離れると見える景色 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

自分の祖国を離れて、他国に暮らす人は皆経験すると思いますが、

外に出て初めて、自分の国が外から眺めて見えるということがあります。

その中にいる時は分からない、しかし外に出ると見える様々な事が

あります。

宗教の教えも同じです。人間の教え、宗教活動、実践の中に浸かっていると、分からない数々があります。

それ以外を、知らないからです。

 

18年前、初めてヘブライ語聖書に書かれた言葉、その他当時の人が理解していた、ヘブライの世界の文化、意味通りから、聖書を解説されて学ぶ、考えることに出会って以降でも、1、2年は、しばらく

同時に、西洋宗教〜キリスト教の教えを聞いていました。

 

自分が見聞きして来た教えが、聖書とは異なる、宗教の土台の思想が人間が、神の言葉を捨てて作り変えたものであることなども、

知らないことに対して、全く気がつけませんでした。

周りが皆、キリスト教のクリスチャンしかいない、西洋宗教の教えしかないので、律法は廃れたという思想が当然のこととして認識されている、イエシュアが教えた契約に根付く生き方を教える人、生きる人は、当然ながら一人もいませんでした。

その後しばらくの間は、日曜礼拝、クリスマス、イースター、

キリスト教を信じる人が解説する聖書の教え、その他、

書籍やらメッセージを、同時に聞いていました。

 

考えて見る必要があります。神の言葉が、廃れた、破棄された、

無効、関係ないという思想〜ローマ帝国、皇帝、教皇、教父、司教が主張する勅令を語り続ける、神の言葉を退けたその「空白の場所」何が入って来たと思いますか?

宗教の教え、人間の教え、神の言葉、教えとは異なる、人間の思想、宗教の思想、置換神学や、デイスペンセーション神学、その他諸々、

ありとあらゆる聖書ではない教えが、次から次へと、神の言葉を

退けた「空白の場所」侵入し続け、別の教えが編み出され続ける。

聖書ではない人間の思想、それが神の言葉を捨てた空白に、

埋められて、人に伝え続けられているのです。

 

サタンの作戦は、神の教えから人の意識をそらせ、宗教の教えを人に刷り込み続ける事です。

アメリカなど、他の国も同じですが、神の創造のデザインを覆す

男女の境界線がない、ジェンダレス、おぞましい生き方を、

それらを平気で主張し、それに反対する人を、「差別」と言われ、

皆が賛同することが、当然になっています。

ユダヤ人差別と、LGBT差別を一緒にしています。

境界線がないとは、神が定める聖別がない世界を生きることです。

この世と交わってはならないという意味が、見えていないのです。

 

それ以上に、悪魔崇拝、儀式、モレク神に子供を捧げるようなこと

幼児虐待、人身売買、これらをする人は、本当に闇の世界に覆われているのです。

神の創造された人、神の性質どおりに造られた人の生き方は、

モーセの五書に書いてあるのです。

それを捨てる人は、偽物の教えが、神の言葉の代わりに、植えられ、

すり替えられ続けていることに、気が付かないとなりません。

 

人間が神の言葉を、破棄、退ける、イコール、サタンに入り込むすきを堂々と与えているのです。事実、その通りになっているのです。

 

神の聖別を汚し、神の教えを捨て、自分が主、自分が考えるところの

良いとすることだけを生きて、イエシュアが教えた事とは違うことを生きているのに、全く気がつけないほど、真理から遠く離れた

思想が、神の言葉を捨てた、75%に中に入りこんでいるのです。

 

レビ記11章から、27章には、聖別された人=神のもとに戻り、

聖なる民として、神の大家族に加えられた人の生き方が、神の口から

直接語られています。

神の教えを捨てる人には、聖霊が内側に住まいながら、

神の宮にふさわしくない、聖別を汚す生き方を、神の教えを神の教えとも認識していないから、知らないままするのです。

聖書には、ユダヤ人だけの生き方など、書いていません。

ユダヤ人が大家族の代表、長男として、神の教え=契約を受け取ったから、イスラエルと神が語りますが、出エジプト後、正式に契約を受けた人の中には、同様に大勢の異邦人がいたのです。

パウロが、エペソ2章で語る、イエシュアにより、1つとされて

同じ神の国、天の共同相続人、家族になったという意味を、

クリスチャンはどう読み、理解しているのでしょうか?

