過越を経てエジプト脱出した日 ペサフ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

日本のお正月には、皆が一斉に新年の挨拶をします。

今は年賀状を送る人は少ないそうですが、その代わりメッセージが

送られて来たり、電話がかかって来たりと、いつも連絡がない人とでも新年の挨拶を交わしたりするでしょう。

 

今世界中で、イスラエルの神、創造主が創造された祭りを祝う人たちは、ペサフ、過越の挨拶を交わしています。

出エジプトした最初の日です。イエシュアが処刑された日。

חַג פֶּסַח שָׂמֵחַ

ハグ ペサフ サミア

ハグは、神の創造された三大都上りの祭りの単数です。

ペサフは、過越の祭り、サミアは、ハッピー、嬉しい、喜びという

意味の言葉です。

 

私は、祭りの初日に祈る祈りが深く心に刻まれて、それがとても好き

です。これを祈るたび、毎年毎年新しいことを、アバから教えられる。

一年をめぐり、神が創造された命のサイクルの時=モエッドから

モエッドへ、イエシュアが教えられた通り、イエシュアご自身がされた業を表す預言的祭り。

永遠の中に屠られた子羊の血の代価が真実であることを証明され、

悩める僕、罪でないイエシュアが罪となって処刑され、復活され、

そして新しい命=初子=初穂に連なる人に加えて下さった福音の中核を表す祭りなのです。

そして、シャヴオートは、子羊の血の代価で贖われ、神に娶られ、

神の者とされた人に、神の家に生きる婚姻契約=神の家の家訓を与えられた祭が、シャヴオートなのです。

未来にイエシュアが到来し、世界をエルサレムから統治される時代が

来ます。

 

「私たちの神、宇宙の王である主よ、あなたに祝福がありますように。あなたは私たちを生きながらえさせ、支え、この季節にまで至らせてくださいました。」

 

私達は、神の言葉で造られ、神の性質=イエシュアの性質通り、

イエシュアのDNAで造られているから、神が伝える神に性質通り、

それが書かれた神の教え=トラーをそっくりそのまま生きるのです。

犬が犬だから、吠える。猫は猫として生きる。鳥だから飛ぶ!

頑張ってやっているのではない、その種ー性質に沿った通りの生き方をする!それが、神の教えで教えられているのです。

そんな複雑なことなどでは、ないのです。

神の教えが、厳しい、古い、人を縛るという意識にされているのは

蛇発祥の偽物の教えのせい!!!

神が伝える生き方が、イエシュアの性質通りのどんなに麗しい生き方なのか、神の教えを捨てる人には見えないだけなのです。

 

人は、神が創造された時の中を生きるよう造られています。

神を知らない人でも、週は7日間でしょう。

知らなくても、金曜日の日没には止まるモードになるのです。

シャバットは、止まる!止まる日なのです。神がそうされたように

神の性質通りに造られた人も、そのように止まるのが性質通り!

 

私が教えられたのは、聖書の真実そのままではなく、西洋宗教が人間の思想を通して語る、聖書とはズレた解説です。

過越の後、7週後に来る2番目の都上りの祭り、シャブオートの祭りは、聖霊降臨祭などと言う名、意味の祭りではありません!!!

 

神の花嫁とされた後、正式に神の家に生きる婚姻契約を受け取った

それがシャヴオートの出来事です。それを、イスラエルと異邦人は

金の子牛=エジプトの太陽神の偶像を通して、神の祭りを祝った罪が

書かれているのです。出エジプトした直ぐ後なのに。

 

出エジプトした後、神ご自身がシナイ山に降りて、天がそのまま降りて来たでしょう。神の御座の足台に、足があった。

天と地がつながっている。

神には足がないでしょう。目に見えない神が、人と関係を持つ為

時と場所を造られたのです。それが、神の創造です。

天がそのまま降りて来たからです。そして、神と契約を交わした後

70人の長老が、イエシュアと共に契約が成立した大祝宴を開いて

飲んで、食べて祝ったのです。それがシャヴオートの祭りなのです。

 

神に娶られた後に、神の家の家訓を与えられたのです。

神に娶られるために、神の教えを生きるのではないのです。

順序が逆!花嫁となったから、その後に神の家に加えられた人が、

今まで知らなかった神の家に住まう家訓を与えられた、それがモーセの五書なのです。今契約は、神との関係に入っていない人には、

与えられていない!という事実に注目してください。

正式な婚姻関係がない他人と、「契り」など結ばないでしょう!

