私達人間は、神が創造された世界の中に造られ、そこに生きるように
神が招き入れて下さいました。
全世界の創造物は、人のために神が造られました。
神が意図した通り、世界を管理し、神が意図した通りを生きる。
人は、神が創造されたような創造は出来ません。
神が創造された「原材料」から、何かを編み出す、神の模倣が
出来るだけです。
忘れているのは、神が創造主であり、神だけが神が造られ世界の
構造、成り立ち、それらをどう治めるのかを伝えられる唯一のお方です。
人が、どのように生きるように、神が造られたのかを伝えられるのも
神以外ありません。
それを、人間の教えで塗り替える無理をしているから、神が創造されたこととは、別のことを生きてしまうのです。
ずれ、罪の基本は、ずっと同じです。
人間は、神の言うことなど聞きたくない!
それが、エデンの園で神の言葉、教えとは違う教えを聞いて、
騙されて、別もの教え、行動、生き方を選択したこと。
バベルの塔、その後も、ずっと偽の神々の教えに混じり、偽物を
通して、イスラエルの神に関わって来た罪。
その行動の結果、預言者がイスラエルに送られて、神の契約=
トラーに根付いた生き方に戻れ!という預言者が伝える神の託宣を
イスラエルはことごとく嫌い、無視し、預言者を殺したのです。
これが、黙示録の警告なのです。今も同じことをしているのです。
神の教えは、律法と毛嫌いする思考回路と全く同じなのです。
神の警告が、耳に頭脳に届かない状態なのです。
神の伝えた言葉を、人間が変えて、別物に変化させた教えが、
本当と信じて、騙されている。
それは、黙示録にあるように、ニコライ派の教え〜皇帝を神と崇拝させ、異教の神々、女神の祭り、記念日、儀式に参加する妥協、
混ぜ物の宗教、教えをやった人たちへの、警告です。
神の教え=トラー!はじめの愛を捨てた!忘れた!
預言者が伝えた警告を、暗号でヨハナンが書いているのです。
西洋宗教は、ヨハナンが警告した通り、当時のローマ帝国下で
強要された、皇帝崇拝と、異教の神々、女神の教え、祭り、記念日を
を混ぜて4世紀に作られた宗教です。
その宗教、思想に、巻かれた異邦人が、黙示録で警告されている
神の教えから離れた5つの群れ、カハールなのす。
そのローマ帝国教の教えに混ざる生き方が、今に至るまでずっと続いていることに、全く気がつかないのは、昇天以降、神が神の教えを
捨て去り、新しい教えを教え、告白するだけで許される、
キリストの十字架の死を信じるだけで義とされたという、今迄聞いたことのない教えが、初めて教えられたという嘘を信じているからなのです。
聖書には、最初から、永遠の中に屠られたイエシュアの血の代価で
神の元に戻ることを、教えています。
その事実を、残りの民は、全て受け取り聖霊が内側に住んでいたから
神と対話し、神との関係に入っていたのです。
そうでなければ、神が神とも分かりません。
最初から、永遠から同じ唯一の福音=唯一の購いの方法、そして神の言葉、教えは同じであり、未来、クリスチャンが神の言葉を誤訳した律法、本当の意味は神の教え、インストラクション=トラー、契約に根付いた生き方に全ての人が戻る!と預言されているのです。
それが、エレミヤ31:31であり、イエシュアが過越の祭りに
弟子達対して再更新した、同じ婚姻契約=シナイ山で与えた同じ契約
モーセの五書=トラーなのです。
考えると分かると思いますが、一般的にカトリック、クリスチャンの間に浸透した教えは、オリジナルの聖書に記されたイエシュアが教えた父の教え=モーセの五書=トラーを変形させた教えなのです。
それが黙示録の警告!はじめの愛=契約=トラーを捨てた!という
警告そのものなのです。
ユダヤ的な言葉や、シャバットや祭り、その他キリスト教では、聞きなれない教えや、実践を聞くと、途端に異端!カルト!と即座に
警戒反応を示すでしょう。
それは、それらが古い悪い律法時代の廃れた教えであり、それらを
することは、神の恵み〜要らない縛りの教えを捨ててくれたのに、
わざわざ古い教えに戻って、律法主義を生きる悪い生き方だ!と
トンデモなくずれた思考回路で、考えているからです。
頭の中に、偽物の教え、人間が作った事実とは違う数式、方程式が
あり、それに当てはめて考えているから、嘘を本当と信じているのです。
聖書の時代、古代も、そしてイエシュアが昇天された以降の1世紀でも、もし、今のようなカトリックやキリスト教、その他プロテスタントの教えと、その実践、神の言葉は廃れた!と教え、今は人が考えることを選んで生きると教え、日曜礼拝、クリスマス、イースターなど
当時の人の間でやったら、一体どうなると思いますか?
