神の言葉が重荷と人に教えられている シャヴオートに向けて | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

過越の祭り、種無しパンの7日、初穂の祝い日が終わり、

春の最後の祭り〜ハグ、シャヴオート迄の穂を数える7週間の時の

中を今過ごしている期間です。

2026年のシャブオートは、5月21日木曜日の日没です。

そうすると、木曜日の日没から、23日土曜日の日没迄、

ずっと2日間シャバットとして祝うことになります。

この祭りは、聖霊初降臨祭などという祭りではありません!

聖霊は、エデンの園からイエシュアを通して贖われた人全ての内側に

住んでいる事実があるからです!

歴史の中で、神が特別なことをされると、その時から神の性質や

神の教えや神の業が変化する!という、イスラエルの神の進化論仮説は

捨てて下さい。そんなアイルランド人が20世紀に考えついた教えは聖書ではない、聖書に記された事実、神の言葉を否定する偽の教えです。

記事が大幅に長くなるので、全てペーストしませんが、

歴史の中で様々な奇跡、現象は起きています。その前後で神の性質、

贖いの方法、神の業、神の性質、神の言葉は永遠に変化しない!ということを

神の語る言葉、聖書から確認して、その事実から決してずれてはならないのです。

2歴代史7:1-3

ソロモンが祈り終ったとき、天から火が下って燔祭と犠牲を焼き、

主の栄光が宮に満ちた。

主の栄光が主の宮に満ちたので、祭司たちは主の宮に、はいることができなかった。イスラエルの人々はみな火が下ったのを見、

また主の栄光が宮に臨んだのを見て、敷石の上で地にひれ伏して拝し、主に感謝して言った、「主は恵みふかく、そのいつくしみは

とこしえに絶えることがない」。

 

1列王記18:37 主よ、わたしに答えてください、わたしに答えてください。主よ、この民にあなたが神であること、またあなたが彼らの心を翻されたのであることを知らせてください」。

18:38 そのとき主の火が下って燔祭と、たきぎと、石と、ちりとを

焼きつくし、またみぞの水をなめつくした。

18:39 民は皆見て、ひれ伏して言った、「主が神である。主が神である」。

18:40 エリヤは彼らに言った、「バアルの預言者を捕えよ。

そのひとりも逃がしてはならない」。そこで彼らを捕えたので、

エリヤは彼らをキション川に連れくだって、そこで彼らを殺した。

 

出エジプト19:16 三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、

宿営におる民はみな震えた。

19:17 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。

19:18 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。

19:19 ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、

神は、かみなりをもって、彼に答えられた。

 

レビ記 9:23 モーセとアロンは会見の幕屋に入り、また出てきて民を祝福した。そして主の栄光はすべての民に現れ、

 9:24 主の前から火が出て、祭壇の上の燔祭と脂肪とを焼きつくした。民はみな、これを見て喜びよばわり、そしてひれ伏した。

 

使徒2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。

 

過越の祭りの日に、イエシュアは、裁判を経ないまま、いきなり

不法にローマ帝国の処刑=木に掛ける極刑で処刑され、イエシュアが復活されたました。その後この7週間は、シェフィラット ハオメル

「穂を数える」過越の次の日から49日間、七週間です。

これが、神が創造されたモアデイム、命のサイクルの生き方です。

弟子達に現れ出たのは、この7週間の間であり、次の祭り迄

弟子達が励まし合い、イエシュアを失った悲しみから癒やされる為にも、故郷に帰らず、祭り迄7週間エルサレムに留まりなさいと

言われた、重要な7週間なのです。全部7。

新しくされた人が、神の婚姻契約を受ける祭り、その時、弟子達が

新たに力を受けて、全世界へ、神のトラーを伝える、その準備期間が

この7週間だったのです。

 

実際に農業をしていなければ、作物の穂は数えられませんが、

過越の祭りが、大麦の収穫です。初穂の日は、子羊イエシュアの復活の命、新しい命、初子に属する人にされていることを教え、

祝う記念日です。シャヴオートは、小麦の収穫祭です。

イエシュアに連なる、初穂に連なる人とされ、その人が新しくされた

人として娶られ、神のものになり、婚姻契約を正式にシャヴオートで

受け取ったことを教えています。

これは、実際にイスラエルが辿った歴史の史実、エジプト脱出

荒野の40年で表され、教えられているのです。

 

1)偽の主人の奴隷から鎖を切り離し、エジプトから引き出され2)奴隷状態から救い出され3)代価を払い、神に贖われ、

4)きよめられ正式に花嫁となった出エジプト6:6−7

よ〜く考えたら分かりますが、これら4つの事実は、人種、時代に

関係なく、もれなく、イスラエルの神に出会った人、イエシュアを通して神の元に戻った人、共通する、体験、事実なのです。

それを、イスラエルの辿った歴史を通して、教えているのです。

 