 

出エジプトしたユダヤ人は、60万、これは、戦争に行ける年齢に

達した男性の数だけです。残りの240万人という数字は、異邦人、

女性、子供の数なのです。

神は、神の大家族、ユダヤ人と異邦人の混合の群れを指して、

聖別された人〜子羊の血の贖いの代価で、買い取られ、贖なわれ

神のもの〜娶られた人に対して、神の家に住まう婚姻契約書、

公文書を正式に授けた事実を、理解すれば見えます。

この世の礎が創造される前から、神により選び出され、聖別された

人と、パウロが解説しているのは、永遠の中、神の中に、神が選び出された事実があり、それはユダヤ人だけではないのです。

神の家に住まう人は、それぞれが、それぞれの文化で培った異教徒的な生き方、神の家にそぐわない、ふさわしくない生き方、システム、

構造は持ち込めないという事を、神がずっと最初から教えている事に

注目しないとなりません。

 

18章には、どんな間柄で、関係を結べないか、神が教えています。LGBTを賞賛する、教皇、プロテスタントの牧師は、聖書を

正しく知らないのです。聖書を教える人が、聖書を正しく知らない、

正しく教えていない事が起きているのです。

そのような偽物の教えを教える教師に、聞いても無駄です。

神が伝える通りの真実など、教えていない、生きていなからです。

人を罪に導く教えを、平気でし続けている。それが、神の言葉が廃れた!という人間の教えを、神の教えとすげ替えている代償なのです。

 

レビ記 18:1 主はまたモーセに言われた、

18:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。

<創造主である神は、イスラエルだけの神ではありません。

イスラエル〜神のもとに戻った人は、全てイスラエルという名字の

大家族の一員に加えられたのです。>

 

18:3 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。

<神は、人が偽物の教え、その生き方に妥協、交わる、受け入れる

ことを、断固として禁じているのです。>

18:4 わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

<おきて、さだめ、いましめ、etc etc それらは、神の教え=

モーセの五書=トラーです。>

18:5 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければ

ならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるで

あろう。わたしは主である。

18:22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。

これは憎むべきことである。

18:23 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。

また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。

これは道にはずれたことである。

18:24 あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚しては

ならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、

これらのもろもろの事によって汚れ、

18:25 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のために

これを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。

 

神の前に罪を生き続けながら、神の国を相続などできないと書いて

あります。神の中、神の群れから遠く遠くに追いやられ、蚊帳の外になります。

自分で、自分の行動で、自分自身を、神の近くから、遠くへ追いやる

ことをしているのです。

 

海外には、様々な外国人が住んでいます。

イスラエルには、1948年5月の建国以前にその場所に住んでいた

ユダヤ人、建国後、イスラエルに世界中から帰還した人、

そして、帰還した時代により、ユダヤ人の血筋ではない人、ロシア人なども、たくさん紛れて移民して来ました。

元々ユダヤ人で住んでいたような人、そして正統派ユダヤ人のような

人達は、例え40年前に帰還した海外の様々な国に住んでいたユダヤ人を、ユダヤ人とみなしていない、外人と思っています。

正統派ユダヤ教の人は、アメリカや他の国から移民して来た人と

関係を持ちません。

自分達の世界だけで、閉鎖されて生きています。

その他、正統派ではない普通のユダヤ人、トラーを生きて、メシアを

知らないユダヤ人の群れは、外国人も歓迎して仲間に入れてくれます。

イスラエルに住んでいる、アメリカやヨーロッパから来たような

異邦人クリスチャンでも、イスラエルに住めば、日曜日は、仕事、

学校の普通の日ですから、日曜礼拝というものはできません。

仕事、学校を休んで日曜日を安息日として、休むというのは、

できないからです。

クリスチャンではなく、メシアを知る移民して来たユダヤ人は、

日曜礼拝はもちろん、クリスマスもイースターも、元々祝いません。

それぞれ、色々あります。色々と、考えや、理解が違います。

そして、メシアニックでも、反トラー思想を持っている人もいるのです。そして、異邦人には、トラー=神の教えは関係ない教えと

考える人もいるのです。

それぞれが考えて生きている事、それは、その人、人間の意見であり神の考えとマッチしているわけではありません。

その人が考えること、それが聖書、神の言葉とマッチしなければ

その人が信じて、考えていることは、実は神の言葉、神の考えとは

ズレている、異なるという事実があるだけなのです。

 

