聖書の事実を話してもその通りに通じない理由 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

個人的な印象ですが、クリスチャンにも、同様に共通点、

同じことを考えていると思うことがあります。

 

ユダヤ人、ユダヤ的、それらは悪い、廃れるべき、排除すべきものという根深い意識があるのです。反ユダヤ思想、反シオニズム。

昇天以降の時代は、西洋、アメリカン、ヨーロッパに伝えらた宗教の教え、それがジーザスが教えた教えだ!

周りにいる誰かに、そのような思想を教えられて来たからです。

 

聖書に基けば、イエシュアは、西洋人が4世紀に編み出した、

モーセの五書を排除、実践を禁じた、神の創造された記念日を捨てた、西洋人が作った宗教の教えなど、1つも教えていない、

人にそのような宗教を伝えよ!などとも、教えてもいません。

 

福音とは、元いた場所に戻る、元の自分を生きる、神の元に戻ることであり、それは、神の教えの1つ、出発点です。

新しくされた事実から、生きる、それが神の教え=契約書に書かれているのに、その部分を全く気にかけず、最後の部分の神の教えの抜粋を取り出しているだけです。

 

神の言葉は、古いものと、新しいものがあり、古いものは劣るなどと

教えられていますが、この様な聖書解説をしている、イコール、

聖書を正しく学んでない人の解説なのです。

 

そして、神がアブラハムに言われた言葉を、逆手にとって、

ユダヤ人にも悪人は大勢いる!と反論して来ます。

 

創世記12:2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、

あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者を

わたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。

 

アブラハムの子孫、イコール、神の契約=教え=トラーをガードし

生きている人のことです。

神の教えを捨てて、神の教えに敵対する人を、祝福などできません。

 

どの人種でも、同じ。悪を選び生きるか、神の教えを選び生きるか。

当然です。血筋に関係ないからです。

ユダヤ人には、重たい刈り取る代償があるのは、それは、契約を

受け取る代表者だからです。

契約の中にある民が、神の教えを捨てて生きた時、患難が与えられたkとは、聖書にクリアーに記されています。

神は約束された地、イスラエルを取り上げていません。

神の聖別を汚すことをし続けた結果、自分自ら、約束の地から吐き出される結末になったのです。

そして、その地に又戻る、これが神の恵みです。

今は、イスラエル、ユダヤ人とて、神の教えに根付いて生きる人

ばかりではなく、その逆がたくさんあります。

テルアビブなど、LGBTの拠点です。こんな汚れた生き方を、神は

ずっと放置はしないのです。

終わり!という時が来る。そして、同様に、イエシュアを通して

イスラエルの神の元に戻った人も、神の契約に根付いて生きると書いてある意味を、正しく理解しないとならないのです。

 

異邦人だから、神の言葉、教えを破って良い?などと考えているなら

それは、神の思索、考えと一致しない、別の周波数の下で、別の声

聖書ではない別の教えに聞き入っている状態です。

 

誰でも、イエシュア=ユダ族のメシアを通して、イスラエルの神=

父の元、元いた場所=神の中に戻った人は、もれなくイスラエルの

神の大家族になり、その人は、今迄通りの勝手な生き方、振る舞いは

ずれているから、やめる!神の教えを生きる!

こんな簡単なことが、別の教えにすり替えられて、律法は廃れたから

新しい契約を生きるのだ!などと言いますが、言っている意味を

それを語る人が、正しく理解さえしていないのです。

 

神が言われた通り、神の契約に根付き生きている人、そうではない人

は、どの国籍でもいるからです。

残りの民は、国籍に関係ない。神の教え、契約に根付いて生きる自覚

実践があるのか、ないのか、それだけが違いなのです。

異邦人は、イエシュアを信じても、神の契約に根付く生き方はしていません。

反ユダヤ、反神の教え=モーセの五書思想は、知らない間に、

クリスチャンの間にばっちり浸透しているのです。

 

