バラムの教え ニコライ派 神の教えを曲げる妥協 西洋宗教の世界 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神はエデンの園から、同じ教え=トラーを口頭伝達で教えました。

それが、創世記の時代です。

文字で書かれた神の教え=トラーが記されたのは、出エジプトして

正式にイスラエルという神の民の国家が造られて、そして、神の民に

イスラエルの神の大家族の家訓である、契約=トラーを代表として

与えたのです。

 

そして、歴史は、イスラエルを通して、イスラエルの神を人に教え

そして、神の性質、イエシュアの生き様=トラーを生きる事を

全世界へ教える事、これがイスラエルのミッションだったのです。

しかし、イスラエルは、これを何度も失敗しています。

人が神の教えから、ズレて生きる、それを警告される、そして

裁きが下され、厳しい訓練を通る。

聖書は複雑な事が書いてあると思いますが、ざっくり言うとこうです。

エデンの園、神の中に人が生きる場所を最初に設けられた事が

ヘブライ聖書に書かれています。

エデンとは、喜び、歓喜というヘブライ語であり、神ご自身です。

その中に、園を設けた。

そして、物理的な世界が造られたことが、記されているのです。

創世記2:8、2:15これは、翻訳聖書では全く見えないものです。

なぜなら、神は永遠の時を表す、ケダムという言葉を使っているからです。

そして、神の教えは最初から同じです。神は人に必要な全てを最初から、永遠の中から用意されて、そして物理的世界を造られたからです。

そして、神の設けた人が生きる場所=神の中、神と直結した中に

生きる事から、外に飛び出した。そして、このエデンに戻る!これが

聖書の最初から、最後、創世記、エデンを出て、黙示録〜エデンに

戻ることが書かれているのです。

問題は最初から、同じ。今の宗教の教えの世界と同じ。

人間が神の言葉を退けている事。廃れた、終わった無用!という

思考回路、それが人類の問題の本当の根なのです。

神のいうことを聞きたくなんてない!!自分の考えをやりたい!

 

これが、預言書で記されている警告です。

神の教えを捨てて、別物の教えと交わる事!これをするな!と言われているのに、ずっとしているのです。

しかも、神の教え、言葉を捨てているのです。

異邦人は、信じた最初から、イエシュアが教えられた契約に根付く

生き方を教えられず、代わりにローマ帝国が作った土台が皇帝崇拝

カルト宗教を信奉しているのです。

コンスタンチヌスが、なぜこのような宗教を作ったのか知る必要があります。

ローマ帝国は独裁政治、独裁者が支配する帝国であり、全ては皇帝が

中心です。これはエジプトも同じです。どの帝国も同じです。

皇帝、王が神!そして、この皇帝のために、異教の神々も女神も

人も存在するのです。多神教です。

コンスタンチヌスが、キリストが戦争の勝利を与えたと考え、

キリストも多神教の神々の1つに取り込んだだけです。

事実、彼は皇帝崇拝の中心であり、自分の像をバシリカに設置しているのです。

イエシュアが教えた、父の教え=トラーとは違う教えを、ローマ教がしている!と言う事に、気が付かないのが不思議です。

プロテスタントは、カトリックの教えの何が聖書ではないと言うのと

同様、プロテスタントも、聖書から逸脱した、結局ローマが作った

宗教の実践をしている事に、全く気がつけないのです。

それは、イエシュアが昇天した後、新しい教えが出て、教会という

群れが初めて出現し、古い教え=父の教え=トラー、イエシュアが

教えられたモーセの五書が廃れたという嘘を信じているからです。

とにかく、この嘘、偽情報が、まやかし、偽りと分からない限り

結局、聖書とは違う逸脱した、真実から遠く漂流した思想を信じ続けて、金の子牛=人間の考えを通して、神の教えを捨て、勝手な方法で

神に近づく事は、正されないままになるのです。

黙示録のヨハナンが記した預言書の警告など、伝わらないままです。

ヨハナンの警告は、預言、神の教え、トラーに戻れ!という警告

なのです。トラーに戻れ!ではなく、トラーは廃れた!それが西洋宗教のまやかしの教理であり、黙示録を読んでも、この世の終わりの

大惨事が書いてあると、歪んだ、曲がった偽解釈を信じてしまうのです。

聖書のどの箇所も、トラーが解説され、預言書は、トラーから外れた生き方をする人への、警告。神の教え=契約に根付く生き方に戻れ!

