翻訳聖書だけを読んでも、深い所迄は良く見えない、語られている
本当の意味が何か、よく分からないことがたくさんある理由は、
ヘブライ語で記された言葉の意味や、その当時の人たちの古代中近東の文化や、その他様々な情報にかけて、現代の思想で、自分の国の言語で読んで、空想を編み出すから、見えないのです。
日本語でさえ、古代の日本語など、その意味を調べないと分かりませんし、今でさえ、地方により言葉が違う、どのような意味で使っていたのか、その言葉が何か知らないと分からないのと同じことなのです。生活、文化、環境が違う。
そして、ヘブライ語で記されたことは、解説しないと説明がつかない
言葉が、多くあるからです。
一般的に聞く、「きよい、きよくない」という言葉もその1つです。
様々な言葉を、それなりに、分かったつもりで読んでいるけれど、
いざ実は何?どういう意味ですか?と聞かれても、きちんと説明
できないものがたくさんあるのです。その言葉が表す概念などです。
栄光、祝福、義、恵、異教徒の中ある極楽浄土と、聖書に書いてある
こととは、違うものです。分かっているようで、その言葉が意味する
ことが、何か正しく説明できないのは、ヘブライ語で書かれた、
当時の人が理解していたことを、その通りに教えられていないからです。
外国語、別の言語は、どの国の言語でも、他の言語に直す時に、
必ず壁があるのです。
今日も、家族と話していて、日本語には「反面教師」という言葉が
ありますが、それは英語の中には無い言葉なので、言葉を作っても
意味がしっくり合わず変になり、結局どんな意味の言葉なのか解説するしかないのです。
左から、右へそっくりそのまま、言語を訳して移動する事ができないので、その言葉の意味に合った一番近い言葉、表現に訳すという
作業をするという至難の業なのです。
しかも、翻訳聖書など、元のヘブライ語が分からない読者に対して
翻訳者の信条が反映、投入されてしまっていることが、多くあり
正しく翻訳がされていない、原典にない造語を作り、又は、原典にない文章を勝手に挿入している違反があるのです。
デイスペンセーション神学が、アメリカで20世紀に浸透した原因は、聖書にデイスペンセーション神学、ダービーの思想を教えられた
元弁護士が、ある有力者の財力を借りて、聖書の言葉1つ1つに
時代ごとに変化、進化、変身する神と神の言葉思想を註解として
聖書のページに書きこんでしまう違反をしたのです。
それを、聖書というタイトルで売り出した。これ、毒物添加物混入の食品や、欠陥商品と同じでリコールが必要な違反聖書です。
こんな思想〜変化しない神を、変化する、神の教えは廃れた、
神は死んだ?と同じことを主張する人が、書いた聖書と、そして
そのような思想を信じる人が解説する、歪んだ聖書解説が、これほどまでに真実のごとく世界へ浸透してしまったのです。
この教えをリコールするのは、難しいです。
商品ではないからです。人の思想を聖書ではない、偽の教理でハイジャック、乗っ取ったからです。
それに気がついた人が、1つ1つ嘘の教えを自分の頭脳から、生き方から削除する、これが神の教えの真実に戻り、神が伝えた通りを
生きる唯一の方法です。
世界は、ますます偽の教えと、破壊的な生き方に向かっています。
イスラエルも、大きな罪を犯しています。イスラエル〜全員では
ありません。神の契約を破りLGBTQを生きる人のフェステイバルが
行われます。
どこで?ソドムとゴモラの場所=死海で開かれます。
中東で一番大きなLGBTQのフェステイバルです。
これは、別のトピックなので、後で書きたい内容です。
問題は、同じです。神の言葉、教えを人間が捨てたら、果ては悪魔崇拝までに繋がる、破壊そのもの生き方に突入できる。
防波堤を崩したら、どんな罪の方向にも、向かうことができるからです。
ヘブライ語が、他の言語とは違うのは、同じ語根を使う言葉、詰まり文字が、ABCとあったら、そのABCという同じ文字を共通する言葉、同じ意味合いがある言葉があります。
子音が違い、発音が少し違う、意味が同じ共通点がある言葉があるのです。
そして、同じ1つの言葉が、反面のように、裏表違う意味になって
しまう言葉があります。
例えば、「礼拝」と訳されている言葉がありますが、これを聞くと、日曜日に教会という場所に行って、歌って踊って賛美して、献金して、牧師の説教を聞く〜これが礼拝と考えていると思いますが、