神のものとされたから、その人は、このように生きるのです!と

神が教えられたのです。

そうでしょう。なぜなら、今迄奴隷だったから!偽物の主人の奴隷だった人が、神の教え、神の家に住まう生き方など、神に直接教えられなければ、知るすべがないからです。

いやイスラエルは、エデンの園から、個人個人を通して、同じ教えを

神から口頭で直接教えられていたトラーを、エジプトに12人の

ヤコブの子、70人がエジプトに下った後、エジプトに長居して、

エジプトの神々の思想、宗教、偽物に浸り、本当のイスラエルの神につながる生き方を出来ないままいたのです。430年も。

 

人がエデンから出た後、皆同じ経路を辿ることを、イスラエルの

歴史でも、イエシュアの歴史でも教えています。

エデンから出て、生まれ、エジプトに下って、又イスラエルに戻る。

これは、アヴラハムも、ヤコブも、イエシュアも同じです。

エジプトに下る。そこから、出る。

 

もし、神の言葉を律法という誤訳で誤解して考え、律法は悪い、

古い、廃れた!と言うならば、それは、神の教えの全てが終了した!と言う意味になり、聖書を読む意味もなくなります。

なぜなら、神の教え=聖書は、クリスチャンが言うところの律法しかないからです。イエシュア昇天以降、別物の新しい教えが出現したという空想、幻想、事実無根の思想を一掃しないと、聖書に書いてある事実が目の前にあっても、目隠しされて、読み違え続けます。

現にそうでしょう。7が1、永遠普遍を、変化するとずっと書いてもない勝手な読み込みを続けていても、何も不思議と思わない思考回路になっているからです。

意味不明な聖書の読み方、聖書解説をしていることに、気がついて

下さい。

クリスチャンが主に読む聖書とは、マタイ〜黙示録だと思います。

詩篇や箴言など、抜粋して。。それ以外普通読まないでしょう。

そこに、書かれていることは、100%モーセの五書に記された

神の教えの短い引用、抜粋、解説のみなのです。

その中に、ローマ帝国、反モーセの五書、反ユダヤ思想を持つ

人間の思想で、神の言葉の方を変える、塗り替える、ねじまげる、

歪めるそんなことは1つも書かれていません。

 

問題はエデンの園から同じ。蛇の声=偽物、神に敵対するもの

反モーセの五書=反神の言葉、反ユダヤ=神の教えを生きる人を

殲滅する、破壊する事が究極の目的だからです。

 

そして、とても大事な事!神の教え=神の大家族の家訓=契約=

トラー=イエシュアが教えられた父の教えは、1つしかなく、

それは、血筋に関係ない、ユダヤ人、異邦人、もれなくイエシュアを

通して父の元に戻った人に与えられたものです。

クリスチャンは、イエシュア、メシアがユダヤ人であることを、

知っていると思います普通のユダヤ人、聖書に出てくるユダヤ人で

ローマ教のような教え=イエシュアご自身の教えに敵対する人などは、いないのです。

神の言葉を、律法などと呼ぶ人もいない!その翻訳が完全に誤訳で

あり、神の言葉は、クリスチャンいうところの、律法しかない!という事に完全盲目にされているのです。

詩篇や、箴言を読んで、律法、廃れた古い教えだ!と考えないでしょう?そこに記されているのは、何であるか知って読んでいますか?

それらは、モーセの五書=トラー=契約=イエシュアが教えられた

父の教えの、知恵に根付く、トラーに根付く生き方の実際!!!

それが書いてあるのに、気が付かないままだと思います。

どの部分を、厳しい律法!と考えるのでしょう?多分こうでしょう。

自分に受け入れ難い、理解不能な箇所。自分の異教徒文化の

生活習慣と相反する神の教え、そして、馴染みのない教え。

そして、教えられていない本物の神の記念日=それらが古い律法時代の古い廃れた祭り、シャバットだ!と考えているでしょう!

 

西洋の世界に浸透した宗教の祭りは、人間が作ったものであ〜る!