それが、警告の中心なのです。

 

神が与えた、神が教えている、神が創造された神の似姿に造られた人が、どう生きるかの家訓、ブリットを神はイスラエルに託しました。

しかし、最初からずっと神の教えを捨てて、別物の混ざり合うことをし続けて、その度に、検事、検察官、裁判官であり、王の王

大祭司であるお方が、介入して、裁いているのです。

 

その神の警告が記されているのが預言書であり、黙示録も預言書の

警告を暗号で記しているものなのです。

警告は何ですか?神の教え=トラーを捨てて、別物の教えと交わりあっている。そこから、戻れ!神の教えに戻れ!と言い続けたのが

預言者であり、それが預言書のテーマなのです。

未来に大惨事が起きる事、未来預言はそんなに多く書かれていません。

神の教えからズレたら、どんな悲惨なことになるのか、その警告が

書かれています。

そして、イスラエルに送られた預言者の言葉、トラーに戻れ!という

神の警告を皆嫌って、預言者をことごとく殺したのです。

これ、今の世界のクリスチャンの中にある思想そのものです。

神の教えを、古い、悪いと嫌い、捨てている。そのものなのです。

 

そして、その預言者の警告を退け、神の教えに違反して、別物の

教えに混じり合い生きたイスラエルは、アッシリア、バビロンに

侵入され、捕囚の民という惨めな現状に陥ってしまったのです。

ダニエルは、バビロン捕囚の只中に、バビロンの王、ネブカデネザル

王の下に仕えた人たちです。

ただの奴隷ではない、彼らが頭脳明晰であるから、王宮に仕えさせたのです。

彼らも、黙示録にある2つの群れと同じ生き方をしました。

異教の神々、汚れた生き方、汚れた動物を食さない、王に何をされても、イスラエルの神への生き方を曲げず、信仰を捨てなかった事が

書かれています。

そして、エゼキエルは、バビロン捕囚の最後の時代です。

どの預言書も、同じテーマです。神の契約=トラーに根付き生きよ。

偽物の教え、異教の神々の教え、儀式、祭りに交わるな!

偽物の生き方と、同調、同化、シンクロ、融合するなかれ!

 

そして、イエシュアが来られたのですが、これで神の教えの何かが

変わったと勘違いしてはならないのです。

神の教えは、変わらない!変わらなくてはならないのは、人の中身

頭脳、思考回路、行動の方です。

神の教えが廃れた、破棄された、十字架で処分されたという間違った聖書解説、偽の教えを信じる人には、神の言葉は書いてあっても

正しく通じさえしません。

7を1と読む、学校の教科書に書いてある7を1と読み、計算しないのに、聖書に対しては、人の思想をとり、ことごとく勝手な読み方を

しているのです。

そんな読み方をしたら、聖書など、別物の宗教の経典になるのです。

 

黙示録2:12 ペルガモにあるカハール、エクレシア、群れの御使に、

こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。

 2:13 わたしはあなたの住んでいる所を知っている。

そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。

 

ペテロがカトリックの初代教皇とか、アンテパスが、カトリック、

東方正教で、聖人とされていますが、普通の人です。

ペテロは、ヘブライ聖書、トラーに忠実に生きた使徒であり、

ローマ帝国皇帝崇拝教を知らない、神の教えを人間が歪めた宗教など、人に教えてもいません!嘘だらけ、偽情報の拡散をやめないと

なりません!

このアンテパスも、同じローマ帝国下に生きて、偶像礼拝、皇帝崇拝をせず、トラーに忠実に生きてネロに殺害された人です。

その理由は、皆同じです。皇帝崇拝をせず、異教の神々、女神の教えに交わらず、拝まず、祭りもしない。

トラーに忠実に生きて、シャバット、祭りを祝う、それをする人は

ローマ皇帝に殺されたのです。

もろはの剣とは、ローマ帝国では、不法に気に入らない人を、

刺し殺す事は、日常茶飯事だったからです。

 

2:14 しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。

あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。

バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。

 

