るように、

人間が好き勝手に神の言葉を分解、削除、付けたし、変えることができるような性質ではない!

どうして聖書に、神が神の教えに人間が付けたし、差し引きするな!とはっきりと宣言している言葉が書いてあるのに、その意味を全く理解できないのか?

それ程までに、偽情報、偽の教えが浸透している、進化論と全く同じ騙し、神の性質、神の言葉、神の業の時代ごとに変わる進化論という偽仮説を信じているからです。

永遠の中に、この世の礎が物理的に創造する以前に、

全ては、完結していると書いてあるのです。

全てが、揃って、この世界の時、生きることがスタートしたのです。それが、シャバットでも表されています。

全てが、完了している状態から、この世界の時がスタートしたからです。

未来、元のエデンに戻る、天と地が1つになる、その時代は未だ

到来していませんし、朽ちない体が未だ与えられていませんが、神の教え、永遠の中に屠られた子羊の血の代価で新しくされた人

の実態は、既に信じた時に与えらているのです。

朽ちる体で、以前生きていた全てを脳回路に記憶していても。。

それは、永遠の中に既に用意されていた!それを地上のある時に

受け取っただけです。

神の教える人の生き方は、未来何も変わりません。

変わるのは、人間の中身、頭脳、行動です!!

皆が神の教え=トラーを理解し、神の教えを生きる。神

の教えは、神が創造されたイエシュアの性質通りに造られた生き方からです。

フィラデイルフィアは、スミルナ同様、2つの群れ、神の契約に

忠実に生きて、偽物、混ぜ物、皇帝崇拝、異教の神々、女神の

儀式、記念日、祭り、汚れた動物を食べないことで、

偽物の教えに交わる妥協、同化、迎合、シンクロに抵抗し続けた勇敢な2つの群れとして称賛されました。

フィラデイルフィア、その他もその土地に何があったのか、

そのことを土台にヨハナンは語っているのです。