神の教えは1つしかないという、基本的な理解がごっそり抜けているのは、神の言葉〜モーセの五書〜教科書本編全編を、学ばないという環境、宗教環境の下で、人の思想=教理、神学を通して、神の言葉を曲げて歪めて、ある部分の真理だけを取り出して語るような思想を

教えられしまい、その教えが浸透しているからです。

 

一般的な聖書解説を聞いていると、1)ある部分は、聖書の真実

その通り、2)ある部分は聖書に記された内容を完全に逸脱した、

人の編み出した思想で神の言葉を正しく語らない作り話の解説 

3)ある部分は、神の語る真実とずれた解説をしていることは、

聖書に照らし合わせればクリアーに見えるからです。

 

3番目は、もっと深掘りして、解説する必要がある内容です。

 

間違った思想や、聖書ではない聖書解説が、これ程までに恒久的に

長い年月、幅広く深く、異邦人の世界に浸透してしまった理由は、

聖書を正しく学べない環境〜異邦人だけが集まり、翻訳聖書から、

ローマ帝国、人間が4世紀に神の言葉に手を加えて、土台が、

神の教えを歪めた宗教を作ったからだという原因は、明らかな事実なのに、その事実は、クリスチャンは、知らず、今迄殆ど認識されないまま、昇天以降、新しい教え、新しい契約を生きる時代になった

という、聖書ではない教えが浸透したのです。

 

新しい契約とは、中身は、モーセの五書=シナイ山で与えられた

唯一無二の、神から与えられた、神の民〜イスラエルを代表とする、

ユダヤ人と異邦人の混合ミックスの大家族への家訓なのです。

この理解は、クリスチャンにはないのは、神の言葉ではなく

ローマ教を教えられたからです。

 

神の家族は、ユダヤ人と異邦人で、分裂していないことは、聖書に

書いてあるのに、その事実を読み取らない、それは、西洋宗教

その宗教思想から出て教理〜置換神学や、デイスペンセーション神学を神学校で学んだ教師にだけ、教えられて来たからです。

そんな人間の思想は、学ぶ必要などない。学ばなくてはならないのは、パウロたちの様に、ヘブライ聖書を、書いてある意味通りに学ぶ

その訓練が、異邦人には全くないのです。

 

翻訳聖書だけ、しかも聖書の最後だけを読んでも、何を話されているのかは、理解出来ないのです。

最初の部分をよく知る人が、最後の部分をその通りに読んだら、

そこには、トラー、預言書、諸書、タナックの短い解説が書かれていると読み取れるのですが、逆はあり得ません。

 

異邦人が、マタイ以降を読んで、その箇所にタナックの解説が記されているなどと、理解する人は皆無でしょう。

最初の部分が、分からないまま、最後の短い、抜粋、後書きだけ読んでいるからです。

 

イエシュアが過越の晩餐で語られた遺言は、「新しい契約」とは、

残りの民〜頭脳に割礼がされ、イエシュアがメシアであることを

認識し、神の教え=契約に根付く生き方をガードする人たちへ

与えた、同じシナイ山の契約、再更新された同じ契約です。

 

クリスチャンは、神の言葉が変わった!契約の内容が変わった!

という偽情報を聖書だと信じて語りますが、神が伝えているのは、

人間の内側が変えられた人が、神の教え=

神の性質通りに造られた人が生きる、その契約に加えられ続ける人が

増えるだけで、神の言葉、教え、神が創造された人の生き方自体は

変わらないのです。

 

パウロの手紙を読んでも書いてあります。頭脳に割礼がされた人!