それは違うのです。
人が作り出した宗教の中で編み出した様々な実践は、聖書ではありません。話しが逸れるので、今は言葉に関してだけ、言及します。
礼拝と訳されている言葉が最初に出て来たのは、創世記です。
創世記 2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、
これを耕させ、これを守らせられた。
לְעָבְדָ֖הּ 耕すと訳されている言葉、英語では、to tend〜世話をすると訳されていますが、ヘブライ語では、ル アヴォダです。
アヴォダという言葉が、礼拝と訳されている言葉です。
元は、神の中、エデン〜喜び、歓喜しかない、神の性質そのもの中に
神の性質そっくりそのままの通りに造られた人は、住まうように
された。神が創造された世界を、神の意図した通りにガード〜וּלְשָׁמְרָֽהּ ル シャムラ 元の言葉は、שָׁמַרシャマ
です。この言葉は、色々な言葉と繋がり、意味を共有しています。
シャマとは、1. (適切に・しっかりと)生け垣(茨の生け垣など)で囲む、すなわち、防衛する・見張る 2. (一般的に)保護する、世話をする・注意を払う、など
同じ言葉では、聞くという言葉が同じです。神の言葉をその通りに
聞いて、神の言われた通りに、生きる、治める。ガードする。
意味が通じるでしょう。
古代中近東、イスラエルが街囲みを作った時、その門には、門番が
いるのです。これ画像を見れば分かると思いますが、街は城壁に囲まれています。
エルサレムの旧市街の画像を見ると分かります。街には城壁があり、
その城壁に、幾つもの門があるのです。
その門に、門番が立って、敵や不審者が侵入しないよう、厳重に
ガードしていたのです。
この厳重に最大限の意識でガードするという意味のシャマなのです。
詰まり、偽物、敵が入らない、イコール、自分の頭脳に、神の教えではない、まやかしものの教えを取り入れない。
これは、食べ物の教えを通しても教えられているのです。
神の似姿通り造られて、神に聖別された人は、神の家に住まうのです。その人は、神が創造された人が食せる動物を、食べる。
それ以外は、人が食べるようには造られていない。こんな簡単なことであり、それを神の言葉を聞いて、その通りに素直に生きる。
これが、守れる訓練です。毒物〜自分の性質とは違う物を、体内に
頭脳に取り入れてはならない。それは、人に取って異物、害毒、
神の子として聖別を汚すおぞましいものだからです。
言葉は、広がって繋がっていますから、今は1つの意味に集中します。
この礼拝、アヴォダは、生きる全てに関してです。何をしていても
神の前に、礼拝、アヴォダなのです。
野球観戦して楽しんでいても、お料理していても、友人とおしゃべりしていても、掃除をしていても、仕事をしていても、全部それらは
神の前に生きること、アヴォダです
その意味は、神が意図した通りの生き方を、どんな事をしていても
生きることなのです。
そして、このアヴォダという言葉は、同じ発音で別の言葉と同じで
繋がっています。
主のサーバント、仕える者と、クリスチャンもこの頻繁にこの言葉を使っているでしょう。
仕える、使用人、サーバント、これが、עֶבֶד エヴェッドという言葉で
す。アヴォダと同じ語源です。
神が意図した通りの生き方をしない場合、これは偽物の生き方の
奴隷となってしまうことを意味する言葉です。
奴隷もעֶבֶד エヴェッドです。
これ、シンプルな真理を、神が最初から教えていることに注目してください。
なぜ、神が神の言われたこと以外、別の偽物の教えに聞き入ってはならないのか、取り入れてそれを実践してはならないのか、
その理由が、この言葉でも分かるからです。
簡単な理由。神に創造された通りではない生き方は、破壊だからです。車にガソリンではなく、コカコーラを入れるような行為は
しません。そのように、車は作られていないからです。
コカコーラで車は走れない。
しかも聖霊に教えられますというならば、それは、もし神の言葉を
否定して、神の言葉、教えを捨てていれば、その部分は、空洞になります。
空洞の場所に、別の教えが侵入します。それは神の声ではありません。
聖霊、聖霊と言うならば、聖霊=神が人を通して記された神の考えを
どうして、廃れたという、神に対する否定、大矛盾を信じ続けるのでしょうか?
