聖書は100%モーセの五書を解説している | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神が人に伝えた神の言葉、教えは、神の深いところにある、

神ご自身の考えを伝えているものです。

神が創造された人が、どう生きるのか?の全てを伝えているのです。

イエシュアは、トラー、預言書、諸書に記されている!!!

 

それらが、どんなレベル、種類、内容の教えでも同じなのです。

神が言われたことを、人が真面目に真摯に、真剣に受けとめるか

それとも軽くあしらい、捨てるか?それが聖書に書かれた警告

神の契約に根付いて生きよ!という意味であるのに、全く通じてないのです。小さいことに思うこと、それだから捨てる?

人の判断で、神の言葉を捨てる。

イエシュアの足、手をもぎ取る行為。

イエシュア=言葉と書いてあるのです。

小さいことに忠実、大きなことを任されるとある通り、小さいと

人間が考えることこそが実は重要な鍵。エデンの園の教訓と同じ。

神の言葉をその通りに受け取らない、イコール、食べてはダメ!

と言われた食べ方をした。その結果、死。死が入り込んだ。

死とは、神との隔たりであり、人との隔たりでもあるのです。

罪は、神との隔たりを生むからです。神は人ではないのです。

 

その相手に繋がれない。本来の関係が保てない。

神の内側の外側に飛び出した、それは全部、食べることから

始まったでしょう。軽く思うこと、それが重要。神が言われたら、どんな事でもその通りに受け取る。水がめに水を貯めてと

言われて、その通りにした人は、水がワインに変わった神のされた奇跡を目の当たりに体験したではないですか。

 

なぜ、神の言われることを、イエシュアを信じる、聖霊が内側に

おられる人が、聖霊が記された言葉を、廃れた、終了、無効、異邦人には関係ないと、神の言葉に真っ向から敵対する罪を言い続けるやり続けているのか?

それが罪とも、神に対する敵対、冒涜であるとさえ、全く気がつけない程、神の教え、真理から、遠く離れた人の教えを刷り込まれてしまっているのです。

黙示録に記された暗号は、タナックを知るユダヤ人には、トラー

預言書に記された内容を表す隠語、暗号であり、何をヨハナンが

話しているのか、理解していたのです。

一方、タナックなど知らないローマには、意味不明の羅列にしか

聞こえない。ナンセンスな宗教の変なメッセージ程度にしか

聞こえない。内容、意味が解読出来ないのです。

本当の意味を直接書いたら、それは、ローマに対する反逆罪、

神の帝国に対する転覆計画、不敬罪で書いたヨハナンも、

手紙を受け取った7つのカハールの人々も皆即座に処刑だった

のです。

あの北の国と同じ。独裁者の気分、一存で、親族さえも消す。

 

翻訳には、「7つの教会」と書いてあるので、クリスチャンは

今のような異邦人のキリスト教の教会と空想すると思いますが、

それは全く違います。

聖書には、キリスト教、ローマ教という教えは書いてないのです。

教会というものも実はない!

神の大家族は、エデンの園から1つだけ。

その同じ家族に全ての人が加え続けられるだけなのです。

 

教会という言葉は造語であり、誤解を多大に招き続ける厄介な不適切で、本来のヘブライ語の意味を全く表さない翻訳です。

カハール、ケヒラ、エクレシア。神に呼び出され、神の声に応答し

家族となった人!それは1つの群れしかありません!

それらの人は血筋に関係なく、同じ神の契約_トラーを生きると

神が教えているのに、全く通じていないのです。

デイスペンセーション神学の空想話は、単なる空想。

神の家族は、2つの分裂家族ではないからです。

それでは、神の壮大な元に戻る修復プランは、完成しません。

 

この群れは、当時7つの都市に存在していた、集合体、いくつもの

群れなのです。1つの群れではない。その土地、都市で何が起きたのか知れば、もっと意味が見えて来ます。

その群れの大多数が、ユダヤ人であり、その中に少数の異邦人がいたのです。当時イエシュア信者は殆どがユダヤ人だったのです。

しかも、今でさえ、異邦人クリスチャンにモーセの五書、預言書に

書かれた教えは通じないのでしょう。

1世紀は、書物としてのトラーがない。巻き物しかない。

ユダヤ人の群れの中には、集合体の中に、トラー、預言書の巻き物が

所有されていたから会堂に行って、シャバット事に、トラー、

預言書を読み上げたのです。

異邦人は、信じた最初から、トラーを知らないのです。

ユダヤ人は違うのです。トラー、預言書、諸書に記された

イエシュアを約束のメシアだと、確信した人、それがイエシュア信者です。

 

