アメリカはご存知の通り、移民の人々で作られた国です。
移民して来た多くの人は、ローマカトリック教会の迫害という理由があったからです。人が作った宗教の人が作った様々な規定で、
色々と生活が制限されていたからです。
フランスではカトリック教に改宗しなければ、正式に結婚が認められないから、その他の人は法的に婚姻が出来なかったのです。
日本で言えば、婚姻届を役所で受理されないからです。
詰まり、カトリック〜人間の宗教が人を支配出来るシステムだったのです。
これって、聖書ではないことは、明らかです。
宗教的迫害が理由で、多くのプロテスタントはアメリカに移民してきたのです。
そして、ユダヤ人も多くアメリカに移民してきました。
これは、第二次世界大戦のホロコーストでも知られるように、
大勢のユダヤ人は、様々な国を経て、アメリカに移民してきました。
まさに人種のルツボです。
アメリカで浸透したのは、プロテスタントの教え、もとはローマ教
西洋宗教の教理であり、イエシュアが教えられたヘブライのトラー=父の教え=婚姻契約に根付く、生き方ではありません。
これはどう説明しても、分からない人には、分からないのです。
聖書に書かれている事、神の言葉を、人が変えれば、次々に、人の
考えで神の言葉を変え続けて行くからです。
それが実際に起きているのです。
人が、神の言葉、教えを勝手に廃れた、破棄、終了、削除したら
その空間には、人間の主張、教え、宗教〜偽物が入り込み、
神の領域を乗っ取るのです。
そして、様々なムーブメントは、聖霊ではなく、人が主体、開始、
始めたものなのです。
5月24日日曜日は、キリスト教ではペンテコステの祭りです。
祝うというよりは、話題にするだけです。
家族が通う群れは、ペンテコステの教会で、ペンテコステそのもの
です。
典型的なメッセージ、聖霊様、降ってきてくださいという感じの
メッセージに皆が、ハレルヤ〜アーメンと言い続けるような
ものでした。
気持ちは、分かります。でも、聖霊は信じる人の内側に住んでいる。そして、大事なのは、神の考え、思いと一致していること!
それは、神の与えた言葉を通して神の考えを、知ることなのです。
聖書のある箇所だけを取り出して、それがムーブメントになる。
ペンテコステ運動に、多大な影響を与えた人がいます。
このような人は、次から次へと現れて聖書に登場する預言や使徒などと信奉されてしまい、聖書ではない教えを、教え、拡散しています。
ある箇所だけ取り出す。ダビデの幕屋やら、ヤベツの祈り、その他
諸々次から次へと、聖書に書いてあるそのもとの意味を学ばないままある箇所を取り出して、別物の教えに変えて、ムーブメントを
作り出すのです。
私の周りには、癒しや、ペンテコステその他、聖書とは逸脱した
思想を実践するリーダーが、腐敗して行ったのを、実際に見ています。
聖書を教えながら、裏では、暗闇の別の世界を生きている人々。
これは、世界中、どこでも起きることなのです。
神の教えを捨てるなら、それは、大なり小なり違えど、サタンが罠を
仕掛けているからです。
ウィリアム・ブランハム(William Marrion Branham, 1909年~1965年)は、20世紀半ばのペンテコステ運動やカリスマ運動に
多大な影響を与えたアメリカの福音伝道師です。
アメリカで流行ったムーブメントは、全て人が開始したものであり
それを見て、神が働いている〜などと言っていますが、そんなものは
聖書とは何も関係ない、人が考え出した思想を土台に流行らせた
ムーブメントに過ぎないのです。
現象、人が大騒ぎする、イコール、聖霊が働いている????などという、そのようなバロメーター、基準で測れば、世界は、カルト宗教
人間の思想、LGBT大衆が支持、絶賛している、それが聖霊の働きと
なってしまうのです。
見ている、着目点が、神の言葉ではなく、人の支持、現象、何を