これ、あれで叫びたいです。青年主張というのを、動画で見ました。

子供、中高生が、学校の屋上に上って、その台の上から全校生徒に

向かって、「わたしには、言いたいことがある〜〜〜〜!」と叫ぶ

それです。

神がそれを言われているのに、その事実が聞く人の耳に、その通りには聞こえてな〜〜〜〜い!聞く人の耳に正しく届いてな〜い!

実際に、その通りでしょう。神がそう言われているからです。

「わたしの言葉は完全であり、永遠普遍である!」

「わたしは、コンスタンチヌス、人間西洋教父、教皇、デイスペンセーション神学が語るような、変化する、変身する神などではない!

わたしは、わたしの言葉を、人間が塗り替え、別物に変えること、

わたしのモアデイムを変える、捨てることを一度も許可などしていない!それどころか、そのような行為を断固禁じている!」

 

自分の体の、左足の小指は要らない、右手は要らない、右足も要らない!と同様の異様な思想を語っていることに、気がつけば良いのです。

人が作った物でも、例えばテーブルのある部分を少しでも壊せば、

1つの足を壊せて、そのテーブルは歪んで正常には使えないでしょう。それを、神の言葉に対してやっているのです。

 

だから、今や西洋宗教の教えの世界には、異端思想に溢れ、

聖書を教える教師が、神の言葉が変化しない、神の言葉は完全、

誤りがない、神の言葉は全ての聖別された人に同じ!神の家族は1つしかない、神の言葉=教え=契約も1つしかない、LGBTは罪と、

聖書を読んでの理解していない、分かっていない!罪が何かも

知らない!!!そんな思想を持つ人達が、罪を戸口に平気で招き、

部屋に入れているから部屋の中が、汚染され、腐敗して、ゴミ、クズだらけのゴミ屋敷になってしまうのです。

それら、神の教えではない、別物、罪を戸口で、阻止、制さなくてはならない!と最初から神が警告して教えているのです。

 

神の言葉は、人間が考えるように、人が仕分け、切り離せない、

取り出して捨てられない、又は人間が変えられない、手を加えられない完全なものだからです。それらの行為は、神の前に死に匹敵する罪とも全く理解していないから、堂々とやり続けているだけです。

知らないから、怖くな〜い!

ナダブとアビフの違反行動と同じです。自分の考えで神の前に出て、神に言われた事と違う

自分のやり方を通して神を礼拝する、それを宗教=人間の思想が混じった宗教を通してやり続けているのです。

神が言われた通りをやらないで、神が禁じることをする。

人間の考えで変えた教え、変えた記念日=金の子牛を通して

イスラエルの神を拝む。

もし誰かに、自分が考えている通りをしてもらいたいのに、

伝える相手が、自分の考えてと違うことをやるなら、どう思いますか?

相手は人ではなく、神であることを、すっかり忘れるというか、

神が神であり神と人の境界線をなくしているのが、人間主体、

人間至上主義、人間が神になり変わる意識を植え続けている

神の教えは廃れた!今は人が考えること、人が良いと思う日が

主の日だ!

これ、聖書とは何も関係のない、人間の宗教の偶像礼拝なのです。

神の創造された「代々永遠に祝われるわたしの祭り」と呼ばれるもの

その中心はシャバットで、全てのモアデイム、記念日は、

シャバットが中心で繋がって、完全な姿の神のモアデイムです。

創世記の最初に、「季節のために」と、神が創造された世界、

天の万象、月、星、太陽が造られた理由が書かれています。

神の時を司るためです。季節と訳されている、ヘブライ語の言葉が

「モアデイム」(複数)であり、その神の創造された特別に刻まれた

聖別された時を、人に知らせ、教える為の目的があることを、

神が伝えています。

神だけが、無から有を生み出し、神だけが神の時、モアデイムを

創造し刻み、その中で、神が選び出した特別の時を、神だけが

聖別できるのです。

人間が自己流、人間が勝手に神になり代わり聖別した日は、神が聖別された日、主の日、神が神の子ら全員を呼び出している日ではないのです。

人間は神になれない!神に変わって日を創造し、聖別出来ない!

人間の考えで作った記念日であり、神が創造された日とは別なのです。