神の言葉を通して、神は、人に神の深い所にある考えを文字を通して
人の教えているのです。永遠をかけて、神を知る手がかりを与えているのに。文字〜伝達方法です。言葉=神=聖霊=イエシュアご自身です。
文字は殺し、霊は生かすと読んで、文字=神の教えは廃れて古く
悪いので、人を殺し、霊は人を生かすなどと、とんでもないずれた
意味不明な聖書解説を堂々としていますが、そんなことパウロは
言ってもいません。
聖霊が内側い住まわない人が、文字だけ読んでも、それは人を生かさないし、人の内側を変えない。又は、文字で書かれた事実で、
人が罪悪感を抱くだけです。なぜなら、ずれた代償を支払う術を、
神に贖われない肉のままの人は、支払い手段、方法がないからです。
そして、神から離れた状態では、臍帯が切れた状態、命の源に
繋がれない、本来の状態に戻ってないのです。
もし神の言葉が人を殺すというなら、こういうことになります。
聖霊=神=イエシュア=神の教え、言葉は、人を殺します!
変でしょう。
神=言葉=命の源、神の言葉で全てが造られているのに、
神の言葉が人を殺す?いや、神の言葉を、人が神の意図した通りではないアプローチをする時、別物=人を縛るものに変身します。
それが、神が解説している教え、言葉=ヘブライ語の中でクリアーに分かります。
人間の教え、真理ではない、宗教の教え〜それが、たとえキリストの
名を利用し、聖書を使用しても、神が伝えた意図通りとは違う考え
生き方、又はまして人間が神の教えを却下する教えを作ったら、
それは偶像=人間の考えであり、神の考えではない。
それは、何を意味するのか?
「あなた方は真理=神の伝える性質通り、神が伝える言葉を通して
真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。」とイエシュアが
語られた、反対のことが起きるのです。
同じ言葉の反転を考えれば良いのです。
もし、神の言葉を捨てて、人間の作った教え=宗教=混ざり物の
添加物に聞き入り、神が言われた通りを知らず、混ざり物の偶像礼拝に染まるなら、それがたとえ人の目に叶う、謙虚に見える行動でも
神の意図とは全くずれたことをすることになります。
神の意図と外れたこと=真理ではないことは、人を不自由にする!
と、同時に警告している、イエシュアの言葉なのです。
事実、そうなっているのです。人の編み出した教えや、宗教は人を
疲弊させ、それが出来ない時に、罪悪感を与えます。
人間が作り出した、不必要な宗教活動ほど、無意味なこと、人の時間
労力、経済を無駄にするものはありません。
しかも、それをやらなくては、神を愛していないと脅迫観念まで
刷り込まれてしまい、その群れから離れる人は、呪われると脅す
牧師もいるのです。人が神に成り変わり、人を奴隷にしているだけです。これって、神の教えではありません。
奴隷は、辛い、悲しい、苦しい〜本来神の性質通りに造られた人の
生き方から、離れさせます。
神の言葉から離れる、意識を反らせることは、神との関係に隙間
距離ができる原因です。
相手のことを、正しく知ることができなくなる、それは、自分の頭の中にあるイエシュア像〜空想を信じることです。
人との関係でも、同じでしょう。会話、対話が無い間柄では、
どうやって関係を育むのでしょうか?しかも相手が言われることを
誤解して、勘違いして受け取れば、相手の考えていることなど
正しく知ることなどできません。
神に対して、同じことをしているのです。律法は廃れた〜恵を捨てた
悪い生き方、異邦人は関係ない、生きるな、やるな、神の古い
記念日など祝うな!これ、サタンの声そのものです。