シャバットは永遠に第7日目 神は神が伝えた言葉を変えない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

もしも、ローマ帝国が、神の教え、トラー、モーセの五書を否定、

削除、終了とした思想を土台に国の宗教を4世紀に作らなければ、

今のような4万3千という宗派、グループに分かれた宗教の教えや

実践など存在していなかったのです。

ローマカトリック、ギリシャ正教、ロシア正教、そしてプロテスタントは4万3千。

これら、イエシュアが教えたトラーではない教えをする、宗教。

モーセの五書が廃れたと主張する教えを信奉する宗教でしょう。

 

イエシュアがローマ帝国が作った新しい宗教、ご自分の言葉を

終了させて、終わりにし、別の教えを教えに来たという嘘を本気で

信じる場合には、永遠普遍の神の言葉は、嘘を信じる人には、

聖書に記された本物の神の言葉は、正しく通じないままになります。

半分おおいがかけられて、ある部分だけが見える、そして神が伝える

永遠普遍の真実なのに、人の思想というバッドで、神の言葉を

人間がめった打ちに打ち返し、捨てて行くのです

 

イエシュアが来られる以前から、永遠の中に屠られて完了している

子羊の血の代価を受け取り、神の元に戻った人たち〜残りの民のことがモーセの五書、預言書、諸書に記されているのに、其の事実に

盲目のままなのです。何も変わらない。

未来に来られるイエシュアの日、イエシュアが統治する時代を

アブラハムも知り、喜んだとイエシュア自身が語った意味が

全く通じていないのです。

それは、歴史線上に全てを考える西洋哲学思想と、ヘブライ思想、

永遠の中に完結された事実から、全てを語る聖書では全く思考回路が別だからです。

問題の根は、同じで実は超シンプル、単純な事なのです。

 

人間が、神の言われる事を、言われた通りを信じてはいない!

という態度、思想、行動、それが問題なのです。

神の言葉、聖書を信じている!とクリスチャンは、言いますが、

ではどうして、神の言葉が廃れた!という嘘=聖書に書いてもないことを、神が言われてもないことを、言った言ったと信じているのですか?

神の創造されたモアデイム全部すて、代わりに人間の作りものを

どうして尊重し、祝うのでしょうか?

そして、罪の定義、聖別の定義、神が伝える生き方は廃れた!と

主張し続けて、それが神を愛すること、恵だというのでしょうか?

 

神を愛する人は、神の仰せ=トラーを生きる!と神が言われることとは真逆のことをしているのに、全く気がついていないのです。

これ、子供騙しの嘘と同レベルなのに、それに気がつけないほど、

騙しが深いということを知ってください。

神が一度でも、永遠普遍!変わらない!と言われたら、神はその宣言を撤回しないということが、聖書を読んで、どうして理解できないのでしょうか?

いやもう少し説明すると、神の言葉が廃れた、終了!という大嘘を

神が言われたと信じて、聖書に書いてもない偽情報を信じている!

のです。聖書に書いてもないことに対して、イコール、聖書信仰!と言い続けているのです。その心は、神の言葉は神ご自身が破棄された!という大嘘を信じることなのです。

ローマ帝国の仕業は、クリスチャンも知る、反キリストが行う、

神に違反する行為をしているのです。

神のトラーと、神の時〜モアデイムを変える!ダニエル7:25

其のことにまず、聖書から気が付かないとならないのです。

嘘なのに、皆が本当と主張する、そして、嘘が浸透すると、真実を

言っても通じない状態になるのです。少数派の声は、多数派の声に

かき消されるからです。宗教の教えは、大声で嘘、偽の教えを言い

続けています。人間が神の言葉を歪め、曲げて、捨てた宗教なんて、最初から存在してはならないものなのです。

 

蛇の作戦は、エデンの園から同じ!神の言葉を曲げ、歪め、神の言葉

真実、真理から、人の意識を反らせ、神の言葉は重要ではない、

神の言葉以外にもっと大事な事がある!とずっとやっているのが

宗教が編み出すムーブメントや、様々な思想なのです。

 

神の言葉=命の泉から汲み出さない、命の源=神の言葉を正しく

教えられていない、学ばない、だから、次から次へと異端的思想

宗教ムーブメントが爆誕しているのです。

そして、感情、高揚感、体験、奇跡、印、不思議、預言など、

偽物を求めさせられるのです。

これってドラッグを求めるのと何も変わらないものです。

神は感じなさい!などと、一度も言いませんでした。

「知りなさい!」とずっと言い続けているでしょう。

 