私は、何々を信じていますと言いますよね。

信じている〜イコール、それが、神が伝える真実ではないという事は実は多くあるのです。

聖書ではないことを、聖書だと信じているだけ。

西洋宗教が解説する、聖書解説を聞かなくなってから18年、

時々教会という場所で、今回のように牧師が語る説教を聞いたり、

又はネットで読むことがありますが、それらが、聖書とはマッチ

しない聖書解説であれば。聖書に照らし合わせれば見えます。

 

ある部分は、真実でも、ある部分は、聖書の事実ではないことが

たくさんあるのです。

その理由は、明白です。土台が、神の教えが廃れたというローマ帝国の勅令を土台にして作られた宗教の教えだからです。

大体、土台が、神の言葉が廃れたと否定した思想であれば、それ自体が、元がずれているから、歪む、神の言葉とは異なるのは当然のことなのです。

分裂家族、2つ別の教え、変身する神と、変化する神の教え?

こんなこと、聖書に書いてもないのに、真実のごとく語られ続けて

同時に、イエシュアの贖い、救いを語っているのです。

神の壮大な贖い救いの修復プランは、分裂、隔たった神の人々を

1つの家族、1つ神の中に取り戻すことなのに、その邪魔をする

思想を、垂れ流して、浸透させているのです。

正しいイエシュア=イスラエルの神像が、地上で現れ出されず

人造宗教の影が、あらゆる所で、たくさん勝手に動き回っているのです。

だから契約を知る、神のトラーを生きているユダヤ人には、

ローマが作った宗教は、偽物だと認識されてしまい、彼らが

イエシュアを知る手掛かりを妨げているのです。

神の教えを捨てよ!神の契約を塗り替えるような生き方は、冒涜宗教は危険!だから、そんなものに一切触れない、関わらない、関わるな!と子供達にも教えるという行動、態度になるのは、当然です。

未来は、こんな宗教の教理、思想、記念日、実践の全部は消えます。イエシュアが教えられた通りの父の教え=トラーを生きる1つの大家族しか、存在しません。

その大家族、イスラエルの神の中に住まう人は、神の家で、神の

性質どおり、神の教えを生きる人、それが天を相続する、御国を

継ぐ人の生き方でと、神は伝えています。

西洋人が塗り替えた宗教の教えを生きる人は、神の家、神の国には

いなくなります。

神の大家族は、神が創造されたモアデイムを、代々、永遠に祝うと

神が言われているのです。

神の者とされた人は、人間が作った宗教の教えや、宗教の記念日を

祝うのではないのです。

アメリカは、今、シャヴオートの祭りですが、

日本では、既に金曜日の日没です。

 

キリスト教では、シャヴオートは、2026年は、5月24日、

日曜日。イースターとペンテコステ、この日は必ず日曜日です。

ペンテコステは、聖書の暦とずれている理由は、ローマ教の記念日で、暦を変えたからです。

日曜日〜イースター祭りが、春分の満月のすぐ直後の日曜日が、

復活祭と決めたので、必ず日曜日です。

その日から、50日目がペンテコステとしたのです。

復活祭という名の祭りは、神のモアデイムにはありません。

イエシュアの命〜新しくされた人の事実は、「初穂」の日に

祝うのです。それは、過越から7日間、種無しパンを食べる祭り

除酵祭と、日本語では訳されています。マッツア=種無しパンを

食べる7日間の祭りなのです。

その7日間の真ん中の日、それが「初穂」を祝う日であり、

イエシュアが過越の祭りから、復活した時なのでしょう。

神の教えや、神の祭りを違うものに変えたのが、ローマ教なのです。

神が創造されたモアデイム、神の祭りは祝わわないのが、

西洋宗教です。

違うものに変えた、神が聖別された日ではない、ローマ帝国が勝手に

決めて、人が聖別した日を、記念日としました。

人は、神ではない。人は神のように時を創造できません。

神のモアデイムも、人間は作れませんし、時を人は聖別できません。

それは、神にしか出来ない事であることを、理解していないだけです。

神が創造されたモアデイムの暦は、レビ記23章に記されています。

それらは、聖別された人が、神と共に全員で祝う記念日なのです。

神の大家族への独特な「印」神と、関係に入った証拠、証明として

神が神に選び取られた人、贖い出された人に与えた「印」であると

神が人に伝えています。その中心がシャバットなのです。