神が創造された神ご自身のモアデイム〜アポイントメントの日、

神がユダヤ人、異邦人全ての神の子ら、神が永遠の中から選び出され

聖別された全ての人を呼び出して祝う日は、神が創造され神が人に

伝えているものです。

神が創造されたモアデイム、アポイントメントの日は、イエシュアの

業、預言的祭りであり、その中に福音の全てが網羅されています。

神が創造された記念日が、完全であり、完璧であり、代々、永遠に

神の子ら、大家族全員で祝われる「わたしのシャバット、祭り」と

神の口から直接伝えられているのに、これを遮ったのがローマ帝国

人間です。神の教えを捨てて、人間の教えを神の上に持ってきて、

それを、土台、根拠とする砂の上の信仰を教えてしまったのです。

 

A)春の祭りは、過越、初穂、種無しパンの7日間。

そして、過越から7週新しくされた人の事実を生きる、穂を数える

49日間があり、その次の日、7週が満ちてシャヴオート、

正式に婚姻契約を受け取る祭り、小麦の収穫祭があるのです。

この時に、パン種を入れた最上の小麦の初穂で作った2つのパンを

神の祭壇に捧げるのです。

過越では、種無しパン、マッツア=罪が削ぎ落とされた人を教えてるマッツアを7日間食べ、家にはパン種を置かない除去掃除をして

この祭りを迎えました。

神に出会い、偽物の主人、偽の自己像、偽の人生目標

罪の支配から切り離され、新しくされ、神のものとなり、神が共に住まうことを約束、与えてくださった。神の花嫁となり、イスラエルの神の大家族のメンバーに加えらた。

その人たちは、1から神の国、神の家、天の家に住まう人の家訓を

1から神により教えられる人生の新しい旅路に招かれた。

これが、神の声、教え、言葉だけを聞いて生きることに、リセット

再学習、訓練を通り、約束の地に向かい生きる、荒野の40年で表されているのです。

 

B)秋の祭りは、ヨムテルア、角笛を吹き神の到来を知らせる

目覚ましコールの日。

そして、そこから10日後、大贖罪日。

それから5日目が、7日間の仮庵の祭り、イエシュアの中に住まう

人生の旅路、そして私達の体も仮庵、仮庵の中に神=聖霊が住まい

この世の旅路を生きることを教えているものです。

そして、最後の第8日目は、永遠にイエシュアが統治する世界、時代を迎えること、永遠に神と共に住まうことを表す記念日です。

第一日目ではない、第8目とは、イエシュアが共に住まうこと、

これがずっと継続していることを表しているものです。

春の4つ、秋の3つの記念日、全部で「7つ」の神のモアデイム。

そして、シャバット、新月。神の祭りは、もれなく全て、曜日に関わらず、シャバットと同じ取り扱い、祝い方、止まる日!

 

これだけ見ても、神の創造された記念日は、神の元に戻った人の

生きる命のサイクルであることが、見えると思います。

これを生きると、神に教えられているのです。

宗教の教えは、神の教えを捨てて、別物をやる。だから神が教えている真実、真理、意味が見えなくなるのです。

そして、神のシャバット、新月、祭りから祭りと一年を巡る命の

サイクルを生きる中で、神がそれぞれに特別なレッスンを与えて

成長させて下さるのです。そして、モアデイム、神のアポイントメント、神が創造された本物の聖日、聖別された日には、神は特別な

出会いをする!と約束されたのです。

従うとは、聞くであり、ヘブライ語ではシャマ、ギリシャ語はフパコウとあります。神の声の下で、神の声の中で、神の声を聞くなら、その場合

神が言われている通りを理解出来ます。

それを、人間が塗り替えた神の声ではない教えの下で、神の教えではないことの中で、神の教えではない人間の教えに聞き入っていたら

それは聖書、聖書信仰でも、神の教えを聞いているのでもない

人間が編み出した思想=宗教の教えに聞き入り、神の言葉を正しく

聞いている状態ではない、別の周波数、別のチャンネルを聞いて

それが神の教えと誤解している状態にとどまります。

神の教えが廃れたとか、新しい教えをイエシュアが来たら教えて

古い教えは消えた!これ、全部人間が作った思想であり、神の言葉に照らし合わせたら全部嘘です。

 

ここで今後一切、神の言葉を勝手に変えている、人間の主張、自己主張を完全にやめてみると、

神が言われていることが見えて来ます。

人間、ローマが4世紀にローマ帝国支配、安定的な統治目的の為に

作った西洋宗教は、神の言葉を捨て、人間の教えを、神の言葉より

上に権威づけています。

聖書に無い教え、神の教えを生きるな!詰まりユダヤ的な異物な

生き方を一切やるな!という反ユダヤ、反モーセの五書=反神の言葉

思想の上に作られた、所詮人間の作り物の宗教なのです。

純粋な神の言葉、教えではない、イエシュアが教えらた父の教え

トラーではない!!!