感情は、後から来るものであり、そんな高揚体験を熱心に求めるのは、ドラッグでハイになるのを求めるのと同じ。感情は不安定であり来ては去る、感情や気持ち、高揚感そのような消えるもの、頼りにならないものに土台を置くようなことをしてはならないのです。

サタンは巧妙です。イエシュアの名を使いながら、人に偽ものを

拡散させ続けているのです。

そうではなかったら、ここまで神の言葉を曲げ、神が創造された

モアデイムを全て捨て、ローマ帝国=人間が作った宗教を

クリスチャンが信奉などしていなかったはずです。

 

イエシュアが教えられた教えは、ローマ帝国、皇帝、教父、教皇が

が編み出した教えではない。

はっきりイエシュアが言われたでしょう。

父の教え=モーセの五書=トラー以外、語らない!と。

そのイエシュアの言葉が、イエシュアを信じるクリスチャンに

そのまま通じないのは、偽物の教えというフィルターで別物の思想に変換させられているからです。

 

クリスチャンが、聖書信仰と主張しますが、それは聖書のある部分

部分的に神の言葉を信じているだけで、完全な聖書信仰などではない

ことを、ぜひ聖書から認識する必要があります。

 

神が言われた事を、本当に受け取り、それが真実だと信じていないでしょう。

それは、神の言葉が終了、破棄、廃れた、十字架で処分されたという

聖書に書いてない思想〜人間の思想を、クリスチャンは信じている

からです。

それは、神が言われた事を、言われた通りに信じていません!

という主張、表明、そして行動で、それを表しているからです。

自分、人間が中心の信仰。神の言葉は、そっちのけ。

神の教えが廃れたと言い続け、神が創造されたモアデイムを全部捨て

代わりに人間が作った宗教の活動、実践、儀式、記念日を通して

イスラエルの神に近づく、礼拝する、これこそが金の子牛〜人間の

思想で編み出したものを通して、勝手に神に近づく偶像礼拝の

正体です。

もちろん、純粋に神を愛している、イエシュアに出会って贖われ

救われ、聖霊が内側に住まう事は、同じですが、父の元に戻った後の

生き方が、神が伝える通りの契約に根付いた生き方ではないのが

問題なのです。

人が編み出した教理、思想、宗教の実践を教えられてしまっていることに、全く気がつけないのです。

クリスチャンは、日曜日が主の日、安息日と本気で聖書に書いてもないことを、信じているでしょう。それ嘘です。神はいつそんなこと

言いましたか?言っていません。神は人が主体となり、神に成り変わり、神の言葉と神のモアデイムを変えることを、厳重に禁じているのに全く通じていないのです。

 

誤解してはならないのは、いつ集まろうと、どこで集まろうと、

賛美しようと、踊ろうと、それは自由です。

でも何が違うのですか?神が言われる事を人が無視し、神が創造されたモアデイムを全て捨てて、人間が作り変えたものを、主の日〜神が

神の子ら全員を呼び出している日と主張し行うこと、これは

神の聖別を汚す行為、罪であることを、聖書から正こしく理解して

いないことが問題なのです。

又は、クリスチャンは復活を記念して日曜日を祝うと教えられますが、イエシュアが日曜日に復活していなかったら、其の意味は何も

なくなるでしょう。

イエシュアが復活された日と、神=イエシュアが創造されたシャバットは、関係ないのです。それこそが、人間の作った宗教の人間が

作った記念日であり、安息日の主=イエシュアのシャバットなどでは

ありません!