この場所は、当時のローマ帝国の中心、商業、貿易、異教の神々のメッカ、様々な文化が交流、融合する場所だったのです。

そこにある7つの群れへのメッセージは、矯正と励ましです。

5つの群れは、神のトラーに忠実に生きていない事を矯正、

正されたことが書いてあります。そして、励ましも与えられた。

その中で、2つの群れだけが、称賛と励ましだけが、与えられた。

詰まり、契約に根付く生き方を、ガードし、神の教えに忠実に

生きていた2つの群れだったからです。

 

聖書には、ローマ帝国がやったような、神のトラーを破棄して

作った宗教の教えなど書いてもありませんし、そのような聖書を否定した、別の新しい教えを実践し、神のモアデイムを捨てた生き方をした人の事などは、1つも記されていません。

律法が廃れた、異邦人には関係ないという言葉を聞くたびに、ムンクの叫びを思い出すほど、聞き捨てならない、冒涜を、

気がつかないまま、よくもこのように言い続けているのかと、¥嘆き悲しみが起きます。罪、聖別を汚し、神に対する冒涜、

敵対する行為をしているのに、全く気がつけない状態の意識、

理解、頭脳、行動。

有名教師、伝道師、牧師がこぞって、神の教えを廃れた、

古い律法関係ない!恵を捨てた生き方だ!と異口同音に

聖書ではない、神の教えではない、偽の教えを人に伝え続けているのです。

これこそが、パウロが警告した、神の教えを蔑ろにし、捨てる、

偽教師、偽の教えそのものなのです。

 

自分の目で聖書を読んで読み確かめれば良いのです。

先入観を捨てる事。教えられて来た、律法は廃れた、神の教えは

異邦人には、関係ない。今は人が決めて良い。いつでも安息日。

祈れば、なんでもきよい食べ物になるという大嘘を捨ててください。

そんな事、イエシュアもペテロもパウロも一言も言っていないからです。神の教えが廃れた?これとは、真逆が聖書には書いてあるのです。ヨハナンの黙示録も、全く真逆。契約に戻れ〜!

忠実に契約に根付く生き方に留まれ!と書いてあるからです。

預言者、聖書を記した全員が、同じ事、メッセージを伝え続けている。そうすると、キリスト教の世界で教えられる教えが、

別物の宗教、別物の教えになってしまっているのです。

ある部分は、聖書。でも、土台が人間の思想。

 

神の言葉は廃れた、異邦人には関係ないという

嘘、偽情報を捨てる。神の言葉が変えられたとか、パウロが神の

教えを否定して、削除していると勘違いされている箇所は、

全て100%、ペテロが警告した通り、パウロの書簡に書かれた内容を、トラーに関して、無学で無知な人、トラー を捨てた教えが

昇天以降の本当の新しい教えだ〜というローマ帝国が作った偽の教えを信じる人のずれた主張。

トラー 教師であるべき人が、トラーを知らないまま、何を言っているのかも分かっていないということが起きているからです。

 

事実、聖書には、皇帝崇拝、太陽神崇拝の日、

日曜日にシャバットが変更されたことなど書いてもないのです。

 

よく事実を直視してください。ヨハナンが黙示録を書いた時代には、

皇帝崇拝をしなくてはならない。それをしなくては、売り買いができない。これをバーコードだとか、その他色々騒いでいましたが、

そうではないのです。当時の経済システム、売り買い、ギルドの中に全て、皇帝崇拝を神としなければならないこと、皇帝に香を炊いて、拝み、崇拝をしなくては、生活ができない、

売り買いも出来ないシステムが、組み込まれていたのです。

皇帝崇拝、その後、作られた4世紀ローマ教も同じです。

人間が神の位置を陣取り、人が神の教え=契約=トラー は

廃れたと言い、ローマ帝国皇帝に忠実に生きるための宗教。

それが教皇という宗教階級システムのトップです。

これは、この世の世界の秘密結社、33階階級システムと同じです。

プロテスタントの中にも、メーソンシステムを組み込んだ偽教師がいるのです。これは、別のトピックなので、今は書きませんが、結局、教師が、神の如くに扱われなくてはならないという、暗黙の思想は、聖書ではありません。人間が作った階級システムそのもの。

しかも、そのリーダーが悪を働く。。人を搾取、虐待する。

そして、隠蔽工作を皆がしているのです。羊が虐待されても、

見て見ぬふりをする。

宗教会議で、何世紀にもわたり、今に至るまで、様々に神の教えを

ことごとく歪めた教理を編み出して来たのです。

皇帝崇拝、太陽神崇拝、その日は、太陽を表すサンデー、だから日曜

なのです。聖書、シャバットとは何も関係ない、神が聖別した日

ではない日を、人間が勝手にのっとり、ハイジャックし、

主張しているのです。

黙示録にも、全て「7」と書いてあるでしょう。

それが、神が創造主である証拠、神の民への印、7です。

 

しかも、ペテロが初代ローマ教の教皇?作り話もいい加減にしてと

思います。ペテロが、西洋宗教、神の教え、トラーを捨てた教えを

土台とした、人間が作った宗教の教祖様である訳などありません!