しかも、カトリックは人間が神の座に座り、神の教えを堂々と定義し直し、別の教えを作り続けて来ているのです。

プロテスタントも、結局同じです。なぜなら、信仰の土台が、

カトリックと同じ、ローマの勅令=反神の言葉思想、神の言葉=律法は廃れた!と言い続けていることでも、分かるはずです。

聖書=神が語ってもいない、聖書に根拠が全く無い教え、神の言葉が

昇天以降破棄、廃れた、又は異邦人には無関係という冒涜的思想

異邦人を神が与えた祝福から追放するような思想を、ありがたく

聞いている、そんなこと、聖書のどこに書いてありますか?

書いてなどありません!書いてあれば、それは誤訳満載の偽物、

人の思想で塗り替えられた翻訳聖書です。

ヘブライ聖書には、そんなことは、1つも記されていません!

神の大家族の家訓=契約=トラーは、ユダヤ人を代表として与えられました。

そして、その家訓、トラーを全世界へ伝える役割をユダヤ人に託したことが、書いてあるのです。

聖書には、ユダヤ人に対して書かれているように見えるでしょう。

それは、代表者に語っているからです。

日本の卒業式、入学式、答辞を読む人、卒業証書を受け取る代表者と

同じです。一人が代表で、全ての人に対して、同じ神のトラーを

ユダヤ人が全世界へ教える役割を与えられたからです。

だから、イスラエル!と書いてあるのです。日本人へ!とは書いてない。

しかし、聖書を読めば、その中には、異邦人、他国人も同様に!とあるのです。

詰まり、イスラエルと同じように神の声を聞いて、出エジプトした人で表される、誰でも、もれなく神の教えに応答して、それを受け取る人は義とされ、聖霊を受けたでしょう!

異邦人は、大家族の弟、妹の立場です。家族の中の役割が違うだけ。

契約を受け取る代表者〜長男とはならなかっただけです。

イエシュアも、「失われたイスラエルの羊のところだけに遣わされた」と言われました。

では、異邦人はどうなるの?ですよね。そうです。

長男、兄が大家族の弟、妹、兄妹全部に同じ教えを教える!

そして、異邦人は使徒15章に記されたイエシュア信者のように、

先祖代々異教神に仕え、神の教え=トラーなど知らない人たちなのです。

その人たちのところに行っても、イエシュアが語られた意味など

トラーを知る人以外は、理解不能だからです。

今でさえ、聖書が手元にあるのに、書いてあるのに、イエシュアを

信じる異邦人が、神の教えは廃れた!などという、神の言葉、教えとは違う偽の教えを本気で信じているのですから、そのような偽の教えを信じる人に、神の言葉を伝えても、神の教えの意味が正しく通じないからです。

代表者=イスラエルの失われた羊のところに来られた。

契約を受け取った人達のところに来られたからです。

西洋宗教は、神の言葉を退けて、人間の主張、人間の考えを第一に

しています。

そのような違反行為、罪、神に対する冒涜行為は、一切やめないと、正しい軌道修正は出来ません。

世界に蔓延している主流な教えは、神の言葉を退けて、人間の教えを神の教えの如く教えている、人間が作った宗教の教えだからです。

 

詳しく分からなくても、1)神の言葉は十字架で処分、破棄された

2)異邦人には神の教えは関係ない教えだ 3)神の教えや記念日は、今の時代は人の意見でどの日を選んでも良い

これら全て、偽の教え、偽教師が語る教え、聖書では無い教えであることを、聖書からはっきり把握して下さい。

聖書信仰と口では言いながら、どうして人間が神の禁じている、

神の言葉に付け足し、差し引き、変えるな!という警告に真っ向から違反し続けているのか?自分で考えてみないとならないのです。

 

なぜなら、周りの教師が、神の教えは廃れた!と言い続け、

異邦人には関係ない廃れた教えだ!と教え、その代わりに、

ローマ帝国が4世紀に作った宗教の教えを土台に教え、

日曜礼拝、クリスマス、イースターを熱心に祝い、十一件金をする

ことを当然の如く強要され、誰かが考える宗教活動をすることが、

神を愛することと教えられてしまうからです。

では、神は神を愛する人は、何をする、何を生きると、神は教えて

いますか?