宗教は元々ローマ帝国が作ってはならなかった混ざり物の教えの不純物 偽物 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の教えは、人間、ローマ教、クリスチャンが主張するように

歴史の途中で変わってなどいませんし、永遠に変わりません。

聖書にはっきりその事実が、神の口から語られた言葉で、記されています。

神の言葉を神が伝える通りに信じようが、信じまいが、人間は、

神の言葉を塗り替え、壊す事などできません。

何を信じようと自由ですが、自分の信じている事が、

聖書の事実ではなければ、それは嘘、偽り、偽情報に過ぎないもなのです。

イエシュアが昇天以降、全てを成就したから、神の教えも廃れた!

という、偽の教え、偽りは、聖書には1つも書いてありません!

使徒行伝〜黙示録を、書いてある通りに、誤解した解説で読み込ま

なければ、そこには、全ての人が、イエシュアを信じるユダヤ人、

そうではないユダヤ人、そして極少数の異邦人も、神の教え=トラーを以前と同じように生きて、シャバット、新月、過越、仮庵を祝ったしか、書かれていないのです。

神殿が存在した70年代迄、パウロ含め、全ての人は、変わらずに

祭壇に、動物と畑の収穫物のコルバンを捧げる事をしていたのです。

 

クリスチャンは、生贄、捧げ物と聞くと、罪のための仮の許しと

教えられているから、コルバンをなぜ神の祭壇に捧げることを、神が教えたのか、その意味が正しく理解できていないのです。

レビ記を、書いてある意味通りに教えられれば、巷に浸透した解説が、どれ程聖書から逸脱して、的を外して勝手に漂流している思想であるのか、発見できます。全ての問題の根、誤解した聖書解説、

解釈は、聖書を正しく学んでこなかった、その代償なのです。

いや、教えられる教師が、異邦人の間にいないかったからです。

人間の作った宗教、ローマ教と、そして人間が編み出した思想、

神学、置換神学やデイスペンセーション神学を通して、翻訳聖書だけを学び、それを教えているからです。

オリジナル聖書を学ばない。教えられない。

神の言葉は、神の言葉で読み、解釈しなくてはならないという

大前提を、真っ向から違反しているのです。神の言葉を、人の思想=歪んだ思想哲学で、読み解いているから、聖書に記された事実とは

ずれた解説をしてしまうのです。

コルバンは、最初から人の罪を1つも許しません!と書いてあるの

です。事実、動物の血、人の捧げ物で、罪は消えません。

コルバンは、罪の許しが目的ではないからです。

人間の努力で、罪が消えたら、そうだとしたら、イエシュアの死、

子羊の血の代価は、要らない、何も意味がなくなるのです。

 

天の現実、見えない世界を地上で目に見える物理的世界を通して

教えている。

永遠の中に屠られた子羊の代価、新しくされた人の事実=シミ、傷、欠けがない人にされた事実からだけ、神の前に出る。

神と関係を持つ。

それが、朝に夕に24時間365日、絶え間なく捧げられる子羊

全焼のコルバン、オラーでも、表されています。

神が一方的に支払った代価〜命を受けた人は、神に完全に受け取られている。それが神の前の芳しい香りであり、天に立ち上る煙を見て、神の中に受け取られている事実を、肉眼で見て、それを教えているのです。

コルバンは、イエシュアの業の全てを表しています。

そして、神が創造された、シャバット、新月、過越、仮庵の祭りは

全てイエシュア、神の業、神の創造、神が造られた人の生き方

そして、それらは預言的祭りです。

それらを実際に生きて、神との出会い、体験そして、新しくされた人を一年のサイクルの中で生きる、レッスンプランを与えているのです。

それらの意味を教えられないから、そして実際に神が創造された本物の記念日を祝った事もないから、分からない、理解できないのです。生贄〜罪の仮の許し〜終了!などという、聖書、神が伝える事実とは異なる、人間の思想を刷り込まれてしまうのです。

異邦人の世界は、契約を受け取ったユダヤ人とは、決定的な違いが

あります。

「自然の木、野生の木」で、例えられているように、ユダヤ人は、

神から契約を代表として受け取り、世界へ伝える役割を与えられた

大家族の長男です。重たい責任を負わされているのです。

神の教えからズレて、大失敗を繰り返しましたが、その中には、

ノア、アヴラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、ダニエル、エレミヤ、イザヤ、エゼキエル、ゼカリヤ、ネヘミヤ、その他残りの民を神が

保存し、神の言葉、教えを直接教え、人々に神の教え=トラー=契約に根付く生き方に戻れ!と、教え続けた人がいるのです。

それらが、預言者、預言書に記された警告の内容を、ヨハナンが

暗号で黙示録に書いてあるものなのです。

神の教え、言葉、インストラクションを、律法という不適切な誤訳で教えられ続け、しかも、律法は廃れた!古い、悪い、異邦人には関係ないなどという嘘、偽の教えを、信じた最初から刷り込まれる。

