神の契約 教えから外れたら異端思想が生まれる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エレミヤ31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしのトラーを彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、

彼らはわたしの民となると主は言われる。

 

再更新されるシナイ山の契約を受け取り生きる、イスラエルという

苗字の大家族はどんな状態であると書いてありますか?

 

わたしのトラーを彼らのうちに置き、とあります。

うちというヘブライ語は、コルバンと同じ、内側、カレブという

言葉です。

腹の中、詰まり人のDNA、内側に刻まれるとあるのです。

何を刻むと書いてありますか?神のトラー=父の教え=モーセの五書

です。

そうすると、神が言われることと、キリスト教が語る、神の

教え=トラーが廃れたと言うことが、真っ向から矛盾、反発するのです

詰まり、人間の教えの方が、偽物であり、神の言葉が絶対である。

これが、分からない場合、人間の教えを買って、神の言葉、真理を捨て、自由自在に聖書とは違う解釈、思想をそれぞれが勝手に言い続ける、、やり続けて行くのです。

心とは、レブ=頭脳に刻むのです。神の教えを人の頭脳に刻む。

そうすると、今のように、神の教え=トラーは廃れた!ということを

言う人は一人もいなくなる時代が来る預言なのです。

神の教え=トラーを知る人には、神が彼らの神となり、

その人は、神の民となると預言されています。

 

31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、

『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが

小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると

主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、

もはやその罪を思わない」。

 

主を知るとは、頭脳で知るだけでなく、関係の中で最も親しい知り方、この知るは、婚姻関係の知るという言葉、「ヤダ」という言葉

なのです。

これは、婚姻関係の中に於ける、究極の親しさ、知るという言葉なのです。

詰まり、神との関係にある人は、神のトラーに根付いて生きることをする。それを、互いに神の教えを、神が伝える通りに知ろうと

言わなくて良い。神との関係は、神のトラーに根付き生きる中で

深まるからです。夫の言葉を捨てる妻、そんなのは無くなる。

不義とは、何だと思いますか?神の教え、トラーに対しての違反

不法、神の教えを捨てて生きていたそれを許すとあるのです。

 

聖書解説も、翻訳も同様ですが、その教師が信じている思想を通して聖書解説をされてしまうのです。

 

カトリック、プロテスタントの同じ思想の根底、ベースは、

神の教えは廃れた、異邦人には関係ない、ユダヤ人だけ生きれば良い

イエシュアが来られるまでの一時的な教えで、律法だ。

恵のない生き方だ。神は自由を得させるために、厳しい律法を

破棄されたのだからと、聖書には書いてもない空想の教えを人に

教え続けていますが、何を言っているのか分かったら、神の前に深く

悔い改めをしなくてはならない程、冒涜を信じているのです。

 

今や、LGBTQは神が許されたこと、人に対する愛が大事などと

意味不明な解説をし、そのようなことを信じる牧師、教師が、

聖書の注解書を書いてるのです。

聖書とは異なる、罪を平気で主張しているのです。

 

詰まり、毒物や欠陥車と同じ。世の中、市場に出回ってはならない、

有害物質が入った添加物入りの食品や、事故を引き起こす欠陥車が

そのまま売り出され、多くの人に買われ、取り返しがつかないほど

浸透して、しまっている状態なのです。

 

ヘブライ聖書は、一字一句同じ文字数、同じ言葉で書かれています。

人が変える余地がない。翻訳聖書は、それとは違います。

翻訳という壁があり、プラス、翻訳者の思想を独自に反映させられて

しまう、ネックがあるのです。

 

置換神学は、神の契約を受け取ったのは異邦人だと考える人です。

しかし、契約は、1つです。その中身は、モーセの五書です。

考えたら分かりますが、クリスチャンの世界では、モーセの五書が

廃れた!と信じている。

詰まり契約に根付いて生きることなど知らない人に、仮にも神が

そのような人に契約を、移動するわけなどありません。

いや、この言い方は違います。神はそのようなことはされません。

異邦人が契約を受けとる代表となったという主張が嘘であるという

証明できる2つの根拠があります。

 

1つは、シナイ山の契約、モーセの五書以外の神の教えなどありません。

又は、モーセの五書=トラーを、人が分解できる性質ではない。

クリスチャンは、新しい契約と書いてあるのを勘違いして、

別物の契約、新しい教えと考えていますが、それらは何ですか?