基準にしているのか、考えたら分かります。
癒し、奇跡、不思議、預言、現象、又は人が預言者、教祖、使徒と
宣言する。聖書に登場する人と、同等の権威が与えられていると考えている時点で、その人達は、聖書を知らないことに、気がつかないとならないのです。
自己任命の預言者はいません。油注がれるものは、神から任命された人なのです。
しかも、そういう人達が、神の言葉を破棄、終了と教える、これだけで、偽預言者、偽教師と、聖書の警告に照らし合わせて、認識できないとならなのです。
問題は、ある部分だけ聖書でも、土台が人の思想、添加物満載、
リコールしなければならない不具合の製品を売っている企業と同じ
事をしているのです。
メッセージ運動(The Message): 彼は自らの説教を「終わりの時代の神の言葉・メッセージ」であると主張しました。
今日でも彼の教えを絶対視し、説教の録音を聞くことを重視する
「メッセージ教会」と呼ばれる独立した信奉者グループが世界中に
存在します。
語る中身が、聖書ではない、神の契約を否定した教えを聞いていれば
偽物を聞かされる、イコール、本物=聖書に書かれた事実が、
書いてあっても見分ける事ができなくなります。
だから、創造主が、安息日の主と言っている、創造の事実を
クリスチャンが塗り替えて、日曜日の主を信じているのです。
このような事を主張している説教者の特徴は、宗教教理を、翻訳
聖書から語る、詰まり、オリジナルに何が書かれているのか学ばない
まま、独自の思想を編み出す教師達です。
これが、問題なのです。
詰まり、神の教えを1つでも、ないがしろにし、捨てるような事を
平気で人に教えるなら、次から次へと神の言葉を、人間の判断で、
勝手に捨てる、却下する、変えるからです。
しかも、なぜ。宗教?なぜ人間由来?ローマ帝国の宗教?人
間が作った宗教?
聖書を利用、使いながら、神の言葉を捨て、曲げている土台とした
思想に立った宗教は、土台、もとが歪んでいるものだから、
ある箇所、ある教えだけの、ここ、あそこ、あれが違うと指摘しても、もとの間違いを全部一掃し、正さない限り、聖書に書いてある
通りに、書いてあるのに見えないままになります。
言いたくありませんが、神に対して、冒涜をする、神の言葉を人間が
変える行為、教理を教える教師は、教えている本人が、聖書から
その間違いに、全く気がつかないという、大きな落とし穴があるのです。
一方、聖書を注意深く学ぶ人は、あれ???違う?と、気がつき始めて、これは、見聞きして教えられてきた事と違う!と、聖書に照らし合わせて、発見する人もいるのです。
事実、そのような学者、教師が出て来て、1から、全部を学び直すという、歩く百科事典のような人もいるのです。
その態度は、神の言葉を忠実に学ぶ、知らないとならない。
特に、聖書を教える人は、いい加減な教えなど、人に施してはならないという自覚がないとならないのです。
しかし、これ程長年、こんなにも聖書〜神の教えを否定した思想が
圧倒的に浸透してしまったら、そのドツボから目覚めて這い上がるのは、やはり、聖霊〜神の言葉にその人が、気がつく事がなければ
起きません。
このような宗教の教えは、聖書に書いてありません。
宗教〜人間が作った教えや、別の記念日も聖書には書いてないのに
それが、生粋、本物と思う時点で、それは、聖書ではないことに
気がつけない、書いてあるのに気がつけない不思議な現象なのです。
モーセの五書は、契約として認識されています。
契約という言葉は、日本語でピッタリしない訳です。
感覚的に、「契り 誓い」の方が性質が近いです。
英語では、covenant~カバナントと,contract 契約とは違う言葉で表せますが、日本語は契約という言葉しかありません。
婚姻契約と、労働契約では違うでしょう。
意味の違いは何なのでしょうか?