預言書に警告されている、契約に根付く生き方を、イエシュアを信じた最初から知らない、教えられもしない、それが何か分からない、

神の言葉を捨てているから、それが異邦人なのです。

ヘブライ聖書を、信じた最初から、教えられて来た、イエシュアが

教えられた教えや、生き方、シャバットや祭りを祝って成長したなどという異邦人はいないです。その代わりに教えられるのが、ローマ教の教えと、其の実践、儀式、記念日。

どこを見渡しても、宗派スタイルは違えど、皆、ローマ教、

サンデークリスチャン、クリスマス、イースターを祝うのです。

 

しかも、考えても分かる通り、マタイ以降は、トラー、預言書、

諸書の短い短い短い抜粋、引用、使徒が書いた注解書なのです。

神の教えの完全版、全貌は、そこには書かれていません。

つまり、黙示録が記された時代、1世紀〜ローマ帝国の妨害、冒涜

違反、敵対心により、トラーを捨てさせ、トラーを生きる人、

ユダヤ人異邦人を処刑して来た結果、異邦人は、神の教え=契約に

根付く生き方から離れ、ユダヤ人の群れとの関係を断ち、行動、

生き方で、ローマ帝国に対して、自分達は、ユダヤ人のような

生き方、トラーを生きてません!と、行動〜神の教えを捨てて

生きる事で、証明したからです。

そして、パウロのようなヘブライ聖書を教えるトラー学者、教師から完全決別し、ローマ教という人間が作った宗教、皇帝と帝国繁栄の

ために作られた宗教の教えを、彼ら異邦人の思想で塗り替えた聖書

解説をずっと聞かされて来たのです。

アメリカでも、どこでも、異邦人の世界で、ユダヤ人のように、

ヘブライ聖書をそのまま解説、教える事ができる異邦人教師は、

トラーをイエシュアと同じように生きている人は、ほぼいませんでした。今は、だいぶ違いますが、それでも、少数派であり、余りいません。ユダヤ人の間では、違います。

しかし、ユダヤ人とて、聖書を、書いてあるその通りに教える人の方が少ないのです。

皆聖書ではない別の、何かの教えに交わってしまうからです。

誰かの思想に、影響されるからです。

群れの中に、長老が居て、誰もがヘブライ聖書を教えられるのです。

その解説の深さは、直接言語に書かれていることを知っている場合

そして学び続けている人達が知る世界、それは全く別世界なのです。

 

16世紀、カトリックが無数に作り出した、聖書ではない様々な異端思想、実践に反対したのが、ルターでした。しかし宗教改革後も、

結局聖書に書いてある通り、聖書に登場する人たちが生きていた契約=トラーには、完全に戻らず本当に残念な中途半端な宗教改革

それはローマ帝国皇帝カルト教、太陽神信仰を土台とした、思想を

土台にしたまま、偽物の教えというパン種をそっくり、そのまま

残したままなのです。

しかも、ルター本人が、最後は、反モーセの五書、反ユダヤ思想

にひるがえった、これだけで、彼が神の教え、言葉、聖書を正しく

理解していなかったことが、証明されるのです。

ヒットラーが犯したユダヤ人に対する残虐な仕打ちは、全てルターが

自分の書、「ユダヤ人と嘘」に記されたことを、ヒットラーが

実行したものであることを、知らないとなりません。

ある箇所だけ、聖書を信じるという、土台が歪んだまま、砂の土台を

信仰の根拠としているのです。

その中でも、聖書に100%戻ろう!と提案した人達が、当時いたのですが、却下されたのです。少数派は、多数派に勝てないからです。

しかし、多数派が主張する聖書解説は、聖書ではない!

それの教えが、聖書に根拠のない、人間の思想=ローマ宗教を土台とするなら、それは聖書ではないからです。シンプルな事実。

神の言葉だけを、根拠にしない場合、神の言葉という絶対的基準を

捨てているから、何の教えでも編み出し続けているのです。

それが今の宗教の世界の現状なのです。

その結果、異邦人の間では、聖書信仰と言いながら、実は完全な聖書信仰ではなく、神の教えを否定する信仰〜律法は廃れた!と、

神の教えの中核、土台である、トラーに記された教えを捨て、それらが何かしろやぎさんとくろやぎさんのお手紙交換のごとく、

何が書かれているのか、実は知らない、分からない。

 

そして、神が呼び出している、神が創造された本当のアポイントメントの日の全てを、聖霊=イエシュアが内側に住むクリスチャンが

捨てているのです。不思議に思って下さい。

そして、その理由は、「律法は古い悪い、古い律法の祭りを祝うこと、律法主義だ!」などと、意味不明な事を、平気で信じ込んでいる

偽の教えに占拠された思考回路には、神の教えは届かず、歪んだ

思想〜ローマ教、人間の教えがっちり染み込み続けて、神の教えを

拒絶、跳ね飛ばし続けるのです。ローマ教〜人間の教えです。

 

かろうじて、シャヴオートは話題にしますが、その日が、春の祭りの最後の日、婚姻契約を受け取った記念日、そして小麦の収穫祭であることを知りません。

その代わりに、聖霊が初めて天から降った日、聖霊降臨祭などという別の名にすり替えて、違う主旨、別の意味に変えられています。

シナイ山で起きた出来事の再来です。シナイ山では、天がそのまま

山頂に降りて来て、神の声を聞き、光、稲妻を見たのです。

 