モーセの五書が廃れた、破棄されたと言う教えと思っていませんか?

それが事実なら、神の言葉は全部消えます。

部分的に無くなるという、そのような思想こそが、作り話、空想話、聖書に根拠のない話であり、ローマ帝国の大罪を別の教えに

すり替えた解説です。

 

詰まり、ビルに破壊する爆弾をしかけたら、全部が崩壊します。

それです。部分崩壊はありません!神の言葉の部分崩壊という

思想こそが、聖書とは遠く遠くかけ離れた、空想、作り話、創作話

天照大神を信じるのと同じレベルの空想話なのです。

 

もう一つは、神の契約を否定した教えを信じ、異邦人は神の契約を

最初から生きてもいません。契約を受け取った人が、契約を生きない?このおかしな矛盾に気がついていないのです。

 

置換神学をサポートする思想は、教会という聖書にない言葉、造語

のせいです。

マタイ以降に書いてある教会と読むと、別物が出現したと考えるでしょう?

これは、完全に翻訳トリックなのです。置換神学を信じる人が、

中世に出てきた言葉、クリアコンというギリシャ語の言葉であり、

それは建物を表す言葉です。

だから、クリスチャンは建物に日曜日に行かないとならないと考えているのです。

クリアコンを、ドイツ語では、クーシャ、英語ではチャーチ、

日本語では「教会」などと訳していますが、それは聖書にない言葉

であり、コンセプトなのです。

 

聖書にあるカハール、エクレシアとは、人です。建物ではない。

神に呼び出された人の群れ、詰まりイスラエルの神の大家族です。

大家族の土台はイスラエルであり、その家族の始まりが、エデンの

園のアダムとハヴァから始まっている1つの群れなのです。

同じ群れ、神の大家族にユダヤ人も異邦人も加え続けられるだけです。

 

しかも翻訳トリックは、同じヘブライ語、ギリシャ語の言葉を

創世記〜黙示録は、カハール、エクレシアを、ギリシャ エクレシアを、群れ、会衆、集会などと訳し、その同じ言葉を、マタイ以降は

「教会」という今迄にない造語で訳すと、そうすればどのような

印象操作ができますか?

今までに無い、異邦人だけの教会という群れ、そして、異邦人が

新しい契約、シナイ山とは別の契約を受け取った代表だ!などという

思想が聖書であるという偽情報を、誤訳の造語翻訳で人に刷り込めるわけです。

異邦人は、イエシュアを信じても、神の契約に根付く生き方など知らない。

神のトラーを知らないそんな人たちが、神の契約を受け取る代表などとなるわけなどありません。

それは、上司が、仕事の内容を何も知らない、理解していない部下に大事な仕事の全てを託すのと同じ、愚かな行為だからです。

経験のない人に、最も難しい外科手術を任せますか?しません。

 

これは、旧約聖書、新約聖書という、聖書にないタイトルで聖書を

呼ぶことも、同じ効果をもたらしているのです。

 

それは、古い教え=旧約聖書、古い、悪い、廃れた、破棄された教えと言い、新約聖書、新しい、より優れた最新の教えと思わせるためです。このような違反行為を異邦人はずっとやり続けて、自分の考える思想を人に刷り込んできたのです。

デイスペンセーション神学もそうです。聖書ではない思想を

刷り込むために、聖書というタイトルで、スコッフィールドという

人がダービーの思想を聖書のページ、聖書箇所1つ1つに聖書ではない思想、ななへんげの神と、変化する神の教えという思想を書き込んで出版したのです。これこそが、人を神の教えから遠ざけ、偽の教えをするこんだ添加物、毒物混入のリコール、回収しなくてはならない

出版してはならない聖書だったのです。

 

聖書とは違う思想、偽の教え、偽教師、偽預言者、偽使徒が、出現するとパウロが警告した意味が、クリアーに見えてきます。

 

騙されるな!です。