100%モーセの五書に忠実に生きて、そのせいで、最後はローマ

帝国に処刑されたではないですか。

作り話、御伽噺の世界を、聖書の如く語る、狂った歯車を全部分解しない限り、元の問題=人間が神の教えを捨てた!変えた!という

事実に気がつけません。

聖書に聖書と書いてあるのは、100%トラー 、預言書、諸書のみを

指して語っています。

マタイから黙示録に書かれた内容は、100%トラー 、預言書、諸書であり、クリスチャンが言う新約聖書、マタイ以降のことを誰も

知らない、考えてもいません。

そして、マタイー黙示録には、最初の部分の75%を塗り替えたり

否定したり、削除したり、又は別の教えが付け足されて書かれているという空想を全部捨ててください。

 

新約聖書学者である、Mテニー、ウイートン大学で教えられた学者が

著書に、使徒行伝は、神の教えが変化する過渡期の記録である

などと、偽情報を書いているのです。偽情報とも気がつかず、

それを次世代の教師、牧師に神学校で教える。このようなことが

ずっと起きているのです。聖書を正しく知らない、聖書教授。

神学校で教えていること、100%真実ではありません。

神学校で教えられるのは、キリスト教の宗教と教理で聖書を読み解くことであり、オリジナルヘブライ聖書を、パウロのような教師に

教えられるということが、ないのです。

そして、忙しいから、学ぶ時間もなく、ヘブライ聖書を教える教師

に繋がったとしても、その教師が、正しく聖書を知る、教える人ではなければ、結局又聖書とは違う教えを、伝授されてしまうのです。

 

ヘブライ聖書をデイスペンセーション神学で解説する?これこそが

聖書ではない、聖書解説をしています!と言っているそのものなのです。

世の中には、聖書を正しく教える教師の方が少ないのです。

終わりの時代は、神の教えから遠く離れて、人が勝手に編み出す教え偽の教えと偽教師、偽使徒、偽預言者で溢れる。

1世紀にも既に、そのような偽物の教えをする人たちがいたから、

パウロが警告しているのです。

ユダヤ人とて、聖書とは違う、歪んだ解説をする人は、大勢いるのです。ユダヤ人と聞いて、皆が正しく深くトラーを探究、学び、熟知しているのではないからです。

 

聖書に聖書と書いてあるのは、モーセの五書、そしてその解説の

預言書、諸書のみです。1世紀に聖書に書かれている人は、

全て、モーセ、預言書、諸書だけを、探究していたのです。

神の言葉の完全版は、モーセの五書であり、それだけで神の教えが

十分で、完全だからです。マタイ以降は、聖書の最初の75%の

後書き、註解に過ぎないのです。

 

使徒17;2 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、
三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ
 
今の時代の異邦人教師は、パウロと、聖書、トラー、預言書など
対等に論じることもできないのです。なぜ?その部分をオリジナルに
何が書かれているのか、探究し続けない、学んでいないからです。
異邦人の世界で、周りで、ヘブライ聖書を、パウロのように教える
ような教師など実際、いないと思います。
 
使徒17;11ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。
 
<一世紀のユダヤ人イエシュア信者が学んで、調べていたのは、
タナックとは違う新しい教えではなく、モーセ、預言書、諸書!
その事実が、書いてるのに、通じないのです。
キリスト教は、神の教え、モーセ、預言書、諸書が廃れた!と
意味不明なローマの戯言を信じていますが、それは嘘、偽情報です。
 
18;24さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、
しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。
<聖書に精通し。。。。これも異邦人の世界にはいなかったのは、
ローマ帝国の弾圧、迫害のせいで、異邦人イエシュア信者は、
ローマ帝国に迎合したからです。ヨハナンの黙示録にある、
神の教え、契約=はじめの愛から離れた!それそのものなのです。
 
そして、ユダヤ人信者と決裂し、ローマ教、トラーを捨てて学ばない
別物の教えを作り、それを信じる、偶像礼拝の宗教の教えと
人間の作った日曜礼拝、クリスマス、イースターに神の記念日を
挿げ替えられたものを祝って来た。
これは、神の教えではなく、ローマ帝国の仕業だ!という事実から
目を背ける人には、事実であり、聖書に書いてないことが聖書と
永遠に偽情報を信じることになるのです。
神が、神の教えを変えたのではない!
 
使徒8:32 彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。
8:34 宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、
ここで預言者はだれのことを言っているのですか。
自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。
8:35 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、
イエスのことを宣べ伝えた。
 

聖書=モーセの五書、諸書、預言書です。そこから解説している。

その中にこそ、イエシュアが記されているからです。

宦官が読んでいた箇所は、イザヤ53:7−8の引用です。

 

黙示録も、100%トラー 契約、モーセの五書に記された生き方に

忠実に生きよ!というメッセージなのです。