ペンテコステとギリシャ語では、呼んでいますが、カトリック、

キリスト教は、シャヴオートの日を、異教の女神の祭りを変えて

異教の女神の名を残した日を、復活祭〜春の最初の満月のすぐ後に

来る日曜日根拠として数えています。

復活の命=初穂=イエシュアの命に連なる記念日は、神が最初から

創造されているのです。

それは、過越の日、種無しパンの7日の真ん中に来る日が、初穂の日

なのです。ローマ帝国教は、神の教えを捨て、神のモアデイム、

アポイントメントの日を、勝手に作り変えて、それらが本物と人に

浸透させたのです。

それを、継続しているのが、今のカトリック、ギリシャ、ローマ

聖公会、プロテスタントの4万3千の宗派の実践ですが、それらの

記念日は、神の創造された聖別されたアポイントメントの日、

神の仰せではない、聖書ではありません!

過越から、7週目に来る祭りが、シャヴオート(ペンテコステ)なのです。だから、キリスト教のイースターとペンテコステは、

聖書の暦とは違う、ずれた日であるのは、日曜日を基準としているからです。そして、神の祭り全部を祝わないというずれた祝い方で

あり、多産の女神の祭りを作り変えたものにすり替えられているのです。そんな祭りを祝った人のことは、聖書には記されていないことを、聖書の記述から、発見して下さい。

未来、イエシュアが戻られたら、これら人間が作った人間由来の

作り物の祭り、日曜含めて、全てなくなり、神が創造されたオリジナルの記念日と、オリジナルの教え、トラーに根付いて生きる事に、

全ての人が戻る!これが、未来預言なのです。

当然です。人間の作り物をどうして神が受け入れ、代わりに神が伝える本物を、神が妥協して捨てるのか?

その歪み、偽りに対し、疑問に思わない方が不思議なのです。

イスラエルの神に属さない全ては、未来は消えるのです。

人の教え、神のものではない全てのシステム、構造、偽の教え、

偽の記念日など、神の家には、持ち込んではならないのです。

人が神になり変わる、それが皇帝崇拝教の思想の性質であり、それがずっと根付いているのです。

聖書には記されていない、ローマ帝国が4世紀に作った、皇帝崇拝の日、太陽神の日に、シャバットを変えた。そして異教の神々、

女神の祭り作り変えて、リニューアル、キリスト的な意味を付け足した、架空の日に、別物の変えたものを祝っていることに、全く気が付かないのです。

今は、情報は、探れば自分で調べられます。

もし、神が、今は人の考えで、いつでもシャバット、いつでも神の

祭り、又は、別の祭りを作って、神の祭りを捨てて良い!と言ったなら、それはそうでしょうとなりますが、神は、そのような事、

神の教えと神のモアデイムを変え、汚す事をすることを、どれ程禁じ、どれ程拒絶し、それらをおぞましく思い、それらが偶像礼拝〜

姦淫の罪と警告しているのか、それが黙示録にも書いてあります。

人間の考えで神に近づく行為、聖別を汚していると、何度も何度も

何度も警告しているのです。

イスラエルがシャバットを汚し、神の教えを無視し、捨て、気にも留めず、異教徒のように、区別、識別無くなんでも食べ、神の教えを

捨てたから、厳しい訓練、捕囚で追放されたのです。

今も、神の教えは変わりません。異邦人へも全く同じ教え。

それは、黙示録の中に記された暗号、メッセージが証明しているからです。

イスラエルがしたように、同じように神の教えを捨て、別物の教えと交わる事、それをした人たちへの警告が、預言書に記された内容を、暗号で書いているのが、黙示録だからです。

クリスチャンには、黙示録にヨハナンが記した、メッセージの意味が通じていません。

なぜなら、神の教えを捨ててなどいないと考えているからです。

いや、 最初から捨てています。律法は廃れた、無用、関係ないと

自分で言っている、意味を考えて、そして、イエシュアが何を

教えて、何を生きて、シャバット、祭りを祝った事を読んでも、

その事実は通じないのです。

人の子は、シャバットの主とイエシュアが語るのに、その意味が

全く通じず、人の子が主であるシャバットを、ローマ教は捨てて

別物に変えたのです。ローマ=人間が主になっているのです。

翻訳聖書には、不具合な翻訳がたくさんあります。プラス、

ローマ教、キリスト教の聖書解説は、神の言葉そのものを解説して

いるのではなく、人の思想、律法が廃れた!という人間の教えを

通して、歪めた聖書解説を施しているのに、教師がそれに全く

気がつけないのです。

神の教えが変わった証拠だとされる箇所ですが、それらの解説は、

もれなく、100%全て間違った聖書の読み込み、間違った解釈、

解説であることを知って下さい。

なぜなら、神は神の教えを変えていない。しかも、原典聖書には、

神の教えを神が変化したり、使徒達が神のトラー=教えを塗り替えるような解説は、1つもしていないからです。

それらは、キリストの名を利用する異端思想、それこそ聖書が警告する偽教師、偽預言者、カルト宗教の教えなのです。