Contractコントラクトとは(契約・協約)
ビジネスや法律で広く使われる、条件付きの合意です。
労働契約書、賃貸契約などは、コントラクトです。
性質: 条件達成や対価の交換を目的とした「取引(Transactional)」
特徴: お互いの義務が明確化されており、一方が義務を果たさない場合は契約違反(罰則)となる
対象: 雇用契約、売買契約、不動産賃貸など
一方聖書に書いてある契約は、関係を表すものです。
英語では、covenant、カバナントと言います。
Covenant(盟約・誓約)
道義的・宗教的な背景を持ち、個人的な信頼やコミットメントを
重視する約束です。
性質: 関係性の構築や忠誠を目的とした「関係型(Relational)」
特徴は、約束する人の誠実さや、お互いの関係を守る。
「お互いに何があってもコミットする」という無条件の姿勢が重視されるものです。
対象は、結婚の誓い(夫婦の契り)、宗教的な契約(神と人との約束、規定)です。
ヘブライ語では「ブリット」であり、契約を結ぶ行為を、「切る」という言葉で表します。
契約を結ぶ時、必ず動物を切る儀式があったからです。
古代中近東に存在した、しきたり、儀式を通して、神は教えています。
聖書の最初に登場する神という言葉も、ジェネリックネームです。
エル バアルと同じ、エル。異教の神、どんな神でも使われる名、
エルです。エル〜単数。エロヒム〜複数です。
モーセがトラーを記した時代の他の国々の契約書と、神の記された
契約書=トラー、モーセの五書は、、比べらるとその公文書の記された
構造が同じなのです。
近年、ジョージ メンデンホール、メルデイス G.クライン
その他の学者により素晴らしい調査がされた多くの記録があります。
歴史の中の同じ時代にあった、トラーの文書と、他の文書とを比較し
研究されています。
紀元前1500年〜1300年、特に、宗主国〜国家と彼らを制覇した、又は属国との国家の間で記された条約〜当時の古代中近東近隣に存在した条約は、トラーと比べて同じ構成、形態で記されているのです。
これらの類似点は、トラーが契約の文書である事を理解するために
非常な助けとなるものなのです。
これらを説明するために、申命記が記された形態と、典型的な
古代ヘテ人の条約の形態を比べてみると分かります。
「宗主条約、家臣条約」と呼ばれるものです。
人の世界でも、正式な契約、条約は、勝手に人が手を加えて、改ざん、変えることは出来ません。
神の言葉、契約に対して、ローマが勝手に手を加えて改ざん、破壊した宗教は、人の仕業であり、それをしたからと言って、神の永遠普遍の言葉〜契約書が無効になるわけではない事実を理解しないとなりません。
もし、神の言葉が変わったらなら、神は、今も人に対して結んだ約束を破る可能性があるということになってしまうのです。
1)前置き 契約書の基本的な紹介の文章
2)歴史的な序文―偉大なる王の業績、王が家臣である国家にどんな事を成し遂げたか
3)契約条項―条約の中心部/契約、家臣国家に対しての要望
4)祝福と呪いー法令厳守、又は契約に従わない場合のペナルテイ
5)証人―契約を制定する相手に対して重要な人物の署名
6)継承の手段(任意)ーどの人物が大王の立場を取るのかの条項
これらを申命記の形態に照らし合わせてみましょう。
1) 前置き(申命記1:1-5)―申命記についての基本的な所見
2) 歴史的な序文(申命記1:6-4:49)―偉大なる王(神)がイスラエルのために何を成し遂げたかを述べる
3)契約条項(申命記5:1―26:19)―書の主要部分、
一般人に“法”として知られている、もっと正確に言うならば、
偉大なる王、がイスラエルにこの契約を保存するために
神により与えられた条項、
4)祝福と呪い(申命記27−30)―イスラエルが契約を守る、
又は破った時に招く結末
5)証人(申命記30:19)―神は天と地が証人となるように
呼んだ。
6)後継者(申命記31:1−8)―神がモーシェが亡くなった
ヨシュアにモーシェの後引き継ぐ事を定めた
保存/読む(申命記31:9−13)―神の契約を箱の中に
収め決まった時にそれを読む規定
これらは全て私達に何を伝えているのでしょうか?1つの事は、歴史的観点から、知る必要があります。