バラムは偽預言者です。モアブの王のバラクに雇われ、イスラエルを

呪うように命令されましたが、イスラエルの神に、イスラエルの本当の姿を幻で見せられ、呪いではなく、イスラエルの現実の姿と祝福を

言ってしまった事が、民数記に記されています。

不品行は、異教の神々、女神の儀式につきものです。多産を願う。

無病息災、子孫繁栄、どの宗教も同じですが、古代は、異教の神々の

神殿で、神殿娼婦と交わり、多産を祈願するおぞましい行為が行われていたのです。

そして、ここに注目してください。偶像に捧げた肉とは、きよくない

動物、豚のような動物です。それを食する事をさせる!と書いてある

意味は、今はなんでも食べれるという偽情報を信じて、神の教えを

捨てている人には、全く意味の通じないものになります。

パウロが言うように、偶像の神々など実在しません。

偶像の神々に、豚や清くない動物を捧げるのは、異教徒だからです。

ギリシャ帝国が、イスラエルの神の神殿を乗っ取り、神殿にゼウス神を設置し、街中にゼウス神を同様に設置し、祭壇に豚を捧げ、

豚の血で神殿を汚したのです。

神殿だけではなく、ユダヤ人に無理やり豚を口に入れて食べさせ、

それを飲み込まない人は、その場で処刑されたのです。

マカバイ記を読めば、それが記されています。

同じ事が、黙示録に書かれていても、神の教えが廃れたと言う嘘を

信じる人には、ヨハナンが書いている意味など正しく通じません。

神が禁じたこと、それは衣食住でも、その他どんな領域の生き方に

於いても、神が禁じた事を人はしない、できないという基本的な理解がないのです。

それが、西洋宗教という偽物、神の教えを否定した偽情報を土台とした宗教を教えられた結末、末路なのです。

 

2:15 同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。

ここにもニコライ派の教えへの警告が書かれています。

ニコライ派の教え、生き方は、西洋宗教と同じ、そのものです。

混ぜもの教えもOK、なんでも食べて良い、愛が大事、気持ちが大事。

神の教えに違反する事豚やロブスター、牡蠣を食べようが、皇帝を

拝むジェスチャーで焼香しようが、自分の気持ちは神を愛してるから、それでOK、愛が大事!自分中心であり、神の教えを退けた思想

行動。そのような考え生きるな!

そのような教えと交わるな!という警告なのです。

それが、ニコライ派の教えとして、警告されているのです。

 

2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。

 2:17 耳のある者は、御霊が諸々の群れ、カハールに言うことを聞くがよい。

勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。

また、白い石を与えよう

この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名

書いてある』。

 

神が判定する、義で裁く基準は、神の言葉=トラー=モーセの五書です。

イザヤ41:2 49:2に記されている通り、ローマは物理的な

つるぎで人を殺しますが、神は神のトラー、神の口から出るつるぎ〜

言葉=トラーを基準に、人を裁くとあるのです。

白い石とは、罪なしという判定を表すものです。あれみたいです。

オセロのコマ。黒と白。黒=罪あり、白=義とされている。

そして、新しい名と読めば、ユダヤ人は、神に与えられた新しい名

ヤコブの話を思い出すのです。

 

ローマ帝国下では、恐怖がいつもありました。

自分に害、または殺害する、そのような危機に直面する毎日。

殺されるくらいなら、皇帝崇拝の焼香しても良いだろうと、そういう

妥協は、神の前に許されていない。

これを、通ったのが、使徒達でもあり、当時のユダヤ人です。

神の教えなんか聞きたくない!というイスラエルが、預言者を

皆殺したでしょう。

それとは逆に、神の教え=トラーに忠実に生きる人が、ローマ帝国に殺害されたのです。

クリスチャンは、最初から神の教えが廃れたと教えられてしまい、

神の教えを平気で捨て、バラム教、ニコライ派の教えで、汚れた動物を食することなど、何も感じない、無感覚、そんな教えは廃れたからと言う嘘を信じているからです。

契約に根付く生き方を、信じた最初からしていないと言う事にも、

全く気がついてもいない、ピンとこないと思いますが、

偶像礼拝せよ!皇帝崇拝せよ!という部分は理解できると思います。

皇帝崇拝をする?いや、日本人は、死者にお焼香をするから、

なんとなく、その行為の意味が分かるでしょう。

それと同じなのです。別に亡くなった方を神と拝んでいるのではないからOkさという、妥協を自分の中で許す。

焼香するジェスチャーは、皇帝崇拝を行動で表すものなのです。

しかし、それは神の前にはNG行為であることが、書かれています。

 

恐怖とは人を縛ります。ヤコブも、騙しの世界に生きていたのです。

生まれた最初から、かかとをつかむ、引っ張るもの、それがヤコブの

ヘブライ名の意味です。

そして、兄エサウの衣=衣はその人を表すものであり、

自分の服ではない服を着て父親を騙して、長子の権利、相続を奪ったのです。

聖書のテーマは、最初から騙しです。エデンの園の最初から同じ。

偽の教え、偽の自己像に騙されて生きる、それが聖書が伝える闇です。真実が見えない、光がない、闇。

なぜなら、神に伝える自己像、イエシュアの性質通りの自分を知り

神の教え=トラーを生きる、これが光だからです。

偽の教えが、宗教です。神の言葉、真実の中に、嘘がふんだんに混じっている。嘘=人間が作った神の教えを曲げて捨てる偽物の教え。

それが、闇を作り出しているのです。

だから、歪む、果てはLGBTQ,性加害、強欲の神学、人を支配する

異様な行動、それらは全て、神の教えを歪めて、人間の教えに変えたものから、出てくるものなのです。

新しい名とは、何でしょう?

 

続く