完全に他の神々の宗教の教えと、認識されてしまうのです。
偽の教え、異端思想と完全追放されてしまいます。
ローマ帝国が作った別物の新しい宗教。皇帝崇拝、人間が神になり、教皇がその座に座り、神の教えを否定し、削除、別の教えを編み出す。
ギリシャローマの神々、女神の要素、記念日をふんだんに取り入れて作った宗教と彼らは、認識します。
そのようなことは、使徒の書簡にも1つも記されていないからです。
どこから落ちたのか考える。それはローマ帝国の迫害、ローマ帝国の皇帝崇拝、異教の神々、女神の思想、哲学、信条、儀式、記念日を
取り入れた宗教をやるように、ローマ帝国下に住む人は、処刑という
恐怖を突きつけられて、強要され、それに従ったからです。
ユダヤ人は、世界に離散しました。そのような、カルト教、
神の教え=トラーに記された、イエシュアが教えた父の教えを否定し捨て、神のモアデイムを汚し、捨て、ローマ帝国皇帝が作った偽物のなどを生きるとは、神に対する大冒涜、罪、聖別を汚す行為だと
神の言葉から、知っていた人達だからです。
昇天以降、日曜礼拝に変わったのではなく、ローマ帝国が4世紀に
皇帝の日、太陽神の日、日曜日を新しい、時のローマ新興宗教の
記念日と変えたから、人間が変えたから、それが本当の理由なのです。
何曜日でも、どこに、どんな目的で集まろうと、それは自由であり、
許可されていることです。
許可されていないことは、神が聖別されていない日を、人間が勝手に
主の日、聖日、シャバットと呼び、神が造られていない祭りを、
神が創造された祭りとし、本ものを捨てて祝うことです。
そして、神が創造された神の記念日を捨てること、これが聖別を
汚す行為であり、罪であると、神が言われていることに全く気が
ついていないのです。
なぜ?古い教えは廃れたからさ〜という大嘘に照らし合わせたら、
今はどの日も、人が決めた日が記念日というローマ14を完全に誤解し、パウロは、神のモアデイム、レビ記23に記された神の聖別された日のことなど、その中で一言も語っていないのに、シャバットが
変更された証拠だ!と、どこもかしこも、どの教師も異口同音に
完全に間違った聖書解説を、気がつかないまま堂々と施し続けているのです。
聖書を、正しく学んでいない、神の教えを正しく知らない教師に
代々学び続ける代償とは、そのような偽情報を本当と、聖書に書いてあることに照らし合わせて、正しく考えていない思考回路になるのです。
いつでも、なんでもシャバットなら、神は最初からそう言われたはずです。
しかし、シャバットは、神だけが宣言出来る日であり、それは神が
創造主である証拠、証明、世界に対する宣言でもあるからです。
神が全ての創造を終えて、止まられたから、神の子らも同じように止まる!と神が言われたことを、聖霊が内側に住む人が捨てるように
教えらえた、ローマ帝国の勅令で、そうさせられたのです。
偽の教えは、排除しなくてはならないことが、最初から書かれています。
それは、アヴラハムを通しても教えられています。
アヴラハムは神に、直接語りかけられ、神の教えを教えられたのです。
創世記は、個人個人が、神が直接出会い、語られ、イエシュアの
業も新しくされている事実も、そして、神の教え=トラーも
全て神の口から直接教えられた人のことが書かれています。
それが、ヤコブの12人の子供たち、家族の歴史、記録であり
後にエジプトに降る時、70人の大家族としてエジプトに入ったのです。全部7。そして、12。
間違いの教えの土台は、人間が神の言われたことを聞かない!やらない!
これに尽きるのです。なぜ、神の言われたことを、人が退け、
人間ローマの作った偽物の、混ぜ物の教えをやるのか?