いつ復活されようと、シャバットは永遠に第7日目であるということを

聖書から正しく理解していないのは、偽物の教えを刷り込まれたせい

なのです。詰まり、ローマ帝国が編み出した偽もの教えを土台とする

宗教が異邦人の世界に浸透してしまったからです。

 

主日、聖日、日曜日という偽情報はやめないとならないのです。

これこそが、神の前に大冒涜、罪なのに、純粋にクリスチャンは

そう信じて、ローマ帝国の作り物を知らないまま信奉しているのです。其の理由は、

1)神の教えは十字架で処分された。

2)今はいつでも安息日、人が良いと考える日で良い。

この思想、恐ろしい思想です。バベルの塔で人々が考えた主張、思想と全く同じです。

人間が神になり変わる行為だからです。

 

聖書ではない思想を本気で信じる、これこそが偶像そのものであり

神に反する行為を知らない間にずっとしているのに、日々しているのに何も気がつけないのです。

なぜなら、聖別の定義、罪の定義を廃れた!破棄!終了!異邦人には

関係ないと嘘を本気で信じているからです。

 

神は一つ、一体です。それは、ヘブライ語では堅調に証明される

事実です。

神は、1つ以上で全く1つのエハッドであり、神ご自身は、神が

言われた通りを、そのまま変えず、神の言葉がそのまま物理的な

創造で現れたのです。

神が神の言葉を後から変えるという思想は、イスラエルの神の性質を

クリスチャン=異邦人が知らないだけなのです。

そんな嘘を平気で信じるのは、ヘブライ聖書に書かれたオリジナルの

通り、そして神が意図する通り、正しく学び、とられるということが

ないからです。

 

神が創造された時、「バラ」という言葉を使われました。

日本語の文法ですと、単数、複数の区別がないから分かりにくいですが、ヘブライ語、英語でも主語の対する動詞は、単数、複数と違います。

バラとは、神しか使えない神の創造を表す言葉であり、これは単数なのです。複数だと、バルになります。

詰まり、神ご自身を、ジェネリックネーム、エロヒムと、異教の神々

エル=神と同じ言葉で最初神ご自身のことを紹介しています。

エロヒム=複数です。しかし動詞の創造、造るを、単数のバラで

表しているのです。

全く一体の神が、創造された。そして、神は神が言われたことを

決して変更しない!このシンプルな事実を、クリスチャンは全く

理解していないのです。

変化する神、神の言葉を神が変える!神の贖い、救いの業は昇天前後で変わる。以前は生贄捧げて許され、昇天以降は生贄は必要ない!

こんな、聖書を正しく理解しない思想を教えられ、それを聖書だと

信じているのです。

 

聖書に基づき考えれば分かるのです。いやレビ記に記されたことを、

正しく教えられれば分かります。

動物の血は、人の罪を消さない!と書いてあるでしょう。

コルバン、生贄と訳されている本当は、「近づく」という意味

コルバンは、人の罪の許しのためにあるのではないからです。

其の証拠に、未来イエシュアが到来されたら、再びコルバンがエルサレムの神の家の祭壇の上で捧げられ、皆で宴会、祝宴をする日が来るからです。

そして、昇天以降も、神殿が存在していた時は、祭壇でコルバンが

捧げられ続けていたでしょう。

日々、全焼のコルバンが捧げられ、シャバット、祭りにコルバンが

捧げられ、それぞれがコルバンを持って神の祭壇に捧げたい人は

日々それをしていたのです。

使徒21にあるように、パウロは、パウロが街の巷のうわさで

モーセの五書とは違う教えをし、割礼を禁じている、トラーを

正しく教えていないのではという、大きな噂が蔓延して、其の結果

パウロは、それらのうわさ=パウロがトラーを否定しているという

のは偽情報であり、パウロは、100%トラーに忠実であり、人に

トラーを教え自分もトラーを忠実に生きている!と証明しているのです。

めちゃくちゃ、いい加減な聖書の勝手な読み込み、神の教えや

シャバットが変化したと解説されている箇所は、100%全部

間違った粗悪な聖書解説、これ、言語を知らない、当時の人々の

間にあった慣用句や風習を知らない、無知から来る誤解そのものなのです。

今は、このようないい加減な聖書解説は、正されつつありますが、

進化論と同じく、いったん嘘がこれほどまでに浸透し、人の意識を

洗脳、汚染すると、正しい情報に戻るのは、それを知ろうとする人以外は、出来ません。なぜなら先入観で、即座に嘘なのに、本当!

と反応し、正しい情報を嘘!と退ける、それが人間の性質なのです。

聞き慣れないこと、イコール異端と思う。異端はどっち?

聖書に書いてもないことを信じ、人間が神の言葉を退け、勝手に

終了ということにし、代わり人間=ローマ、人が作った偽物の教え

宗教を信奉している!これこそが、大きな騙しそのものなのです。