中身が、変わらない人が、神の言葉をその実態通りに生きれないからです。

この点を、正しく理解しない人が、新しい契約〜シナイ山で与えられた唯一の契約が、昇天以降神が変化させ、変え、破棄し、人間が自分の考えで、人間が主体神と堂々になり、神の言葉を自由自在に変えて良いということを教えているでしょう。

 

クリスチャンは、神の言葉を無視していない!そんなことしていません!と考えているかもしれませんが、新しい契約〜シナイ山で与えられた契約とは中身が別物と考えている時点で、神の言葉を真っ向から無視している行動をしているのです。

聖書とは異なる思想を、教え込まれていることに

気がつかないとなりません。

宗教が編み出した実践、活動、記念日は、イスラエルの神のものではありません。

しかも、永遠に祝われる、わたしの記念日と神が言われた全ての

モアデイムを、どうしてクリスチャンが捨てているのか、

考えてみる必要があるのです。

 

それは、キリストが来られて昇天された記念日だから、日曜日を

祝うようになったと思い込んでいますが、聖書には、そんなこと

1つも書かれていません。日曜日は、ローマ帝国皇帝を崇拝する日

太陽神を崇拝する日、ローマの日なのです。

読めば分かるはずです。イエシュアが昇天された以降、1世紀当時の人が、何を生きて、何を学び、何を祝っていたのか、書かれている

からです。

彼らは、シャバット、新月、過越、仮庵を祝い続けていたのです。

日曜、クリスマス、イースターは、ローマが作った記念日である!

といくら話しても通じないのは、思い込みが激しいからです。

 

神の言葉、教えを、人が変えると言う行為〜これ程までに、

軽く取り扱っていることに気がつけないのは、神の教えが廃れたという嘘に騙されているからです。

神の言葉、真実を、クリスチャンに話しても、通じないことが起きている。一方、世界の中には、大勢のクリスチャンが、聞かされて来た教えが、ローマ帝国が神の教えを作り変えた宗教であったと気が付く

人が大勢出現しているのです。

神を信じない人でさえ、聖書を読んで、それらがローマが4世紀に

作った宗教であることは歴史の史実を学べば、普通に理解できる

ことなのです。

 

神が神の教えを捨てよ!と教え、別物の教えを昇天以降教えた!

こんな異端思想は、聖書ではない、イスラエルの神、イエシュアが

教えられた教えなどでもない、人間の作り物であることに

100%目覚めたら、その嘘の教えから、離れるのです。

 

イエシュアの実態を、地上で映し出さず、宗教の思想の影絵を

映し出しているからです。

 

出エジプト 20:3 

あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

それをしてはならないのは、何ですか?エデンの園の最初と同じ

神が言われたこととは、違うことを取り入れ、考え、別物を生きるな!です。

翻訳では見えませんが、ヘブライ語では、こう記されています。

「神の顔の上に別の顔をおくなかれ!」

これ、ローマが作った宗教、その教理、教えがずっとやっているのに

全く気がつけないでしょう。

気がつけない理由は、20世紀近くも、周りの異邦人クリスチャンが

全員でやり続けているから、それが本当だと信じ込む。

聖書には、クリアーに、神の言葉が書かれているのに、それさえ理解できない状態なのです。

 

クリスチャンの言う律法が廃れたとは、一体何の教え?何ですか?

神の言葉の、あれ、これ、それは廃れたと主張しているのは、

全て人間の主張、判断、審判でしょう。

神が言われてもいないこと、ローマ帝国の勅令、トラーを捨てよ!

実践するな!という思想、スローガンを、そのまま語っているのです。

自分に馴染みのない、理解出来ない、都合が悪い、自分の生活な

合わない全ては、終わった教え!と片付ける。

この態度は、神に聞かないという態度そのものなのに、

それが恵の時代の生き方と教えられてしまう。

 

つまり、ジャンクな人の作った教え、聖書ではない教えを、

聖書だと教えられ続けているから、聖書を読んでも、そのことに

気がつけないのです。これすごい洗脳だと思います。

これ程長い年月、クリスチャンの間に、聖書ではない教えが、

根深く、根強く、浸透してしまったのです。

イエシュアが生きて、教えた、教えではない教え、聖書解説が浸透してしまったのです。