自分で考える、聖書から考える人は、聖霊が真実を聖書=神の言葉から、必ず教えて下さいます。
教えられて来た、神の教えが変わったという例にされている臭い箇所は、全部間違った聖書の読み込み!それが原因です。
それは、聖書を正しく学ばない、オリジナルを学ばない、ユダヤ人の
群れから離れ、トラー教師を持たず、ローマ教の教師に、聖書とは
違う思想で、聖書を解説されてしまった、その代償なのです。
普通に見渡しても、クリスチャンの間には、ユダヤ人のように、
ヘブライ語に精通して、ヘブライ聖書に書かれたことを、その意味通りに教えられるということは、皆無なのです。
全部、宗教の教え、進化論デイスペンセーション神学や、置換神学
聖書ではない人間の教理を通して、翻訳聖書だけから、ある部分事実でも、元が歪んだ〜神の教えが廃れた、マタイ以降は、別の新しい
教えが書いてある、人が神の言葉を正しく仕分けて、より分けて
良い!などという教えを施されているでしょう。
それ、聖書でもなんでもない人間の思想なのです。
日本は、人数で言ったら極少なので、気がつかないと思いますが
今やアメリカは、驚異的にずれた思想が蔓延しています。
全部が全部ではないですが、宗派を超えて、異端的思想が入り込んでいる。それは、土台が砂だからです。偽物と本物を見分けられない。
一方、今迄語られてきた西洋宗教は、聖書ではない!と気が付く多くの人達が、世界中から出て来ているのです。
アヴラハムが、ロトを連れて来てはいけなかったのは、アブラハムは
異教の神々を信奉する地、ハランの地、親族、両親も異教の神々を
拝む人でしたから、そのようなこと、教え、生き方、生活から
一切決別しないとならなかったのです。
しかし、甥ロトもついて来てしまいました。
ロトが何をしたか、書いてあります。ソドムとゴモラにいた子供から
大人まで皆腐ったLGBTQの人々、男が男を求めてやって来た時に
娘を差し出そうとしました。
果ては、ロトの娘二人は、父により子を設け、それがモアブ人〜
「父により」という意味のモアブ人の先祖になったのです。
そのモアブは、ヨハナンが書いているバラムの教えでもある、
モアブ人の王、バラクに雇われた偽預言者です。
バラムの教え〜異教の神々、女神と交わる不品行、実際に異教の神々の神殿で、神殿娼婦と交わる不品行をすること、そして、子供の
生贄として捧げるなど、イスラエルの神の教え、生き方とは、
似ても似つかない偶像礼拝を通して、イスラエルの神を信じているという、歪んだ思考回路、実践のことです。
ニコライ派も同様、皇帝崇拝、異教の神々、女神の崇拝、祭り
記念日を祝い、混ざり物の教えに妥協する行為を、警告されているのです。ローマ帝国がしたこと、そのものの警告が記されているのです。
異邦人は、もちろん直に異教の神々、女神を拝み、彼らの祭りをしないでしょう。しかし、神の教えを捨て、シャバット、祭りは捨てています。
その代わりに、異教の神々、女神の祭りを作り変えたもの、
皇帝崇拝、太陽神の崇拝日を変えたものを、ローマ帝国によりすり
替えられたものを、通してイスラエルの神を崇拝しています。
神が神の教えを変えてなどいないのに、廃れた!という偽情報を
復唱し続け、イスラエルの神を歪めて世界に伝えています。
そして、神の聖別を汚す行為が何かも、神の教えを捨てているので
理解していません。
神の教えが廃れたら、人間が主体になってしまっているので、それこそ、その人、その人がそれぞれが考えることでOKとなってしまっています。だから4万3千の宗派、別々の思想で分裂している。
しかし、それらは神が拒絶する、退ける行為そのものであることは
聖書にクリアーに記されています。ヨハナンの黙示録の警告は、
今のような人の教えを通して、イスラエルの神に近づく、
ニコライ派、バラムの教えに対する警告だからです。
ミシュカン建設は、誰に託されましたか?
天に存在する人の肉眼では見えない、神の家がある。
神が人と特別に会見する場所を作らせた。
それそっくりを地上で作られせて、神ご自身を人々に教える、
神との会見の場所、家を作らせたのです。
神の家族には、住まう場所があり、大祭司であるお方がいるのです。
そのミシュカン建設をした人は、神の教えを勝手に変えて捨てる人は
任命されませんでした。
ユダ族、賛美という意味の名、ホルの子、ウリの子、ベザレル。
ホル、白い、ウリ〜光、ベザレル〜神の影という意味です。
影は、意味なし、消えるという意味でクリスチャンは解説しますが
聖書にある影とは、見えない実態そっくりそのままを映し出すもの
という意味です。
そして、神の言葉を託された人は、神が言われた通りにする、
制作する。
そして、ダン族、ダンとは裁くという意味の名の部族です。
オハリアブ オヘル〜会見の場所 アヴ〜父という名です。
宗教の世界は、ローマ帝国、人間の思想が、神の言葉の中に挟まってしまったのです。
考えてみたら分かると思います。なぜ?クリスチャンは、聖書に
書かれたイエシュアが教えられた教えを、廃れたと信じて主張し
そして、神のシャバット、祭りの全部を捨てているのか?
それは、ユダヤ人と、異邦人は別の教えという、デイスペンセーション神学、人間の教えを信じているからです。
時は神が創造されたものです。
シャバット、第7日目、神が唯一聖別し、祝福された日は、第7日目であり、ローマ帝国が作り変えた日曜日ではありません。
神のシャバットを、人が、日曜日、主の日、聖日と言い換えることは
偽証であり、やめないとならないのです。
自分が言ってもないことを、言ったと言われたら、それは許し難い
偽証でしょう。同じことを、神に対して堂々としているのに、
聖書に書いてもないことを、書いてあると主張し続けている。
その大罪に無感覚なのは、全てローマ帝国の偽の教え=神の教えを
捨てよ!という勅令から来たものなのです。
日曜日に何の目的で集まっても良いのです。
しかし、それは神が聖別され、神が呼び出している特別な聖日ではないから、その日を主の日、聖日と呼んではならないということを
理解しないとならないのです。偽証だからです。